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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
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2-15 混沌の渦中へ ~魔女と灰被~

「ふぅ……」

 エドワードは疲労の籠った吐息を零すと、机の上にペンを放った。肩の凝りを解すように首を回す。

 波乱の競売会から一晩。ロッシーニ商会が持つ店舗の執務室にて、彼は書類の山と格闘していた。

 普段から小まめに処理しているので、こうして机に向かい続けることは珍しい。しかし当面は別件の対応に手一杯になるため、商会の運営に差し障りがないよう、今の内に全て片付けておく必要があった。

 息抜きがてら、エドワードは窓を開け放ち街並みを一望する。

 穏やかな昼下がりだ。初春の空は晴れ晴れと眩しく、人々が奏でる営みの音も浮き立っているようだった。

「……相変わらず、狭い空だ」

 しかしエドワードの口から零れた呟きは、苦々しい色を帯びていた。

 頭上を仰げば悠々と宙を泳ぐ飛行船と、墓石のように佇む摩天楼の群れが否が応でも目に留まる。マルクトの住民には馴染み深い光景だが、エドワードにとっては蓋をされているような気がして酷く窮屈だった。

 そう感じるのはきっと、自分が故郷への未練を捨てきれていないことが原因なのだろう。

 十年以上の歳月が経った今でも、瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。

 どこまでも果てしなく広がる晴天と草原を。その狭間を吹き抜ける風の涼しさと大地の香りを。

 都会と違って物が豊かな訳ではなかったし、娯楽だって限られていた。

 けれどもエドワードにはあの光景が余りに誇らしく、輝いて見えたから。ふとした拍子についつい比較してしまうのだ。

 良くない癖だと自覚している。もう手の届かないものを夢想し続けることは余りに不毛だろう。

 いっそ倫理道徳を顧みず、願うまま魔道を走り抜けられたらと思いもするけれど、行動に移すだけの気概はとうの昔に消え失せた。

 つまるところ、エドワード・ウェイクは半死人なのだ。搔き集めたなけなしの矜持だけを支えに、故郷とは全く異なるこの都市で踏ん張り続けている。

「今の俺の体たらくを見て、ご当主は何て言うのかね……」

 呆れるだろうか。それとも叱責してくるだろうか。

 どちらもあり得るなとエドワードは自嘲気味に笑い、過去の日々に思いを馳せる。

「エドワードさん、今よろしいでしょうか」

 すると、部屋の扉が控えめにノックされた。隙間から顔を覗かせたのは、近頃商会に入った男である。まだ若いのに仕事熱心で、機転が働く所が印象に残っている。

 エドワードが休憩中であったことを察したのか、男はすぐに申し訳なさそうな顔をした。安心させるように笑いかける。

「大丈夫だ、もう仕事に戻るつもりだったしな。で、お前さんは一体どうしたんだ?」

「は、はい、先程会長からお電話で言伝を預かりまして。客人を迎えることになったので、すぐに邸宅に戻るようにと……」

 遠慮がちに男は言う。端的過ぎる内容であったが、エドワードは大体の事情を把握した。

「なるほど。予想通り、連中も動き始めたって訳か」

 まだ仕事は残っていたが、こうなっては仕方あるまい。こちらもいよいよ本腰を入れる時が来たということなのだろう。

「分かった。とは言えこっちも準備がある。会長には一時間以内に向かうと伝えておいてくれ」

 青年は「了解しました」と実直に頷くと、その場で踵を返した。将来有望なだけに、組織が抱える厄介事に巻き込むのは少々心苦しい。

 しかし商会に属した瞬間から、否応なく利権争いに加担させられるのがマルクトという都市だ。この機会に彼なりの処世術を身に着けて欲しいとと思う。……無論、その命運が尽きなければの話であるが。

 エドワードは机の上を手早く片付け始めた。埃を払い、小物を引き出しに放り込み、書類を角を揃えて積み上げる。それはまるで自らの足跡を消していくような、どこか物寂しさの漂う行為だった。

 部屋を出る前に今一度、エドワードはマルクトの空を振り返る。

「……本当に、狭い空だ」

 口を衝く感想は先程と変わらず、されど微かに昏い感情を孕んでいた。


 ◇◇◇


 ヘイズとイヴがロッシーニ邸に足を運んだのは、賭博場カジノでの会合を終えた数時間後のことだった。

 先日来訪した時より厳重さを増した警備を通過し、応接室へと案内される。

 部屋に入ると、ブルーノは既にソファに腰掛けて待っていた。その傍らには当然、直立不動で佇むエドワードの姿がある。彼もまた魔導士マギウス、昨晩負った傷は既に快癒しているらしかった。

