2-12 死を費やす者 其之二
ロッシーニ邸にて競売会が開催されるその夜。
セリカはテオドアと共に歓楽街を訪れていた。通りは既に人でごった返しており、怒声と歓声が頭上をひっきりなしに飛び交っている。
観光客などからすれば面食らう光景であるが、セリカ達にとっては慣れたものだ。人混みの中に生じた小さな隙間をすり抜けるようにして目的地へと向かう。
しかしその道行きが順調かと問われれば、答えは否である。何故ならば、
「テオさん!最近全然来てくれないじゃない、店の子も寂しがってるわ」
「ああ、テオ。今夜はウチで遊んでかない?もちろん、横の彼女さんの同伴もオーケーよ」
などといった具合にホステスやら娼婦やら、多種多様な女性が次々とテオドアを呼び止めるためだ。
それに対して声をかけられた本人は手慣れた風に、
「わりぃな、今ちょっとした用の最中でさ。また今度、絶対遊びに行くからよ」
と爽やかな微笑を返しつつ、彼女らの誘いを躱すのだった。
別に声をかけられること自体は構わない。寧ろ顔が広いというのは情報収集の際に有用である。だがこうも頻繁に進路を阻まれるとなると、流石に辟易せざるを得ない。
セリカは堪らず非難めいた眼差しをテオドアへと向ける。
「相変わらず、派手に遊び回っているようですね」
「そりゃお前、楽しいからな」
褒めているつもりは全くなかったのだが、何故かテオドアは得意げに胸を張った。
「それに最近はヘイズの奴も付き合ってくれてるしな。アイツ、あれで意外と色んな店知ってるんだぜ?お陰で俺も益々熱い夜を過ごせてるってもんよ」
「……ヘイズが?」
しまった。
セリカはつい感心を示してしまったことを後悔するも、時すでに遅し。
テオドアの口元がにんまりと意地悪そうに弧を描く。
「なんだ、気になるか?普段、俺とアイツがどんな所に遊びに行ってるか」
わざとらしく勿体つけて問うてくるテオドア。こちらを揶揄う意図が透けて見える。
先日彼の急所を突いてしまった意趣返しも含んでいるのだろうが、正直鬱陶しいことこの上なかった。
「結構です。彼のプライベートを詮索するような仲でもありませんし、気になったのであれば本人に直接訊ねればよろしい」
なのでこれ以上の追及を防ぐためにも、ぴしゃりと言い放つ。それを受けたテオドアは「つまんねぇの」と不服そうに唇を尖らせた。
閑話休題。
「にしても、一介の庭師が人死にが出るような事件の片棒を担ぐとはなァ……。世も末っつーか、一体どんなワケがあったんだか」
「さて。その辺りは本人が素直に口にしてくれることを願うばかりですね」
セリカ達が歓楽街にやって来たのは、何も遊興に耽るためではない。
二日前、彼らが亡霊騒ぎのあった館で発見した小瓶。あれを庭先に埋めた者を捕らえ、その目的を聞き出すためだ。
因みに犯人の特定は既に終えている。元より館を出入りしていて、かつ庭を弄っていても不自然でない者など、考えるまでもないだろう。
即ち、庭師である。該当する人物の名はサイモンと言った。
セリカ達は手始めに彼の自宅を当たってみたのだが、生憎と留守であった。隣人に話を聞いてみれば、数日前から帰っていないという。
そこで闇商人のシャロンの情報網を頼ったところ、近頃とある酒場によく顔を出していたという情報を入手。彼の足跡を辿るべく、こうして歓楽街に足を運んだという経緯だった。
「……あんまり考えたくはねぇが、話が聞ける状態だと良いな」
テオドアが難しい顔で呟く。セリカも口にはしなかったが同意だった。
軍警局より、小瓶の内容物が予想通り遺骨であったことが知らされている。ゆえに当初の見立て通り、死霊術師が異変に関与していることはほぼ確定したと言って良いだろう。
一方、事前の調査によれば、サイモンは魔導士ではなくごく普通の人間だった。従って彼が庭先に小瓶を埋めたのは、死霊術師からの指示によるものである可能性が高い。
では秘密裡に悪事を企む者が、用済みとなった関係者を放置しておくだろうか?
