2-10 波乱の夜会 其之四
「続いての品は絵画となります。こちらはかの流浪の画家、ピエール・ブリュッセルによって描かれたもので――」
競売会はエントランスの東側に隣接するサロンにて行われていた。
場内は十分な広さを備えているため、五十名にも及ぶ客人が一堂に会しても窮屈さは感じられない。最奥は一段高くなっており、オークショナーが木槌を片手に出品物の来歴を朗々と解説していた。
それを聞き流しつつ、ヘイズは無線機に口を近づける。
「こちらアンバー。A班からD班、状況を報告してくれ」
『こちらA班。異常ありません』
『B班、こちらも異常なし』
そうして全ての班からの報告を聞き届けて、ヘイズは疲れ気味に息を吐いた。もう何度も同じ行為を繰り返しているというのに、慣れる気配はない。
夜会が始まってから、既に一時間。今のところ怪しげな人物は見当たらず、催しは順調に進められていた。
「……おい門番の二人。定期連絡の時間だぞ、状況を報告しろ。どうした?」
すると、近くで同じように無線機に向かっていたエドワードが、表情を強張らせた。明らかに只事ではない様子である。
「何か問題でも?」
「……門番を任せていた奴らからの応答がねぇ」
その一言で、ヘイズは事態を理解した。
エドワードと共に、早足でブルーノとイヴの元に向かう。彼らは会場の真ん中で、酒杯を片手に賓客の一人と談笑していた。
「お話し中、失礼いたします。会長、至急お耳に入れたいことが」
「なんだ、エドワード。藪から棒に」
会話に横槍を入れられたブルーノが露骨に不満そうな顔をする。
しかしエドワードは構わず、彼を強引に会場の隅へ引っ張っていく。これから報告する内容を、間違っても客人に聞かせる訳にはいかないのだ。
「それで、一体どうしたんだ。随分と焦っているようだが」
「門番との通信が途絶えました。何者かが敷地内に侵入した可能性が高いです」
「なにっ?」
エドワードの言葉に、ブルーノが目の色を変える。横で聞いていたイヴも表情を険しくして、ヘイズに訊ねてきた。
「アンバー、貴方達の方でそれらしき人物は捕捉しましたか?」
「いえ、部下からそのような報告は挙がっておりません。恐らくまだ外をうろついているか、或いは西館に向かったものかと思われます」
ヘイズ以外の『アンブラ』のメンバーは、二人一組の計四班に分かれて会場周辺の警備に当たっている。
能力に関してイヴが太鼓判を押す彼らが、侵入者の存在を察知できないとは考え辛い。従って、相手の所在は自ずとこちらの目の届かない範囲に絞られる。
「会場に手を出してくる気配がない辺り、競売会を妨害する意図は無さそうですね……となると、ロッシーニ様個人に対する嫌がらせが目的でしょうか」
「現状を見る限りでは、その線が濃厚かと」
イヴと頷き合っていると、無線機に耳を当てていたエドワードが苦々しい顔で舌打ちする。
「お嬢さん方の読み通りのようです。たった今、会長の書斎近くを巡回していた者達からの応答がなくなりました」
どうやら相手も本格的に動き出したらしい。悠長に構えている暇は無さそうだった。
さて、どう動く?ヘイズはイヴに目配せした。
自分達の本懐からすれば、侵入者への対応は蛇足である。しかしここでブルーノに恩を売り、信頼を強固にしておいた方が、後々彼の犯罪を暴く際に何かと有利に働くだろう。
よってイヴの決断は早かった。毅然とした口調でヘイズに命じてくる。
「アンバー、各班に指示を出しなさい。直ちに西館へ展開し、賊を撃退せよと――」
「そ、それはならんっ」
だが、そこで待ったをかけたのは、あろうことかブルーノその人であった。
流石にここで口を挟まれるのは予想外で、ヘイズもイヴも面食らって彼の顔を凝視する。
「申し訳ありません、ロッシーニ様。それはどういった理由なのか、伺っても?」
「お、仰るように、賊共に競売会を邪魔する意図はないのかもしれません。ですがそれも、今の段階では推察の域を出ないでしょう。万が一に備え、まずは客の安全を確保するべきではないですかな」
狼狽した様子で、ブルーノは口角から泡を飛ばす。
なるほど、宴を主催する側からすれば尤もな言い分であろう。しかしヘイズには、彼の言葉に隠された意図が透けて見えるようだった。
警備の者が一斉に動き出せば、客人達に異変の発生を気取られる可能性がある。それは即ちブルーノの不手際を晒すも同義であり、引いては商会の看板に傷を付けることにも繋がりかねない
