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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
50/67

2-21 彷徨う凶星 其之五

 面倒なことになったと、路地裏に身を隠しつつイヴは肩を竦めた。

『ロッシーニ商会』と『不凋の薔薇(アダマス・ローズ)』が手を結んでいたことは周知の事実である。ゆえにマリアンの乱入も驚くべきものではなく、他に増援が現れるのも想定の範囲内だった。

 しかしよりにもよって、あのノイマンとやり合う羽目になろうとは。加えて。

「俺を忘れて貰っちゃ困るぜ、お嬢さん」

 耳に届いた声に身を翻す。次の瞬間、真横の壁が爆散した。

 巻き上がる砂塵を突き破り、襲い来るは白銀の人虎。その巨躯を覆う神秘の気配は、明らかに濃くなっている。

 "アーク"の方を流し見れば、内部の歯車は回転の勢いを増し、青黒き瘴気をエドワードへと送り込んでいた。本来は亡霊となるべき霊素を、エドワードの強化に回したのだろう。

「吹っ飛びなァ!」

 振り抜かれる爪の一閃。撹拌された大気は旋風のごとき霊撃と化し、土砂を巻き込みながらイヴへと迫る。

 路地は狭く、回避するための空間に乏しい。ゆえにイヴは前方に霊素エーテルを散布、簡易的な防壁として霊撃を真っ向から受け止める。だが勢いを殺されながらも、風の奔流は彼女の体を絡め取った。

 高々と宙へと打ち上げられる。竜もかくやといった荒唐無稽な力業だった。

「――!」

 刹那、周辺を漂う霊素が僅かに揺らぐ。魔術発動の前兆。

 それを知覚すると同時に、イヴは使い魔を手繰った。ケープの内側に広がる影より蔦が伸び、近くの屋根の上と彼女を引き寄せる。

 直後に空を切った弾丸は、イヴのこめかみを正確無比に狙っていた。

「……忙しない」

 嘆息し、地上へと降り立つ。更なる狙撃が来ないことを確認し、イヴは乱れかけた呼吸を整えた。

 ついでに後を追ってくるエドワードに向け、牽制として影の猟犬を数体放っておく。

 流石に今の状況で彼に集中するのは愚策である。"アーク"の奪取という本懐を遂げるためにも、まずは乱入者への対応が急務だった。

 ノイマン。『不凋の薔薇』にてマリアンの腹心を務める魔導士マギウス

 頭の茹った者だらけのあの傭兵団の中では、頭領と並んで理知的な振る舞いをする男だったと記憶している。

 しかしその本質は変わらない。きっと今も弾むような心持で、自分に銃口を構えているに違いなかった。

(彼の術式の性質上、こちらを肉眼で捉えられる範囲にいるのは確かね)

 ノイマンが使用する魔術は、術者の視界内に仮想の銃身を作り出すというもの。要は目線一つで虚空から自在に弾丸を発射できるのだと考えたら良い。

 特筆すべきはその隠密性だろう。発砲に関わる機構を全て霊素によって賄っているために、閃光や音響といった物理的な痕跡が生じないのだ。ゆえにノイマンの位置を特定するには、一計を案じる必要があった。

「ヘイズ君のこともあるし、余り時間をかけたくはないのだけど……」

 片手間でどうにかできる相手でもなし。イヴは解析術式を起動した。

 前提として、魔術によって生じた現象と術者は因果によって結ばれている。霊素によって紡がれるそのか細い糸を辿っていけば、自ずとノイマンの元へと行き着こう。

 とは言え現時点ではまだ情報が不足している。三度の狙撃のお陰で方角までは検討をつけたが、もっと絞り込まなければ。

「行って」

 鋭く命じた瞬間、足元の影から何羽もの鴉が空へと飛び立っていった。

 彼らの視界は全てイヴと共有されている。まずは無数の目を街中に配置することで、ノイマンを炙り出すのだ。

 "狩猟の矢"は驚異的な追尾能力を誇る一方、真価を発揮するには標的の視認が必須となる。しかしその条件は、使い魔経由であっても満たすことが可能だった。

 そしてイヴの手札を知るがゆえに、ノイマンは放たれた鴉たちの危険性を悟るはず。下手に撃ち落とせば己の居場所を晒すことに繋がる以上、必然的に彼の足は監視の少ない領域へ向かうと予想された。

