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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第二章 彷徨う凶星
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2-11 死を費やす者 其之一

 時間はヘイズ達がブルーノとの交渉に臨む日に遡る。

 住宅街の片隅に置かれたベンチに、セリカは一人腰掛けていた。膝上の紙袋を開くと、ふわりとパンの香りが鼻孔をくすぐる。

 本日の昼食は、ここに立ち寄るまでに見かけた露店で買ったホットドッグだ。

 一口かぶりつくと弾力に富んだ腸詰と、瑞々しい野菜の歯応えが小気味良い。また店主特製だというソースも香辛料が程よく効いていて、中々癖になる味わいだった。

「うん、思いがけず当たりを見つけましたね」

 偶には冒険してみるのも良いものだ。セリカは満足げに呟いて、空を仰いだ。

 陽気は麗らかで、風も穏やか。思わずうたた寝したくなるような小春日和である。これなら自然公園の辺りにまで足を伸ばし、花見と洒落込んでも良かったかもしれない。

 などとぼんやり考えながら、昼食を頬張っていると、

「よう、待たせちまったか」

 横合いから気安い調子で呼びかけられた。そちらに視線を移せば、見慣れた男の姿を認める。

 金髪を無造作に掻き上げた、長身の美丈夫。誰あろう、テオドアその人だった。

「なんだよ、飯食って来なかったのか」

「ええ、今日はこんなにも良い天気ですからね。外で食事を摂るのも一興かと思いまして」

「ふうん……相変わらず、風流なことが好きだねぇ」

 感心した風に相槌を打ち、テオドアはセリカの隣にどっかりと座り込んだ。きっかり一人分の間隔を空ける辺りが、案外実直な彼らしい。

「にしても、本当にもったいねぇよなぁ。こんなでかい家、手に入れるまでには相当苦労しただろうに」

 正面を見上げたテオドアが、残念そうに呟く。

 彼の視線の先には、立派な館が佇んでいた。しかし門扉は厳重に封鎖されていて、人が住んでいる気配はない。見栄え良く手入れされていた庭にも所々綻びが見受けられ、敷地全体がどこか陰っているようだった。

 先日、ヘイズと共に亡霊退治を行った館である。

 怪異の元凶は完全に祓われたものの、流石に凄惨な殺人が起きた場所で生活を続けることは難しかったのだろう。住民達は早々に別の土地へ引っ越してしまったのだ。

 そのため今は捜査の名目で、一時的に軍警局の管理下に置かれている状態だった。

「紛うことなき事故物件ですからね、市民が嫌煙するのも当然でしょう。遠からず、怪談の一つや二つ噂されるようになるのでは?」

「だろうな。悪い噂ほど広まるのも早いし、当面買い手も現れねぇだろ。俺達みたいなのからすりゃ、調査し易くて助かるが……世知辛いこった」

 大仰に肩を竦めるテオドア。しかし何事か思い付いたらしい、すぐに悪戯を企む子供みたいに口の端を釣り上げた。

「そうだ、この館俺達で買っちまうのはどうだ?市内に隠れ家は幾つか用意しちゃあいるが、数が多いに越したことはねぇだろ?」

「ふむ……」

 昼食を口に運びながら、セリカは思索を巡らせる。

 隠れ家として最も求められる条件は高い秘密性だ。そうした観点と照らし合わせると、この館については厳しい評価を下さざるを得ない。確かに人は寄り付かないだろうが、外観が目立ちすぎる。

 尤もその辺りは魔術で幾らでも誤魔化せる範疇だし、テオドアが言うように有事に備えて安全を確保できる場所を増やしておいて損はない。

 今なら相場より遥かに安く手に入れられることも踏まえると、彼の提案は中々理に適っていると思われた。

「多少の細工は必要になるでしょうが、悪くありませんね。イヴは特段反対しないでしょうし、侵入者対策は……ヘイズに任せてみましょうか。彼、その手の工作が得意だそうですから。手始めはやはり定番の自爆装置ですね。これがなくては話になりません」

