1-3 彼の日常 其之二
森を抜けて、街道を辿ることしばし。
ヘイズが街に戻ったのは、正午を過ぎた頃であった。
高々とそびえる門を潜り抜ければ、喧騒が一気に押し寄せてくる。
大通りの中を天を突かんばかりの摩天楼と、大小無数の商店が飾り立てていた。そして、その合間を忙しなく行き交う、見渡す限りの人の群れ。
満ち満ちる喧騒は冬の寒さなどお構いなしで、正しく混沌を絵に書いたような様相を織りなしていた。
――マルクト。
それがこの巨大な都市国家の名前だった。
建立は実に五百年以上も前、大陸が戦乱に覆われていた時代の末期にまで遡る。
当時から交通の要衝であったマルクトは、古今東西のあらゆる物資が流れ着く場所であった。
そのため交易拠点として重宝され、更には霊源石の鉱脈を始めとする資源にも恵まれていたことから、目覚ましい発展を遂げてきたという。
今や押しも押されぬ大陸最大の交易都市であり、世界経済の中心地とも評されているのだとか。
とは言え、繁栄の影にはいつでも血生臭い出来事が付き物で、商人達による熾烈な利権争いが水面下で繰り広げられているのだが……そこに首を突っ込まない限りは大凡住み心地の良い街である。
何せ金さえあれば大抵の物が手に入るし、賭博場や劇場といった娯楽にも事欠かない。
入り組んだ路地が短所と言えば短所だが、昨今はバスや路面電車が開通した事で、迷うことは殆どなくなった。
ヘイズがこの都市を訪れてからもう半年。
住めば都とはよく言ったもので、当初は余りの人の多さに目眩がしたものだが、今ではすっかり腰を落ち着けていた。それこそ、もうここに根を降ろしても良いか、などと真剣に考える程に。
やがてヘイズの足は大通りから外れて、裏路地の方を向く。
どことなく怪げな雰囲気の漂う場所を進み、程なく辿り着いたのはこぢんまりとした二階建ての建物である。
「……相変わらず、酷い外観だ」
目的地を前に、思わずそう呟いてしまう。
まず赤煉瓦の壁には好き放題に蔦が絡み、あちこち罅が入っている。
恐らく商店であろうことは扉に据えられた看板から辛うじて分かるが、店名は掠れて殆ど読み取れない。
その荒れ果て具合は幽霊屋敷もかくやといった有り様で、一般的な感性を持つ者であれば、まず近寄ろうとはしないだろう。
店主曰く、あくまで趣味で経営しているだけだから、とのことなのだが、それにつけても無頓着過ぎるのではなかろうか。
渋い顔を浮かべつつ、ヘイズは古びた木製の扉を押し開ける。
意外なことに、店内は整頓が行き届いていた。
まず目に飛び込んでくるのは、壁一面に陳列された骨董品の数々。装飾品を始め、絵画や日用雑貨、何やら曰くありげな古書まで、品揃えには節操がない。
そして骨董品の中に埋もれるようにして、空間の最奥には立派な装丁の執務机が鎮座する。
店の主は、そこにゆったりと腰かけ、蔵書を捲っていた。
思わず目を惹くような、楚々とした印象の美女だ。どこか茫洋とした眼差しが、淑女然とした風体の中に妖艶な色香を感じさせる。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思っていたわ、ヘイズ君」
ヘイズの存在に気が付いたようで、女は視線を上げてたおやかに微笑む。
だが外見に騙されてはならない。彼女こそ、マルクトの表裏に精通し、合法非合法問わず求めに応じてあらゆる物品を調達する曰く付きの闇商人。
名を、シャロン・ミリエル。
ヘイズにとってはこの都市を訪れて以来の知人であり、同時に今の雇い主でもあった。
「今回の依頼は大変だったわねぇ、まさか老王種が出てくるなんて」
まるで見てきたような口振りでシャロンが言う。
今更驚くような事ではない。どうせヘイズの側に使い魔を忍ばせ、視覚を共有することで犬妖精達との闘いを眺めていたのだろう。
いつもの悪癖だ。
彼女は態とこういった意表を突く発言や、勿体ぶった言い回しをして、相手が狼狽える様を見ようとする。見た目からはそれが全く想像つかないのが、余計に性質が悪い。
この場合の最も適切な対処方法とは、とにかく相手にしないことに尽きる。
「ええ、全く。まあ、星霊なんてのは突然の自然災害と変わらないので、文句を言っても仕方ありませんが」
あくまで淡白な調子でヘイズは返す。
