2-8 波乱の夜会 其之二
表通りを徒歩で往くこと約十分、ヘイズとイヴは商談場所に辿り着いた。
ロッシーニが経営する店舗の一つである。白を基調とした外観は単調な造りであるが、周囲の建物に埋没している様子は全くない。街の景観に溶け込みつつ、春の陽光を浴びて確かな存在感を放っていた。
「へえ。結構、客入ってるんだな」
ガラス戸越しに見える店内には、思いの外人がいた。
典雅な装いに身を包んだ、貴族と思しき婦人。恋人への贈り物に頭を悩ます中産階級の労働者に、背伸びして高めの品の購入を検討する若者。
一般的に宝飾店と聞くと、高級志向で近寄りがたい印象だが、幅広い客層を受け入れているようだった。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用向きでしょう?」
店内に足を踏み入れると、にこやかな笑顔と共に従業員が声をかけてくる。
「お忙しいところ失礼いたします。私、本日ロッシーニ様との面会を約束しておりました、カミラと申す者なのですが」
偽りの身分を被ったイヴが折り目正しく名乗りを上げる。従業員の方もこちらの来訪は耳にしていたようで、一段と表情を明るくした。
「お待ちしておりました、カミラ様。応接室までご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
従業員に先導され、ヘイズ達は階段を上がる。
通された部屋はゆとりのある落ち着いた空間となっていた。特筆すべきは壁に飾られた数点の風景画だろう。ロッシーニは骨董品に目がないという話であるので、恐らく描かれてから相応の年月を得た作品と思われる。これが彼にとって客に対する最大限のもてなしという訳だ。
「それではブルーノを呼んで参ります。しばしこの部屋でおかけになってお待ちくださいませ」
部屋の扉が閉じられ、足音が遠ざかる。
それを確認して、イヴが無言で視線を投げてきた。彼女の意図を察したヘイズは、首を横に振る。
とりあえず、この部屋に魔術が仕掛けられている形跡はない。イヴ自身、その事には気付いていただろうが、念のため裏を取っておきたかったのだろう。
正直監視か、盗聴くらいはされても可笑しくないと考えていたのだが、やや肩透かしの感がある。
豪胆なのか、はたまた警戒心に欠けるのか。
そうしてイヴとも会話がないまま待っていると、部屋の外から人が近付いてくる気配がした。重い、男の足音が二つ。
「お待たせして本当に申し訳ない」
ノックの後にまず入ってきたのは、恰幅の良い男だった。
目元に刻まれた皺に、撫で付けられた白髪。歳はもう老年に達するだろうか。肥満気味の体型ながら身なりは小奇麗で、宝石をあしらった指輪を嫌味なく嵌めている。
面差しにも抜け目なさが垣間見え、総じて商人らしい風体であった。
この男こそがブルーノ・ロッシーニ。今回の商談相手である。
「……」
が、ヘイズの意識はブルーノよりも、彼の背後に控える人物に釘付けにされた。恐らくは護衛なのだろう。
浅黒い肌をした、巌のような男である。
背広越しでも分かる、筋骨隆々たる肉体。刺々しい眼光は、ヘイズ達の指先に至るまでを油断なく伺っている。
何より強烈な印象を受けるのは、右頬から首筋にかけて残った傷痕だろう。
そんな男の姿にヘイズは何故か、過酷な野生を生き抜いてきた猛々しき虎を連想した。
「お初にお目にかかります。私、『マモン・セキュリティ』の警備主任を務めております、カミラと申します」
黒服の男から伝わる迫力は、常人ならば委縮は避けられまい。しかしイヴはまるで意に介した素振りもなく、爽やかな笑みを浮かべて名刺を差し出した。
ブルーノとしても彼女の態度は意外に映ったらしい。感心したように目を見張り、居住まいを正す。
「これはご丁寧に。改めて、ブルーノ・ロッシーニです。後ろの彼は?」
「部下のアンバーと言います。私が預かる部隊にてリーダーを務めております」
初めて聞く話だった。とは言えそれを表に出す訳にもいかず、ヘイズはしかつめらしい顔で会釈しておく。