「まず先日の競売会での失態について謝罪させてください。ロッシーニ様からのご期待に背いてしまい、誠に申し訳ありませんでした」

 カミラ扮するイヴが、着席するなりブルーノに向かって深々と頭を下げる。彼女の背後で、ヘイズもそれに倣った。

 競売会自体は滞りなく終わったものの、賊による狼藉を許してしまったことは事実である。ましてや自身の蒐集物を奪われるなど、ブルーノにとってはこの上ない屈辱だっただろう。

 ゆえに本懐を果たす前に、彼の溜飲を下げておこうという魂胆だった。ところが。

「とんでもない!対処に乗り出そうとした君達の足を止めたのは私だ。警備の配置を決めたのもこちらだし、非は我々……いや、私にある」

 意外なことに、ブルーノは慌てて顔を上げるよう促してきたのであった。

 門前払いを食らわなかった辺り対話の余地はあると踏んでいたが、まさか苦言の一つも飛んでこないとは。些か肩透かし気味の顛末であった。

「お心遣いに感謝申し上げます。ロッシーニ様とご縁を結ぶことができたのは本当に僥倖でした」

 内心訝しむヘイズとは対照的に、イヴは感極まったように瞳を潤ませる。相変わらず大した役者だった。

 しかしそれも束の間、彼女は神妙な面持ちを浮かべて続ける。

「ただ今回の件、私共としては契約を十分に履行できなかったと捉えております。つきましては汚名返上の機会を賜りたく、本日は伺った次第です」

 イヴの態度の変化に、ブルーノも笑みを消して問うてくる。

「ほう、具体的には?」

「例の賊の捕縛、並びに盗品の回収を弊社にもお手伝いさせて頂きたく存じます」

「なるほど……御社としても看板に泥を付けたままにはしておけないと。そういうことですかな?」

「有体に申し上げますと、仰る通りです。ですが私個人と致しましては、ロッシーニ様より頂いたご厚意に報いたいと考えております」

 あくまでブルーノと商会に尽くしたい、という体裁を強調するイヴ。

 これが今回、彼の元を訪れた本来の目的だった。即ち賊に関する手掛かりの入手である。

 競売会の夜、ヘイズはイヴの使い魔に彼らを追跡させたものの、案の定すぐに撃墜されてしまったらしい。そのため盗まれた古物――"アーク"の所在を突き止めようにも、情報が不足しているというのが現状だった。

 当初はブルーノを敵対視する勢力を地道に調べることを検討したが、数の多さからすぐに断念。そこでまずは被害者本人から聞き込みを行い、調査の足掛かりを得ることにしたのだった。

 イヴの申し出を吟味するように、ブルーノは黙して考え込む。やがて。

「良いでしょう。我が社も賊の襲撃を受けて負傷した者が多く、人手が足りない所だったのです。御社のお力を再び借りられるのであれば、是非お願いしたい」

「ありがとうございます!今度こそご期待に応えさせて頂きます」

 花咲くような笑みと共に意気込む素振りを見せるイヴ。ブルーノはそれを微笑ましそうに見つめると、続けて質問を投げてきた。

「では早速お知恵を拝借したいのですが。競売会を襲った不埒者共について、御社の見解をお聞かせ頂いても?」

「承りました。……アンバー」

 イヴに目配せされ、ヘイズは一歩前に出る。

「弊社といたしましては、賊共の正体は訓練を受けたプロ……つまり退役した軍警局の隊員や、傭兵の可能性が高いと分析しております」

「言い切りますな。その根拠は?」

「侵入から撤収までの手際が余りにも良すぎます。弊社の警戒網を徹底して避けた立ち回りも鑑みると、半グレといった街の破落戸、並びに在野の魔導士による犯行とはとても思えません。これは恐らく、自分と共に彼らと直接対峙したウェイク氏も同意見ではないかと」

 ヘイズに水を向けられ、エドワードが沈黙の構えを解く。

「ええ、アンバー氏の意見には自分も賛成です。これでも実戦経験を積んできた身ですから、素人かそうでないかは分かるつもりです」

「……そうか。お前もそう判断するのであれば、ほぼ間違いないであろうな」

 腹心の言に、ブルーノが憎たらしそうに呟いた。

「ですがそうなりますと、裏で糸を引いている者がいるでしょうな。傭兵とは兎角、金で動く連中ですから」

「可能性は高いかと。ただ黒幕の特定自体は、さほど難しくないと考えております」

「ふむ……?」

 首を傾げるブルーノに、ヘイズは説明する。

「盗品が古物である旨は、ロッシーニ様より伺いましたが。賊の狙った対象が少々限定的過ぎるように思われます」

 そう、黒幕が単にロッシーニ様へ嫌がらせをしたいだけならば、他の品に手を付けていても可笑しくない。何しろ邸内には書斎以外にも骨董品を保管する部屋が幾つも存在するのだから。