そんな彼の反応がお気に召さなかったらしい。シャロンはその外見には似つかわしくない、悪戯に失敗した子供の様に唇を尖らせた。
「あらま、ここ数ヶ月ですっかり面白くない子になっちゃって。お姉さんは悲しいわ」
「それはすみませんね。今の雇い主サマが中々癖のある人なので」
皮肉たっぷりにそう返しながら、ヘイズは机の上に革袋を置いた。その拍子に袋の口が開き、中に入っていた霊源石が露わになる。一際大きな結晶を見て、シャロンが目を輝かせた。
「ふふん、予定外ではあったけど、老王種の霊源石が手に入ったのは僥倖ね。これなら公社も高値で買い取ってくれるでしょう」
「それは何よりで。俺も面倒な相手とやりあった甲斐がありました」
今回の依頼はマルクトの行政機関、公社から流れてきたものだった。
発端は数日前のことである。
何でもマルクトに向かっていた隊商が、道中で襲撃を受けるという事件が発生した。
報告を受けた公社が調査を行った結果、街道沿いの森に犬妖精の群れが出没した事が判明。
星霊は存在するだけでも霊脈の歪みを誘発し、更なる災厄の火種になる。ゆえに迅速な討伐のため、公社は直ちに魔導士を雇い、派遣した。
最近になって名を馳せ始めた、新進気鋭の二人組だったらしい。経歴も実績も申し分なく、公社は安心して彼らを送り出した。
――二人の食べ残しが道端に棄てられていたのは、翌朝のことだった。
この時点で公社は二つの可能性を危惧する。
犬妖精達はそれなりの年月を経て力を付けた個体であるか。或いは他の強力な星霊が潜んでいるか。
しかしただ闇雲に魔導士を送り込んでも、死体が積み上がるだけ。
かと言って、どんな状況にも対応できる実力の高い魔導士は、雇うにしても金がかかる。
そんな訳で公社が頭を悩ませていたところに、どこからともなく話を聞きつけたシャロンが商談を持ち込んだのだ。
如何な手管を使ったかは知らないが、彼女はすんなりと報酬額を上乗せした状態で依頼を獲得。そのままヘイズにお鉢を回してきたという訳だった。
ヘイズが渡した霊源石を一通り検めたシャロンは、席を立って店の奥に引っ込む。
程なくして戻ってきた彼女の手には、厚い紙封筒が握られていた。
「はい、これ今回の報酬。依頼の成功分と、霊源石の換金分……諸々合わせて三十万ステラところね」
シャロンが口にした金額に、ヘイズは目を瞬かせた。
「随分色が付きましたね。当初はその半分程度だった筈ですが」
「あら、老王種との遭遇なんて最悪のパターンなんだし、この位が適正価格よ。むしろ不足に感じるなら言って頂戴?どうせこの後、公社に吹っ掛けるつもりだし」
これから待ち受けている商談に思いを馳せ、シャロンの表情は実に生き生きとしている。
魔術の恩恵を受ける現代において、霊源石は人々の生活の基盤と切っても切り離せない関係にある。飛行船の動力機関から、道端の街灯に至るまで、エネルギー資源としてあらゆる場所で利用されているのだ。
そういった事情から、霊源石の鉱脈の管理や流通は公社が取り仕切っている。星霊討伐によって獲得したものも、彼らに買い取って貰うのが通例だ。
きっとこの後、公社の職員とシャロンの間で、売買価格を巡って火花が散るのだろう。
「これで十分です。余計な恨みを買いたくありませんから」
只でさえ、シャロンの下で働いているということで、ヘイズは公社から目を付けられている節がある。
世間体を気にする性質ではないが、火に油を注いで仕事がやりなるのは御免だった。
報酬集の詰まった封筒を懐にしまい、ヘイズは店を出ていこうとする。
「ああ、少し待って。実は今、公社からこんな依頼が来ていてね」
そう呼び止めながらシャロンが机の上に一枚の羊皮紙を置く。公社が魔導士に対して発行する仕事の依頼書だ。
「夜間警邏の募集?これはまた珍しい依頼が来たもんですね」
依頼内容に目を通し、ヘイズは訝し気に眉を顰めた。
公社の傘下には、マルクトの治安維持を担う軍警局という組織が存在する。夜間警邏は本来、彼らの領分のはずだ。
おまけに、彼の組織には魔導士も多数所属している。なのに在野の魔導士に対して協力を仰ぐなど、ますます不可解だった。
これはつまり、軍警局だけでは対処しきれない事態が発生しているということだろうか。
「最近、そんな物騒な事件なんか起きていましたっけ?」
軽い世間話のつもりで、ヘイズは訊ねる。
