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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
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2-14 都市の王

 競売会を終えた翌日の午前、ヘイズは再びカジノ・アヴァリティアの執務室を訪れていた。

「状況が錯綜してきたね」

 顔の前で両手を組んだヴィクターが、物々しい口調でそう言った。

「イヴ君達は当初の目的を無事に達成したものの、競売会に謎の一団が乱入して交戦……」

「悪ぃヘイズ、そこの砂糖取ってくれるか?」

「これか?お前見かけによらず甘味が好きだな」

「セリカ君達は異変の原因を突き止めたは良いが、犯人へ至るための手掛かりは潰えてしまったと……」

「まあ、これ美味しいですね。流石はアルビオン産の高級ブランド品、イヴが熱心に勧めてくる訳です」

「……そうでしょう?それに今年の茶葉は例年よりも良い出来という触れ込みだったから」

「君達私の話聞いてるかなぁ!?」

 とうとう耐え切れなくなったらしく、ヴィクターが涙目で叫ぶ。

 彼の正面では、室内の中央に置かれた机を囲み、寛いだ様子を見せるヘイズ達の姿があった。天板の上に並べられた艶めかしい白磁器と甘い香りを漂わす焼き菓子。どこからどう見ても優雅なお茶会の真っ最中である。

 もちろん哀れな老紳士の慟哭は耳に届いたものの、誰一人としてまともに取り合おうとしない。絶望的なまでの人望の無さだった。

「つっても爺さんよ」

 やがてカップに砂糖を投じる作業を終えたテオドアが、ぶっきらぼうに口を開く。

「俺達の今後の行動は殆ど決まってるんじゃねぇの?トラブルはあったがイヴとヘイズは当初の依頼を達成できた訳だし、俺らに合流して異変の犯人を追うのが合理的だろ。いちいち顔を突き合わせる必要もねぇと思うんだが」

「おっとぐうの音も出ないほどの正論。けどそうもいかない事情があってだねェ……」

 テオドアの指摘に、ヴィクターが気まずそうに頬を掻く。彼の煮え切らない態度に、ヘイズは一抹の不安を覚えた。

「まさかとは思いますが、また市長絡みの仕事が入ったんじゃないでしょうね。色々気疲れするので、受けるにしても間を空けて貰いたいんですが」

 ヘイズが言うと、対面に座ったイヴもこくこくと同意を示す。対するヴィクターはあからさまに目を逸らす始末だった。図星と言っているようなものである。

「うん、君たちの気持ちはよく分かる。ただ向こうがねぇ、割と強引というか圧力をかけてくるというか――」

『ガスコインさん、そこから先は私が』

 ヴィクターの言葉を遮るように、落ち着いた艶のある声が響いた。

「今の声は、まさか……」

 常に涼やかな態度を崩さないセリカが表情を強張らせる。いや彼女だけではない。テオドアもイヴも、そしてヘイズも例外なく緊張で身構えた。

 何故ならその声は、マルクトの市民ならば必ず一度は耳にしたことがあるため。

『突然話に割って入ってしまって申し訳ないね。ヴィーラント君、カルンハイン君、シュレーゲル君は久しぶりだね。そしてグレイベル君は初めましてになるかな』

 声はヴィクターの手元に置かれた懐中時計より発せられていた。露になった風防が光を放ち、中空に彫りの深い男の顔が投影される。

 年齢は四十代半ばといったところだろう。栗色の髪と髭は伊達に整えられ、切れ長の双眸には隠そうともしない野心が輝いている。

 何より声を聴くだけでも他人を惹き付けるような強烈な魅力が、男が傑物であることを雄弁に物語っていた。

「グラハム・ロックウッド市長――」

『おっと、君は旅人だったと聞いていたが名前を知ってくれていたのだね。嬉しいよ』

 ヘイズがその名を呟くと、男はどこか稚気を感じさせる顔で笑った。

「……驚きました。まさか市長がお顔をお見せになるなんて」

 普段の余裕を取り戻したセリカがにこやかに応じる。だが表には出ていないだけで、その眼差しには依然として警戒の色が滲んでいた。

『もちろんだとも。本当なら先日の依頼についても直接出向いてお願いしたかったのだがね、残念ながら予定が空けられなかったんだ』

「ロックウッド君ー、君も暇じゃないのだし、早く本題に入った方が良いのではないかね?』

『ああこれは失礼。滅多に会えない友人たちと顔を合わせると、どうしても饒舌になってしまう。時間は有限だ』

 嗜められた市長は咳ばらいを一つして、話を切り出した。

『まずはカルンハイン君とグレイベル君。私からの無理な頼みを叶えてくれてありがとう。不測の事態に見舞われたそうだが、よくやってくれた。件の競売会に関わっていた人物のリストは、こちらで有効・・に使わせて貰うよ』