「左様でしたか。お二人共お若いようですが、優秀なのですな。特にカミラ殿は大変お美しい」
「まあ、お上手ですね。ロッシーニ様もますますご清栄とのことで。先ほど店内を通った際、魅力的な品揃えについ足を止めてしまいそうになりました」
「ははは、貴方のような女性にそう言って頂けるのであれば、冥利に尽きますな。よろしければ、帰りがけにじっくりと見て行ってください」
和やかに談笑する両者。とりあえず第一印象は好感触のようである。
黒服の男が放っていたひりついた気配も、いつの間にか薄らいでいた。あの威嚇とも取れる態度は意図的なものであったらしい。つまり商談をするに値する相手として、ヘイズ達は認められたのだ。
それでもなお警戒の色が見て取れるのは、彼らが犯罪を自覚し露見を恐れているからに他ならない。よって今回の交渉は、こちらを如何に信頼させるかが要となる。
「さて」
会話が一区切りついたところで、ブルーノが真剣さを増した眼差しをイヴへと向けた。
「明後日開かれる競売会の警備に、御社から人を提供したいという話でしたな?」
「はい、ご認識の通りです」
イヴはにこやかな表情から一転、物憂げな様子で続ける。
「聞けば近頃、ロッシーニ様の躍進を快く思わない輩が、度々妨害を差し向けているのだとか。またそのせいで、競売会で動員できる人数も不足していると聞き及んでおります」
事前の調査によれば、ブルーノ・ロッシーニは謀略の繰り返しによって成り上がってきた男である。
ゆえに多方面に敵を作っており、他商会と血が流れる程の激突を繰り広げることも珍しくないそうだ。その点に関しては完全に因果応報であり、本人も宿命として受け入れているだろう。
だが苛烈な攻撃に晒されてなお、彼が現在の地位を維持できているのは、政財界に顔が利けばこそ。
つまり社交場としても機能する競売会は、ロッシーニ商会にとっては生命線に他ならず、同時に急所でもある。となればブルーノに恨み持つ者達が、そこに狙いを定めるのは当然の帰結であった。
「いやはや、よくご存知で。自身の不徳を恥じ入るばかりです。……因みに、その話はどちらから?」
「弊社独自の情報網から、とだけ。申し訳ありません、詳細は社外秘になりますので、ご寛恕頂きたく存じます」
「ああ、別に気分を害している訳ではないのですよ。しかしなるほど、良い耳をお持ちのようですな」
「恐れ入ります」
実際はシャロンから買った情報なのだが、イヴは敢えて口にしない。その方が『マモン・セキュリティ』という企業には、マルクトの情勢を掴むだけの力があると演出できるからだ。
「弊社と致しましても、ロッシーニ様程の商人が心無い輩によって不利益を被るのは見過ごせません。つきましては競売会が当日つつがなく運営できるよう、微力ながら私の管理する部隊にて支援させて頂きたいと考えております」
「ふむ……」
ブルーノは顎に手を添え思案する。ややあって結論を出したのか、
「この際、腹を割って話そうではありませんか」
と、提案してきたのだった。
「カミラ殿が仰った内容は事実です。確かに我々は他商会からの度重なる邪魔のせいで動かせる人員が減っており、競売会の警備にも不安がないと言えば噓になる。万が一の場合に備えるのであれば、御社の申し出を受けるべきなのでしょう。ですが――」
探るようなブルーノの視線が、イヴを射貫く。
「果たして貴方がたが本当に信用を置ける相手なのか、現時点では測りかねますな」
「……つまり、こういうことでしょうか。ロッシーニ様と取引をすることで、弊社がどういったメリットを得るのか、明らかにせよと?」
イヴの質問に、商人は無言で肯定する。
「先日、商談のお約束をしてから、御社のことを少し調べさせて頂きましたよ。同業他社と比較すると従業員数自体は多くありませんが、業績は安定しており、東部の都市国家複数に対して事業を展開している。一方で、我が商会は所詮マルクトという井の中の蛙。自分で認めるのは業腹ですが、御社と比較すれば弱小も良いところでしょう」
苦笑を交えながらも、ブルーノは切り込むように弁舌を振るう。
