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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
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1-4 彼の日常 其之三

 表通りに戻ると同時に、見計らったように腹の虫が音を立てた。

 魔術の使用は結構なエネルギーを消費する。特に老王種を殺すほどの威力を伴えば、その消耗は推して知るべし。

 この後特に予定がある訳でもないので、このまま宿に戻って遅めの昼食をとるとしよう。

 自堕落な午後に思いを馳せつつ、ヘイズは帰路に就く。

 そうして宿の近辺に差し掛かった頃である。唐突に人の流れが滞っている場所に行き当たった。

「てめぇ……さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手言ってくれやがって!」

「俺は事実を口にしたまでだ。誇り高い魔術を殺し合いにしか使えぬ恥知らずどもめ。貴様らのような者達が魔導士を名乗っているなど、いい迷惑だ」

 穏やかな午後の空気を吹き飛ばす、そんな険悪な会話が聞こえてくる。

 人だかりの隙間から覗いてみれば、二人の男が睨みあっている光景が見えた。道行く人々は足を止め、不安そうに事の成り行きを見守っている。

「なぁ、何かあったのか?」

「ん?ああ、何でも魔導士マギウス同士の喧嘩らしいぜ。全く、商売の邪魔で仕方ねぇよ」

 近くにいた露天商に訊ねてみると、そんな答えが返ってくる。

「喧嘩ねぇ……」

 ヘイズは騒ぎの中心に立つ男達に改めて視線を向けた。

 片方は着崩した衣服の上から、革製の厚いジャケットを羽織っている。

 服越しでも分かる鍛え抜かれた肉体と、細やかな傷が残る険しい面。破落戸ゴロツキと呼ぶには余りに風格があり、言うなれば歴戦の傭兵と表現すべきだろう。

 もう一方の男は対照的に小奇麗な身なりをしていた。

 青を基調とした外套と、銀の胸当てと腰に帯びた長剣。堂々とした佇まいは、騎士と形容するに相応しい。

 しかし何よりヘイズが注目したのは、彼が身につけた腕章だった。そこに刺繍されているのは、とぐろを巻く竜を貫く剣の象徴エンブレム

 結社『竜狩の騎士団(ファフニスベイン)』、その一員であることの証だった。

 古い歴史と伝統を誇る彼の結社は、強大な星霊の討伐や魔導犯罪者の拿捕など、数々の功績を打ち立てており、マルクト内外でその名を轟かせている。

 そんな組織に属する魔導士が不穏な気配を漂わせているのだから、衆目を集めるのも無理もないだろう。

 今は舌戦に留まっているが、彼らの剣幕からして刃の交わし合いに発展するには時間がかかるまい。

 さて、とヘイズは周囲を見回した。

 軍警局の姿は未だ無い。

 この騒ぎだ、恐らく通報はされているのだろうが、彼らが駆けつけるのを待つには少しばかり手遅れ気味と見える。

 などと、悠長に分析をしている間に、ヘイズの懸念は的中した。

「吼えたな……喧嘩なら買ってやるよ、お坊ちゃん!」

「ハッ、そうこなくては。やれるものならやってみろ」

 いがみ合う二人の間に漂う険悪な空気は最高潮に達し、互いの敵愾心は歯止めを失くす。

 ジャケットの男は両手にナイフを、騎士は剣を抜き放ち、全身に霊素を迸らせた。

「今日に限ってどうしてこう、トラブルに遭遇するんだかなぁ……」

 思わずぼやくヘイズの眼前で、衝突を果たす二人の魔導士。

 奏でられる剣戟の音が、人々の騒めきを増長させた。

 大半はそそくさとこの場から逃げ出し始めているが、中にはもっとやれと囃し立てる物好きもいる。

「おい、兄ちゃん何してんだ!早いとこ逃げた方が身のためだぜ!」

「ご忠告どうも。けど、俺にも事情があってなぁ……」

 声をかけてくれた露天商に申し訳なさそうに返し、ヘイズは魔導士達の闘いを観察する。

 やはり、マルクト最高峰の結社の一員。騎士の攻勢は目を瞠る物がある。『強化』の魔術の練度においても、騎士の方が明らかに上だった。

 振るわれた長剣を受け止める度、ジャケットの男の顔が歪む。

 彼もまた、戦闘に長けてはいるのだろう。攻撃を捌く手管や、立ち回りには隙らしい隙が見当たらない。ただ地力の差は如何ともしがたく、均衡は早々に崩されることになるだろう。

