2-1 プロローグ
「今は平和な時代とよく聞くが、実際どうなんだい。あんたら、食い扶持に困ったりしてねぇの?」
「いきなりどうした、藪から棒に」
涼しい風の吹く、夜半のことである。二つの人影が焚火を囲んでいた。
片方は左目を眼帯で覆った男だ。
革のジャケットを押し上げる鋼のごとき筋肉に、露出した肌に刻まれた大小無数の傷痕。獅子のごとき精悍な顔立ちも相まって、戦士という表現がこの上なく似合う風貌であった。
一方で、その対面に座す男の雰囲気は対局と言って良かった。中折れ帽を被り、指輪を始めとした様々な装飾品で全身を彩っている。袖を通す衣服も洒脱に着崩しており、いかにも軽妙な遊び人といった印象を湛えていた。
「いやあ、単純な興味本位だよ。旦那みてぇな人種にとって、現代はさぞ生きにくいんじゃねぇかってさ……あー、こりゃいかんね。ドロー」
指先でカードを手繰りながら、帽子の男が再度訊ねた。
両者の間には木箱が置かれ、その中心にカードの山が鎮座している。
彼らは今、札遊びに興じている最中だった。
「何を言うかと思えば……」
眼帯の男もまたカードを二枚、山札から交換し、極々当然のことのように答えた。
「そりゃお前さん、儲かってるに決まってるだろ」
「へえ、意外。このご時世だ、各国の治安維持組織に目ェ付けられて、あれこれ邪魔されてるもんだと思ってたぜ」
「まあ、そういうのが無い訳じゃあないが。精々ここで暴れるなって具合の警告位で、直接手を出してくることはないな」
言って、眼帯の男はシガーケースから取り出した葉巻に火を着ける。
ゆるりと煙を吐き出す仕草が酷く堂に入っていて、彼が積み重ねてきた年月の厚さを感じさせるようだった。
「お前の言う通り、確かに今は平和になったモンだよ?ただそりゃあ表向きの話さ。国も企業も、皆仲良くお手々繋ぎながら、腹の中じゃ相手を蹴落としたくて仕方がねぇ。だから、俺達みたいに公にならないよう、代わりに白黒付けてくれる連中が重宝されるのさ」
「なぁるほど。それが分かってるから、周りも見て見ぬふりをしてるって訳ね。いやはや、商売繁盛なのは何よりだが、欺瞞に満ちた世の中だねぇ」
「人の性根は、そう簡単には変わらねぇってこったな」
そうして二人は示し合わせたように、木箱の上に自身の手札を広げた。
役はそれぞれフルハウスとフラッシュ。帽子の男の敗北だった。
「ちくしょう、また負けた!」
「毎度あり。良い小遣い稼ぎになったぜ」
地団太を踏む相手を尻目に、眼帯の男は賭け金を回収する。
と、そこで木箱の上に置かれた懐中退けに目が留まる。時計の針は真夜中を指しており、札遊びを始めてからもう半刻近くが経過していた。
「勝負事になると、熱中しすぎていかんね……」
自嘲気味に肩を竦めつつ、眼帯の男は立ち上がり、背後を振り向く。
――そこには、屍山血河が築かれていた。
噎せ返るような硝煙と鉄の匂い、殺戮に染まった荒野。抉られた地面や焦げ付いた岩石には、ここで繰り広げられた狂騒の痕跡が刻まれている。
倒れ伏す敵兵達は何れも精鋭揃いだったが、今や呼吸を続ける者など一人としていない。
どこか寂寥感すら覚えるその光景は、紛れもない戦場の跡であった。
「……?」
ふと、乾いた風に乗って眼帯の男の耳に音が届く。
優しく偲ぶような旋律。闘争の中で散った戦士の魂を鎮め、送るための唄だった。
その発生源を辿っていけば、亡骸の山の中心で女が一人、月を見上げて口笛を奏でていた。
美しい女だった。
腰まで伸びた赤錆の髪は艶に富み、あどけなさの残る顔立ちは大輪のごとく華麗。
夜空を映す瞳は、奔放な煌めきを散りばめつつ、奥に隠しきれぬ剣呑な気配を滲ませている。
取り分け異彩を放っているのは、右手に握られた一振りの槍だ。穂先に塗りたくられた濃密な赤色が、それがどれだけの命を吸ったのかを雄弁に物語っている。
女もまた得物と同じく返り血に汚れているものの、まるで意に介した素振りもない。
月光に照らされるその姿は、神話に語られる戦乙女と呼ぶには余りに禍々しく、されど否応なく惹きつけられてしまう魔力があった。
「マリアン」
眼帯の男が呼びかけると、女は口笛を止めて無邪気に笑いかけてくる。
「ああ、団長。どうかしたの?」
「後始末の方はどうなってる。そろそろ撤収できそうか?」
「うーん、まだちょっとかかるんじゃないかなァ。ほら、久々に骨のある相手だったでしょ?それで皆テンション上がってたから」
ぐるりと荒野を見回しながらマリアンが答える。
彼女の視線の先では、武装した集団が広い範囲に散開し、味方の損害状況の確認や、遺留品の回収に勤しんでいた。
「ったくしょうがねぇな……」
眼帯の男は呆れ気味に嘆息した。
気持ちは分からないでもないのだが、余り長居するのも周辺の勢力を刺激するのでよろしくない。
公私の区別はきちんと行うべき、というのが彼の主義だった。
なので荒野に響き渡るよう、声を張り上げる。
「おいお前ら、あと三十分だけ待ってやるから、さっさと片付けろ!間に合わなかった奴は置いてっちまうからな!」
うーす、と気の抜けた返事があちこちから返ってくる。
そんな今一敬意を感じられぬ彼らの態度に苦笑を浮かべていると、帽子の男が感心した風に頷きながら近づいてきた。
「ヒュウ、いやすげぇな。二倍近い戦力差があったってのに、あっさり返り討ちとはねぇ」
「お眼鏡には叶ったか?」
「そりゃあもう。今後とも是非、力を貸してくれるとありがたいね」
「まあ、報酬分に見合うだけの働きはさせて貰うさ」
言って、眼帯の男は新たな葉巻に口を付ける。
正直なところ、今回の仕事はかなり胡散臭い。
依頼元もそうだし、内容も肝心なところがはぐらかされている。
だがそれに見合うだけの報酬が提示されている以上、引き受けない理由はなかった。
我ながら困ったことだと思うが、自分達はそういう性を背負った人種なのだ。
「ねえ団長、次の仕事は私達の本拠地でやるんだったよね?」
マリアンが目を輝かせながら問うてきた。まるで欲しかった玩具を買って貰えると分かった子供のような顔。
先月起きたという祭に参加できなかった時はしょげ返っていたというのに、この浮き立ちよう。
今からでも、もう少し慎み深くなってはくれないものかと、そう思わずにはいられない。
しかし実の所を言えば、心躍らす気持ちを抱いていたのは、眼帯の男も同じだった。
何しろ久方ぶりの大口契約である。
破格の報酬に加え、今宵の比じゃないくらいの波乱が待ち受けているのであれば、乗らねば損というものだ。
ざわつく心を抑え込むように煙をゆっくり吐き出して、眼帯の男はその名を告げる。
「ああ、そうだ。次の戦場は金と欲望の坩堝、大陸最大の交易都市にして俺たちの故郷――マルクトだ」
彼らは傭兵。
僅かな義理と多額の報酬で以て、殺し合いを引き受ける戦争屋である。
第二章、開幕です。
お楽しみ頂ければ幸いです。