 今後の展望を頭の中で思い描いていると、自然と口元が綻んでくる。ところがそんなセリカとは対照的に、言い出した本人であるテオドアは渋面を浮かべていた。

「なんです、その顔は?」

「……いやその、ほんの冗談のつもりだったんだが。一応聞いておくけど、本気か?」

「無論です。私は必要な時以外に嘘は吐きません。後でオーナーに打診をしてみましょう」

「マジかよ……」

 自身の失言を嘆き、テオドアは目元を掌で覆う。

 そんな彼を尻目に、セリカは昼食の最後の一口を平らげて、紙袋を近くのごみ箱へと放り込んだ。

 すると見計らったかのように、目の前に一台の自動車が停止する。扉を開けて出てきたのは、軍警局の隊服に身を包んだ男だった。

「ごきげんよう、ハウスマンさん。先日ぶりですね」

「こんにちは、ヴィーラントさん。その節はご協力ありがとうございました」

 セリカが挨拶すると、男はいかにも四角四面といった風に頭を下げる。

 ジン・ハウスマン。彼こそが、もう一人の待ち人であった。

 今回、セリカ達が館の中を調査するにあたり、同行して貰うことになったのだ。建前は連絡役と伝えられているが、実際はこちらが好き勝手しないための監視が目的なのだろう。

 とは言えセリカも『アンブラ』に入って長いので、軍警局からの圧力など慣れたもの。邪魔さえしないのであれば、誰を寄こされようと気にしない。

「お前さんか。思ったより怪我は軽かったんだな、無事に復帰できたようで何よりだよ」

「お陰様で。シュレーゲルさんも、先月はお世話になりました」

「良いってことよ。アンタらの立場上、仲良しこよしとはいかねぇだろうが、持ちつ持たれつで上手いことやろうや」

「……努力します」

 テオドアの言葉に、ジンはどこか遠慮がちに笑みを浮かべる。

 どうやら両者の橋渡しは必要ないらしい。先月というと、ヨハネスが起こした事件の時だろうか。テオドアは地上で星霊の掃討に駆り出されていたという話だったし、その際に面識を得ていても可笑しくはない。

「それでは早速、調査に移らせて頂きたいのですが」

「ああはい、少々お待ちください」

 セリカが言うと、ジンははっとして懐から鍵を取り出した。

 錠前が解かれ、門がゆっくりと開いていく。ジンを先頭に、セリカ達は館の中へと入っていった。

「やっぱ人がいない家は寒々しいねぇ」

 玄関を潜ると同時に、テオドアは開口一番でそう述べた。

 数日前に来訪した際は多くの家財道具が置かれていたのだが、今となってすっかりもぬけの殻と化している。広いだけに、侘しさも一塩であった。

「確認ですが、館内の捜査は軍警局側で一通り終えているのでしたよね?」

「はい。当局の魔導士マギウスも動員して検めましたが、これといって異変に繋がる手掛かりは見つからず……。お二人がお力添え頂けるのであれば、助かる限りです」

 とりあえずセリカはテオドアと手分けして、近くの部屋から地道に調べていくことにした。

 魔術も併用することで、天井の裏や床下に至るまでを丹念に探り上げる。しかし目的の物は全く見つからない。

 最後に残ったのはこの館で猛威を振るっていた亡霊、レギオンと対峙した談話室であった。

「うお、こりゃまた派手にやったなオイ」

 部屋に足を踏み入れた途端にテオドアが顔を顰める。

 穴だらになった壁に、激しく壊れた家具。未だ補修の手が入っていないために、室内には戦闘の痕跡が残されたままだった。亡霊が撒き散らした呪詛こそ既に除去されているものの、とても人が過ごせるような空間ではない。