 となれば、この後は本格的な魔術合戦に雪崩れ込む。そうなれば小競り合いでは済まされず、周辺への被害は免れない。

「はぁ……」

 面倒くさそうにヘイズは溜息を吐く。

 断言しよう。

 普段であれば間違いなく素通りしている場面である。下手に関わって余計な禍根を残せば、後々新たなトラブルを呼び込みかねないためだ。

 しかし、近くにはヘイズが拠点とする宿がある。マルクトを訪れて以来ずっと滞在し、それなりに愛着のあるあの場所に害が及ぶのは見過ごせない。

 なので、本当に渋々といった様子で、ヘイズは短剣の柄に手をかけた。

 何も二人を無力化する必要はない。軍警局が到着するまで、破壊を最小限にとどめつつ、時間を稼げば良いのだ。……まあ、自分なんかができることはたかがしれているのだけれど。

 意を決し、ヘイズは騒ぎの最中へ飛び込まんとする。

 その時だった。

「はい、そこまでです。二人とも武器を納めなさい」

 凛、と染み入るような朗々とした声が響いた。

 鎬を削る魔導士達の間に、黒衣を纏った人物が降り立つ。

 目深に被ったフードに隠れ、顔立ちは判然としないが、声音から察するに年若い娘だろう。

 しかし目を惹くのは、見るからに怪しげな装いだけではない。

 裾から覗く白魚のような指。そこに、大凡似つかわしくないものが握られていたのだ。

 三尺を優に越える大太刀である。

 それは艶やかな紅色の鞘に納まっているというのに、女の手の中で強烈な存在感を放っていた。

「何だ、貴様は?」

 太々しい態度で騎士は黒衣の女を睨みつけた。

 邪魔をされて、明らかに面白くなさそうな顔をしている。無意識なのだろうが、その声音にはどこか相手を軽んじるような傲岸さが滲んでいた。

 もう片方の男は冷や水を浴びせられたように、戦意を消失させていた。表情からも毒気を抜かれており、戦意を完全に喪失していることが見て取れる。

 騎士から向けられる剣呑な視線もどこ吹く風と、女は言葉を続けた。

「魔導士の決闘、大いに結構です。ですが場所を考えるべきでしょう。少なくとも、このような往来でやり合うのはお勧めできませんね」

 公序良俗に基づいた、至極真っ当な言い分である。固唾を飲んで見守っていた人々も、うんうんと頷いた。

 対して騎士は、知ったことかと尊大に鼻を鳴らす。

「そこを退け、女。ようやくその男を見つけたのだ。俺は先の恥辱を晴らし、汚名を注がねばならん」

 取り合わない騎士に女は肩を竦めると、気まずそうに佇む男の方に話しを投げた。

「経緯を聞かせて頂いても?」

「いや面目ねぇ。ちっと前に、そいつとは仕事でやりあったんだんだが、運良く出し抜いちまってなあ。そのことを根に持たれたみたいで、さっき偶然顔を合わせてから、しつこく挑発してきやがったんだよ」

 よくある話だった。

 華々しき商人達の都、マルクト。その裏側で行われている利権争いは、合法非合法問わず何でもあり。時には直接的な暴力行為にまで及ぶことすらある。

 そんな折に駆り出されるのが、企業から雇われた魔導士達だ。

 義理と金によって敵味方が目まぐるしく入れ替わるために、昨日の味方が今日の敵といった状況はざらに発生する。

 よってこの都市で活動する魔導士の間では、ある暗黙の了解が共有されている。

 『仕事は仕事と割り切るべし、禍根を持ち越すなかれ』、と。

 しかしながら、理性では納得していても、感情を処理しきれないのが人間の性。

 ただでさえ魔導士の業界は徹底した実力主義なのだ。魔術の腕が優れた者の増長を生みやすい。

 騎士の男は、正しくそういった類の人種なのだろう。

 マルクト最高峰の結社に認められたという自負も相まって、その気位の高さは想像に難くない。

 要するに、自尊心を傷つけてくれた因縁の相手を見つけたことで、抑え込んでいた不満が爆発。売り言葉い買い言葉でここまで盛り上がった……というのが事の経緯という訳だった。

