2-7 波乱の夜会 其之一
「集合場所は、ここか」
競売会を明後日に控えた午後。
季節を無視した薄ら寒さを残す路地裏にて、ヘイズは人を待っていた。
彼の服装は普段とは異なり、背広姿である。些か目付きと覇気に難があるものの、辛うじてビジネスマンと見えなくもない。久々に首に巻いたネクタイが何とも窮屈だった。
路地の入口の方に目を向ければ、明らかに上流階級と分かる出で立ちの人々が闊歩している。
ヘイズが住まう街区は下町的な風情が強いが、この辺りは富裕層向けの商店が並ぶため、どことなく雰囲気にも品がある。
仕事以外では殆ど立ち寄らない場所なので、新鮮な光景だった。用事が済んだら適当に散策でもしてみようか、などとぼんやりと思う。
「お待たせてしまって申し訳ありません。ヘイズ・グレイベルさんですよね?」
すると、はきはきとした女の声が、背後から浴びせられた。ヘイズは反射的に振り返り、訝し気に眉を顰める。
「……そうだが。アンタ誰だ?」
立っていたのはパンツスタイルのスーツを着た美女である。
暖かみのある飴色の髪と瞳。唇にうっすらと差した薄い桃色が、颯爽とした容姿の中に女性らしい艶やかさを与えている。ぴんと真っ直ぐ伸びた背筋といい、やり手の秘書といった風情の人物だった。
だが記憶を紐解いてみても、ヘイズに彼女と面識を持った覚えはない。加えて僅かに漂う、魔術の気配。声をかけてきた場面も含め、怪しむなという方が無理な話だった。ゆえに視線も鋭く、今一度問い質す。
「もう一度聞くぞ、アンタは一体何者だ」
「……」
事と次第によっては矛を交えるつもりで、ヘイズは相手の答えを待つ。
しかし返ってきたのは、予想だにしない反応であった。女はしばし押し黙った後、
「……ふむ。貴方が見抜けないのなら、ロッシーニ氏には変装していることさえ気付かれないでしょうね」
と、聞き覚えのある声音を発したのである。
途端、彼女の顔から温度という温度が消え失せる。代わりに浮かび上がるのは彫像のごとく美しくも、冷然さを湛えた無表情。
気付けば秘書然とした女の姿はどこにもない。ヘイズの眼前に静かに佇んでいるのは、紛うことなくイヴ・カルンハインその人であった。
「……その、余りじろじろ見ないで貰いたいのだけど」
唖然としていたとは言え、露骨に顔を眺め過ぎたらしい。イヴが居心地悪そうに眉を顰めたため、ヘイズはすぐに視線を逸らす。
「悪い、不躾だった。しかしなんだ……大した役者だな」
混じり気なしの本音である。それくらい見事な演技だった。
顔付や声音はもちろん、息遣いに至るまで、イヴという人物を感じなかったのだ。加えて髪も瞳も別の色になっているものだから、例え知人であっても一目で彼女の正体を見破るのは困難だろう。その変貌ぶりは最早"演技"を超えて、"変身"と評しても差し支えあるまい。
「それだけ上手ければ、演劇の道でも充分食っていけるんじゃないか?」
なるほど諜報に長けているという話は本当だったかと、しきりに称賛するヘイズ。
しかしながら、それを受けてのイヴの表情は芳しくなかった。彼女は珍しく、ややむっとしたように口元を曲げると、釘を指すように反論する。
「そんな失礼なこと、言わないで。私の演技は所詮、相手を騙すためのものだもの。誰かの心を揺さぶるような、芯が通っていないわ」
そう口にするイヴの眼差しには嫌悪と自嘲が入り混じった、複雑な感情が渦巻いているように見えた。
事情は皆目不明であるが、不況を買ってしまったことには違いない。ヘイズは素直に非を詫びる。
「えっと、なんか悪かったな。その気はなかったんだが、お前の矜持を傷つけたらしい」
「……こちらこそ、ごめんなさい。私が変に拘っているだけだから、気にしないで」
一転、イヴは申し訳なさそうに目を伏せてしまった。
……沈黙である。実に気まずい。