「……お力になれたのなら光栄です」

 平坦極まりない声で、イヴが礼を述べる。形だけなのは誰の目からも明らかだったが、市長は鷹揚に頷いて続けた。

「うん、今後とも頼りにさせて貰うよ。それで本題というのはね、君達が競売会で遭遇したトラブルに関連しているのだが……』

「……もしかしてロッシーニ商会から盗み出された品がよろしくない、って話だったりします?」

『素晴らしい!理解が早くて助かるよ』

 称賛を口にしながら市長が軽快に指を鳴らす。ともすれば気障とさえ思える仕草も、彼が行えば親しみ易さを感じさせる愛嬌へと変わるようだった。

『君達への新たな依頼は、その盗難された品の回収だ。可能な限り迅速に遂行して欲しい』

「理由をお伺いしても?」

 ヘイズが訊ねると、市長の顔付が変わった。軽妙洒脱な雰囲気は鳴りを潜め、商人の都を統べる冷徹な為政者としての顔を表にする。

『君達は"アーク"という名を聞いたことはあるかな?』

「……いえ。寡聞にして存じ上げませんが、それは一体?」

 セリカが一堂を代表して返答する。彼女のみならず、他の面々も聞き慣れぬ単語に疑問符を浮かべていた。

『まあ君たちが知らないのも無理はない。何しろこれは、フランケンシュタイン博士が生涯公にしなかった曰くつきの代物なのだからね』

 市長から告げられた内容に、その場の誰もが息を呑んだ。

 ――エリアス・フランケンシュタイン。通称、"近代魔術の父"。

 五百年前の戦乱期に活躍した人物だが、今日の大陸で彼の名を知らぬ者はいないだろう。

 何しろ当時はまだ神秘オカルトの領域にあった魔術を、人が扱える技術へと落とし込んだ不世出の天才なのだから。

 他にも霊素と霊脈の発見や星霊の発生原理の解明、三大命題の提唱等々……その功績は挙げていけばきりがない。

 世間では戦争の激化を後押しした原因とする意見もあるが、彼が人類にもたらした叡知を思えば紛れもない偉人と呼べるだろう。

『"アーク"というのは、かの天才が晩年まで研究を続けていた代物だそうでね。用途を含め仔細は不明だが、星霊に関する基礎理論を確立する切っ掛けを与えたのだとか』

「私としては、何故それを君が知っているのかが非常に気になる所なのだがね?」

『なに、市長の職に就くにあたって色々と勉強しただけですよ。この都市はそれなりに歴史を重ねていますからね、教材には事欠きませんでした』

 ヴィクターに意味深な視線を送られた市長はお道化た風に肩を竦める。

 秘密を抱えていることを隠そうともしない態度。恐らく『アンブラ』がどれだけ調べたとしても、真相に至れないことを確信しているのだろう。

 ゆえにヴィクターも不承不承といった様子ながらも、それ以上の追及を辞めて引き退がる。

『話を戻そう。私が入手した情報によると、どうもロッシーニ氏はこの"アーク"を都市外の骨董商から強引に買い上げたらしい。そして厳重に保管していた所を競売会の折、賊によって奪われたという訳だ』

「盗品がその"アーク"である根拠はなんでしょうか?」

『彼の性格だよ』

 セリカの問いに、市長は迷いなく即答した。

『ロッシーニ氏は商人としては小物だが、古物や芸術品に対する鑑識眼については一級品だ。そんな彼がフランケンシュタイン博士の遺した品を軽々しく扱うとはとても思えない。まず間違いなく、当分は愛でるために常に手の届く場所に置いておくことを選ぶだろう。……実際に彼に接触したカルンハイン君達の方が、そこは理解できるのではないかな?』