「お前さぁ、器用なんだからもうちょい周りに被害が出ないように立ち回れよ」

「失敬な、これでも相当気を遣いましたよ。部屋が原型を留めていることがその証拠です」

 テオドアからの非難に抗議する傍ら、セリカは室内を回し見る。

 一先ず霊素エーテルが不自然に蟠っている箇所はないので、魔術によって隠蔽されているということは無さそうだ。

 ならばと靴の踵で床を鳴らす。音の反響を利用した探知魔術だ。これなら視界の届かぬ場所に埋もれた物であっても見つけ出すことができるはずだった。だが。

「ここにも何もなし、か……」

 少し離れた場所でテオドアが嘆息した。彼も同様の結果に終わったらしい。

 ジンが怪訝そうに訊ねてくる。

「確か、亡霊の依り代となった物品がこの館に残っているかもしれない、とのことでしたよね?」

「ええ、可能性は高いと思ったのですけれど」

 セリカも首を傾げざるを得なかった。

 前提として、この近辺の土地は風水魔術によって亡霊を排除する結界が敷かれている。そしてその仕組みは、セリカが先日訪れた時にも正常に稼働していた。

 にも拘わらず、レギオンという大物が発生したという事実。この矛盾を成立させるには、彼らと土地の間に結界の作用を弾くほど強固なよすがが必須となるはず。

 恐らく、それこそが現在マルクトで起きている亡霊の活発化を探るための手掛かりだ。ゆえにセリカ達は事件が解決して日の浅い、この館へと再度訪れたのだが……。

「とりあえず、休憩がてら一旦外に出ようぜ。ずっと辛気臭い所にいたんじゃ、考え事も捗らねぇだろ」

 テオドアの提案に、誰も異論を挟まなかった。

 外に出ると春の日差しが飛び込んできて、セリカは思わず目を細める。深く息を吸い込むと、胸のつかえが取れるような清々しい気分になった。

 目の保養を求めて、何となく庭の方に視線をやる。

 住民達がいなくなっても、草木の生命力は逞しい。少しでも葉に陽光を集めようと、懸命に枝を伸ばしている。広い分見応えのある景観だが、それだけに整備の苦悩が偲ばれた。きっと専属の庭師を雇っていたのだろう。

「……なるほど、庭師ですか」

 ふと、思い付いたことがあった。

「ハウスマンさん、この庭は調べられましたか?」

「え、ええ。敷地内は一通り」

「では地中は?」

 セリカの問いに、ジンは目を瞠った。そこまでは調査の手を回せていなかったらしい。

「元住民への事情聴取で何か聞いていませんか?例えば亡霊が出現する直前、花壇の植物を入れ替えただとか」

「……一つ、心当たりが。こちらへ」

 ジンに連れられて、セリカ達はその場へと歩み寄る。煉瓦で仕切られた真新しい花壇である。

 しかし内側には何も植えられておらず、土が張られたまま手付かずの状態となっていた。

「奥方の依頼で庭師がこの区画を作ったそうです。何でも新しく家庭菜園を始める予定だったそうで……」

「その計画も、亡霊が起こす怪奇現象のせいで頓挫した訳か。確かに土の中なら人目にゃつかねえし、都合の悪い物を隠すにはもってこいだわな」

 納得した風にテオドアは頷いて、セリカに訊ねてくる。

「とりあえず、掘り起こしてみるか?」

「ええ。ですが道具がありませんし、一度準備を整えてからまた――」

「あ、それでしたらご心配なく。少々お待ちください」

 首を傾げるセリカ達を他所に、ジンはそそくさと敷地の外へと出て行ってしまう。

 程なくして戻ってきた彼の腕には、細長い棒のような物が抱えられていた。どこからどう見ても人数分のシャベルである。

「こんなこともあろうかと、車に積んできておいて正解でした。さあ、どうぞ」

 事も無げにシャベルを手渡してくるジン。セリカとテオドアは揃って彼の顔をまじまじと凝視してしまった。

「……あの、何かまずかったでしょうか?」

「いやなんつーか……すげえなって……」

「流石、サリバン大尉の右腕を務めているだけのことはありますね。素晴らしい周到さです」

 混じり気なしの称賛だった。彼の上官が割と大雑把な性格のため、日頃からこうして細やかな気配りを働かせているのだろう。実によくできた部下である。

「さて、それでは始めましょうか」

 ジンから道具を受け取ったセリカは、上着を脱いで意気揚々と花壇へと向かう。しかし。

「待て待て、作業の方は俺に任せてくれて良いぜ。お前は掘る場所を指示してくれ」

「はあ、その心は?」

「こういう土仕事は男がやるのが相場ってもんだろ。服も汚れちまうし」

 テオドアが腕まくりをしながら、当然のごとく言う。

 が、それを受けたセリカは堪え切れず深々と溜息を零してしまった。全く、この男は。

「オイこら。別に感謝しろとは言わねぇけど、呆れるのはおかしいだろ」

「いえ、貴方の気遣い自体は素直にありがたいと思っていますよ。……ただ言わせて貰いますと、貴方は何故同じことを幼馴染ルクレツィアにできないのですかね」

 セリカの指摘に、テオドアは盛大に顔を歪めた。それはもう、大量の苦虫を一口で嚙みつぶしたような表情である。

 彼にとっては急所を突かれた形になったので、さもありなん。勿論セリカとて部外者が口出しすべきではないと分かってはいるのだが、何年も拗れた関係を見せ続けられれば苦言も呈したくなる。