 しかし昨晩検分した限りでは、それらが賊に荒らされた形跡は一切なかった。

 これが意味する所は明白である。賊は最初から"アーク"以外に用はなく、またその在り処も事前に把握していたのだ。

「……つまり、こういうことかね?」

 ブルーノが呻くように言った。

「賊を差し向けた犯人とは、私が例の古物を所持していることを知っており、またこの館に出入りしたことがある人物であると?」

「ご慧眼恐れ入ります」

 ヘイズが頷くと、ブルーノは感心したように膝を叩く。

「いやはや参りました。御社の社員はやはり優秀でいらっしゃる。少ない情報でよくそこまで推察できたものです」

「お褒めに預かり光栄です。何しろ彼は我が社きってのエースでございますから」

 誇らしげにイヴが胸を張る。勝手に設定を付け足すのは辞めて欲しかった。

「では私からも相応の情報をお渡ししなくてはなりませんな。……いや、正確には白状と言っても良いかもしれません」

 ブルーノは居住まいを正すと、厳かな口調で語り始めた。

「今から数週間前のことになりますか。競売会の開催に向けて準備を進めていた丁度その頃、ある男が私の元を訪ねてきたのです」

 曰く、その男はアラネア商会の長を名乗っていたという。

 彼はどこからかブルーノが"アーク"を手に入れたことを聞きつけ、譲渡を打診してきたのだそうだ。

「提示された金額はかなりの数字でしたが、すぐに拒否しました。お二方にお見せできませんでしたが、手放すには惜しい逸品でしたので」

 それでも男は諦めることなく、幾度にも渡って商談を持ち掛けてきたらしい。

 ブルーノも初志を断固として曲げず、如何なる条件が提示されようと全て一蹴した。だが、その頑なな姿勢が返って仇となったのだろう。

「男の執着は並々ならぬ様子でした。彼は交渉で私を懐柔できないと悟ると、今度は商会の運営を邪魔してくるようになったのです」

 奴の手口は巧妙でした、とブルーノは語る。

 妨害の内容は単なる悪戯から、直接的な暴力まで広く行われたらしい。しかしアラネア商会がそれらに関わったという痕跡はなく、軍警局を頼ることもできずに泣き寝入りするしかなかったそうだ。

「なるほど。ですから私共の提案も即座に快諾してくださったのですね」

「左様です。ご存知の通り、競売会は我が商会の要。彼奴もそれを理解していたでしょうから、本番を迎えるまで内心気が気ではありませんでした」

 語り終えたブルーノは深々と項垂れた。重なった心労を物語るような、弱々しい仕草だった。

「恥ずかしい話になりましたが、我々の事情はこんな所です。隠し立てしていたようで申し訳ない」

「滅相もございません。商売とは信用が第一、醜聞が広まるリスクは少しでも防ぐべきです。ロッシーニ様は商会の長として正しい選択をなさったかと」

「……そう仰って頂けると少しは報われますな」

 イヴの慰めに、ブルーノは力なく笑った。

「それではやはり、今回の一件はそのアラネア商会が?」

「確証はありませんが、恐らくは。男の財力を思えば、高位の傭兵団を雇っていてもおかしくないでしょう。商談も基本この館内で行っておりましたし、書斎の場所もその時に突き止めたのやもしれません」

「かしこまりました。では弊社の方で、そのアラネア商会に探りを入れさせて頂きます」

 イヴが迷いなく言うと、ブルーノは心配するように表情を曇らせた。

「……本当によろしいのですか?競売会の時以上の危険に見舞われるやもしれませんが」

「我が社は公平さを尊んでおります。ロッシーニ様との今後のお付き合いを考えれば、この程度は安いものです。でしょう、アンバー?」

「……自分はご命令に従うだけですので、如何様にも」

 あくまでも淡々とした調子でヘイズは答える。

 些かぶっきらぼうな物言いとなってしまったが、ブルーノには痛く響いたらしい。

「何と頼もしい……!貴方がたと引き合わせてくださった女神に感謝を」

 ブルーノはソファから勢い良く立ち上がると、イヴに向かって手を差し出した。

「どうか引き続き、ご助力をお願いいたします。本件が片付いた暁には、格別のお礼を約束しましょう」

「お任せください。私も全霊を持って、事に当たらせて頂きます」

 イヴもたおやかな笑みを作りつつ、握手に応じる。交渉成立だ。

 思う所が無い訳ではないが、予期せぬ収穫はあった。これでヘイズ達も"アーク"を追跡することができるだろう。

「ところで最後に一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 ブルーノの手を取ったまま、イヴがどこか冗談めかした口調で訊ねる。