「なるほど、事情は分かりました。ですが、今回は矛を納めた方がよろしいかと。騒ぎも大きくなっていますし、貴方も結社の名に泥を塗るのは本望ではないでしょう?」

「む……」

 実のところ、役所で正式な手続きをすれば、魔導士同士の決闘を合法的に行うことができたりする。しかも、存分にぶつかり合える場所まで提供してくれるおまけつきだ。公社が提供するガス抜きのための一施策である。

 なので汚名返上を望むのならば、然るべき手順を弁えれば良い。少なくとも、こんな街中で騒ぎを起こす必要は全くなかった。

 女の言い分は何一つとして間違っていない。

 しかし、騎士は首を横に振るばかりだった。

「駄目だ。この機を逃がせば、そいつはこの街から逃げ出すやもしれん。……女と言えど、邪魔をするなら力づくで退いて貰うぞ」

 何があったか知らないが、相当強い確執があるらしい。

 騎士は全く退く様子を見せず、それどころか剣の切っ先を女に向けて凄む始末だ。

「そうですか……では、こうしましょう」

 女は再び構えようとするジャケットの男を手で制し、騎士の前に立ちはだかる。 

「ほう、女。貴様が俺を止めると?」

 嘲りを隠そうともせず、騎士は口の端を歪に釣り上げる。

『竜狩の旅団』は構成員一人一人が手練れの魔導士である。彼もまたその高い敷居を乗り越えて、竜の紋章を帯びることを許されたのだ。

 そのことを、マルクトの魔導士が理解できないはずがない。 

「そうですね。気は進みませんが、そうでもしないとこの場を納めてくれそうにありませんから」

 黒衣の下で、女が物憂げに言う。

 だがヘイズは確かに見た。その口元が、愉快そうに弧を描いていたのを。

 まるで、この展開を待ち望んでいたのだと言わんばかりに。

「さぁ、どうぞ。どこからでも、好きに斬りかかって来ると良いでしょう」

 女は太刀を抜くでもなく、自然体のまま立ち尽くす。

 あからさまな挑発ではあったが、敵意の矛先を変えるには充分な効果を持っていた。

「……よく言った。ならば恨まないことだ!」

 騎士が瞳に激情を滾らせ、肌を粟立たせるような威圧感を放つ。彼の体から放出される霊素の奔流は、魔術が発動する兆候に他ならない。

 術式起動ブート

 剣を振るいながら、騎士が叫んだ。

 女は襲い来る刃を紙一重で回避しようとし……途中で大きく後退する。

 次の瞬間、剣が薙いだ場所を旋風が吹き抜け、石畳の表面を削り取った。

(風の魔術。付与エンチャントの類か……)