(とは言え、こちらの目論見はすぐに看破するでしょう)

 何しろ相手は歴戦の傭兵である。渡り歩いてきた死地の数を思えば、イヴの仕掛けた罠など見え透いているかもしれない。

 だがノイマンの性格を鑑みれば、敢えて乗って来る可能性は非常に高かった。実に度し難い話ではあるが、『不凋の薔薇』の団員はそうした酔狂な真似を好む輩が大半を占めているのだ。

「次」

 左の瞼の裏に使い魔から送られる風景を並べる。ノイマンを観察する体制はこれで完全に整った。

 尤も、そちらにかまけている余裕はない。息を潜めて接近してくるそれの気配に、イヴはとっくに気が付いていた。

 ゆえに背後から殺意が襲い来るのと同時に、素早く身を屈める。影は頭上を引き裂いた後、そのままイヴの正面に立ちはだかった。

 強靱な四肢と牙、特徴的な模様を持った毛並み。その姿は紛うことなく、先刻まで矛を交えていた人虎に他ならない。

 だが中身が違う。全身を覆う霊素は命の脈動を感じさせず、双眸に光る瞳孔に至っては昆虫の複眼がごとき様相を呈していた。

 亡霊だ。イヴは直感的に理解する。

 しかも単なる亡霊ではない。幾つもの想念が集合して生まれる個体――即ち、『軍団レギオン』である。

「……その玩具、中々器用な真似ができるようね」

「みたいだな。まあ正直使い魔を操るなんて初めての経験だったし、駄目で元々だったんだが……存外上手くいったよ」

 曲がり角の向こうからエドワードが姿を見せる。やはりあの人虎擬きは"アーク"を介して創造されたものらしい。

 一体どれほどの亡霊を詰め込んだのか。空間を侵して伝わる呪詛は、イヴでさえ眉を顰める程の情念を孕んでいる。

 だがエドワードもまだ機能を完全に掌握しきっていないのだろう。その事実を示すように、人虎擬きは時折、輪郭を歪ませていた。

「雑な仕事ね。もう少し美意識を持ったらどう?」

「そりゃ失礼。けどもう形にこだわってる余裕はねぇんだよ。誰かさんのお陰でな」

 エドワードが吐き捨てた瞬間、イヴの背後で亡霊の気配が一つ増える。見れば新たな人虎擬きが、殺意を滾らせながらこちらを睨んでいた。

「小娘一人殺すだけなのに、大袈裟ですこと」

「ほざけよ化け物が!」

 かくして三体の獣が猛襲を開始した。恐るべき速度で縦横無尽に跳ねまわり、的確に死角へ回り込んでは爪を振り下ろす。

 さしものイヴも、これには回避に徹する他なかった。元より白兵戦は不得手なのだ。

 ゆえに使い魔を頼る。イヴが指先を上げた瞬間、影の淵より無数の剣が飛び出した。

 続けて槍。更には杭。路地を埋め尽くしていく刃の群れは、すぐ傍にまで迫っていた人虎擬きを捕らえ、押し流していった。

 が、エドワードも同様の結果を辿るかと問われれば、答えは否である。

「クソが、どんだけ余力を残してやがんだ!」

 腕の一振りが、纏わりつく影の刃を飴細工のように粉砕する。やはり姿形は同じでも、エドワードと人虎擬きの間には歴然たる力の差があった。

 だがそれで良い。目的は端から反撃に転じるための準備を整えることなのだから。

 イヴは頭上に銃口を向け、引き金を引いた。弾丸は外気に触れた途端、凄まじい光と音の奔流を溢れさせる。

「ぐ、おァあああ!」

 獣化によって研ぎ澄まされた五感が、受ける衝撃を増幅させたのだろう。耳を抑え、エドワードは苦し気にのた打ち回る。

 すかさずイヴは彼の方に銃を構え直した。人虎擬きを引き剥がした以上、狙いを妨げるものは何もない。決定的な一撃を与えるのならば今が好機だった。

 かくして引き金は絞られ、竜さえ射貫く必殺の魔弾が放たれる――エドワードが吼えたのは、正にその間際であった。

「"止まれ"――!」

 呪詛の籠められた音色が、イヴの五体を縛り上げる。獣人属の星霊も扱う、浴びせられた者の畏怖を喚起する追従の言霊。

 卓越した魔導士であるイヴからすれば、ほんの一呼吸だけで解呪できる程度の戒めである。されど彼女を耽耽と狙い続けていた射手が、その一瞬を見逃すはずがなかった。

