2-23 彷徨う凶星 其之七
――あ、こりゃ正面対決は無理だな。
闘いが始まって早々、サルバトーレはそのように結論を下していた。
理由は単純で、敵が余りにも硬すぎるため。
サルバトーレが身に帯びる装飾品の数々は、全て死霊魔術によって作られた特別性だ。材料は彼が殺害した人間の爪や歯といった、肉体の一部である。
それらが互いに呪い合うことで力の循環を生み、装着した者に対して攻防の両面において恩恵を齎していた。取り分けサルバトーレが織りなす怨念の糸は、上位の星霊ですらも容易く焼き切ろう。
にも拘らず、相対する男――テオドアの五体は未だ盤石だった。幾度となく斬撃を叩き込まれ、致死量を越えた呪毒を浴びながら、まるで堪えた様子がない。
魔導士の視点から見ても度外れた頑丈さと言う他になく、もはや人間の枠に当て嵌めて良いのかすらも怪しかった。加えて、
「オラ、まだまだ行くぜッ」
投じられた石礫が大気の壁を突き破り、瞬きにも満たぬ間を以てサルバトーレに激突する。
全身が爆発するような凄まじい衝撃に見舞われるも、痛みはない。代わりに本来受ける筈のダメージを肩代わりした耳飾りが、乾いた断末魔を上げて塵と化す。
徒手格闘では埒が明かぬと判断したらしく、敵は遠距離攻撃を主体とした立ち回りへと戦術を切り替えていた。
基本的には単純な投擲を繰り返すだけだが、一射毎に甚大な破壊が巻き起こる。その対応に追われた結果、触媒は見る間に数を減らしていき、残るは十指に嵌められた指輪のみとなっていた。
これまで観察した限りでは、血に由来する魔術が行使されているのは間違いない。しかしその詳細を暴くだけの余裕は今のサルバトーレになく、降り注ぐ暴威を凌ぐので精一杯だった。
要するに瀬戸際である。
真っ当な感性の持ち主であれば、即座に撤退を試みて然るべき局面だった。
ならば何故、サルバトーレは未だ抗い続けているのか。
協力を結んだロッシーニ商会のためでは断じてない。彼らは目的を達するための手駒に過ぎず、もはや重要なのはある人物の行く末のみ。
よってサルバトーレがこの場に留まる理由はただ一つ、か細くも確かに見える勝機を手繰り寄せんがため。
「全く、化け物の相手は大変だよなァ……!」
懐から取り出した小瓶を床に叩きつけ、サルバトーレは術式を駆動する。
硝子の破片と共に飛散するは乳白色の粉末。此度の騒動を起こすにあたって用意した、軍団を創造する触媒だ。
供給される霊素を糧に、その内に宿る負の想念が泥となって溢れ出す。しかして象られる輪郭は、百貌の亡霊のものではない。
暗黒を凝集したかのような、無数の棘である。本来であれば軍団として血肉を得るはずの亡霊を、サルバトーレは魔術によって直接的な武器へと変換したのだ。
「そら、無念を晴らしてこい!」
サルバトーレが囁いた瞬間、棘が一斉に解き放たれた。
身を滑り込ませる隙間もない、大雨のごとき制圧射撃。質量を持つ程に凝縮された呪いの塊は、ただ対象を蝕むだけに留まらない。物理的な破壊力を伴って、敵を刺し貫く。
だがサルバトーレの狙いはあくまで牽制にあった。
膨大な物量の衝突を以て、対象の動きを抑え込む。狙い通り、テオドアは棘の霰を真っ向から耐えながら、その場に押し留められていた。
ゆえにサルバトーレは本命の一石を投じる。
「駄目押しだ」
奇術さながらの手際で弾き飛ばされたのは、数枚の貨幣であった。それはテオドアの眼前に到達するなり独りでに砕け、凶々しい霊素を辺りに振り撒く。
