1-29 エピローグ
ヨハネス・エヴァーリンが引き起こした騒動から、早くも二週間が経とうとしていた。
都市全土に敷かれた術式は、術者本人が倒れたことによりつつがなく解除され、同時に霊脈の乱れも自然と終息。残存した星霊は、『竜狩の騎士団』を中心に統率された魔導士達によって掃討された。
また騒動の最中、何故か霊素供給用のパイプが大規模な破損を起こしたため、四番街の一角のライフラインが停止するという事故が発生したが、早急な修繕作業により完全に復旧。
崩落した建築物の撤去等、若干の爪痕を残しつつも、マルクトはすっかり日常を取り戻していた。
勿論、セリカとの契約を満了したヘイズもまた例外ではない。足の骨折も含めた怪我は、治癒魔術によってほぼ完治。セリカから多額の報酬が口座に振り込まれたのを確認し、当面の自堕落で気ままな生活に胸を弾ませていた。
……しかし残念なことに、何事も上手くいかないのが人生という代物な訳で。
「君のその実力、是非とも我が社で活かしてみないか?」
「……」
よく晴れた、昼下がりのことである。
宿酒場『カメリア』の片隅、入口から最も奥に位置する座席にて。
その日、ヘイズは来客を迎えていた。
彼の正面には、上等な背広を嫌味なく着こなした男が座している。知性漂う切れ長の瞳が、その辣腕ぶりを表しているかのようだった。
男は熱っぽい口調で、自ら所属する結社の魅力を語る。だが対照的に、ヘイズの心は冷めきっていた。
やれこんな星霊を討伐しただの、こんな魔導犯罪者の逮捕に協力しただの。この数日間で、果たして何度同じような話を耳にしたのだろう。
そして適当に相槌を返しつつ、一通り話を聞き終えたタイミングで、決まってこう答えるのだ。
「考えさせて貰えますかね」
我ながら抑揚に乏しい声音だったけれど、男が気を悪くした様子はない。もちろん、とにこやかに頷きながら、伝票を片手に席を立ってくれる。
「今日は時間を割いてくれてありがとう。色好い返事を期待しているよ」
男が『カメリア』から出ていくのを見届けて、ヘイズは大きく肩を落とした。疲労が色濃く滲んだ仕草だった。
すると、再び来客を告げるベルが鳴り、一人の女が店に入ってくる。
誰あろう、セリカ・ヴィーラントその人だった。何やら封筒を脇に抱え、迷いのない足取りでヘイズの元にまで歩み寄ってくる。
そして机の上に山と積まれた名刺を流し見て、
「まあ、今日は随分と繁盛しているようですね」
「……余計なお世話だ」
面白そうに笑うセリカとは対照的に、ヘイズは酷くげんなりした表情を浮かべた。
どうも数日ほど前から都市のあちこちで、ヨハネスの討伐にヘイズが一役買っていた、という出処不明の情報が広まっているらしい。そのせいで結社や商会から、勧誘のために客が次々と訪れている。
店主のフランツは売上が増えると喜んでいたが、しばらくのんびり過ごそうと考えていたヘイズからすれば、たまったものではない。しかも殆ど同じ話を聞かされ続けるので、もう拷問を受けているような気分になる。
「うーん、昨日の今日でここまで勧誘が激化するとは。報告を上げてから一週間と経っていないのに、公社も手が早いですね。流石の私も予想外でした」
「ああ、全くだ……いや待て、今なんて言った?」
今何か、聞き捨てならないことを口にしなかったか、この女は。
「ああ、先日公社に事件解決までの経緯を報告しまして。協力者について情報の開示を求められたので、名前から拠点まで詳細に説明したのです」
「原因はお前かぁ――!」
何でもないような調子で言うセリカに、ヘイズは思わず声を荒げた。
つまり、この勧誘の嵐は全て公社が意図的に引き起こしたということか。
理由は分かる。現代の国家にとって、魔導士は有事の際の戦力に他ならない。魔導士自体、絶対数が限られているだけに、その確保は最優先事項とも言えるだろう。
ならばどの勢力にも属しておらず、かつ強大な犯罪者とも闘える魔導士を放っておく筈もない。
「良いではありませんか。マルクトの魔導士業界ではすっかり時の人ですよ」
「冗談じゃない!俺の平穏な生活を乱すな!」
「解決策なら明白でしょう。これを機にどこかの結社に所属すればよろしい」
「だから、それは……いや、もういい」
もうこの女に何を言っても暖簾に腕押し、言い負かせる気がしない。頭痛を堪えるように眉間を指で揉みつつ、ヘイズはセリカに訊ねた。
「で、お前は一体何の用なんだ?また懲りずに結社への勧誘か?」
「ええ、まあ。そんな所です」
「俺の返答は変わらない。さっさと帰れ」
不機嫌さを隠そうともせず、ヘイズは邪険そうに店の扉を指し示す。
だがそんな彼の態度など意にも介さず、セリカは向かい側の席に腰かけた。その瞳に宿る悪戯っぽい光に、嫌な予感がした。
「まあまあ、そう言わずに。まずはこれをどうぞ」
そう言ってセリカは封筒の中から紙束を取り出し、机上に伏せて置いた。
