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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
28/67

1-28 彼方に捧ぐ哀歌 其之十三

 ――悲劇を覚えている。

 空には墨をぶちまけたような黒雲。

 視界を染め上げる煌々とした赤色。

 耳をつんざくような悲鳴と怒号。

 そして、腕の中で一秒毎に冷たくなっていく命の温度。

 炎と血の香りが渦巻く最中に、自分は何もできずに元凶の姿を見上げていた。

 それは、暴力だった。

 それは、恐怖だった。

 それは、邪悪だった。

 つまるところそれは、絶望の権化そのものだった。

 只人では決して抗えぬ、神話の猛威。

 彼の者に若き日の自分は問うた。「何故、このような暴挙に及ぶのか」と。

 彼の者は不思議そうに答えた。「己がそういうものだからだ」と。

 到底納得できるものではなく、自分は怒り、挑み――そして呆気なく敗れ去った。

 奇跡的に命を繋いだけれど、何もかもが後の祭り。

 愛した故郷は失われ、屍の荒野だけがそこに広がっていた。

 胸に去来するのは己の無力への慚愧、そして突如として振りかかった理不尽への憎悪。

 吹き荒ぶ負の感情の濁流の中で、これからどうれば良いのかを考えた。

 そして、一つの答えに辿り着く。

 ――ああ、この世は"死"が多すぎる。

 平和を標榜しながら未だ人は争いを辞めず、時に発生する災厄が更に多くの命を奪う。

 "死"があるからこそ"生"に価値があると宣う輩もいるが、そんな綺麗事など反吐が出る。

 望まぬ離別を誰が喜ぶと言うのだ。悲劇しか生まぬ"死"の何が尊いと言うのだ。

 それが自然の理だとするならば、余りに不条理。心の底から嫌悪する。

 だから造ろう、失われぬ命を。

 "死"という病に屈さず、命が永久に輝き続けられる世界を築き上げよう。

 そうして自分は。

 ヨハネス・エヴァーリンという錬金術師は、"永遠"の探究者となったのだ。


 ◇◇◇


 降りしきる雨の中で、慟哭が聞こえる。

 自分の喉が血を吐くように、許してくれと叫んでいる。

 目の前には、伽藍の街が広がっていた。

 自分などを先生と呼んで教えを乞うてきた子供たちも。

 時折体調を心配して差し入れをしてくれていた気の良い食堂の店主も。

 酒を酌み交わし、共に夢を語らってくれた友人も。

 誰一人として、その影を無くしていた。

 いや違う。

 消し去ったのだ、他でもない自分自身が。

 こんなつもりではなかった。これは何かの間違いだ。だけど悪夢のような光景はいつまで経っても覆ってくれなくて、己の罪を思い知らされる。

 十年以上の歳月の中、幾度となく理論を組み直し、検証を重ねたはずの実験は、取り返しのつかない失敗という結果を生んでいた。

 "死"を克服するために、"死"を振りまくこの所業。これではかつて、自分から総てを奪ったあの災厄と何一つ変わらないではないか。

 そう思ってしまったら、もう耐えられなかった。

 自死する勇気もなかった自分は、ただ背を向けて逃げ出したのだ。

 魔術による大災害を引き起こした自分に、追っ手がかかるのは時間の問題だった。

 帝国政府から憲兵隊が派遣されてきた時は、素直に罪を認めて裁かれようと決めていた。間違いなく極刑に処されるであろうことも分かっていた。

 でも、そこで思い至ったのだ。

 自分がこのまま死ねば、犠牲にした者達はどうなってしまうのだろうと。

 何の成果にも繋がらず、何の未来も生まず。

 無駄に命を消費され、運が無かったと片付けられてしまうのか?

