2-20 彷徨う凶星 其之四
銃口を構える。引き金を引く。
放たれた三発の弾丸は複雑怪奇な軌道を描き、全て標的へと命中した。
「うおおおお……っ!?」
叩き込まれた強烈な衝撃に、人虎と化したエドワードが吹き飛ぶ。すかさず追い打ちを加えようとした所で、イヴは足元に気配を感じ取った。
即座に跳躍し、離脱を図る。直後堰を切ったように、石畳の下から無数の青黒い腕が這い出した。
エドワードが"アーク"を媒介に召喚した貌の無い亡霊である。彼らは主の敵を討ち取るべく、呪詛の津波と化してイヴへと押し寄せる。
「……鬱陶しい」
煩わし気に吐き捨てて、踵で地面を叩く。
迸る霊素が電荷となり、イヴの影に仮初の命を吹き込む。
象られるは黒い猟犬の群れ。影の獣たちは黙視するや否や、脇目も振らずに牙を剥いた。
霊素の血肉を噛み千切り、咀嚼する。貪欲に胃袋を埋めようとするその光景は、文字通り食事であった。
だが当然、そちらにばかり注意を向けている暇はない。イヴが一歩後ろに退いた直後、頭上から猛烈な勢いで爪が叩きつけられた。
殺意に滾る眼光と視線が交差する。魔弾を正面から食らったというのに、人虎の五体は未だ盤石だった。
「死ねェ!」
続けざまにエドワードが吼え猛る。その一挙手一投足はおよそ技と呼べる概念を持ち得ぬも、絶大な破壊力を宿していた。
咆哮と共に家屋の壁が吹き飛ぶ。爪の一薙ぎで街頭やパイプが切り裂かれる。駆ける脚が石畳を完膚なきまでに砕く。
圧倒的な暴を体現するエドワードの偉容は、正しく荒ぶる獣性の化身と称するに相応しい。生中な魔導士であれば目の当たりにしただけでも戦意を挫かれ、命を差し出すことを選ぶだろう。しかし。
「悪いけど、その位は見慣れているの」
その程度でイヴが臆することはない。
何せ彼女の身近には神速の太刀を振るう剣聖がいるのだ。あれと比較すればエドワードの猛攻など恐れるに足らず。
よってイヴは躊躇なく仕掛けた。突き出された腕をするりといなし、人虎の懐へ潜り込む。直前に迫った鳩尾を狙い、発砲。
「がっ――」
体の真芯に響く衝撃に、エドワードがたじろぐ。イヴの反撃は終わらない。
続けて前に傾いた顎を持ち上げるように銃口を押し付け、再び引き金を引く。
「この、ちょこまかと!」
密着するイヴを引き剥がさんとしたのだろう。エドワードが広げた両腕を振り回す。
だが体幹を崩され、脳を揺さぶられ、その動作には覚束なさが残っていた。ゆえに、躱すことも容易い。
「ごめんあそばせ」
足取りは雨上がりに水溜まりを踏み鳴らす少女のように。
イヴは軽やかにエドワードの肩に飛び乗ると、後頭部に容赦なく蹴りを叩き込んだ。そのまま宙を舞いながら、無防備な背中に向けて照準を定める。
「しゃらくせぇッ!」
つんのめりかけるエドワードであったが、持ち前の膂力がそれを防いだ。視界から消えたイヴを追うべく、振り返らんとする。
だがその行動は唐突に停止させられることとなった。足元から伸びた黒き茨が、彼の四肢を固く縛り上げたため。
魔女が手繰る、影の使い魔。すれ違いざまに、エドワードの影へと送り込んだのだ。
かくして致命的な隙を晒すこととなった彼に、イヴはより出力を高めた弾丸を突き刺した。
凄まじい勢いで建物の中へと突っ込んでいくエドワード。端から見れば会心の一射である。対してイヴの反応はと言えば、うんざり気味に溜息を吐くばかりだった。
(今のでも不足、と。本当に頑丈ね)
彼女達の闘いは『アラネア商会』の本拠を脱して久しく、旧市街の一角丸ごとを巻き込む規模にまで拡大していた。
軽く辺りを見回すだけでも、無貌の猟師と影の怪物が壮絶な殺し合いを演じる様が目に留まる。