瞬間、降り注ぐ棘たちが連鎖的に起爆した。
あの貨幣の正体は一種の火薬だ。自壊を切っ掛けに周囲に存在する呪詛を賦活し、熱量として炸裂させる。
結果、テオドアの佇む一帯は猛毒の炎に包まれることとなった。
さて、どうだ。サルバトーレは立ち昇る瘴気の煙の向こうを見つめる。
現状持ち得る手札の中では最も殺傷力の高い術技を使ったが、果たして。
「っ!」
咄嗟に身を捩るが、遅かった。飛来する衝撃波が腕を掠め、盛大に吹き飛ばされる。
拳打に霊撃を乗せたのだろう。身代わりがなければ胸部まで根こそぎ抉られていたに違いない。
「くそ、気持ち悪ぃ。これだから死霊術師の相手は嫌なんだよ」
そして叩き割られた毒素の帳を踏み躙り、テオドアが姿を見せた。
煩わし気に衣服を汚す呪詛の泥を拭い落とす。顔や手に軽度の火傷が見受けられるものの、目立つ外傷と言えばその程度。
半ば予想していたことではあるが、もはや荒唐無稽とすら評せる不死身ぶりだった。
「そろそろネタ切れか?テメェの陰湿な手品にもいい加減飽きてきたぜ」
「冷めたこと言うなよ。もっと愉快に踊ろうぜ……っと」
言い終わる前に投げられた礫を避け、サルバトーレは再び攻勢へと転じていく。
霊糸に貨幣の爆弾、その他の触媒。死霊術師として培ったあらゆる技術を総動員して、テオドアに立ち向かう。
しかし何れも同様の結末を迎えることになった。敢え無く防がれ、反撃を受け、指輪を失う。
端から見れば破れかぶれの悪足搔きとしか映らぬだろうが、意味はあった。サルバトーレが着実に追い詰められているのだと、相手に印象付けるのだ。
「あー、しんど……」
今度は伸ばした糸を力任せに引き寄せられ、瓦礫の中に叩き込まれた。
残る指輪はあと四つ。身に覆う怨念の総量が減少したことにより、ダメージを削る効果も薄まり始めている。
それは即ち身の破滅が間近に迫っていることを示唆していたが、サルバトーレは歯牙にも掛けない。
寧ろ心は期待に満ちており、決着の瞬間を待ち遠しくさえ思っていた。
そう、彼は一つ嘘を吐いている。
具体的には今もなお展開を維持する結界術――『運命は賽に因る』に課せられたルールについて。
テオドアに対する説明では、術の真価を発揮するには三名以上の参加者が必要だと述べた。
だが事実は全くの偽りで、ゲームの実行に際し人数の多寡は関係ない。例え参加者が一人であろうとも、結界内に存在する人間を対象に盤面は回る。
何より重要なのは、不運を被る対象をゲームの創造主たるサルバトーレが任意で指定できるという点だった。
つまり狙うは敵の自滅である。渾身の一撃が見舞われるその瞬間、生じる死傷のことごとくをテオドアへと押し付けるのだ。
如何に尋常ならざる強度を備えていようとも、現世に物質として存在する以上、因果という鎖から逃れることは叶うまい。
もちろん敵も百戦錬磨の魔導士。伸るか反るかで言えば若干不利と見積もっているが、だからこそ賭け甲斐があるというもの。
未来を望まず、過去を省みず。
ただ刹那の快楽を求めて全霊を費やすのが博徒の流儀。
「痛ぅ……」
遂に最後の指輪が砕け散る。これでもうサルバトーレを護っていた神秘は完全に消失した。
霊糸を流れる怨念も格段に減衰し、道具の類も全て使い果たしている。正しく素寒貧の状態で、頼れるものは己の身一つのみ。
即ちここが正念場なのだと実感し、サルバトーレは高揚に身震いした。
(たまんねぇなオイ――!)