 目と鼻の先に、仮想の銃身が出現する。それを認識した頃には、照準が既にイヴの眉間へと合わせられていた。

 避けられない。即座に判断を下したイヴは、ありったけの霊素を凝集させた。弾丸が進む軌道上に、簡易な防壁を作り出したのである。

「っ……」

 眼前で火花が弾ける。間一髪ではあったが、ノイマンの狙撃を防ぐことに成功した。

 だが命を拾った代償は決して安くない。何故ならば。

「いい加減くたばれ」

 復調を果たしたエドワードへの反応が遅れてしまったため。彼の姿を認めたのも束の間、凶爪がイヴの腹部を抉るように突き立てられた。

 強烈な衝撃に、あえなく体が宙を舞う。吹き飛ばされた先は、古びた集合住宅アパルトメントの中だった。

 窓を破り、壁を抜け、床を転がる。

「――けほっ」

 そうして体が完全に停止した所で、イヴはようやく呼吸を取り戻した。

 口の中に仄かに鉄の味がする。真面なダメージを食らったのは、一体何時ぶりであろうか。

 立ち上がりながら、自身の体を観察する。腹部に多少の痛みは残っているものの、それ以外は五体満足と言って良かった。

 衣服に何重にも編み込んだ加護のお陰である。尤も今の一撃でそれも全て砕けてしまったが。

「さて……」

 悠長にしている時間はない。イヴは使い魔たちから送られてきた風景を脳裏に反芻する。

 エドワードとやり合っている間も、ノイマンの監視は常に続けていた。が、狙撃が行われた形跡は、景色のどこを切り取っても見当たらない。

 やはり乗って来たか。イヴは自身の思惑が成ったことを確信した。つまるところ、先の一射は挑戦状の代わりだったのだろう。

 ともあれ並行して駆動させている解析術式の効果もあり、ノイマンの居所はかなり絞り込むことができた。

 見当を付けているのは三か所。何れも鴉たちによる監視網の中に、意図的に生み出された死角の一部である。

 ゆえに次にノイマンが狙撃を試みた瞬間が、勝負の分かれ道となるだろう。

「……」

 何となく、イヴは窓の外を目をやった。

 空は心地良い晴天。朗らかな日差しが降り注ぎ、地上に鮮やかな陰影を描いている。

 そして遮蔽物に囲まれた今、ノイマンらにこちらの動きが露呈する恐れもない。つまり。

「今日は、良い天気ね」

 悪だくみをするには、うってつけの状況だった。


 ◇◇◇


「出てきたか。それでこそ」

 鐘楼の影に隠れたノイマンは、標的の生存を認めた。衣服の埃を払いながら、漆黒の魔女が集合住宅の中より現れる。

 上体が引きちぎれても可笑しくない攻撃を受けたにも拘わらず、その悠然たる立ち姿には一片の瑕疵もない。

 流石は魔都が誇る処刑人の筆頭。やはり尋常ならざる神秘の繰り手なのだと、改めて実感させられる。

 ノイマンは内心から湧き上がる歓喜を抑えられなかった。

「さあ、最後の撃ち合いだ。お互い悔いなくやろう」

 使い魔が放たれた時点で、彼はイヴの目論見に勘付いていた。にも拘らず敢えて死地へと飛び込んだのは、傭兵としてのさがゆえに。

 確かに勝敗に拘るのならば、罠を逆手にとって隠密に徹するべきなのだろう。

 だが此度の闘いの題目は、狙撃手としての腕比べである。ならば最後は真っ向から撃ち合う方が、絶対に愉しいと思うのだ。

 ゆえにノイマンは笑って術式に弾丸を番える。照準を合わせる。

 決して外さぬと必中の決意と共に、彼は形なき銃を構えた。

「どう出る、魔女よ」

 呟いた直後に、状況が動く。

 姿を見せたイヴの元へと、三つの巨躯が襲い掛かった。エドワードと、彼が創造した亡霊の人虎である。

 狂奔する獣の乱舞が、周囲の形あるものを瞬く間に崩落させていく。その苛烈さたるや、正に嵐という他にない。

 されど絶え間なき暴力の中心にありながら、魔女は未だに健在だった。時に魔弾を、時に使い魔を駆使して、紙一重の回避を続けている。