「にも拘わらず、御社は私共と取引をしたいと仰る。一体どんな裏事情があるのかと、疑念を抱くのは当然ではありませんかな?」
「……」
応接室が静まり返る。交渉の席に座す両者は瞳を合わせたまま、一言も発さない。
「……ご慧眼、おみそれしました」
やがて、降参とばかりにイヴが肩を竦めた。
「ではお言葉に甘えて、正直に申し上げますが。現在、弊社は更なる顧客開拓のため、大陸西部への進出を狙っております。ですが足元が疎かでは、何事も上手く運びません。よってまずは諸国への玄関口であるこのマルクトへと根を下ろし、より盤石な体制を整えたいと存じます」
「要するに、我々は踏み台に過ぎないということですかな?」
「ご冗談を」
ブルーノの懸念を、イヴは間髪入れず一笑に付す。
「人脈の宝庫とも呼べる場を定期的に開くことができる商人など、マルクトでもそういらっしゃらないでしょう。そんな貴重なお方とのご縁を、ただの一度の取引で終わらせるというのは余りに愚策……違いますか?」
「……ふ、いや全くその通り。私が貴方と同じ立場なら、あらゆる手段を講じて関係を保とうとするでしょうな」
イヴの答えを聞いたブルーノは、口元を釣り上げる。権謀術数の渦を生き延びてきた者に相応しい、狡猾さが前面に表れた顔であった。
「御社の事情はよく分かりました。競売会を滞りなく運営するためにも、是非ともお力添え願いたい」
「……!ありがとうございます。それでは早速ですが、契約内容の詳細を――」
ぱっと喜びに表情を華やがせるイヴ。しかしそれに水を差すように、ブルーノが冷静に告げた。
「ああ、お待ちを。契約を結ぶ前に一つ、我がままを申し上げたいのですが」
「なんでしょう?私に対応できることであれば、何なりと」
「感謝します。では、お言葉に甘えて」
ブルーノがそう口にした瞬間であった。
今の今まで、彼の背後で影に徹していた黒服の男が、突如として動いたのだ。
爆ぜるような接近と跳ね上がる右足。風を切る蹴りは欠片の躊躇もなく、イヴの側頭部へと狙いを定めていた。
前後の脈絡をまるで無視した、一方的なまでの不意打ち。だが。
「……!」
男の瞳が、驚嘆に見開かれた。
イヴのこめかみに爪先が触れる寸前、割り込んだ掌に受け止められたためだ。
それを当然のように成し遂げたのは、他ならぬヘイズである。
骨を揺さぶるような強烈な衝撃に、彼は眉間に皺を寄せる。打ち所が悪ければ、大怪我を負う程の威力だった。
一体これはどういう了見なのか。ヘイズは爪先を握ったまま、戦意を漲らせる男と冷たく睨み合う。
だが一触即発の空気は、イヴが放った一言によって霧散した。
「お眼鏡には叶いましたでしょうか?」
「ええ、十分検めさせて頂きましたとも。……エドワード、下がって良いぞ」
エドワードと呼ばれた男は頷くと、足を床に下ろして元の位置に戻っていく。
そこでようやく、ヘイズも事の次第を把握できた。つまり、試されたのだと。
「お前の感想はどうだ、エドワード」
「……今のを防がれた以上、自分に意見はありません。助っ人として雇うには、非常に心強いかと」
「なるほどな」
ブルーノは満足げに頷いた後、イヴ達に向かって深々と頭を下げる。
「突然の暴挙、心よりお詫び申し上げる。ですが私としてはどうしても、貴方がたの実力を目の当たりにしておきたかった」
「どうかお気になさないでください。寧ろこの程度でロッシーニ様からの信用を買えたのであれば、儲けものでしょう」
身の危険に晒されたにも拘わらず、イヴは涼し気に微笑を返す。
「それにしても、ロッシーニ様もお人が悪いですね。いきなりお試しになるんですもの」
「いやはや失礼いたしました。しかしその割には、余り驚いていらっしゃらなかったようですが?」
「これでも民間警備会社で働く身ですから。それなりの荒事は経験しておりますわ」
和気藹々と会話に興ずる二人を尻目に、ヘイズは脱力するように嘆息した。不意打ちを受けた時、もしや正体がばれたかと緊張したのだが、とんだ徒労に終わったらしい。