無論、ヘイズら部外者に余計な物を見せたくないという思いもあろうが、信用の失墜こそをブルーノは最も恐れているのだ。
要するに、自己保身である。
とは言え彼の気持ちも分からないでもない。下手をすれば、マルクトで商売を続けることが難しくなるかもしれないのだから。
なのでヘイズは内心で嘆息を零しつつ、代替案を出すことにした。
「では自分だけがウェイク氏に同行し、他のメンバーは引き続き会場の警備に残すというのは如何でしょう。これならば、ロッシーニ様の懸念も解消されるかと愚考いたしますが」
「し、しかし、君の穴埋めはどうするのだね?」
尚も食い下がるブルーノ。畳みかけるように、イヴが即答した。
「彼が空けた穴は私が補いましょう。警備主任ですから、元より心得はございます」
「むう……」
反論されたブルーノは、眉間に皺を寄せて黙り込む。やがて自身の中で折り合いが付いたのか、渋々といった風に口を開いた。
「分かりました。賊の数も分かりませんし、素直にお力を借りた方が良さそうですな。……そういう訳だエドワード。早々に不届き者達を片付けてこい。くれぐれも、秘密裡にな」
「承知いたしました」
かくして方針は固まった。あくまで自然な調子を装いながら、ヘイズはエドワードと会場の出口に向かう。
と、すれ違いざま、イヴが小さく耳打ちしてきた。
「念のため、貸しておくわ」
一瞬、イヴの影が意志を持つかのごとく伸びたかと思うと、ヘイズの影と重なり表面を波打たせる。
そう言えばセリカから話には聞いていた。イヴは変幻自在に形を変える、影の使い魔を従えていると。
「助かる」
短く礼を告げて、ヘイズは会場の外に出る。背後で扉が閉まるのと同時、堪え切れず言葉が口を衝いた。
「何と言うか……アンタ、本当に苦労してるんだな」
「……まあ、慣れっこさ。それにあの人には恩義もある。俺は黙って支えるだけさ」
苦笑するエドワード。諾々と従っているように見える彼も、ブルーノの態度には思う所があるらしかった。
「ロッシーニ会長の書斎は、確かに西館二階だったか?」
「ああ、俺が先導する」
迅速に、されど慎重な足取りで、エドワードとヘイズはエントランスの階段を上る。
競売会が行われているサロンを除いて、館内は不自然なほどに鎮まり返っていた。黒服達が巡回していた筈なのだが、今やその気配も全く感じられない。
「こりゃ奴さんは相当なやり手かもしれんな……」
エドワードが冷や汗を浮かべながら、踊り場に到達した時であった。
見上げた先、階段の終点で倒れ伏す人影を発見する。ロッシーニ商会の構成員だ。主だった外傷はなく、気を失っている様子だった。
「おい、大丈夫か!」
血相を変えたエドワードが、彼らの元に駆け寄る。
しかしその間際、ヘイズは物陰から何かが飛び出したのを視認した。
「下がれ」
ゆえにエドワードの襟首を掴み、無理矢理後ろへと引く。
直後、彼の眼前を鈍色の軌跡が擦過した。その正体は鋭さと頑健さを兼ね備えた、厚い造りの短剣である。
次いでヘイズはそれを握る者へと視線を移し、驚きに目を見張った。
「お前は……」
雨合羽のような頭から膝を覆う外套。頭巾の奥の顔は魔術による迷彩のせいではっきりと認識できない。
けれどもその異様な出で立ちに、ヘイズは酷く見覚えがあった。
数日前の夜、自分を襲撃してきた謎の人物。それが何故、この場所にいるのか。
「……」
外套の人物は無言でこちらを見下ろしながら、ゆるりと自然な素振りで得物を構える。
「野郎……!」
獰猛に牙を剥くエドワードの体から、霊素が迸った。
爆ぜるように跳躍し、一気に外套の人物へと肉薄する。頭部に狙いを定め、剛腕が大気を巻き込みながら振り抜かれた。
対して外套の人物は、ほんの数歩下がってこれを躱さんとする。彼我の間合いを把握した、完璧とも評せる回避行動だ。
目論見通り、エドワードの渾身の攻撃は空振りに終わり、彼は大きな隙を晒すことになる――かに思われた。
『っ!』
突如、外套の人物は弾かれたように大きく後退する。見れば顔を隠す頭巾の端に、深い切れ込みが走っていた。
「てめぇらが何者かは知らねぇが、無事に帰れると思うなよ!」
気が付くと、エドワードの肘から先を薄青い靄が覆っていた。否、正確には纏っているのだろうか。
巨大な腕の輪郭を象るそれは、表面に柔らかな体毛を備え、五指の先から鋭利な爪を伸ばしている。その姿はまるで、彼の一部だけが獣に変貌したかのよう。