 ――認めてたまるか。

 自分にそんな資格はないのだろうが、それでも彼らの命に意義を与えたかった。

 だから闘った。

 更に罪を重ねると知りながら、持てる技術を総動員して国家に抗った。……尤も、それも長くは続かなかったが。

 後の話は、記録の語る通りである。

 ヨハネス・エヴァーリンは政府が雇った魔導士マギウスと矛を交え、心臓を穿たれ、谷底へと落ちる。

 一秒ごとに命が零れていく感覚は、筆舌に尽くしがたかった。

 やはり"死"とは悍ましいと再確認し、最後の力を振り絞って自身に魔術を施す。

 これからも何度も失敗するだろう。もしかしたらより犠牲を積み重ねるかもしれない。

 それでも、失ったものは無駄ではなかったと証明したかった。

 ああ、でもその重みにきっと弱い自分は耐えられない。磨り潰されて削られて、きっと本懐を忘れてしまう。

 だから、不要だ。

 この身は最早、ただ"永遠"を成就するため漂い続ける影法師のようなもので良い。

 かくして"永遠"の探究者は生まれ変わり、更なる魔道を歩み始める。

 例え邪悪の謗りを受けようと、誰の理解を得られずとも、"贖罪"を果たすために――。


 ◇◇◇


 奈落の底で、夢を見た。

 懐かしく、しかし忌むべき罪に塗れた原初の記憶を。

 全身を貫く痛みに、ヨハネスは意識を覚醒させた。

 魔術によって大気を操作し、落下速度を殺したのが功を奏したようだ。何とか死なずに済んだらしい。

 頭だけを動かして周囲を見回すと、そこは古びた石の回廊だった。推察するに、戦乱期の遺構なのだろう。長い間人の出入りがなかったためか、埃がうず高く積もっている。

「く……ぁあ……!」

 足場の残骸の中から、ヨハネスは這い出した。白かった法衣は血に染まり、彫像のような顔も酷く蒼褪めている。

 魔剣によって深々と刻まれた傷は、生きるための活力を絶えず吐き出し続けていた。

 恐らくこれは呪詛の一種だ。単なる治癒による修復はまず不可能と捉えて良いだろう。

 ヨハネスは霊素エーテルを振り絞った。周囲の砂を凝集させて、傷口へとはめ込んでいく。治癒はできずとも、蓋をすることで出血を抑えることはできよう。その過程で生じた苦痛に再び気絶しそうになるが、気力で耐える。

「まだ、だ」

 譫言のように呟きながら、ヨハネスは這い続ける。

 今こそ真実を取り戻した彼の中には、一層強まる"永遠"への渇望があった。

 あと十分足らずで錬成が始まる。それまで耐え切れば、自分の勝ちだ。

 夢にまで見た"永遠"が、きっと実現される。

 ――ああ、でも。

 忘却から目覚めたゆえに、考えてしまう。

 錬成に失敗したら?また無辜の人々を犠牲にしてしまったら?

 それでも自分は、"永遠"を追い続けられるのだろうか。

 目指す星は未だ指先でさえ触れられず、しかし背負う罪は歩む程に重くなるばかり。

 辛い。苦しい。楽になりたい。まるで水底にずっと沈んでいるよう。

 被害者ぶるつもりはないし、これが罰だということも承知している。それでもやはり、自分の脆弱な精神は増し続ける重圧に罅割れ軋みを上げていた。

 いっそ、何もかもを投げ出してしまえたらと、そんな思いが胸を過る。

 そんな時だった。前方から、誰かが歩いてくる気配がした。

「君、は……」

 視線を上げて、ヨハネスは瞠目する。

 そこに、灰色の青年が立っていた。

 とても信じられないことであるが、自分を追いかけて彼もまたこの地底へと落ちてきたのだ。

 その体は傷だらけの血塗れで、崩落に巻き込まれたのは明白だった。左足を庇いながら進むあたり、骨折もしているのかもしれない。

 だがそんな有様で尚、彼は立っている。鬼火のように燃える眼光で、自分のことを射貫いてくる。

「……どうした、何を呆けてる」

 不意に、青年が口を開いた。

「逃がすと思うか。お前は殺すと、そう決めてる」

「……っ!」

 何という初志貫徹であろうか。

 彼は紛れもなく、自分にとっての"死"そのものだ。どこへ逃げおおせようと地の果てまで追いかけてきて、必ずこの命を刈り取ることだろう。

 ヨハネスは気圧されつつも、あの女剣士にも感じた眩しさを覚えていた。

 これは、憧れという感情だ。

 自らが定めた道を、愚直なまでに踏破せんとする意志の強さ。自分が持ち得ぬその輝きが、心の底から羨ましい。

(もう、良いじゃないか……)