ふと顔を上げると、エドワードがじっとこちらを見つめていた。物憂げなその目は本当に申し訳なさそうで、先の行動が不本意であったことがありありと伝わった。
彼も上司の気まぐれに振り回されているのだろう。自分にも思い当たる節が多々あって、ヘイズは同情の念を禁じえなかった。
「それでは改めて、各種条件を取り決めたいと存じますが、よろしいでしょうか?」
「もちろん。お手柔らかにお願いしますよ」
商談が再開する。
果たして無事に契約が結ばれたのは、そこから半刻後のことであった。
◇◇◇
「それでは当日、よろしくお願いますよ」
「ええ、最善を尽くさせて頂きます」
上機嫌そうなブルーノに見送られ、ヘイズとイヴは共に宝飾店を後にした。
気が付けばもう夕刻だ。春らしい暮れなずむ空の下、摩天楼が寂しげな陰影を落としている。
「さて」
家路を行く人々の中に紛れながら、歩き出す。
やがて路地裏へと進路を曲げる間際、ヘイズはさりげなく背後へと視線をやった。
尾行者の姿はない。それを確認してようやく緊張を解いた。
「あー、肩が凝った……」
疲労の籠った呟きがつい口から零れる。有事の際に備えて神経を尖らせていたこともあり、解放感が凄まじい。
と、そこでイヴが難しい顔を浮かべていることに気が付く。
「どうした、カルンハイン。何か心配事が?」
「いえ……」
どこか戸惑いがちに、イヴは口を開いた。
「まさかこうもすんなり契約を結ぶことができるとは、思っていなかったから。正直、開口一番で断られることを覚悟していたし」
「……言わんとしていることは分かる」
如何に偽りの身分を緻密に纏っていたとしても、自分達はブルーノにとって突然現れた部外者だ。
にも拘らず、懐に招き入れることを平然と許容するなど、彼の立場を鑑みれば些か恐れ知らずと言える。
証拠を隠蔽しきるだけの自信があるのか。それとも、別の意図があるのか。
「罠か?」
「分からない。けれど、警戒はしておいた方が良いとは思う」
ヘイズとイヴは神妙な面持ちで頷き合う。
賽は既に投げられてしまった。ならば相手にどんな思惑があろうとも、最善を尽くすしかないのだ。
「とりあえず、今日はこの辺りで区切りとしましょう。明日は競売会に備えて準備をしないといけないし、帰ってゆっくり休んで頂戴」
「ああ、お疲れさん。……と言いたいところなんだが、カルンハイン」
「?何かしら」
「少し早いかもしれないが、この後空いてるなら夕飯でもどうだ?奢るよ」
「…………どういう風の吹き回し?」
信じられないとでも言いたげな疑惑の眼差しを浮かべるイヴ。
ヘイズ本人もらしくない真似をしている自覚はあるのだが、そこまで意外なのだろうか。それはともかくとして。
「今日の交渉は全部、お前に任せっきりだっただろ?俺は結局、ずっと突っ立っていただけだったし。だから、なんだ……その労いってやつをさせて欲しいんだが」
「何もしていない、ということはないと思うけど……?」
不思議そうにイヴが首を傾げる。恐らくブルーノの腹心の蹴りを阻んだ時のことを指しているのだろう。
だがヘイズからすれば、あの程度は役に立った部類には入らない。
「あれは対象外だ。大した手間もかからなかったし、何より仕事への貢献度が段違いだ」
妙に気恥ずかしくて、ついぶっきらぼうな口調になってしまう。そんなヘイズをまじまじと眺めたイヴは、やがて小さく微笑んだ。
「分かったわ。そういうことなら、同席させて貰おうかしら」
「決まりだ。食いたい物のリクエストはあるか?」
「……そうね、実は前々から行ってみたかった店があるの」
イヴの表情に、僅かにからかうような色が滲む。
もしや早まったか。自分から言い出した癖に、若干後悔するヘイズであった。
因みに。
どんな高級店に連れていかれるのかと戦々恐々としていたヘイズであったが、イヴが向かった先は意外にも『カメリア』であった。
何でもセリカとテオドアが最近通い詰めているという話を聞き、訪れる機会を伺っていたらしい。
当然入店するや否や、ヘイズが新しい女を連れてきたと、常連達に囃し立てられることになったのだが……あくまでも余談である。