やはり彼女との距離感を掴むには、まだ時間がかかりそうだ。とりあえず踏み込んではならない線が見えたのは、一歩前進と捉えて良いだろう。当分は行動を共にするのだし、信頼関係を損なわぬよう、気を払わなければ。
ヘイズはそう決意しつつ、重い空気を搔き消すべく、本題を切り出した。
「それで、こんな所に、こんな格好で呼び出した理由はなんなんだ?例の仕事絡みだとは分かってるんだが」
昨夜のことだ。ヘイズが『カメリア』の自室で休んでいる所に、突然書状が届けられたのだ。それも窓枠から、使い魔と思しき鴉が差し込んできたものだから、大層警戒したものである。差出人にイヴの名前がなければ、間違いなく不審物として処分していただろう。
そうして紙面に目を通してみれば、記されていたのはどこそこに、いつ、どんな服装で来て欲しいという簡潔極まりない要求のみ。肝心の目的については全く触れられていなかった。
ここ最近の出来事を鑑みれば、明日の競売会に関する内容であるのは明白であるが、背広の着用を指定されたのが不可解だ。そのためイヴの真意を明らかにして欲しい所であったのだが。
当の本人は、一体何が疑問なのかとばかりに、小首を傾げる有様だった。
「昨日言ったでしょう。ロッシーニ氏と商談をしに行くと」
「……は?」
ヘイズは目を瞬かせる。いや、確かに言っていたけれども。
「まさかとは思うんだが、今から?」
「事前約束はもう取り付けてあるから。今から私達は民間警備会社、『マモン・セキュリティ』のカミラとアンバーよ。さあ行きましょう」
「待て待て待て待て」
きびきびと歩き出したイヴを、ヘイズは慌てて引き止める。
「何?」
「話が急展開過ぎるんだよ!商談しに行くのは構わんが、まずは情報共有をさせてくれ」
抗議すると、露骨に面倒臭そうな顔を浮かべられた。自分が悪いのだろうか。
だが仕事の方針に意義はなくとも、足並みを揃えるための準備はヘイズにも必要だった。それも商人相手に交渉に臨むと言うなら猶更である。
なので浴びせられる不満げな視線に耐えつつ、ヘイズは問いかける。
「一つ目、事前約束はどうやって取ったんだ。昨日の今日だろ?」
「シャロンさんを経由したらすぐに取り付けられたわ。もちろん、私達の正体は伏せて貰った上でね。……少しばかり、口止め料が嵩んでしまったけれど」
「蒐集家同士の繋がりを利用した訳か」
加えてシャロンは過去、ロッシーニと取引をした可能性が高いという話でもあったし、仲介役として適任だろう。イヴの方策は合理的だと納得できる。
「次。俺たちは一体、どういう立場でロッシーニと会うんだ」
『マモン・セキュリティ』なる企業の一員として振舞えば良いのは分かった。が、現状分かっていることはその程度で、演じるにしては心許ない。ぼろを出すのを防ぐためにも、役柄に関する具体的な情報が必要だ。
するとそこは流石に説明不足と感じたのか、億劫がりつつもイヴは答えてくれる。
「『マモン・セキュリティ』はマルクトの東部、都市国家ブラーナに本拠を置く民間警備会社よ。いわゆる少数精鋭の企業で、社員数は現在150名。主な業務内容は都市国家や隊商の護衛。業界内での評価付けは、中の上といったところかしら」
「身分を偽るだけにしては、偉く詳細な設定が出てきたな……」
いや寧ろそこまで役を作り込まなければ、権謀術数渦巻くマルクトで内偵などできないということなのか。
呑気に得心するヘイズであったが、それをイヴは明確に否定する。
「設定じゃないわ。今挙げたのは、全て事実よ」
「……つまり本当に存在する企業と、社員の名前を借りるってことか?」
「借りる、という表現は不適切ね。『マモン・セキュリティ』は、『アンブラ』が他国で活動できるように用意した隠れ蓑の一つなの。だから企業としての実態は伴っているし、業績も挙げてるわ」
語られた事実に、ヘイズは面食らった。
偽装のためだけに会社を興し、経営する?