 ヨハネスは、抵抗を放棄した。

 心身の疲弊もある。しかし何より、魔導士としての矜持が、自分より格上と認めた相手に敗北するのを良しとしたのだ。

「何だ、諦めたのか」

 つまらなそうに、青年が言う。

 明らかに侮蔑の色を孕んでいたが、ヨハネスは反論する気力さえ持ち得ない。

 何でも良いから、もう楽にしてくれ。釈放を間近に控えた囚人のような心持で、命に刃が突き立てられるのを今かと待ち侘びる。

「なら、お前が手にかけてきた連中は、ただの犬死だったいう事だな」

 だが、次に青年が放った言葉が、ヨハネスの頭蓋からあらゆる思考を吹き飛ばした。

「………………今、なんと言った?」

「聞こえなかったか?お前がそのザマなら、"永遠"とか言う妄想の踏み台にされた連中は、全て何の役にも立たない無駄死にだったと言ったんだ」

 嫌悪も露わに、青年は死者を冒涜する台詞を浴びせかける。

 それを耳にした瞬間、ヨハネスの心臓が一際強く鼓動を打った。凍り付きかけた躰を融かすように、灼熱の温度を携えた血潮が駆け巡る。指の端まで活力を漲らせる。

 けれどもヨハネスにとって、そんなことは意識の埒外だった。

 心の底からどうでもいい。今は何をおいても優先すべきことがあるために。

「……けせ」

「あ?聞こえないな」

「……取り消せッ!!」

 絶叫が木霊した。

 両手を地面に突き、身を起こしていく。

 筋肉の収縮によって胴の傷が開いて、血液と共に激痛が迸る。生命の危機に理性が警鐘を鳴らすが、知ったことかと気合いで捻じ伏せる。

 立ち上がりながら、ヨハネスは近くに転がっていた鉄骨に指を滑らせた。形を変えて、一振りの剣へと仕立て上げる。

 物体の加工という錬金術の初歩の中の初歩。今のヨハネスには、この程度が精一杯だった。

 だが構わない。これでまだ敵と闘うことができる。

「お……おおぉぉぉぉ……!!」

 燃え盛る赫怒の炎が、目の前の男を許すなとヨハネスを突き動かす。

 自分を詰られるだけならまだ良かった。青年の指摘はことごくが核心を突いていて、否定する余地など欠片もない。

 しかし、その後の台詞だけは聞き逃してはならなかった。

 己が愚行によって消えた命に意味などない?無価値であったと?

 否、そう断じさせぬためにこそ、ヨハネス・エヴァーリンは罪にもがきながらも歩み続けてきたのだ。

 ああ、そもそも何を弱気になっていたのだろう。

 目の前に憎むべき"てき"が立ちはだかっている。なのに諾々と、それを受け入れるなど腑抜けているにも程がある。

「おぉおおおおッ!!」

 ヨハネスは剣を握りしめ、地面よ砕けよとばかりに踏み込んだ。

 対する青年も黒鋼の凶器を構え、応戦する。

 互いに満身創痍ゆえ、剣戟は率直に無様だった。洗練された技巧は一つとしてなく、ただ力任せに殺し合う。

 なのにヨハネスは、不思議な解放感を覚えていた。ここまで感情を剥き出しにしたのは初めてだったからなのかもしれない。

「君の言う通りだ!」

 だからだろうか、自然と言葉が口を衝いた。

「私は恥知らずの罪人だ。目的のために数多の犠牲を積み上げ、あまつさえその業を認めることから目を逸らした。どうしようもない大馬鹿者だと、心底から認めよう」

「……」

「だがそれでも、その事実を背負って私は"永遠"を目指す。どれだけの年月がかかろうが、必ず……そう、必ず成就して見せる。望まぬ離別を強い、不幸しか生まぬ""という病を人々から取り払うため――何より、私の手で殺めた者たちには、無二の価値があったと証明するためにッ」

 ヨハネスの述懐に、青年は応えない。

 ただ琥珀の瞳は揺るぎなく、ヨハネスを映していた。まるで彼の姿を、感情を、余すことなく焼き付けんとするかのように。

「それこそが我が魔道!我が"贖罪"!遠い彼方に過ぎ去った思い出へと捧げる願いだ!」

 触れ合う刃が火花を散らして、幾度となく薄闇の中を照らす。

 ぱきん、と硝子が割れるような乾いた音がした。

 やはり即席で創造したからだろう。ヨハネスの剣は、半ばから圧し折れていた。

 対する青年の得物は、刃毀れ一つ起こしていない。勝負の趨勢がどちらに傾いたのか、考えるまでもなかった。

 それでもヨハネスは柄を握りしめる。強く、強く、掌から血が滲む程に。

「負けるものか、屈してなるものか!私は、"おまえ"にだけは決して――!」

 ヨハネスが振り下ろす全霊の一刀を、青年の黒剣が迎え撃つ。両者の体が交差し、直後生じた大気の震えがあらゆる音を消し去った。

 凪の水面のような静寂が、束の間その場を支配する。

「――ああ、無念だな」

 果たして、そう零して倒れたのはヨハネスの方であった。仰向けに天井を見上げ、口の端に赤い雫を伝わせる。

 青年の剣は鋭く、正確に、彼の心臓を穿っていた。

 完膚無きまでの敗北である。

 一矢報いることさえできなかったのが、心の底から口惜しい。

(結局私は、何もかもが半端だったという事か……)