当然、突如として展開したこの悪夢のごとき光景を前に付近の住民達は大混乱に陥った。今もなお逃げ惑う彼らの悲鳴と怒号が、方々から聞こえてくる。
(どう攻めたものかしら……)
無辜の民を巻き込まぬよう、使い魔たちを誘導しながらイヴは冷静に分析する。
まず前提として、エドワード・ウェイクという魔導士の地力は然程でもない。獣性魔術の奥域――"完全なる獣化"を習得している辺り、それなりの技量を修めているのは確かだが、イヴを相手取るには些か不足と言えるだろう。
にも拘わらず、こうして膠着状態に陥っているのは、偏に彼が外部からの補助を受けているために他ならない。
「実力差は分かっていたつもりだったけどよ。流石にここまで一方的にやり込められるとはな」
瓦礫を押しのけて、エドワードが起き上がる。予想通り白銀の毛並みには一片の穢れも見当たらず、幻想的な輝きを保っていた。
(あれを止められるなら、一番手っ取り早いのだけど)
エドワードの傍らに浮かぶ魔導書へと視線を移す。
内部の受け石は戦闘が始まってから絶えず光を放っており、何らかの機能を駆動させていることが伺えた。恐らくは強化、増幅の類だろう。
無論イヴも手をこまねいていた訳ではなく、解呪と物理的な破壊を試みた。しかし一体どのような原理が働いているのか、あらゆる外的干渉が弾かれてしまう始末。
従って現時点においてエドワードを打倒するには、真正面からの力押し以外に手段はなかった。
「噂通り、つくづくあんたらは化け物なんだな。俺どころか亡霊共まで一人で全部相手にしちまうとは……同業者としてかなり自信なくすぜ」
「……泣き言?」
「僻みだよ。俺もお嬢さん位の実力があったら、何かと楽だったろうになァ……ってな」
韜晦する人虎の顔に仄かな影が差す。まるで失くしたものを惜しむような、どこか哀愁漂う表情だった。
だからと言って、絆されるイヴではない。如何なる事情を抱えていようと、一度敵と定めた者には無慈悲に鉄槌を下す。それが彼女の、"魔女"としての流儀である。
「大口叩いておいて何だが、素直に認めるよ。このまま馬鹿正直にやり合った所で、俺に勝ち目はねぇ」
「……」
エドワードの言を聞き流しながら、イヴは弾丸を再装填していく。
彼女が戦闘で使用する魔術は主に二つ。
一つ目は『魔女の夜宴』。虚ろなる影に実体を与え、使い魔として従える術式だ。
そして二つ目が『冥月の弓』。多様な効果を持った魔弾を自在に操る術式である。
これまでエドワードに使用してきたのは"狩猟の矢"。射手が視認する限りどこまでも標的を追い続ける弾丸だ。反面威力の方は控えめで、硬度の高い相手には通用し難い欠点がある。
獣化を果たしたことに加え、"アーク"からの恩恵を受ける今のエドワードは、星霊の老王種に匹敵する脅威と捉えて良いだろう。だが。
(――そちらは問題ない)
そう。殺害するだけならば本当に問題ない。
イヴには上位の竜であろうと、一撃で貫通せしめるとっておきの魔弾が残っている。
"狩猟の矢"と異なり、確実に当てられる状況を作る必要があるものの、他の術式を駆使すれば幾らでも実現できる話だ。勝負を決するためにも、積極的に打って出るべき局面だと言えよう。
では何が気がかりかと言えば、エドワードの態度である。
これまでの攻防において、彼我の実力差は明確に見せつけたつもりだった。エドワードとて先程述べた通り、自身が追い詰められている側であることを正しく把握しているはず。
にも拘わらず、彼に焦燥の気配はない。その余裕を保った佇まいは、今この場においては不気味としか思えず……。