 筆舌に尽くしがたい対応力だ。もし『アンブラ』に所属していなければ、それはもうあらゆる口説き文句を使って勧誘していたことだろう。

「まだだ……」

 敢えて声に出すことで、撃ちたくなる衝動を抑え込む。

 イヴの目的は術式の発動地点から、ノイマンの位置を辿ることだ。だからこそこれ見よがしに身を晒し、狙撃を誘っている。

 もちろんその挑発の乗ってやるのも吝かではない。ただどうせ決着をつけるのならば、全霊の一射を以て応えたいというのが人情だ。

 ゆえに待つ。彼女の心臓を確実に射貫ける瞬間を。

 ……程なくして、その時はやってきた。

 業を切らしたエドワードが大量の亡霊を呼び出す。物量に任せ、圧殺を試みるつもりなのだ。

 さしものイヴも、これを片手間に捌くのは至難であるようだった。立ち昇る霊素が地面一杯に影を広げ、迎撃の構えを作り出す。

 術式の演算と発動、工程の移り変わりの合間に生じる些細な空白。それはあらゆる魔導士が逃れられぬ絶対の隙だった。

「ここだ」

 極限まで高まった集中力が、寸毫の時に滑り込む。空想の引き金が仮想の銃を具現し、標的の至近距離から弾丸を射出する。

 緩急の狭間を突かれたイヴは、意識を向けることさえ叶わなかった。

 狙いは過たず心臓を撃ち抜き、鮮血を散らせる。如何に強大な魔導士であろうと、霊素の循環の起点を壊されれば死は免れない。

 会心の手応えに、ノイマンは頬を吊り上げ……刹那、頽れながらもこちらを見据える魔女と目があった。

 来る。

 ノイマンが危険を察するのと、イヴが銃口を上げたのは全くの同時であった。

 射掛けられるは"狩猟の矢"。獲物をどこまでも追い続ける魔弾が、旧市街の空を一閃する。

 回避は不可能だ。全神経を総動員した狙撃の反動により、体は完全に硬直してしまっている。防御結界を張ろうにも、自身の技量では到底間に合わない。

 では相討ちという落着を受け入れるか?

 ……否である。不可避の現実を覆してこその魔導士なれば!

「く、おおおッ!」

 停止していた術式を、気合で叩き起こす。対象が描くであろう軌道を、勘で予測する。

 これから成さんとしている行為は、我ながら狂気の沙汰であると思う。

 失敗する確率の方が高く、客観的には無駄な足掻きと映るに違いない。

 だが、構わない。例え無念の死を遂げたとしても、我が愛しき不凋の薔薇の同胞たちは、酒の肴として語り継いでくれるはずだから。

 ゆえに。

(――落とす!)

 無形の引き金を絞る。

 標的はこちらを目指して飛来する魔弾。

 狙撃を以て狙撃を防ぐという、前代未聞の所業をノイマンは躊躇なく敢行した。

 破裂音が耳をつんざく。肩の上を何が掠めて焼け付くような痛みを残す。

 見ればノイマンの背後に佇む鐘、それを囲う柱の一角に弾痕が穿たれていた。

「……はぁっ」

 どっと脱力する。心臓の鼓動は未だ治らず、頭は浮ついて現実感がない。

 それでも負傷した肩より伝う痛みが、自身の生存を認めてくれていた。

 成功したのは奇跡に近い。仮に同じことをやれと言われても、二度とは再現できないだろう。

 改めて自身の仕事の成果を確認する。

 紅の水面に、魔女の硝子細工がごとき肢体が沈んでいた。出血の量は見るからに致命的で、呼吸の気配もない。

 つまりは絶命している。それを裏付けるように、旧市街に放たれた影の猟犬たちも次々と霧散していった。

(勝った、のか……?)

 ノイマンとて幾つもの戦場を渡り歩いてきた傭兵だ。標的の生死を過つはずがない。

 しかし何故だろうか。本能は気を緩めてはならぬと、依然として警鐘を鳴らし続けており、

「ごふッ」

 直後、喉の奥からせり上がった血が、口の端から溢れた。

「これ、は!?」

 視線を落とすと同時に、ノイマンは瞠目する。

 足元に蟠る影。そこから伸びた茨が、彼の腹部を刺し貫いていた。

 イヴの使い魔である。だが、一体どうやって?