「……そう、ですね。彼の骨董品への情熱は並々ならぬものがありましたし、書斎で保管していてもおかしくないかと」

 しかし、とイヴは訊ね返した。

「"アーク"を回収するために私達へ依頼する意図が分かりません。危険物なのでしょうか?」

『さあ?』

 市長の返答に、彼以外の全員が崩れ落ちかけた。完璧なまでの不意打ちである。さも訳知り顔で語っていたのは一体何だったのか。

 これには流石のヴィクターも渋い顔で、どこか棘のある口調で苦言を呈する。

「ロックウッドくーん?私の可愛い部下を余り振り回さないで欲しいのだけどね?」

『いや失礼。しかし私としても分からないことだらけなのですよ。先程も言った通り、"アーク"の実態については情報が余りにも不足しているのですから。確かなのはフランケンシュタイン博士が何らかの理由でその存在を伏せていたということだけ。邪推するには十分な根拠だと思いませんか?』

「……つまり、都市への影響が判然としないからこそ公社の管理下に置きたいと?」

『ああ、そう理解してくれて構わないよ』

 イヴの言葉に、市長は首肯した。

『本当なら気を見計らって取り上げるつもりだったのだけどね、こうした状況になったのは私としても予想外だった。しかし、逆に考えれば好都合とも捉えられるだろう』

 市長の口元が吊り上がり、酷薄な笑みを形作る。権謀術数が渦巻くマルクトを統べるに相応しい、悪党の顔だった。

『何しろロッシーニ氏の認識では、"アーク"を盗んだのは正体不明の賊だ。ということは我々が横から掠め取ったとしても、責任は幾らでも彼らに押し付けられる』

「……私が言えた義理ではないが、君も随分と意地が悪くなったねぇ」

『貴方からその台詞を引き出せたのなら、私も多少は成長したということですね』

 得意げな顔をする市長に対し、ヴィクターは心底から呆れ返ったように嘆息した。まるで悪戯好きの学生と、その素行を憂う教授のような光景である。

 気の置けないやり取りから薄々察していたが、両者の間には立場を抜きにしても浅からぬ縁があるらしい。

『無論、私とてお願いしてばかりというのは心苦しい。依頼の遂行における支援は惜しまないつもりだ。これでも権力だけはあるからね。都市内に限れば、大抵のことに融通を利かせられると思うよ」

 ただし、と市長はそこで言葉を区切ってヘイズの方を流し見た。

『公共施設を破壊するのは、できれば避けて欲しい所だが。後処理が非常に面倒なんだ』

「……肝に銘じます、はい」

 先月の騒動の折、都市の一画を勢いで爆破した前科があるのだから当然の反応である。ヘイズは粛々と頷くことしかできなかった。

『ではそろそろ次の予定があるので私は失礼する。期待しているよ』

 懐中時計が光を失い、市長の顔が掻き消える。それと同時に、室内を支配していた緊張が弛緩した。

 ヘイズもまた脱力するように息を吐きながら、先程までの彼とのやり取りを思い返す。

 グラハム・ロックウッド。なるほど、確かに市民から圧倒的な支持を得て市長の座に就いただけのことはある。

 一目で好感を覚える外見を始め、他者の性質を見抜く観察眼に整然と頼もしい語り口。どの要素を取っても、統率者とはかくあるべしというお手本を見せつけられたようだった。しかし。

「気に食わないな……」

 反感に満ちた呟きが自然と口から零れる。セリカ達が露骨に警戒した理由がよく分かった。

 何と言うか、とにかく腹の底が見通せないのである。秘匿されていた"アーク"の存在を認知していたことといい、ロッシーニ氏の都市外での動向を把握していたことといい、余りに胡乱だった。

 彼自身はこちらに協力的な姿勢を見せていたが、下手に借りを作らない方が賢明だろう。見返りに何を要求されるか分かったものではない。

 ヴィクターやシャロンとはまた別の方向で油断ならぬ男。ヘイズにとって市長とはそういう人種だった。

「とまあこんな具合でねェ。イヴ君とヘイズ君には悪いが、君達はこのまま"アーク"とやらの回収に移行して欲しい」

「……良いように利用されている気がしてなりませんが、分かりました」

 ヘイズが憮然とした調子で応じれば、イヴも同意を示す。ヴィクターは申し訳なさそうに苦笑して、残る二人の方へと視線を移した。

「さて、後はセリカ君達が調べている件だが、何かこちらで協力できることはあるかね?君のことだから、次の方針は固まっていると思うが」

「そう、ですね。ただ少々オーナーに相談したいことがありますので、この後お時間を頂ければと」

「分かった。予定を空けておこう」

 ヴィクターは頷くと、居住まいを正してヘイズ達を回し見る。

「では今回はこれで解散だ。仕事の進め方はいつも通り一任するが、逐次報告を入れるのを忘れないでくれたまえ」

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