2-6 異変の予兆 其之三
「やあやあ、直接会うのは何だか久しぶりだねェ」
ヘイズが部屋に入るなり、芝居がかった口調でヴィクター・ガスコインはそう言った。
大陸屈指の賭博場、『カジノ・アヴァリティア』。その最上階に位置する、支配人の執務室である。
ただし、仰々しい枕詞の割には質素な造りだった。
端的に調度品が少ない。目に付く物と言えば、壁一面に設置された隙間なく本を詰め込んだ書架と、艶やかな色合いを帯びた木製の机。それから来客用の革張りのソファといった具合で、殺風景とさえ呼べるだろう。
「最後に顔を合わせたのは、二週間くらい前でしたかね。他国由来のシンジケートを壊滅させる仕事を請け負って以来ですか」
「ああ、研修期間の区切りとして任せたアレだね。いやぁ君が彼らを完膚なきまでに叩き潰してくれたお陰で、同じく進出を狙っていた組織にも良い牽制になったよ。君の有用性を、公社に売り込むこともできたしね」
と、上機嫌そうに笑うヴィクターの姿をヘイズは改めて見やる。
丁寧に撫で上げられた白混じりの髪に、一部の隙もなく整った衣服。眼鏡の奥に光る切れ長の双眸も相まって、学び舎で教鞭を執っていたとしても何ら違和感を覚えまい。
一見すれば、正しく老紳士そのものといった風体だ。
だがその実体は『カジノ・アヴァリティア』の支配人にして、マルクトの裏社会を震え上がらせる『アンブラ』の総帥という二つの顔を持つ人物であった。
「で、今日はまた何の用なんです?錚々たる顔ぶれが揃っているみたいですが」
言って、ヘイズは先に部屋で待っていた面々を見回す。
まずはすっかり馴染みの顔となったセリカ、テオドア。そして最後の一人は、実に一月ぶりの再会であろうか。
黒いケープに身を包んだ女である。髪と瞳は夜を溶かしたかのような艶めいた闇色。その美貌には硝子細工めいた儚さと、浮世離れした雰囲気が完璧に両立している。
イヴ・カルンハイン。それが女の名であった。
「ようヘイズ、この前の飲み会ぶりだな」
そんな風にテオドアが挨拶をすれば、待っていたぞとばかりにセリカも涼し気な微笑を向けてくる。
対照的にイヴはあくまで押し黙ったままだった。ぴくりとも表情を動かすことなく、僅かにヘイズへ視線を寄越すのみ。
彼らは『アンブラ』において、屈指の実力者と目される面々である。それが一堂に会するなど、正直嫌な予感がして仕方がない。
ヘイズはやや躊躇いがちに、手招きするセリカの隣に並び立った。
「さて、それでは全員揃ったことだし。早速本題に入るとしようか」
姿勢を正したヴィクターが、話を切り出す。
「君達を呼んだのは他でもない。実は二件ほど、厄介そうな案件が舞い込んできていてね」
「げぇ……」
露骨に嫌そうな顔を浮かべるヘイズを華麗に無視し、ヴィクターは机の引き出しから二枚の書類を引っ張り出した。
「まずは一件目、これは先日セリカ君とヘイズ君に対応して貰った仕事に関連する内容だ。現在マルクトの随所で起こっている亡霊の活発化……これの原因の調査、及び解決だ。依頼元は軍警局だから、彼らと連携して捜査を進めることになる」
続けてもう一枚の書類に目線を移したところで、ヴィクターはお道化た口調で言った。
「そして次の案件はなーんと驚き。こちらは久方ぶりの公社のトップ、我らが市長からのオーダーでございます」
途端、室内の空気に緊張が走った。
『公社』というのは、マルクトの管理、運営を司る行政機関の名称だ。その頂点に立つということはつまり、都市内における最高権力を握っているに等しい。
そんな大層な人物からの依頼など、碌でもないに決まっている。セリカ達が幾ばくか目付きを鋭くしたことからも、それは明らかだった。
「内容は端的に言うと、内偵調査だねェ。三日後に開かれるブルーノ・ロッシーニ氏主催の競売会へ潜入し、出品物と参加者を記録せよ、とのお達しだ」