「盗まれた古物の外観だけでもご教授願えませんでしょうか?まかり間違っても、誤った品をお渡しする訳にも参りませんので」

「ああ、それはそうですな。失念しておりました」

 苦笑交じりに、ブルーノは明かした。ヘイズ達が回収を目論む、旧き遺物の正体を。

「本ですよ。機械仕掛けの、古びた本です」


 ◇◇◇


 夕刻である。

 ヘイズと別れたイヴは、黄金色に染まる家路を辿っていた。

 通行人に紛れながら、つい先刻ブルーノが語った内容を反芻する。

 競売会の襲撃を主謀したと思しきアラネア商会の存在。"アーク"を巡る諍いと、ブルーノ達が密かに抱えていた事情。

 なるほど、実に尤もらしい経緯だ。先日警備の契約を結んだ際、こちらが抱いた違和感を拭うだけの説得力がある。

 だが、それを容易に鵜呑みにするほどイヴは純朴ではなかった。理由は明白である。

(……余りにもこちらに都合が良すぎるわね)

 別れ際、ヘイズとも確認し合ったことだ。今の状況はまるで、意図的に行動を誘導されているかのようだと。

 であれば問題は、誰が何のためにそう仕向けているかという点になるのだが……。

「悪い癖ね」

 嘆息交じりにぽつりと呟いて、イヴは思考を断ち切った。いつも悲観的に物事を捉え、意識を囚われてしまう。

 明日はアラネア商会を調べるためにまた出歩くのだ。今はとにかく、英気を養うことに専念せねば。

 そう思い立ったイヴは、気晴らしを求めて進路を変える。

 昏さを増す路地を抜け、向かった先はお気に入りの喫茶店だった。小ぢんまりとした乳白色の外観は童話から抜け出してきたようで、何とも可愛らしい。ここの店主が淹れる紅茶が、中々に美味なのだ。