エドワードが使った魔術の正体に、ヘイズは心当たりがあった。
獣化魔術。その名の通り、自身の肉体に獣の力を降ろすことにより、絶大な強化を獲得する神秘であった。
『……』
形勢の不利を悟ったのか。外套の人物は踵を返し、廊下の奥へ脱兎のごとく逃げ出していく。
「待ちやがれ!」
当然、エドワードはその背中を追いかける。ヘイズもまた困惑を抱えつつも、彼に続いた。
『……悪いが、貴様の相手は自分ではない』
低く、くぐもった声が、前方より発せられた。
外套の人物は走りながら半身だけ振り向いて、短剣を投じてきた。切っ先はエドワードを素通りし、ヘイズの元へ。
実に器用なことだが、この程度は牽制にもならない。ヘイズは腰から警棒を抜き放ち、飛来する凶器を難なく弾き飛ばす。
しかし、次の瞬間だった。
ヘイズの進路を遮るように、頭上から何物かが音もなく落ちてきたのである。
「なっ――?」
天井に張り付いていたのか。全く予期せぬ事態に、反応が遅れる。結果ヘイズは胸倉を掴まれ、窓へと力任せに叩きつけられることになった。
その衝撃に硝子はあっさりと砕け散り、支えを失った体が浮遊感に包まれる。
「坊主!?」
「構うな追え!」
立ち止まるエドワードに、そう叫ぶのが精一杯だった。直後、鳩尾に衝撃が叩き込まれ、地面へと真っ逆さまに墜落する。
このままでは頭から激突する。ヘイズは両腕で頭を抱え、全身に霊素を巡らせた。
「ぐッ――」
両腕から肩を抜ける鈍痛に、思わず顔が歪む。脱臼しなかったのは幸運と言えるだろう。が、悶絶している場合はない。直ぐに地面を転がって、降り注ぐ硝子片を回避する。
落とされた場所は裏庭であった。サロンからも離れているので、騒ぎが勘づかれる心配はないだろう。
そうして立ち上がるヘイズの眼前に、闖入者は軽やかに舞い降りた。
外套の人物と同じく、身元を隠した装いである。
だがしなやかで輪郭からして、恐らくは女なのだろう。その細く白い指が、腰に佩いた剣の柄を握る。
「どいつもこいつも、余程顔を知られたくないんだな」
吐き捨てて、ヘイズは油断なく警棒を構えた。
賊の数が不明である以上、すぐにでもエドワードの元へ駆けつけるべき状況である。
けれどもヘイズの勘が、強烈な危険を感じ取っていた。あの外套の人物も強かったが、目の前の女はその上を行くと。
そう思った矢先に、女が仕掛けてきた。身を低くして、滑るように疾走。抜き放たれた刃が、中空に鈍色の軌跡を刻む。
ヘイズは警棒に『強化』を施した上で、それを受け止める。速く、そして重い。
腕に力を籠め、剣を押し返せば女は即座に二撃目を放ってきた。今度は正中線を狙った刺突である。
「舐めるな」
定石通りであれば、これも得物でいなすべきだろう。
しかしヘイズは攻勢に転じるべく、相手の懐に飛び込んだ。迫る剣の真横を警棒で叩き、軌道を逸らす。
そうしてがら空きとなった女の胴に向け、警棒を振り抜いた。
手が空を切る感触。警棒が触れる寸前、女は突きの勢いに任せてヘイズの頭上へと跳んだのだ。
(大した身のこなしだな……!)
内心舌を巻きながら、背後に過ぎ去る影を追いかける。着地の瞬間を狙って、霊撃を乗せた警棒を叩き込む算段だった。
だが振り向いた先で、ヘイズは驚くべき光景を目にすることになった。
女が宙返りを決めたかと思うと、虚空に足場があるかのごとく身を屈めたのである。その姿は今まさに、こちらに突撃せんと力を溜めているようで。
それを認識した直後に、女が弾丸めいた勢いで飛び込んできた。
「ちっ……!」
魔術が作用したことは明白であるが、何という出鱈目な芸当か。咄嗟に警棒の軌道を変えて、迎え撃つ。
女もまた己の得物に霊撃を乗せていた。激突と同時に空間が震え、ヘイズは後方に弾き飛ばす。
無論、女も同様の結果を迎えたが、それでも攻め手を緩める気配は欠片もない。地に足が触れるや否や、即座に猛追してくる。
闘いの趨勢を客観的に見れば、こちらの方が明らかに劣っているだろう。が、何時までも主導権を握られっ放しというのは性に合わない。
ヘイズは後退しながら地面に散らばる硝子片を拾い上げ、女に投擲した。
所詮は小細工で、とても通用するとは思っていない。それでも少しでも霊素を練り上げるだけの時間が必要だった。
案の定、女は速度を全く落とすことなく、硝子片を剣で打ち払う。返す刃が再びヘイズの警棒とぶつかり、鍔迫り合いへともつれ込む。
互いの息遣いさえ感じられるほどの至近距離。仕掛けるには絶好の機会だった。