「……ロッシーニ?どこかで聞いたことがあるような」
ヘイズが首を傾げると、セリカが横から補足を加えてくれる。
「マルクトを拠点に活動する宝石商の一人ですね。彼が経営する商会自体は業績や規模も含め、市内でも中堅に位置しますが、古物の蒐集家としてはその界隈で広く名が知られています。もしかしたら、シャロンさんと過去に取引があったかもしれませんね」
「なるほどな……で、そいつは一体どんな馬鹿をやらかしたんです。内偵調査なんて言葉が出るからには、疑いを向けられるだけの根拠があるんでしょう?」
身も蓋もないヘイズの言に、ヴィクターは苦笑を浮かべた。
「元々、素行がよろしくない人物ではあったんだよ。他の商会への妨害工作として、魔導士もどきのチンピラをけしかけたりね。まあその位なら、マルクトでは珍しいことじゃなし、放っておいても良かったんだが……問題は彼の趣味の方でね。最近はどうも、その欲求が暴走しがちらしい」
迂遠な言い回しだったが、セリカには伝わったらしい。彼女は得心したように頷くと、
「つまり、今回の競売会には盗品が売り出される可能性が非常に高いと。それも公になればマルクトに不利益を齎すような……例えば、他国に運ばれるはずだった品とか?」
「その通り。全く面倒なことをしてくれたものだよねェ」
お手上げ、とばかりにヴィクターは大袈裟に肩を竦めて見せる。と、そこにテオドアが目付きも鋭く切り込んだ。
「だとしても解せねぇな、爺さん。それだけ分かってるなら、とっとと逮捕しちまえば良いだろ。なのに態々市長殿が調査を依頼してくるんだ、まだ厄ネタが潜んでるんじゃねぇのか」
「お、テオ君鋭いねェ」
テオドアの指摘に対し、ヴィクターはどこか皮肉っぽく口元を吊り上げた。
「もっともそんな複雑な事情じゃない。公社評議会の議員がロッシーニ氏のスポンサーかもしれないというだけさ」
「……今回の仕事は炙り出しも兼ねてるってことか」
顰め面で呟くテオドアへ、ヴィクターは首肯を返す。
「まあ?こんな面倒な手段を選ぶ以上、誰が黒であるかは市長殿の中で、ある程度の目星は付けているんじゃないかな。だから確証を揃えて、首輪をつけたいのだろうね」
競売会を調査した結果、件の議員が関わっていないと分かれば問題なし。
逆に疑惑の裏付けがとれれば、その事実を市長が政局を動かすために活用する。軍警局に逮捕させて失脚させるなり、弱味として脅すなり、生殺与奪は思いのままだ。
つまりはいつもの大人の事情。この魔都に溢れる権謀術数の一つに加担するという話であった。
「とまあこんな具合で、二つとも波乱の予感がする案件でね。私が特に頼りにしているメンバーをこうして招集させて貰ったという訳だ」
「……いや俺、新入りなんですけど?」
堪らずヘイズは口を挟んだ。どちらの仕事も明らかに面倒な気配がする。巻き込むのは勘弁して欲しかった。
だがそんな甘ったれた願望を、雇い主と同僚が許してくれるはずもなく。
「何を言うんだねヘイズ君!君にはヨハネス・エヴァーリンを討ち倒した立派な実績があるじゃァないか、もっと自信を持ちたまえよ!」
「そうですよ、ヘイズ。私との初めての共同作業を忘れるなんて、薄情ではありませんか?」
「誤解を招く言い回しは辞めろ……分かった、混ぜっ返した俺が悪かったです」
降参、とヘイズは早々に両手を上げた。切れ者二人と真っ向から口論してはならない。結社に所属してからの一ヶ月で、身を以て学んだことだった。
「とりあず仕事の内容は分かりましたが、分担はどうするんですか。まさか二つとも同時に処理するつもりはないでしょう?」
「もちろん、その辺りはきちんと検討してあるとも。まず一件目、亡霊調査の方なんだけど、これはセリカ君と――テオ君に対応をお願いしたい」
「え」
吃驚の声が上がる。隣を見ると、セリカが何故か惚けたような表情を浮かべていた。