 いつものようにそっと控えめな手つきで扉を開ける。すると。

「やあ、久しぶり」

 入口から程近いテーブルに、余り歓迎できない人物が座していた。

 イヴと同年齢の若い女である。赤錆を塗したような長い髪に、すらりとしなやかで均整のとれた肢体。

 麗しい顔立ちはあどけなさを残しつつも、血生臭い険呑な趣が顔を覗かせている。総じて二面性を感じさせる、どこか異質な雰囲気を纏った女だった。

「マリアン……」

 名を呼ばれた女が、嬉しそうに口元を綻ばせる。

「いやあ、会えて良かったよ!駄目で元々のつもりでこの店に来てみたんだけど、本当に幸運だった」

「何の用?」

 親し気に話しかけてきたマリアンを、イヴは冷然と制する。およそ知己相手とは思えない、物々しい態度であった。

 しかし彼女達の間柄においては、この程度は日常茶飯事である。現にね退けられた本人は特段傷ついた様子もなく、不服そうに唇を尖らせるばかりだった。

「相変わらず釣れないなぁ、半年ぶりの再会じゃないか。もう少し愛想良くしてくれても、罰は当たらないと思うんだけど?」

「そうね。時期が違えばお望み通りの反応をしたかもしれないわね」

 とは言え、ここで踵を返すのも敗けた気がして業腹だ。

 イヴは店主に注文を告げると、マリアンの向かいの席に腰を下ろす。既に夕食を終えた後らしく、机上にはデザートのケーキだけが置かれていた。

「もう一度問うわよ、マリアン。何の用かしら?」

 改めて、鋭く問い質す。

 イヴの言葉に込められた真意をマリアンも理解したのだろう。彼女はにやりと挑発するように頬を吊り上げた。

「なに、単なる挨拶・・だよ。最近ちょっと忙しかったんだけど、ようやく暇ができてね。少し遅くなったけど、旧交を温めにきたって訳さ」

「そう。貴女がそんな殊勝な人間だったなんて、知らなかったわ」

「酷いなぁ。私、これでも義理堅いつもりだよ。何しろ傭兵は信用第一の商売だからね」

 ケーキを口運んだマリアンが、幸せそうな吐息を零す。それと対比するように、イヴは益々仏頂面を深めていった。

 マリアン・ルベリウス。イヴの旧友にして、大陸屈指の傭兵団『不凋の薔薇(アダマス・ローズ)』の副団長。

 ――そして昨夜の競売会にて、ヘイズと矛を交えた張本人だ。

 ただし、断定できるだけの証拠はない。使い魔を経由して観察した身のこなしや、声の抑揚から導き出した推測である。

 よって、ここから先は慎重を期す必要があった。

 付き合いの長いイヴはよく知っている。目の前で呑気にデザートに興じる女が、如何に危険な人物であるかを。下手に虎の尾を踏むと、彼女達に戦争の口実を与えることになりかねなかった。

「ねえマリアン。折角会えたのだし、意見を聞きたいことがあるんだけど……」

「お、なになに?君が頼ってくるなんて珍しいねぇ」

「例えば……そうあくまで例えばの話よ?傭兵が盗みといった悪事を依頼されたとして、それを引き受ける理由は何だと思う?」

 あくまでも迂遠にイヴは訊ねた。

 受けてマリアンがその表情から笑みを消す。見透かすような温度のない眼差しが、イヴを貫いた。

「そうだねえ……もちろん雇い主への義理や報酬の額、団の方針なんてのもあると思うけど。個人的には思うのは興味深い戦場があるから、かな?」

「……戦場ですって?」

「傭兵なんて大なり小なりそんな生き物さ。例えどれだけ平和な時代が訪れようと、血と炎の香りの中にこそ安息を見出す生粋の戦士たち。お陰で私も、部下の手綱を握るのに苦労していてね」

 手中でフォークを弄びながら、マリアンは平然と言う。つまり彼女らが今の雇い主に手を貸す理由は、そういうことであるらしかった。

「……ありがとう、とても参考になったわ。お礼にここの勘定は持ってあげる」

「本当かい?じゃあお言葉に甘えて」

 上機嫌に相好を崩すマリアン。

 するとそこで何事かを思い立ったのか、唐突に身を乗り出してくる。間近に迫った瞳には、隠しきれない好奇心が光っていた。

「そういえば聞いたよ。君達の所、新しい人が入ったんだって?私にも紹介して欲しいなぁ」

「生憎とさっき別れたばかりよ。今はもう滞在先に戻っている頃でしょうね」

「うわしまった、ならここで待つんじゃなくて君達を探しに行くべきだったなぁ。折角だし、にも挨拶しておきたかったんだけど」

 マリアンが心底から落胆したと肩を落とす。

 その姿を見て、イヴは彼女の真意を理解した。自分への挨拶は半ば建前で、本当に会いたかったのはヘイズの方であったのだと。

 友人らしいと思う反面、少し腹立たしくもある。

 自分がついで扱いされたことに対してではない。ただヘイズに軽々しく粉をかけようとするその態度が気に食わなかった。

「ねえマリアン」

 ゆえに、イヴはマリアンを鋭く見据えて言った。

「余り、彼を侮らない方が良いわ」

「……へぇ」

 マリアンが面白そうに目を細める。どこか酷薄な笑みが、その美しい顔を彩る。

「今日は本当にどうしたんだい、イヴ?質問してくるどころか、忠告までくれるなんてさ」

「残念だけど、これは警告の類ね。流石の私も、顔見知りが丸焼きの死体になるのは忍びないもの」

 抑揚のない声で、イヴはそう告げた。

 両者の間で、視線の応酬が交わされる。やがて沈黙を破ったのはマリアンの方だった。

「保証はできない。でもちゃんと心に留めて置くことにするよ。友達が気遣ってくれたんだからね」

 頷いたマリアンが席を立つ。

「今日はご馳走様、話せて楽しかったよ。……それじゃあ、良い夜を」

 そして昨晩と同じ台詞を残して、颯爽と店を出て行くのであった。

「……そう。もう隠す必要もなくなったということね」

 これは遠回しな宣戦布告だ。要するに正体が割れたとしても、真正面から受けて立つという意思表示に他ならない。

 一人残されたイヴは、億劫そうに嘆息する。ロッシーニ商会の動向だけでも胡乱なのに、更に『不凋の薔薇』まで絡んでくるとは。

 明日はまた混沌とした状況に見舞われそうだった。しかし、現時点でマリアン達の存在を認知できたことは幸いと言えよう。

「……布石は打っておきましょうか」

 イヴは懐中時計を取り出すと、通信術式を起動した。

 繋げる先は、自分が知る中で最も邪知に長けた人物である。

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