恐らくヴィクターの方針なのだろうが、徹底しているにも程があろう。理屈はともかく、しがない小市民のヘイズからすれば途方もない話だった。
「因みにカミラとアンバーという人間も、本当に籍を置いているわ。まあ社員名簿に名前が追加されたのは、昨日なのだけど。一応、5年前から勤務していることになっているから」
「はぁ……なんと言うか、金を持ってるってのは、羨ましいね」
改めて突き付けられた『アンブラ』の財力に、驚嘆を禁じえぬヘイズ。先月、ヘイズの莫大な負債をあっさり肩代りできたのも納得である。
「質問は終わり?」
「いや、最後にもう一つ。俺は何をしたら良い?」
寧ろこれが一番肝要だった。
ヘイズとて、魔導士として各地を放浪してきた身だ。時に法外な価格で仕事を持ってきた依頼人と、報酬の交渉をした経験もある。
しかし、ここは商人の都マルクト。日夜熾烈な利権争いを繰り広げる彼ら相手に振るえるだけの舌鋒は、流石に持ち合わせていない。よってロッシーニとの商談の場において、ヘイズは置物以上の役には立たないと思われた。
「ヘイズ君は基本、私の後ろで控えていてくれるだけで良いわ。貴方を連れて行くのは、万が一のためだから」
「それはロッシーニに俺達の正体が割れていた場合に備えて、という意味か?」
「ええ。彼は今、犯罪行為に手を染めている真っ最中。必然、自身に接触を図る者に対して警戒の度合いを高めているでしょう。彼に『アンブラ』の内情を把握するだけの網があるとは思えないけれど、保険をかけておくに越したことはないわ」
イヴはそこで言葉を区切り、あとはまあ、と口元を綻ばせた。
「護衛を連れていた方が、それらしいでしょう?」
どこか茶目っ気を滲ませた、可憐な微笑。不意打ち気味のその表情が酷く意外に思えて、ヘイズはつい視線を奪われそうになった。
「あー、とりあえず聞きたいことは全部聞けたよ。悪かったな、手間を取らせて」
「別に構わないわ。私も配慮が欠けていたと思うし。……それにしても」
唐突に、イヴはヘイズの顔を値踏みするみたいに凝視し始める。
「汚れでも付いてるか?」
「いえ、そういうことではないんだけど。貴方の瞳、少し特徴的ね」
「そりゃどうも……?」
困惑するヘイズを他所に、イヴは背広の内側を探り始めた。やがて取り出されたのは、飾り気のない黒縁の眼鏡。
「念のため、これをかけて貰えるかしら」
「はあ……ん?何か魔術かかってるな、これ」
「微弱ではあるけれど、認識阻害を付与してあるわ。ある程度人相をぼかして、記憶に残りづらくしてくれるはずよ」
「ふうん……」
促されるまま、ヘイズは眼鏡をかけてみる。
度は入っていないものの、やはりレンズに隔てられた視界に若干の違和感を覚えた。まあ使っている内に、慣れてくる範疇だろう。
すると、自分を見るイヴの表情がどこか苦々しいことに気が付く。
「今度はどうしたんだ。着け方が間違ってる、なんてことはないだろ?」
「……その、気を悪くしないで欲しいのだけど」
イヴがおずおずと遠慮がちに口を開く。
「ヘイズ君はもう少し、目付きを優しくした方が良いと思う」
「……似合ってないなら、率直にそう言ってくれませんかねぇ」
何だかどっと体力を使った気がして、ヘイズは深々と嘆息する。
「どうかしたの?妙に疲れた顔をしているように見えるわ」
「……『アンブラ』の連中は、どいつもこいつも人を振り回さないと気が済まない趣味でも持ってるのか?」
「……ごめんなさい。ヘイズ君が何を言いたいのか、よく分からなくて」
大真面目に訊ね返されてしまっては、もう黙るしかなかった。
とりあえずここまでの会話の中で、イヴに関して分かったことがもう一つ。この女もまた、セリカと同じく一筋縄ではいかないようだ。
「約束の時間も近づいているし、そろそろ向かいましょう」
「仰せのままに……」
かくして二人の魔導士は、商談という名の戦場へと赴く。
明けましておめでとうございます。
そして前回更新から間が空いてしまって申し訳ございません。
次はもう少し筆を早めたいと思います。
最後に、本年も拙作をよろしくお願いいたします。