彼女の反応が意外だったのか、ヴィクターが物珍しそうに訊ねる。
「なにか不服が?もしかして以前、テオ君にセクハラでも受けたのかな?それはとても良くないねェ、ルクレツィア君に報告せねば!」
「ノータイムで有罪判決してんじゃねぇ!あと俺は基本、女に対しては紳士だ!」
「テオドアが紳士であるかは、この際どうでも良いのですが」
テオドアの主張を無情に断じつつ、セリカはらしくなく歯切れも悪く言葉を紡ぐ。
「その、オーナー。ヘイズをこちらの案件に同行させないのは、何故なのでしょうか。彼の神秘に対する嗅覚は、調査を進める上で非常に有用かと思いますが」
「ふむ……?」
まさかセリカから反論されるとは思っていなかったのだろう、ヴィクターは不可解な面持ちを深めた。
「確かに君の指摘も一理ある。だが今回はロッシーニ氏も犯罪を犯している以上、相応の警戒網を敷いているはずだ。物理的にはもちろん、魔術的にもね。となれば我々の正体を露見させず、かつ依頼を確実に達成するためには、イヴ君の潜入技術にヘイズ君の探知能力を合わせるべきだと判断したのだが」
淀みない口調で、ヴィクターが説明する。
端から聞いていても、道理の通った理由だった。ヘイズでさえそう思うのだ、聡明なセリカならば言われるまでもなく理解しているに違いない。
それでも尚異議を唱えたのは、果たして如何なる理由に基づいたものなのか。
セリカ以外の全員の視線が、彼女に集中する。
当の本人は沈黙したまま、思案するように顎に指を添え……唐突にきょとん、と。
一体自分は何が不満だったのかと言わんばかりに、小首を傾げたのであった。
「はい、オーナーの仰る通りですね。話を止めてしまって申し訳ありません」
「え、あ、うん……納得してくれたのなら、良いんだけれど……?」
何事もなかったかのように頭を下げるセリカに、流石のヴィクターも困惑気味だった。
答えを求める目がヘイズの方に向けられるも、分かるはずがない。即座に首を横に振った。
「と、とりあえず話はまとまったということで。今回はセリカ君、イヴ君が主体となってそれぞれ仕事を進めてくれたまえ。他に動かせる人員はこちらで用意しておくので、必要になったら早めに声をかけて欲しい。……あとはいつものように好きにやってくれて良いけど、軍警局から嫌味を言われないようにしてくれると私はとっても嬉しいな!」
最後の一言がやけに切実で、ヘイズは哀愁を禁じ得なかった。
◇◇◇
「はー、ようやく終わったか」
賭博場の裏口から外に出ると同時に、テオドアが窮屈そうに背伸びする。
「今回はまたいつにも増して、裏事情盛り沢山の話だったな。頭が痛くなるぜ」
「心の底から同意だな」
テオドアの愚痴に、ヘイズは物憂げな表情で頷く。
これまで『アンブラ』から任された仕事は犯罪組織の壊滅や凶悪な魔導士の捕縛といった、単純明快なものばかりだった。
しかし今回は内偵調査という全く気色の異なる内容である。それも依頼元が市長と来れば、胡散臭いにも程があろう。
「とりあえず折角居合わせたことだし、飯でも食いに行くか?近くに美味いビーフシチューを出す店があってな、ありゃ『カメリア』のおっさんの料理に匹敵するぜ」
「そうだなぁ……」
時刻は丁度正午を迎えた所だった。眼前を横切る通りでも露店が芳しい香りを昇らせており、腹を空かせて彷徨う勤労者や学生を誘っている。
個人的には気分転換も兼ねて、同僚との食事に洒落こみたいところではあるのだが。
「まあ、それは素敵な提案ですね」
「……気配を消して間合いを詰めてくるな」
呆れながら振り向くと、すぐ真後ろにまで近付いていたセリカと視線が合う。
悪戯っぽく笑うその顔を、ヘイズはつい眺めてしまった。先程ヴィクターとの会話で見せた妙な反応。常に悠然とした彼女らしからぬ、どこか動揺を感じさせるあの表情が少しばかり気がかりだった。もしや何か危惧することでもあるのか、と。