 脳内を疑問が埋め尽くす。

 彼女が卓越した魔術の使い手であるにせよ、遥か遠方の、それも他人の影を自由に使役できるとは考え辛い。

 エドワードとの闘いを思い返しても、接触の瞬間に使い魔を潜伏させるという手法を取っていたはずだが――。

(……まさか)

 ノイマンは悟った。そう、接触だ。

 先程放たれた魔弾。あれが最初から、外れることを前提に撃たれたものであったとしたら。

 つまりイヴが本当に命中させたかったものは、弾丸の影。一連の攻防の中で、そこに隠れた使い魔をノイマンの元に送り込むことが目的だったのだ。

「く、はははっ」

 何という出鱈目か。ノイマンは笑いを禁じえなかった。

 そして同時に理解する。イヴにとってこの闘いは、どこにでもある殺し合いの一つに過ぎなかったのだということを。

 だからこそ彼女は魔導士として、敵を討つためにあらゆる手段を行使した。あくまでも狙撃による決着に拘った自分は、初めから気概の面で劣っていたのである。

「こんな体たらく……団長に顔向けできんな……」

 完膚なきまでの敗北だった。滴る血と共に、鐘楼から滑り落ちる。

 しかしノイマンの心は満たされていた。だってあんなにも素晴らしい敵と鎬を削ることができたのだ。悔しさすらも勲章で、イヴの戦績に名を刻めたことを誇りに思う。

 ゆえに彼は晴れやかに笑い、称賛と誓いを口ずさむ。

「良い闘いだった。次は勝つ」

 そして枝分かれする影の茨が無数の槍を成し、ノイマンの元へと降り注いだ。


 ◇◇◇


 一方でエドワードもまた、目の前の光景に動揺を隠せなかった。

「嘘だろ、おい」

 血溜まりの中に沈んだ女が両の手を地面に突く。衣服を赤く染めながら、確かな足取りで立ち上がる。

 それは魔導士の視点を以てしても理解を拒む異常事態だった。

「どういう、ことだ。何で死んでない……!」

 イヴの心臓が協力者(ノイマン)の手により撃ち抜かれた様は、エドワードも目にしている。

 現に今も胸元には風穴が空いていて、そこから命の雫が絶えず流れ落ちていた。あれを致命傷と呼ばずして何と呼ぼう。

 だと言うのに、目の前で起きている事象は果たして如何なる仕儀が働いたのか。

「さあ。運が良かったのではないかしら?」

 淡々とイヴが言う。

 まさか死者の蘇生を実現したとでも?ありえない。

 古来より研究されながら、到達不可の烙印を押された奇跡だ。しかし現実には死の淵から復活したようにしか思えず、それ以外の事象に心当たりもなくて。

(落ち着け。惑わされるな)

 混乱に陥った思考を、エドワードは無理矢理打ち切った。

 森羅万象には必ず原因がある。どんな不条理な神秘幻想が起きようと、人が扱う以上は根元には術式が存在するのだ。

 それの正体を暴き、封じ込める。魔導士と闘う際の基本だ。地力の差は歴然なれど、主のために諦める訳にはいかない。

 闘志を奮い立たせたエドワードは、今度こそイヴを引き裂かんと弾け跳ぶ。

 ……背後から衝撃が襲ったのは、その瞬間であった。

「ぐうッ……!?」

 突如生じた激痛に、耐え切れず膝をつく。見れば左の脇腹が抉り抜かれ、夥しい血液を零していた。

 振り返り、凶手の姿を認め、呆然とする。

 何故ならそこに立っていたのは、イヴであったため。無傷の彼女は闇色の銃を携え、感情のない眼差しでエドワードを見下ろしている。

 訳が分からない。エドワードは答えを求めて、正面へと視線を戻した。

 途端、血まみれの女の形がどろりと影へと溶け失せる。さながら火に焙られた蝋のように。

「空蝉だと?馬鹿な、あれは間違いなく本物の人間だったぞ!」

 エドワードの怒号が辺りに木霊した。

 イヴが本物と見まがう程の分身を創造できるのは、先刻目の当たりにしたことで知っている。

 ゆえにこそ闘いが始まってからというもの、相手の真贋には細心の注意を払っていたのだ。獣化によって研ぎ澄まされた五感、その全てを使って。

 にも拘らず、彼女はこちらの目を見事に欺いて見せた。事実を突きつけられた今でさえ、先程まで闘っていた女が模造品であったと信じられない。

 いつだ。一体いつ入れ替わった?