が、それを受けたシャロンはいつもの余裕綽々とした態度を崩し、信じられないものを見るような目つきを向けてきた。
「……何か言いたげですね」
「いいえ、別に?ただヘイズ君はもう少し市勢について興味を持った方が良いと思っただけ」
結局言ってるじゃないですか。
そんなヘイズの文句を無視して、呆れ返ったとばかりに、大袈裟に肩を竦めるシャロン。
それから手近にあった新聞を投げ渡してきた。
今朝の朝刊である。
見出しには大々的に『吸血鬼、再び出没!』という文字が躍っていた。
「吸血鬼ぃ?」
何とも胡散臭い表題の記事に、ヘイズは殊更不審そうな顔をした。
「今マルクトで最も話題になってる事件ね。犠牲者は分かっているだけで既に五人。お陰で夜は結構静かになっちゃってねぇ、軍警局もなりふり構わなくなっているというワケ」
仕方ないわねえ、といった素振りでシャロンが説明してくれる。まるで怪談のような臨場感溢れる語り出しだった。
今から丁度二週間前のことである。郊外の路地裏で若い男の遺体が発見された。
死因は失血死。ただ奇妙なこと遺体には死に至るような深い傷はなく、代わりにある痕跡が残されていたのだそうだ。
……首筋に穿たれた、まるで鋭い牙で噛みつかれたかのような孔である。
また数日と経たずして、同じような状態の遺体が別に発見されたことにより、軍警局はこれを連続殺人と断定。
ただちに深夜帯における警備体制を強化した。
だが効果の程は芳しくなく、彼らの奮闘を嘲笑うかのように犠牲者は増え続けている。
犠牲達に刻まれた特徴的な傷痕。そして誰の目にも留まらぬ鮮やかな犯行の手口。
かくしてこの不気味な事件は巷の関心を集め、いつしかこう呼ばれるようになったのだ。
即ち、吸血鬼事件、と。
話を一通り聞いたヘイズは、とりあえず一言。
「はぁ、そんな事件が起きていたんですか」
何とも気の抜けた、実にそっけない感想を口にした。
「あら、興味無さそうね?神秘、幻想を解き明かし、人の世に光をもたらす……それが、魔導士の本分ではなかったかしら?」
「そんなの今時誰も守っていないでしょう。それに、目に見えている面倒ごとに誰が首を突っ込みますか。こんな事件はでかい結社にでも始末を任せておけば良いんです」
魔導士。
霊素を制御する素養を持ち、魔術を自在に操る者達を指して人々はそう呼ぶ。
世間一般的には神秘の専門家として認知されており、術式の開発を始め、星霊が起こす災害や巷で発生した怪異の解決を生業としている。
今日の魔術文明の発展に貢献していることもあり、民衆から畏怖と羨望の眼差しを集める存在だ。
……が、そんな仰々しい肩書とは裏腹に、実態は便利屋と言って差し支えない。
もちろん結社や企業に属している者は別だが、ヘイズのような風来坊は基本的に報酬次第でどんな仕事も引き受ける。
それこそちょっとした雑用から、後ろ暗いごとまで関係なく、だ。
幸いなことに、ヘイズにはシャロンという雇い主がいる。
彼女が斡旋してくれる仕事は何かと危険を伴うことが多いが、それに見合うだけの報酬が支払われるので、生活に困窮する心配はない。
なので公社が大々的に募集をかけるようなきな臭い案件に、自ら首を突っ込もうとは思わないのだった。
もちろん、自分の周囲に火の粉が振りかかるのであれば、その限りではないが。
「まあ、君ならそう言うと思っていたけどね」
流石にそれなりの付き合いになるだけあって、ヘイズが断ることを予想していたのだろう。
苦笑を浮かべつつも引き留めはせず、この話はお終いとばかりにシャロンは依頼書を机の中に放り込んだ。
「それじゃ、俺はこれで失礼します」
「あら、もう帰っちゃうの?折角だし、お茶でも飲んでいったら?」
「遠慮しておきます。そんなこと言って、またぞろ商品の整理を手伝わせる気でしょう?」
半眼を向けるとシャロンは「ばれたか」と悪びれもせずに笑った。
彼女が淹れる紅茶は、確かに美味い。美味いのだが、お茶会をしている内にあれよあれよと気付けばこき使われているのがいつもの流れだ。
普段ならまだしも、久々に星霊とやり合ったこともあり、ヘイズとしては早く帰って休みたかった。
「今日は疲れてるみたいだし、またの機会にご馳走してあげるわ」
「……本当にお茶だけなら、まあいつでも付き合いますけどね」
そんなやり取りを最後に、ヘイズは今度こそ店を出ていくのだった。