表情に焦燥の仮面を張り付けたまま、自ら白打の間合いへと飛び込んでいく。
振り抜かれる拳を巧みに受け流し、より深く敵の懐へ。全力の霊撃を籠めた掌底が鳩尾を穿つも、受けた側は僅かに顔を顰めるのみ。
ならばと僅かにぶれた重心を利用して足払いを仕掛けるが、それよりも早く胸倉を掴まれ床に叩き伏せられる。
すかさず落とされた踵を紙一重で躱し、地から跳ね上がる勢いのまま延髄へと蹴りを見舞った。
小細工抜きの殴り合いである。らしくない真似をしていると自覚を得つつも、しかし攻め手を緩めることはない。
「くたばれ糞野郎が!」
「お前さんの方こそなぁ!」
肉体を巡る霊素は結界を維持する分を残して枯渇しつつあり、繰り出す技にも陰りが表れ始める。
構わず殴る。蹴る。投げる。
敵も結界術に見識を持つ以上、こちらの狙いに気付けば即座に対策を打つはずだ。ゆえにこそ泥臭く足掻き続け、果てに自然な形での敗北を演出する。
賭け事とは緊迫感に酔うものだが、どうせなら勝って終わりたいと思うのが人情だろう。
そして遂に、決着の時が訪れる。
眼球を狙った貫手が最小限の動作で避けられ、伸びきった腕を裏拳に下から小突かれる。
たったそれだけで肘から先が歪に折れ曲がり、更には重心が宙に浮く。必然的にがら空きとなったサルバトーレの胴を、テオドアの眼光が射貫いた。
「終わりだ」
かくして闘いに終止符を打つ一撃が放たれた。
体勢を著しく崩されたサルバトーレにこれを防ぐ手段はない。防ぐ必要もない。
無双の怪力を乗せた拳は欠片の慈悲もなく、サルバトーレの胸板へと吸い込まれ――、
「……あ?」
目の前で起きた事象を、サルバトーレは咄嗟に理解できなかった。今正に心臓を打ち抜かんとしていたはずの拳が、寸前でぴたりと停止したのである。
予想外の事態に思考が漂白される中、テオドアが冷ややかに言い放った。
「誰がテメェの言うことなんざ信じるかよ、イカサマ野郎」
「……!」
敵の姿が視界から消える。
伏せたのだと認識した瞬間には、全てが決していた。
「――『村雨』」
その一刀は結界の外側、幾重にも壁を隔てた遠方から。
万物を斬る魔の剣閃が、サルバトーレを両断した。
◇◇◇
交わした攻防の数は、優に百を超えていた。
互いに殺戮に長けた者同士、その激突が小さな決闘場に納まる筈もない。戦火は猛る風と焔を孕みながら、森全体へ際限なく拡大していく。
「ああ、良い感じだ……私も体が温まってきたよ」
禍々しい気配を漂わす槍。それを巧みに操りながら、マリアンが陶然と呟く。
繰り出される怒涛の連撃は一見して荒々しくも、恐るべき冴えを有していた。
虚実を以て隙を見出し、最速で敵の命脈を断つ。それは戦場という混沌の坩堝において、極限まで鍛え抜かれた殺し技に他ならない。
しかし相対するヘイズもまた、数多の強敵を制してきた練達の狩人である。天井知らずに高まる死の予兆が、彼の身に刻まれた闘争の記憶を呼び起こし、マリアンの槍へと食らい付かせる。
「もっと盛り上げていこう!君の闘志を、殺意を、持てる力の全てをどうか私に見せてくれ!」
「ごちゃごちゃ五月蠅い」
自身に向けられる熱情を斬り捨てて、ヘイズは魔術を起動した。
放たれた刺突を剣で逸らすと同時、地面が激しく鳴動する。
『隆起』の術、その暴走である。本来ただ土を積み上げるだけの神秘は、過剰な霊素を流し込まれたことで規格外の現象を引き起こす。
結果生じたのは噴火さながらの大地の爆発であった。
「おっと」
捲れ上がる岩盤に圧され、マリアンの体が宙に浮く。
すかさずヘイズは新たな神秘を具現した。
愚者火。焔の矢は土石の狭間を縫うように迸り、四方からマリアンへと襲い掛かった。
機動力を削いだ上で不可避の攻撃を叩き込む。闘いの常套手段ではあるものの、だからこそ合理的で対処は困難と言えるだろう。
だが百戦錬磨という評価すら生温い傭兵に通じるかと問われれば、否と返さざるを得まい。
「甘いよ」
鋭い呼気と共に槍を一閃。空を掻く穂先は迫る火焔を引き裂くだけに留まらず、霊素の奔流をヘイズに向けて撃ち放つ。