 とは言え、繊細な部分に土足で踏み込んでしまったことには間違いない。なので謝罪を交えつつ、話題を修正する。

「ごめんなさい、少々意地が悪かったですね。それから私にその手の配慮は不要ですよ。これでも慣れていますから」

 その言葉を証明するように、セリカは足元の土壌をシャベルの先端でほぐし、掬い取って見せる。故郷が山に囲まれていたため、この手の作業は何度も経験したものだ。

「……みたいだな。んじゃ、手分けしてさっさと片付けちまおうぜ」

 気を取り直したテオドアが、セリカに背を向けて土を掘り起こし始める。

 そうして三人で花壇をひっくり返していくことしばし。

「……?」

 不意に、シャベルの先端に何か固い物がぶつかる感触があった。セリカは慎重な手つきで、その辺りの土を払っていく。

 すると露になったのは、硝子の小瓶であった。硬く蓋をされた中には、乳白色の粉末が詰め込まれている。

「お、何か見つけたか」

 こちらの異変に気付いて、テオドア達が近寄ってくる。

「これが目的の品なのでしょうか。……流石に一目では何か分かりかねますね」

 小瓶の内容物を眺めて、ジンが眉を顰める。けれどもセリカには、これの正体に凡そ検討を付けていた。

「恐らく死者の遺骨を磨り潰したものでしょうね。それも何十、もしかしたら何百人分の」

「なんですって……?」

 愕然と聞き返してくるジンへ、セリカは淡々と説明する。

「亡霊の依り代として、遺体の一部が用いられるのは珍しいことではありません。何しろ死者本人の霊素が多量に含まれていますからね。肉体から剥がれた幽体との結びつきも、自然と強固なものとなります。一方で、館に根付いたのはレギオン……つまり無数の亡霊の集合体です。しかし彼らを構成する幽体毎に依り代を用意するのは幾ら何でも効率が悪い」

「だから混ぜ合わせたって訳か。手早く、強力な亡霊を作り上げるために」

「……っ」

 告げられた内容にジンが息を呑む。彼の表情にははっきりと嫌悪の色が浮かんでいた。

 だが無理からぬ話だ。一般的な価値観からすれば、死者は土葬するのが古来からの慣例である。つまり遺骨を入手するためには死体を解剖するなり、焼却するなりして取り出す他にない。

 それだけでも魂の安寧を汚す暴挙だというのに、あまつさえ使い捨ての道具がごとく消費するなど。真っ当な感性を持つ者ほど、この所業に忌避の念を抱くだろう。

「とりあえず、こちらはハウスマンさんにお預けしますね。鑑識に回して裏付けを取って頂ければと」

「はい、先日に続いてご協力感謝します」

 使命感に燃えているようで、頼もしく頷くジン。ところが一転、再び怪訝そうに表情を曇らせてしまう。

「ですが最大の問題は、こんな手の込んだ仕掛けを誰が、何の目的で用意したかという点ですね」

「おや、犯人が誰かはともかく、何者かであればハウスマンさんならすぐに特定できると思いますよ」

 手掛かりは既に出揃っている。重要なのは亡霊の創成という神秘の媒介として遺骨、即ち死を暗示する品が用いられたという点だ。魔導士の種類は数あれど、そんな芸当を容易くこなせる者は限られている。

「!まさか……」

 ジンは考え込む素振りを見せるも、すぐに確信へと至ったらしい。

 神妙な面持ちで顔を上げる彼に、セリカは肯定の頷きを返した。

「ええ――今回の異変、死霊術師ネクロマンサーが関与していることはほぼ間違いないでしょう」

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