セリカがこれまで重ねてきた経験からすれば、とても楽観視はできなかった。彼が姿を消した期間を踏まえても、既に口封じのために処分されていても可笑しくはない。
「それで彼が出入りしていたという店はこの先に?」
「ああ。何度か前を通りがかったこともあるし、間違いねぇよ」
セリカ達の足は表通りを外れて路地裏へ。奥に進むにつれて人気は減り、じっとりとした怪しげな空気が彼らを包み込む。
やがて到着したのは、うらぶれた外観の建物であった。看板には『アルミーダ』という文字が、ネオンの光によって綴られている。
「……念のために言っておくが」
先頭に立ったテオドアが、店の扉に手をかけながらセリカの方に振り向く。
「ちっと絡まれた位で手を出すんじゃねぇぞ。今回は基本、流血沙汰はなしだ」
「もちろん分かっていますよ。私とて徒に愛刀を血で汚したい訳ではありませんから」
そう言って、セリカは背負った荷物に視線をやった。
傍目からはギターケースに見えなくもないが、中に入っているのは楽器ではなく愛用の大太刀である。聞き込みの相手を刺激しないための配慮だ。
「そういう意味じゃねぇんだけど……まあ良いか」
釈然としない様子ながら、テオドアが店の扉を開ける。
途端、むせ返るような酒と煙草の香りが溢れ、けたたましい笑い声が耳をつんざいた。
店内には若い男達が十数名たむろしていた。皆一様にいかにも破落戸といった出で立ちで、どこか荒んだ気配を纏っている。彼らはいわゆる半グレ――犯罪組織にこそ所属はしていないが、違法行為に手を染めるならず者共だ。
要するに『アルミーダ』の実態は単なる酒場ではなく、彼らの溜まり場として扱われているのだった。
当然、そこに新参者が現れたともなれば、注目を集めるのは必至である。
扉を潜ったセリカ達にぶつけられる視線、視線、視線。一般人ならばこの無言の圧力に耐えかねて、即座に退店を選ぶだろう。
だがセリカは当然ながら、テオドアも何ら委縮はしなかった。彼らとは潜り抜けてきた修羅場の数が違うのだ。どこ吹く風とばかりに、堂々と店内に足を踏み入れる。
「……いらっしゃい、見ない顔だね」
カウンターの中に立つ店主は、愛想の欠片もない顔でそう言った。どこにでもいそうな痩せぎすの中年男性だが、半グレ達に店を占有されても平然としている辺り、外見通りの人物ではないだろう。
「そこのお兄さんはともかく、お嬢さんみたいな娘にこの店は刺激が強すぎるんじゃないかな」
「ご忠告ありがとうございます。ですが心配ご無用、用を済ませたら直ぐに出ていきますので」
セリカは懐から一枚の写真を取り出すと、店主に向けて差し出す。
「こちらのサイモンという男性を探しているのですが、見覚えはありませんか?」
店主は無表情で写真とセリカを見比べると、首をゆるりと横に振った。
「……いや、知らないね。この店に来たことのある奴の顔なら、大体覚えているんだけど。力になれなくて悪いが、他を当たって貰えるかい」
「へえ、そいつは残念。最近この酒場によく顔を出してたって聞いたんだけどなぁ」
白々しくテオドアが口を挟むと、店主は緊張したように僅かに頬を引き攣らせた。
この反応から察するに、彼がサイモンのことを知っているのは間違いない。だが探られたくない事情があるようで、それきり押し黙ってしまう。
「おいおいお二人さん、あんまりマスターをいじめないでやってくれよ」
すると、横合いから太々しい声が上がる。
見れば髪を浅葱色に染めた、一際威圧感を漂わせる青年がこちらに近づいてくる所だった。
「……貴方は?」
「俺はジェフリー。一応、後ろにいる連中をまとめててな」
ジェフリーと名乗った青年は、セリカ達を値踏みするような目つきで眺めまわす。
「で、人探しだっけ?生憎だが、サイモンなんて野郎はこの場にいる誰も知らねぇんだわ。探偵の真似事なら他所でやっちゃくれねぇかな」
「……それを鵜呑みにしろと?」
「あれ、伝わらなかったかな?穏便に済ませてやるって言ってんだぜ?まあどうしても納得できないってんなら、無理にでもして貰うだけだけど」
ジェフリーは不敵に笑うと、右手を掲げる。すると何人かの屈強な若者がテーブルから立ち上がり、セリカ達を取り囲んだ。
「俺もさァ、アンタみたいな上玉に手を上げるのは忍びないんだ。どうよ?しけた話なんかするより、俺らと朝まで飲み明かすってのは」
「そうそう、ジェフリーの言う通り!」
ジェフリーの提案に、セリカの傍に立った男が浮ついた調子で便乗する。
「姉ちゃんのそれ、ギターだろ?ちょっと披露してくれたら、お兄さんが何杯でも奢っちゃうぜ?」
「申し訳ありませんが、人前で披露できるような腕ではありませんので」
真面に取り合うのも馬鹿らしく、セリカは冷ややかに誘いを跳ね除ける。そんな彼女の態度が気に障ったのか、男はむっとしたように眉を顰め、
「ンなこと言わずにさぁ、一緒に楽しもうよ」
やや乱暴な手つきで、肩に腕を回そうとしてきた。
何と億劫な。セリカは嘆息しながら、するりとそれを掻い潜る。