想定通りの結果だった。ゆえにヘイズは動揺する素振りもなく霊撃を避け、術の制御範囲を舞い散る燃え滓へと移行する。
焔が乱れ咲いた。もはや消えゆくのみと思われた火の粉は突如熱量を取り戻し、渦を成してマリアンを呑み込む。
千変万化の愚者火、その真骨頂とも呼ぶべき紅の狂宴である。
例え防御が間に合ったとしても、急激な燃焼反応は周囲の酸素を枯渇させよう。魔導士も人間である以上は呼吸が必要であり、それを断たれればどうなるかは自明の理。
常識の範疇で考えれば間違いなく決定打となる一手であった。……そう、あくまで常識の範疇で考えれば。
「あはははは――!」
心底愉し気な哄笑が、焔の檻を食い破った。飛び出してきた赤錆の影を咄嗟に剣で受け止めるも、叩きつけられた重圧にヘイズは堪らず弾かれる。
「手並みの方は中々だったけど、火加減が物足りなかったかなぁ。遠慮しなくて良いんだよ?」
などと先の攻防を批評するマリアン。完全に意表を突いたつもりであったが、その美貌には冷や汗一つ浮かんでいない。
目を凝らしてみれば、彼女の体表にうっすらと風が巡っていた。差し詰め気流の鎧といったところか、あれで炎を防いだのだろう。
何より灼熱の壁に平然と飛び込む胆力が驚嘆に値する。
やはり傭兵。侮っていたつもりはないが、闘争における判断の素早さは尋常ではない。
「さて、じゃあ次は今度はこっちの番だ」
マリアンがゆるりと槍の切っ先を番える。
来る。身構えた次の瞬間には、彼女の姿は目の前にあった。
視認すら困難な速度の薙ぎ払い。それを半ば勘で躱すことに成功する。
だがヘイズは知っていた。彼女の本領が発揮されるのはここからだと。
ゆえに反撃に転じることなく、即座に間合いの外へと離脱する。
直後、風が唸った。収束する大気の束がヘイズの顔の前を通過したかと思うと、そこにあったものを等しく削り取る。
土も草木も例外はない。さながら匙で掬い取るかのように、風を受けた箇所が文字通り消失したのである。
否、正確には急速に塵になったと表現するべきだろう。物体が持つ強度が損なわれ、叩きつけられる風圧に耐え切れず崩れ去ったのだ。
激しく、慈悲なく、吹き抜けた後には何一つとして残さない。
形あるものを冥府に攫う死の業風――それがマリアン・ルベリウスの操る魔術であった。
「まだまだ行くよ!」
轟々と。槍が振るわれる度、鏖殺の風が咆哮する。
そこに手心などという概念は存在せず、傭兵は昂るまま蹂躙を開始した。
当然ヘイズも回避を試みるものの、相手の武器は大気そのものだ。神秘幻想を見切る彼の眼力を以てしても捌き切ることは至難を極め、灰色の外套がみるみる血に染まっていく。
肉体の構造強化に全力を注いでいなければ、間違いなく四肢のどこかが消し飛んでいたことだろう。
しかし紛れもない死地の中心にありながら、ヘイズの思考は別の所に焦点を当てていた。即ち、
(どうも妙だな……)
と。
マリアンがこの風の魔術を使い始めたのは、戦端を開いてすぐのことだった。
術の規模は常に広範囲に渡り、大技を披露した回数も一度や二度では飽き足らない。
にも拘らず、その身を巡る霊素がまるで減衰していないのは、果たしてどうしたことだろう。いや寧ろ時を経るごとに増えているようにすら思える。
ありえない話だった。
人が神秘を行使するには、必ず代償を支払わなければならない。それは魔導士にとっての常識であり、同時に世界に定められた不変の法則である。
見た所マリアンの霊素の保有量はヘイズと大差なく、これまでの闘いぶりを鑑みれば、とっくに枯渇していても可笑しくなかった。
つまり持久面に関する何らかの絡繰りが存在する。
退廃をもたらす風と、底を見せぬ無尽の霊素。どちらの魔術も厄介極まりなく、両方を無力化するには時間がかかり過ぎる。
ならば闘いを長引かせる要因を断つべきだ。自身の余力を踏まえ、ヘイズは優先的に排除する対象を絞り込む。
「……行くぞ」
細く息を吐き、一気に加速。同時にヘイズは待機させていたその術式に火を焚べた。視界が切り替わり、霊素が織りなす色彩を捕捉する。
『落日の智慧』。原理を暴いた神秘を殺す、ヘイズの切り札の一つである。