ヘイズは密かに握り込んでいた手を開く。そこに浮かぶは、仄かな光を放つ球体。
「弾けろ」
短く命じた瞬間、光球が膨張し炸裂した。
『照明』の魔術を暴走させたのだ。本来なら周囲を照らすだけの術式は、過剰な霊素を流し込まれたことにより、激烈な輝きを溢れさせる。
『っ』
外套の下で、女が驚愕に息を呑む気配があった。
咄嗟に目を庇い、即座に退避を選択する。妥当な判断だが、間近で光の洪水を浴びたために、その動作は精彩を欠いている。
盤面は覆った。女が初めて見せた隙に、ヘイズは好機と食らいつく。
普段と変わらぬ調子で踏み込むことができたのは、黒眼鏡のお陰だった。白く塗りつぶされた景色の中で、遠ざからんとする女の影を確と捉える。
ヘイズの渾身の蹴りが、女の体に叩き込まれた。が、相手も然るもので、霊素を巡らせた片腕を盾にして防いで見せる。
それでも衝撃は殺しきれず、両者は再び引き剥がされた。きっかり十歩分の距離を保ったまま、無言で睨み合う。
(今のでも駄目か。どんな反射神経していやがる)
内心で悪態を吐きながらも、ヘイズは女の立ち回りを冷静に分析する。
セリカのように根底に一定の理を置いている訳ではない。さりとて無軌道ということはなく、体捌きの端々からは洗練されたものを感じられる。
強いて言うならば、自分に近い。つまり幾つもの戦場を潜り抜ける中で研ぎ澄まされた、敵を確殺するための技巧。
さて、どうしたものか。ヘイズは思案する。
本当なら早急にこの場を離脱したいのだが、女の実力からしてそれは難しいだろう。
加えて今は身分を偽っているために、『愚者火』といった魔術の使用が制限されている。限られた手札で、果たしてこの女を出し抜けるのか……。
その時、遠くで何かが砕ける音がした。
『うん、今回はこんな所みたいだ』
唐突に女が口を開く。かと思えばあっさり構えを解き、剣を鞘に納めてしまう。その身に漲らせていた戦意も、完全に霧散していた。
「いきなり声を出して、正体を明かしてくれる気にでもなったか」
『そうしたいのは山々なんだけどさ。今はまだ駄目なんだよねぇ』
怪訝そうに訊ねてみれば、意外にも無邪気な声が返ってくる。先程までの苛烈な闘いぶりからの落差に、ヘイズは戸惑いを隠せなかった。
対する女はそんなことなどお構いなしで、その場で踵を返す。
『それじゃあ良い夜を。次はお互い素顔で会えることを願ってるよ。……ああ勿論、闘いの実力の方でもね』
「……!」
女が言い残した直後、風が吹いた。周囲の草木を薙ぐ程の疾風である。
巻き上がる砂塵が、視界を一瞬埋め尽くす。やがて風が収まった頃、女の姿は影も形も残っていなかった。
「……追いかけろ」
警棒をしまいながら、ヘイズは自らの足元に向かって命じた。影の中から一羽の鴉が浮かび上がり、空へと羽ばたいていく。
だが余り期待はしていなかった。あの女の実力からして、すぐに追跡に気が付くことだろう。
「くそ、幾ら何でも時間を取られ過ぎた」
手遅れとは感じつつも、ヘイズは落ちてきた窓へと跳んだ。
館の中へ戻り、廊下を一気に廊下を走り抜ける。間取りは警備のためにおおよそ頭に叩き込んでいたので、その場所には直ぐに辿り着いた。
ブルーノの書斎である。
室内は悲惨な有様だった。見るからに高級そうな調度品は壊れて床に散乱し、随所に争った形跡が残されている。
そんな嵐が過ぎ去ったような光景の片隅で、エドワードは壁に背を預けて座り込んでいた。
「ウェイクさん、生きてるか」
ヘイズが声をかけると、エドワードは「ああ」と呻き声を漏らした。
「俺は、なんとかな……だが面目ねえ、連中には逃げられちまった」
悔し気に語るエドワードも無傷ではなかった。体のあちこちに刃物が掠めた痕があり、こめかみからも血を流している。
思いの外意識ははっきりしているので、見た目ほど重篤ではなさそうだ。
ヘイズは懐中時計を確認する。競売会の終了まで、まだ十分な時間があった。
とりあえず後始末を早急に済ませて、事の仔細をイヴ達に報告しなければ。気が重くて仕方がないが、やるしかない。
エドワードに肩を貸しながら、ヘイズは内側から破られた窓へと目を向ける。
そこから流れ込む春の夜風を浴びて、こじ開けられた金庫が空しく蝶番を軋ませていた。
今回で主人公視点は一旦区切りとなります。
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