「なあお嬢さん。どうにもならねぇ問題に直面した時、あんたならどうする?」
唐突に、エドワードがそんな問いを投げてきた。
イヴはあくまでも無言を貫く。元より敵との会話に興じる趣味はなく、何より胸の内に芽吹いた不信感が、僅かでも綻びを見せることを彼女に固く禁じていた。
しかし元より答えを期待していなかったのか。人虎は右手を掲げながら述懐する。
「俺の答えはこうだ。……恥も外聞もなく、他の奴に助力を乞うのさ」
「っ!?」
反射的に、イヴは使い魔を呼び出した。特定の形を持たせず、折り重ねるように集約。重厚な盾として眼前へと展開する。
攻撃が来たのは直後のことであった。黒き帳を易々と突き破り、イヴの顔のすぐ横を何かが鋭く擦過する。使い魔で逸らしていなければ、間違いなく直撃していた軌道。
狙撃である。
そうと認識すると同時に、イヴは近くの物陰へと脇目も振らずに飛び込んだ。
驚くべきことに、次の攻撃は正面ではなく背後から来た。寸での所で回避に成功したものの、髪の先端が少しだけ持っていかれる。
「……そうよね。マリアンが出張るなら、当然貴方も付き添うわよね」
恨みがましさを籠めて、イヴは虚空を睨みつける。
狙撃手がそちらの方向にいるかは分からない。声が届く筈がないことだって承知している。
しかし手間暇かけて手入れしてきた分、文句をぶつけずにはいられなかったのだ。
「私の髪を傷付けた罪は重いわよ、ノイマン。必ず仕返しをしてやるから」
◇◇◇
「……やはり気付くか。まあ、魔女殿であれば当然だな」
遠見の術で標的の唇の動きを読み、男は冷静に呟いた。
同時に彼女から大変な不況を買ったことも理解する。鉄面皮の割に激情家なのは相変わらずのようだった。
まあ確かに年頃の女性相手に悪いことをしたとは思うが、仕事なのだから容赦して欲しい。
男は屋根から屋根へと飛び移り、次なる狙撃地点へと向かう。
彼の名はノイマン。マリアン・ルベリウスのお目付け役――もとい腹心として、『不凋の薔薇』に所属する古参の傭兵である。
「互いの手口が割れているというのも困りものだな。下手に撃てば即座に逆探知されかねん」
ノイマンの狙撃に銃は必要ない。ただ標的の位置を確認し、発砲するという思考を脳内に浮かべるだけで事足りる。
そのためこと隠密性という点においては、団の中でもノイマンに比肩する者はいない。
が、術式頼りで勝ちを拾えるほど、此度の標的は甘くない。
相手はかの悪名高き"宵闇の魔女"。単純な魔術戦ならば、自分など手も足も出ずに完封されるであろう正真正銘の怪物である。
従って最初の二発を外した以上、これより先の立ち回りには格別の慎重さが求められた。
魔術による狙撃を重ねる程に、イヴから位置を捕捉される危険性は高まっていく。当然、影の使い魔による偵察だって行われよう。
少しでも対処を誤れば敗北することは明らかで、我ながら割に合わぬ仕事を引き受けたものだと笑いたくなる。
「だが……」
ノイマンの口元が自然と弧を描く。ぞくぞくと背筋を走る悪寒とも興奮ともつかぬ感覚が堪らなく愛おしい。
何しろ滅多に味わうことの叶わぬ、狙撃の腕の競い合いである。しかも比類なき実力の持ち主が相手となれば、燃え上がらない筈がなかった。
「ヘイズ何某との決着はお嬢に譲ってしまったが、これも怪我の功名という奴かな。……イヴ・カルンハイン、相手にとって不足なし」
彼は傭兵。血と硝煙を浴び続けることに歓喜を見出した、生粋の戦士である。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
そして続きは後ほど投稿いたします。