 協力者を含めエドワード達の視線が、彼女から完全に外れた時間など限られていたはず。

 たったそれだけの時間で、声も匂いも所作の細部に至るまで、己と同一の人形を生み出したと言うのか。

「……?偽物だとばれるようなものを作ったら、意味がないでしょう?」

 心底不思議そうに、魔女が小さく首を傾げる。

 才能。自他を隔てるその途方もない溝を前に、エドワードは戦慄した。

 同時に、脳髄を焦がすような赫怒が彼の心を支配する。ふざけるんじゃない。

「何故だッ!」

 衝動に任せて吶喊する。強敵を前に取る行動としてはおよそ最悪と言って良く、自ら死に飛び込むようなものだった。

 銃口が無慈悲に火を噴く。エドワードには知る由もない。

 イヴが装填した弾丸の名は、"壊滅の矢"。特殊な効果を一切持たず、ただ破壊力だけを突き詰めた必殺の魔弾である。

 振りかぶった右腕の肘から先が紙屑のように千切れ飛ぶ。"アーク"によって強度を増した獣毛の鎧も、本気になったイヴの前では無力だった。

 それでもエドワードは抗わずにはいられなかった。問わずにはいられなかった。

「それだけの力を持ちながら、何で結社なんぞに飼われてる!どうしてこんな街のために闘うんだッ」

 胸の奥から昏い感情が溢れ出して止まらない。それはずっと蓋をして、目を逸らし続けてきた憎悪の発露だった。

 口を衝く言葉は脈絡に欠け、問いというよりは独白に近い。聞かされる側としては理解に苦しむだけだろう。

 しかし意外なことに、冷酷なる魔女はエドワードの慟哭に対し、正面から受けて立った。

「……貴方が何に対して憤っているのか、私には分からないけれど」

 銃を構えた姿勢のまま、淡々と無感情に答える。

「私は誰かに従っているつもりも、マルクトに尽くしているつもりもないわ」

「だったら、なんのために!」

「悪いけど、そこまで貴方に教える義理はないわね」

 再び引き金が引かれる。反射的にエドワードは"アーク"を駆動させた。

 亡霊の軍勢が現出し、主を守るように列を成す。しかしそれをも容易く貫通し、魔弾はエドワードの肩を穿った。

 度重なるダメージにより、遂に獣化が解ける。エドワードに逆転する手立てはなく、敗北は確定したと言って良い。

 しかしそうと自覚を得ながらも、彼は止まらなかった。せめて一矢報いなければ、今まで歩んできた道のり全てが無為に帰すのだと。そう確信を抱いたために。

 残った片腕を、イヴの白い首へと伸ばす。

 結論から言えば、エドワードの望みが果たされることはなかった。

「……は?」

 呆然と、エドワードは己の胸元に視線を落とす。鳩尾の近くに、風穴が空いていた。

 眼前の魔女は銃を持てども撃ってはいない。ならばこの傷は一体何故に刻まれたのだろう。

 これではまるで、虚空から飛び出してきた弾丸に撃ち抜かれたようではないか。

 立っていることさえままならず、エドワードは崩れ落ちる。するとそんな彼の頭上に、小さな嘆息が降り注いだ。

「見様見真似で再現してみたけれど、照準に幾らか改善が必要ね。もう少し研究してみましょう」

 実験結果を検分する研究者のような科白。その意味を理解して、エドワードは頭が真っ白になった。

「模倣したってのか……他人の魔術を!」

「ええ、出来そうだったから」

 事も無げに肯定するイヴ。つまり彼女は狙撃に対処しながら、使用される術式の組成を学習したのだ。微に入り細を穿ち、ほぼ同等の性能を発揮するものを複製してしまう程に。

 字面にすれば至極単純である。しかしそれがどれほど困難な所業であるか、同じ魔導士たるエドワードはよく知っていた。

 ゆえに、負け惜しみを籠めてこう吐き捨てることしかできない。

「化け、物め……」

 "アーク"が光を失い、群がる亡霊たちが霊素へと還る。

 かくして旧市街を舞台に繰り広げられた闘いは、魔女の勝利を以て決着を迎えたのだった。

読んで頂きありがとうございます。

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