裏面からでも細やかな文字が大量に羅列されているのが透かして見える。
「これは?」
「ヨハネス・エヴァーリンの来歴をまとめた資料です」
捲ろうと伸ばした手を止める。正面で、セリカが続けた。
「ここには彼が五十年前、帝国で事件を起こすまでの足跡が記載されています。流石に多少の推察は混じっていますが、彼が"永遠"に憑りつかれた理由も、概ね察することができるでしょう」
「……なるほど、帝国側の手打ちの一環か」
「ええ、その通りです。今回の一件は帝国の過去の不手際を代わりに処理したようなものですからね。公社経由で要求してみたところ、比較的素直に提供してくれました」
などと言いつつも、実際の交渉は難儀したことだろう。
何せ数十年前の出来事である。当時は現在ほど記録媒体が発展していなかったこともあり、紙と文字で残すのが基本だった。よって帝国としては同じ名を騙った別人だとか、言い訳をする隙がある。
それを踏まえた上で、要求を通すことができたのは、一重に公社の交渉術の高さゆえだろう。商人の都を統治する組織の面目躍如である。
まあ恐らく、裏を返せばこれ以上この話を蒸し返すな、という帝国からの念押しでもあるのだろうが。
ヘイズは眼前の書類に改めて目を落とす。セリカの言う通り、ここにはきっと一つの真実が記されている。最早知ることは叶わぬと思われていた、ヨハネス・エヴァーリンという魔導士にとっての始まりが。
だから、ヘイズは迷わず答えた。
「必要ない。お前達の方で処分しておいてくれ」
「……よろしいのですか?」
「ああ」
目を瞬かせるセリカに、即答する。
「知ったところで意味ないしな。俺にとって、アイツは自分の願いを叶えるために、他人も友人も区別なく食い潰した外道だ。例え過去にどんな不幸な出来事を経験していようが、それ以上の事実はいらないよ」
決着の場となった、あの地下の暗がりの中で。
麗しい顔に憤怒の相を浮かべ、血に濡れながら泣くように吼える男の姿を鮮明に覚えている。
あの光景にこそヨハネスの真実が宿っていると思うから、他人の解釈という余計な色を加えたくなかった。
我ながら酔狂だと思うけれど、セリカの気には召したらしい。彼女は上機嫌そうに微笑んで、書類を引っ込めた。……相変わらず、何が琴線に触れるか分からない女である。
「では次です」
セリカが封筒から新たな書類を取り出す。
さてここからが正念場だと、ヘイズも気を引き締めた。どんな勧誘の仕方をされようが、跳ね除けてみせる。
だが、そんな彼の意気込みに反して、目の前に突き出されたのは全く予想だにしない代物だった。
「え、なんだこれ?……請求書?」
戸惑いつつヘイズは書類に目を通し……さっと顔を蒼褪めさせた。
大分ぼかして表現しているが、内容は端的に公共施設の破壊に対する賠償請求である。
心当たりなど考えるまでもない。先日の事件において、ヨハネスの錬成を邪魔するために霊素供給用のパイプを結節点ごと吹き飛ばしたのだが。その割とノリと勢いの行動の報いが、今まさに現実的な数字となって振りかかってきたのだった。
……因みに、書類に記載された金額の桁数は、九桁にまで達していたことを、ここに述べておく。
「勿論、貴方は事件解決の功労者ですから、公社の方も限界まで免除してくれたんですよ?ただあくまで個人の判断に基づく破壊行為であり、しかも復旧するまでの修繕費と経済損失を鑑みると、流石に一部だけでも請求せざるを得なかったようで……」
話を聞きながら、ヘイズは卒倒しそうになるのを堪えるのに必死だった。
なるほど、理屈は分かる。ヘイズの行いは結果的に都市を救う一助になったものの、見方を変えれば立派な犯罪活動である。
それを容認してしまえば、大義名分の下に好き勝手振る舞う連中が現れかねない。
よって都市の秩序を維持するためにも、公社も何らかの罰則を与えざるを得なかったのだろう。賠償請求という形に落ち着いたのも、可能な限り穏便な措置を模索してくれたからに他ならない。
だが、しかし。それはそれとして、もう少し手心を加えて欲しかった。
いっそ亡命でもしてしまおうか。などと、暗澹たる気持ちで現実逃避を始めるヘイズ。
そこにすかさず、悪魔が囁いた。
「ああですが、貴方がそれを支払う必要はもうありません。処分してくださって結構です」
「なにっ?」
セリカの言葉に、ヘイズは興奮気味に身を乗り出す。魔導士らしい超然とした雰囲気など欠片もない。日々の金勘定に頭を悩ます小市民の姿がそこにあった。
「首領が貴方の大立ち回りをそれはもう気に入りましてね。賠償額は全額、我々が肩代わりさせて頂きました」
「…………いやいや待て。ちょっと待て」
一瞬何を言われたのか理解できず、ヘイズは狼狽する。
いや億単位の金額をあっさり支払ってしまえる資金力は充分驚嘆すべきなのだがさておいて。今の説明はつまり、債権を『アンブラ』が買い取ったと言い換えることはできないだろうか。