するとそれなりに酒が回っていたらしい。男は覚束ない様子でつんのめり、その場に転倒してしまった。
「何やってんだよ、だっせぇなァ!」
四方八方で品のない笑い声が湧く。
男はただでさえ赤らんだ顔を更に赤く染め、起き上がりざまカウンターに置かれたグラスを掴み取った。何の躊躇いもなく、投じてくる。
「おっと」
反射的にセリカは頭を下げて、飛来するグラスを回避する。が、彼女の背後に控えていた人物はそうもいかなかった。
ごすん、と何とも鈍い音がして、硝子の破片が床に散らばる。
「……」
額にグラスをぶつけられたテオドアは無言だった。
結構な衝撃だったにも拘わらず、完全な無傷である。またグラスの中身が空だったことも幸いして、衣服が汚れた様子もない。
しかしセリカは、彼の背中からゆらりと烈火のごとき怒気が湧き上がる様を幻視した。
「……悪ぃセリカ、さっきの言葉は訂正するわ」
にっこりと笑いかけてくるテオドア。その額には青筋がくっきりと浮かんでいた。
「やっぱ舐めた真似されたんなら、きっちりお礼をしねぇとな?」
「あー……はい、どうぞ。口が利けるようにはしておいてくださいね」
特に引き止める理由もなかったので、セリカはテオドアに前を譲った。
寧ろ最初からこうしておけば良かったかもしれない。やはり無頼の者を従わせるのであれば、彼我の力量差を見せつけるに限る。
「え、なに?もしかして怒っちまった?そーカリカリすんなよ、ちょっと手が滑っただけじゃったじゃんかぁ」
グラスを投げつけた当の本人はけらけらと、テオドアを煽るように笑っている。
彼はまだ、自身の置かれた状況を欠片も理解していなかった。その能天気ぶりは滑稽を通り越して、寧ろ称賛に値しよう。
「言いたいことは色々あるんだけどよ……」
テオドアは頭の後ろを乱暴に掻く。そして、
「とりあえず、一発は一発だ」
「は――?」
男が首を傾げた次の瞬間である。彼の体は、高々と宙を舞っていた。
まるで紙飛行機が滑空するかのようだ。男は天井すれすれのところを飛び、程なく重力に引かれて落下する。
机を薙ぎ倒しながら床に叩きつけられた男は受け身も取れず、完全に気を失っていた。
半グレ達はその一部始終を呆然と眺めていた。きっとテオドアが何をしたのか分からなかったためだろう。
しかし種を明かせばどうということはない。テオドアは単に男の襟首を掴んで、上に放り投げただけだ。
「て、てめぇ!」
我を取り戻した半グレ達が一斉にいきり立ち、応戦の構えを取った。中には拳鍔や短剣といった正真正銘の凶器を持ち出す者までいる始末。
だが対峙するテオドアは臆するどころか、挑発するように手招きした。
「来いよ糞餓鬼ども。お兄さんが礼儀ってモンを教えてやる」
その言葉を合図に、乱闘が始まった。ジェフリーを筆頭に、半グレ達は各々の得物を躊躇なくテオドアへと叩きつけていく。
だが、その一つとして彼の皮膚はおろか衣服にさえすら綻びを生じさせることは叶わなかった。
セリカは知っている。今のテオドアの肉体は、鋼鉄を遥かに凌ぐ硬度を帯びていることを。
「オラどうした、もっと気合入れてかかってこいや!」
ゆえに闘いの趨勢は瞬く間に覆った。例え数で優っていたとしても、攻撃が通用しないのであれば当然の帰結である。
テオドアが軽く腕を振るえば、掠めた人影が毬のように飛んでいく。怒声を上げれば、周囲の壁や床に亀裂が走る。
暴力の権化と化したテオドアを前に、半グレ達は為す術もなかった。この調子なら片が付くまでそう時間はかからないだろう。
セリカは悠々とカウンターの一席に腰掛けると、机の下を覗き込む。そこでは哀れな店主が嵐を過ぎ去るのを祈るかのように頭を抱えて震えていた。構わず、声をかける。
「マスター、モヒートを頂けますか?この後も予定がありますので、ノンアルコールでお願いします」
「え、あ、はい……?」
「マスター」
「かしこまりましたッ」
蒼褪めてシェーカーを握る店主。しかしやはり不安を隠せないらしく、乱闘が繰り広げられている方へしきりに視線を向けていた。
「ご安心ください、死人が出るようなことにはなりませんよ。彼、相当手加減していますから」
「あ、あれで、ですか……?」
「ええ。彼が本気で一般人を殴れば、相手が弾け飛びますので」
セリカが涼し気に微笑むと、店主の顔が益々色を失う。
はて。気を楽にしてやるつもりが、逆に怖がらせてしまったようだ。
「まあとにかく、貴方はご自身の仕事に集中するとよろしい。少なくとも、ここから出ない分には守って差し上げますよ」
直後、その言葉を証明するかのように、カウンターに向けて飛んできた椅子が空中で両断される。セリカが電光石火の早業で大太刀を抜き、一閃したのだ。
とは言えそんな光景を間近で見せられれば、僅かに残っていた反抗心も圧し折られるというもので。
店主は全てを諦めたように、力なく笑うのであった。
思ったより長くなったので、区切りの良い所で一旦投稿します。
続きは明日投稿します。