「何です?また私に見惚れていたのですか?」
「はいはい、眼福ですよー」
いつも通り軽口を寄越されたので、ヘイズも適当に合わせておいた。
セリカだって人間なのだから、感情の浮き沈みが表に出ることもあるだろう。釈然としないものは残るが、今回はそれで納得することにする。
「それで、昼食でしたよね。お邪魔でなければ、私も同席しても?」
「おう、構わねぇよ。イヴはどうする?」
テオドアが少し離れた位置で佇んでいたイヴに水を向ける。彼女は少し逡巡した素振りを見せてから、静かに目を伏せた。
「ごめんなさい、今日は遠慮しておくわ。競売会に向けて、準備を進めておきたいから」
「あー……」
それを言われると、ヘイズとしては立つ瀬がなかった。
「すまん、やっぱり俺も今回はパスだ。また誘ってくれ」
「……ま、仕方ねぇわな。今後機会は幾らでもあるだろうしよ」
ヘイズの意図を察してくれたのだろう、テオドアは気を悪くした様子もなく快活に応じる。
一方でセリカはと言うと、ふむと至極真面目な表情で頷くと、
「では丁度良いですね。テオドア、私達も食事がてら、調査の方針を立てるとしましょう」
「うげ、藪蛇だったか。飯の時くらい、頭を使わせないでくれよ……」
文句を垂れるテオドアを連れ立って、セリカは賭博場を離れていく。
そして去り際に、「ヘイズ」と声をかけてきた。
「なんだよ?」
「イヴに余り迷惑をかけないように。それから、また無茶をして勝手に死なないように。肝に命じておきなさい」
「分かってる。結社にもお前にも一応、借りがあるしな。……まあなんだ、お前も精々気を付けろ」
ヘイズの返答に、セリカは満足気に頷くと、雑踏の中に紛れていった。
そんな二人のやり取りを横から眺めていたイヴが、ぼそりと平坦な声で呟く。
「随分と仲良くなったのね」
「そうかぁ?ここ一ヶ月、ずっと振り回されてただけなんだが」
もっともその結果、自然と呼吸が合わせられる程度には、信頼関係を構築できたという自覚はあるのだが。
それを素直に認めるのも癪なので、この場では黙っておく。
「で、これからどうするんだ?まずは潜入する方法を考えるってところか?」
「……準備を手伝ってくれる、ということ?」
とても意外そうな顔をされた。人に言えた義理ではないが、彼女も結構鈍いのかもしれない。
「当たり前だろ。二人一組で仕事にするのに、片方にだけ準備を任せっきりなんてのは筋が通らない」
そう言うと、イヴはヘイズの顔を見つめたまま、押し黙ってしまう。
波一つない夜の湖面のような、深い黒の瞳。そこに自らの姿が映されていると、何故だか咎められている気持ちになる。
加えて殆ど無表情のため、考えていることも読み取り辛い。苦手とまではいかないが、今一接し方が分からない相手だった。
妙な気まずさを誤魔化すように、ヘイズは本題へと話の舵を切る。
「確か、資料によると競売会は完全招待制なんだったか?」
「……ええ。競売会はロッシーニ氏にとっては貴重な財源、かつコネクションを築く場所だから。開催が三日後に迫っている以上、招待状を偽装するのは難しいでしょうね」
「となると当日、監視の目を潜って侵入するとか?」
「それは最悪の手段ね。やれないことはないでしょうけど、相応の労力が必要になるわ」
だから、とイヴは言葉を切って、ケープの下から小さな紙片を取り出し掲げた。
名刺だろうか。表面に大々的に綴られた企業の名は、民間警備会社『マモン・セキュリティ』。
「マルクトらしく――真っ向から、商談するとしましょう」
お待たせして申し訳ございません。
気付けばブックマーク数が跳ね上がっており、腰を抜かしそうになりました。
本当にありがとうございます。
今後とも読者の方々にお楽しみ頂けるよう、精進して参ります。