そんなヘイズの思考を読み取ったように、セリカはにっこりと、それはもう大変素敵な微笑みを浮かべて言った。
「はい。要するに、公社から貴方を買い取った訳ですね。ご安心を、発起人である私も幾らかは出資させて頂きました」
「――――」
絶句した。
これまで碌でもない目には散々あってきたつもりだが、自分の身を売買されるのは初めてだった。無論、経験したいと思ったこともない。
進退窮まるとはこのことか。
完全に固まったヘイズを余所に、悪魔は見る者に訴えかけるような上目遣いと共に訊ねてくる。
「改めて問いましょう、ヘイズ。貴方の実力を、『アンブラ』で振るってみませんか」
「俺を脅迫するつもりか……!」
「いえいえ、そんなつもりは一切ありませんよ。これは単なる勧誘です。脅迫だなんてそんな、人聞きが悪い」
神妙な面持ちを即座に消し、活き活きと愉しそうに笑うセリカ。この女、やはりシャロンと同じく化生の類であったらしい。
どうしたものだろう。ヘイズは懸命に思案する。
債権そのものを抹消するため、『アンブラ』と事を構えるという考えが頭を過るが、すぐに掻き消した。
相手の戦力が明確でない上に、総帥が目的のために手段を選ばないと標榜する男である。知人を人質にするくらい、平然とやってきそうだ。
仮に罷り間違って『アンブラ』を壊滅させたとしても、次は公社が出張ってくるだろう。外堀は既に埋まりつつあると見て良い。
となればヘイズに残された選択肢は二つに絞られる。
即ちセリカの手を取り結社に入るか、金を払って交渉の余地を無くすか、である。
提示された賠償金額は、真っ当でない仕事を引き受け続けたとしても、支払いが終わるまで数年はかかるだろう。
現実的に考えれば、前者を選ぶべきだ。
分かっている。だがヘイズの根本の部分が、それを拒絶しているのだ。
誰の味方もしないと決めた生き方に反することへの抵抗もある。
ただ何より……自分なんかが誰かと共に在って良いのかと。そんな漠然とした思いが、彼を縛り付けていた。
「ヘイズ」
不意に、セリカが名を呼んだ。
「貴方が何を迷っているのか分かりませんが、我らが総帥の見解をお伝えしておきましょう。
――どちらでも良い、とのことです」
「……は?」
「ですから、貴方が結社に入ろうが入るまいが、どちらに転んでも構わない、ということです。私個人としても、同意見です」
「自分の意思で決めなければ意味がない、ってか」
「その通り。命の危機に晒されることもありますから、尚更に。……ただ一つだけ、よく覚えておきなさい」
セリカの紫水の瞳がヘイズを射抜く。どこまでも迷いのない、気高い眼差しだった。
「巨額の富を捨てても惜しくないだけの価値が、貴方にはあるのだということを」
その言葉に、ヘイズは目を見開いた。
胸の奥から、込み上げてくるものがある。灯火のような仄かな温かさを伴うその感情は、果たして何と名付ければ良いのだろう。
だが不思議と悪い心地はせず、それを自覚してしまったらもう年貢の納め時だった。
「……そう思ってくれてるなら、もう少し真面な口説き方をしてくれ。心臓に悪い」
「おや、お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だ」
ヘイズは嘆息混じりに負け惜しみを吐く。
我ながら情けないのは自覚しているが、散々悩まされたのだ。この位の悪態は許して欲しい。
「降参するよ。俺を、『アンブラ』に入れてくれ」
「――ええ、もちろん。歓迎しますよ、ヘイズ」
返答を聞いたセリカは、柔らかく破顔した。邪気の欠片もない、華が綻ぶみたいな笑み。本当に食えない女だと、ヘイズは心の底から思う。
「それでは、話も一区切りついたことですし、お茶にしましょう。オーナーへの連絡はその後で」
そう言って、セリカがフランツの名を呼ぶ。
この後は自室に籠って読書に耽るつもりだったが、まあ偶には誰かと時間を共有するのも悪くない。それに彼女とは、今後も短くない付き合いになるのだろうから。
すると、入り口のベルが再び音を鳴らした。寄り添うように店を訪れたのは、赤毛の人懐っこそうな男と、しっとりとした上品さを纏った女の二人組。どちらも見覚えのある顔だった。
男の方がヘイズに気付き、顔を綻ばせて軽く手を上げてくる。
さて、まずは何と声をかけようか。
そんなことを考えながら、ヘイズも気だるげに手を振り返す。
世はなべてこともなし。
透き通る日差しが降る冬の午後は、かくも緩やかに過ぎていく。
《了》
第一章完結です。ここまでご愛読頂いた皆様に心から感謝を。
第二章は現在、鋭意執筆中です。
今後ともこの愚かな魔導士達の物語にお付き合い頂けますと幸いです。
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