 ヘイズは行使された術式の正体を即座に看破した。

 騎士が持つ剣の周囲が、不自然に揺らいでいる。

 目を凝らしてみれば、それが渦巻く大気の塊であると分かる。その風圧は衝撃波の域に達しており、触れた物を粉微塵に削り潰す。

 後退した女を追って、騎士は更に踏み込んだ。

「ほお……」

 ヘイズの口から無意識に、感嘆の吐息が漏れた。

 速い。

 単なる肉体の『強化』だけでなく、加速魔術まで併用しているのだろう。

 だが最も感心させられたのは、術式を起動してから現象を具現するまでの工程の無駄の無さだ。

 天性の素質もあるのだろうが、幾度となく訓練によって磨き上げられた技巧である。

 加えて、体捌きも魔術一辺倒でない所も流石と言えよう。

 剣術の冴えは非常に鍛え抜かれたそれであり、総じてマルクト最高峰の結社、その一員として相応しい実力だった。

「どうした!?大口を叩いておいて、そのザマか!」

「お気になさらず。先程も言った通り、好きに斬りかかってきなさい」

「……減らず口を!」

 度重なる挑発に、騎士の怒りは臨界点に到達した。

 魔術の出力が上がる。

 剣に集う風の束は、最早局所的な竜巻だ。あんなものが解き放たれれば、ただでは済まない。

「おォォォッ!!」

 ヘイズが止めに入る暇もない。

 騎士は躊躇なく、上段から剣を振り下ろす。

 対する黒衣の女は、微動だにしなかった。寧ろ避ける必要などないとばかりに、ただ悠然と迫り来る剣を見つめている。

 刃先が掠めでもした瞬間に、きっと女は見るも無残な姿に変わるだろう。

 その場にいた誰もが、血飛沫の飛び散る凄惨な未来を幻視する。

 だが、それが現実となることは終ぞなかった。

「……は?」

 唖然とした声は騎士が発したものだ。

 だが彼だけでなく、きっとその場にいた誰もが、目の前で起きた事象を理解できなかった。

 何せあれ程までに荒れ狂っていた大気のうねりが、蝋燭の火でも吹き消すみたいに唐突に霧散したのだから。

 ややあって、からんと少し離れた場所で硬い何かが地面とぶつかる音がする。

 騎士の剣は、半ばから真っ二つに折られていた。

 混乱の極致にいるのだろう。間抜けな表情を晒すことも構わず、騎士は鉄屑と化した自らの得物を見下ろしている。

 驚愕したのは、ヘイズも例外ではない。

 ただし、その趣は他の面々とは些か異なる。彼だけは女が何をしたのか正確に理解していた。

(……魔術ごと、斬りやがったのか?ただの剣術で?)