「そうこなくっちゃ」
正面から吶喊を仕掛けたヘイズに、マリアンは破顔した。槍の穂先が踊り、崩壊の嵐が一層猛り狂う。
もはや彼女の間合いは何物の存続をも許さぬ死の領域だった。迂闊に飛び込めば瞬く間に撹拌され、無惨な骸へと成り果てる。
だが認識を拡張した今のヘイズには、内部を渦巻く無形の凶器が確と見えていた。
迎え撃つ槍と剣戟を奏でつつ、獣じみた体捌きで飛来する風を掻い潜る。
「なるほど、見えないものを見る術式ってところかな?面白い!」
痛快そうに口笛を鳴らすマリアン。対してヘイズは皮肉すら返さず、彼女の帯びる術式の解析に意識を注ぐ。
幾らかの攻撃が身を掠めるが、多少の流血はこの際無視だ。今はとにかく相手に魔術を使わせて、その構造を詳らかにする。
「無視は寂しい、な!」
焦れたようにマリアンが槍に颶風を纏わせる。
大出力による一撃が放たれる予備動作。その僅かな空白を見逃さず、ヘイズは魔術を差し込んだ。
「っ?」
突如としてマリアンの掌から得物が滑り落ちる。まるで槍の重さに耐え兼ね、握ることを辞めてしまったかのように。
結果、今正に牙を剥かんとしていた乱気流は霧散し、マリアンは明確な隙を晒すこととなった。
そして無論、好機を見逃すヘイズではない。最大限に高めた脚力を以て、マリアンへと肉薄する。だが、
「うん、ちょっとびっくりしたよ」
肩口に触れる寸前で剣が下から弾かれる。それを成し遂げたのは、地に落としたはずの槍。
何とマリアンは柄に足首を絡め、刃の軌道を逸らすように蹴り上げたのだ。
曲芸じみた技前に、今度はヘイズの方が不意を打たれる形となる。そして、
「死なないでね」
無防備な脇腹を、マリアンの回し蹴りが抉り抜いた。
「ぐはァッ……!」
上体を引き千切られるような衝撃に、ヘイズの口から苦鳴が上がる。そのまま地面を何度か弾んだ後、受け身も取れずに倒れ伏す。
肉体強度の向上には余念がなかったにも拘らず、それを貫通して余りある威力だった。痛みの程度からして、恐らく肋骨にひびが入っている。
「いやあ面白い発想だね。まさか隙を作るために敵へ『強化』をかけるなんてさ」
槍を持ち直しながら、マリアンが上機嫌に賛辞を述べる。
推察通り、彼女が得物を落とした原因はヘイズが使った『強化』にあった。
暴走する術式によって過剰なまでの情報を付与された結果、槍の密度は一時的に肥大化。
それに比例する形で重量も増加し、マリアンの握力を上回るに至った、というのがことの仔細である。
言うなれば堅牢になり過ぎたがゆえに起きた現象と形容すべきだろう。とは言えこうもあっさり対処されるのは想定外だったが。
「お陰で戦場で武器を手放す、なんて貴重な体験ができたよ。ただ――」
と、そこでマリアンは今までの好意的な態度から一転、責めるような目付きでヘイズを睥睨する。
「最後の一撃だけはちょっと頂けないかな。君、わざと手を緩めたでしょ?」
「……」
ヘイズは黙して語らない。淡々と口内の血を吐き捨てて立ち上がる。
対話を拒絶したすげない態度。受けてマリアンはどこか寂し気に嘆息し、されどすぐに華やかな笑みを咲かせた。
「だんまりか。まあ何か企んでるみたいだし、そっちに期待させて貰おうかな。……さあ続きといこう、どこからでもかかっておいで」
もっと私を愉しませてくれと。
無邪気に要求するマリアンの姿は、極まった魔導士らしく傲岸不遜を体現していた。そのくせ油断とは全く無縁なのだから本当に性質が悪い。
だが付け入る余地は確かにあった。
先程もそうだったように、どんな奇策が降りかかろうとマリアンは必ず正面から受けて立つ。
恐らくは本人の嗜好がゆえなのだろうが、ヘイズにとっては実に都合が良い。
何故ならこちらが攻めれば攻める程、彼女は己の手の内を明かしてくれるということだから。
よって。
「ああ面倒くさい……」
一刻も早く神秘殺しの刃を研ぎ上げ、この前座を終わらせんがため。
霊素を苛烈に燃やしながら、ヘイズは再び致死の領域へと身を投じていった。
前回から間を空けてしまって申し訳ありません。
更新再開します。