 女の手には、いつの間にか抜身の太刀が握られていた。

 あれで騎士の剣を迎え撃ったことは明白であるが、抜刀の素振りが全く見えなかった。まるで虚空から取り出したのかと錯覚するような早業である。

 それだけでも凄まじいが、何よりヘイズを瞠目させたのは、彼女が一切魔術を使っていないという点だった。

 武器や身体能力の『強化』はもちろん、魔術を打ち破るための魔術――『解呪ディスペル』の類すら使っていない。

 即ち、彼女はただ純粋な剣術で以て、マルクトでも有数の魔導士の術を打ち破ったということに他ならない。

「……ふむ、こんなものですか」

 一方、余りにも予想外の光景に誰もが身動きを忘れる中、女は残念そうに嘆息した。期待外れだと、心底から落胆するように。

 そして極々軽やかな調子で、騎士の首目掛けて太刀を振るった。

 曰く、達人の攻撃は目で追えても避けられないという。女の一振りは正しくその類のものだった。

 衆目は呆然と、白刃が宙に描く軌跡を眺めることしかできない。

 我に返る頃には、騎士の首と胴体は鮮やかに分かたれるだろう。

 ――誰かが間に割って入ったりでもしない限りは。

「あら……?」

 中空に、火花が散る。

 女が目を瞬かせる前で、灰色の外套が翻る。

 騎士の首が刎ねられる寸前、ヘイズが彼女の太刀を短剣で弾いたのだ。

「……ああ、くそ。最悪、最悪だ。やってしまった」

 咄嗟だったとは言え、己の愚挙にヘイズは頭を抱えたくなった。

 これでも多くの修羅場を経験してきた身である。死にかけた回数など両手の指の数でも足りないし、その度に血反吐を吐きながら何とか乗り越えてきた。

 そんな自分の勘が告げている。

 この女はまずい、と。

 今まで相対してきたどの魔導士よりも危険だ、と。

 対して斬撃を弾かれた女は、興味深そうに闖入者であるヘイズを見回し――そのまま氷の上を滑るがごとく、音も無く肉薄してきた。

 恐らく、三度太刀が振るわれた。

 推測なのは、斬撃が殆ど見えなかったからだ。

 しかし、ヘイズの体は反射的に動いていた。思考するよりも早く、短剣を操り斬撃を防ぐ。

 内心冷や汗をかきつつも、表面上は努めて平静を装い、ヘイズは女を睨みつけた。

「……もう勝負は着いた。刃傷沙汰を起こしたいなら他所でやれ」

「うーん。先に殺す気で斬りかかってきたのはそちらの方ですし、魔術まで使ったのですから、斬り捨てられても文句は言えないと思いますが?」

「そんな物騒なルールなんぞ知ったことか。良いから解散だ。騒ぎを止めようとした奴が騒ぎを大きくするな」

「そうですねぇ……つい先程までであれば、それでも構わなかったのですが」

 女の口元が吊り上がる。まるで良質な獲物を見つけた肉食獣の様な、獰猛な笑み。

 それを目にした瞬間に、ヘイズは訳もなくぞっとした。ゆるりと太刀を無造作に構える女の姿が、酷く恐ろしい。

 本気にさせてしまったのだと、直感で理解した。

「困ったことに、少し興が乗ってしまいまして」

 言動と全く一致していない弾んだ声音と共に、女が再び太刀を振るった。

 咄嗟に短剣でそれを受け止める。先程とは比べ物にならない位重い。

「こ、んの――!」

 気勢を上げて、太刀を押し返す。

 しかし安心する暇はない。押し返された反動を利用して、女は既に次の斬撃を繰り出している。

 そこから先は、もう勝負ですらなかった。

 ヘイズに武道の心得はない。それでも女の太刀筋の一つ一つが、恐ろしく洗練されていることは理解できた。きっと見る者が見れば称賛の声を上げただろうが、受ける側にとってはたまったものではない。

 辛うじて凌ぐことが出来ているのは、一重に勘によるものだ。

 幾度となく潜り抜けてきた死線の経験が、体を無理矢理にでも適用させている。

 冷静に、冷静にとヘイズは自分に言い聞かせる。

 どうする?どうすればこの状況を覆せる?

 呼吸を乱すな、集中を切らすな。 

 別のことに思考を割けば、その瞬間に自分はあっさり斬られて死ぬ!

 けれども、永遠に続くかとさえ思える剣の舞は、唐突に終わりを迎えることとなった。

「お、おい貴様」

 罰の悪そうな声が、背後から割り込んだのである。

 きっと普段のヘイズであれば、聞き流していたであろう雑音。

 しかし極限まで高まった集中力と、割と切羽詰った精神が、彼の自制心という枷を容易く打ち壊した。

 ……ああ、鬱陶しい。

 そう思った直後には動いていた。

 ヘイズは自身の意識を搔き乱す何者かを排除せんと拳を固く握りしめ、

「うるさい邪魔だ後にしろ!」

「へぶぇッ」

 振り向きざま、思い切り殴り飛ばした。

 あ、と声を上げたのは果たして誰だったのだろう。

 何とも間の抜けた悲鳴と共に、ごろごろと地面を転がっていく青い人影。

 誰あろう、ヘイズが庇った『竜狩りの騎士団』の団員である。ようやく停止した頃には、男は白目をむいて完全に伸びていた。

 しん、と辺りに沈黙が降りる。

 何という凶行。

 傍から見れば、ヘイズは助けた相手を突然殴り飛ばした頭のおかしな男である。先程とは別の意味で、その場にいる者は一様に言葉を失っていた。

「ふ、ふふ……ふふふ……っ」

 不意に、くすくすと鈴を転がすような声が上がる。

 そちらを向くと黒衣の女が、愉快で仕方がないとばかりに笑みを零していた。

「ああ、残念。どうやら時間切れのようですね」

 未だ笑い冷めやらぬ様子ながら、女は太刀を鞘に納めた。

 先程までの圧倒的な迫力は何処へやら。

 その呆気なさは冗談かと思わず疑ってしまう程で、ヘイズは怪訝そうな目を向ける。

「早くこの場を離れる事をお勧めしますよ。怖い方々が来てしまいましたからね」

 ほら、と女がヘイズの背後を指した。

 つられて視線を転じると、人混みを掻き分けながら近付いてくる軍警局の隊員の姿があった。

「ようやく来たか……」

 とは言え余裕ぶっている暇はない。さっさとこの場を離れなければ。

 当事者になってしまった以上、彼らに捕まれば事情聴取と説教で長時間拘束されることは明らかだった。

「それでは、私はこれにて失礼します。後のことはお任せしますね」

 女はそう言って、高々と跳躍した。

 近場の建物の屋根の上に降り立つと、ヘイズの方に振り返る。

「ありがとう。貴方のお陰で、思いの外楽しい時間を過ごせました。縁があればまたお会いしましょう」

 まるで新しい玩具を見つけた子供のような、無邪気な笑顔を残して、女は屋根の上を走り去っていった。

 がやがやと周囲が喧騒を取り戻していく中、取り残されたヘイズは、当事者の一人であるジャケットの男に視線を投げる。

 彼はやれやれと肩を竦めると、わざとらしくあらぬ方向を向いた。

 行け、ということなのだろう。

 それに謝意を示しつつ、黒衣の女が去っていった方向を振り向いて、

「……いや本当、絶対に御免被る」

 最後にそう呟いて、路地裏へと飛び込むのだった。

 

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