 刻々と命の火が燃え尽きんとするのを実感しながら、ヨハネスは独白する。

 目的の達成と、犠牲への罪悪感。その狭間で揺れ続けた果てが、この後悔だらけの無様な結末だ。

 そう思うと益々自身への失望が深まって、同時に見たくもなかった真実を突き付けてくれた青年が、憎らしくてたまらなかった。

「……なあ、灰色の君よ。一つだけ、答えてくれないか」

 なのにヨハネスの口は、そんな怨敵への問いを紡いでいた。

「私は……間違っていたのだろうか」

 どこか切実な思いが籠められた響き。それを受けた青年はしばし沈黙した後、

「知るかよ」

 と、振り向きもせず煩わしそうに切って捨てた。

 ヨハネスは力なく苦笑する。一体、何を期待していたのだろう。

 青年にとって、自分は殺すべき敵である。真面な答えが返ってくるはずもなかった。

 視界が霞む。

 やはり自分のような愚か者の末路は、失意に暮れたまま独り朽ちていくのが相応しい。

 そんな悟りを得ながら、ヨハネスは最も忌避した概念に身を委ねようとして。

「ただ、"永遠"を目指すというアンタの願いは、間違いじゃなかったと思うよ。でなければ、『死の克服』なんて命題が、今も残っているはずがない」

 投げかけられたその言葉が深く、深く魂の芯にまで刺さった。

 命然り、想い然り。天上に瞬く星の輝きさえ、この世界では時の移ろいと共に陰ってしまう。

 だからこそ人は不変なるものに価値を見出し、そうありたいと希った。

 ならば"永遠"を追い求める想いは、何ら特別なことではないのだと。

 灰色の青年は嘘偽りなく、そう肯定したのだ。

「……そうか。そう、思ってくれるのか」

 万感を抱きながら、ヨハネスは頷く。

 過ちを犯し続けた道程だったけれど、目指した星は間違いではなかった。

 少なくともこの青年にとっては、なのかもしれないけれど。

 それでも最期に、報われたものが確かにあった。

「ああ、皆……いつの日か、また巡り合うことができたなら……」

 閉じゆく瞼の裏に、在りし日の風景と、誰かの笑顔を夢に見て。

 ヨハネス・エヴァーリンは静かに、その生涯に幕を下ろすのだった。


 ◇◇◇


「……外道の癖に、満足そうな顔で死にやがって」

 不機嫌さを隠そうともせず、ヘイズは吐き捨てた。

 振り向いた先、血溜まりを揺籃にヨハネスが眠っている。その面差しは憂いを帯びつつも、どこか安堵したような穏やかなものであった。

 何が彼を"永遠"の成就に駆り立てたのか。今わの際に、どうしてあんな問いかけをしてきたのか。

 それを知る術はもうないし、興味もない。

 ただ一つ確信を持って言えるのは、ヨハネス・エヴァーリンという男は、"永遠"という狂気に挑むには、余りにも人間らし過ぎたということだ。

「さて……どうしたもんかなぁ」

 剣に付着した血を払い、鞘に納めたヘイズは途方に暮れる。

 ヨハネスを追って落ちてきたは良いが、戻る手立てについては何一つ考えていなかった。

 天井を見上げれば、暗がりの中にぽっかりと空いた穴が辛うじて視認できる。しかし、負傷を押して登攀するのは無謀にも程がある。

 通路を抜けるように風が流れているので、出口があるのは間違いない。

 一先ず、風を辿って歩いてみようか。

 そう思い立ち、足を踏み出す。途端、ヘイズは正面から倒れ込んだ。

 何かに蹴躓いた訳ではない。度重なる無茶な運動と霊素の枯渇によって、肉体がついに限界を迎えたのだ。

「あー、くそ。流石にきついか」

 ヘイズは通路の端にまで這い寄ると、冷たい石の壁に背中を預けて座り込む。

 落下の速度を愚者火の爆風で幾ばくか殺したものの、着地時の衝撃が深刻なダメージを生んでいた。

 特に左足が酷い。間違いなく骨折している。

 ただ今は痛みよりも、疲労と出血による眠気の方が酷かった。

 とにもかくにも、真面に歩行できるようになるまで回復するのが先決。残ったなけなしの霊素を、身体の治療に当てておく。

「霊薬、持ってくるべきだったなァ……」

 などとと独りごちながら、ヘイズは瞼を閉じる。地下に満ちる静寂が、すぐに睡魔を誘ってくれた。

 少し休息すれば、動けるようにはなっているだろう。……恐らく、激痛でのたうち回ることにもなるだろうが。

 だが、別に不安に思うことはない。こうして死にかけるのも、辛うじて命を繋ぐのにも慣れている。いつだって独りで、乗り越えてきたのだ。

 仮に目を覚ますことができなかったとしても、それは単に自分が間抜けだったという話。誰に迷惑がかかる訳でもない。

 意識は微睡の水面の底へ、深く沈んで途切れていく。

「何を暢気に眠ろうとしているのですか、貴方は」

 ふと、凛とした声が耳朶を叩いた。

 驚きと共に、俯けていた顔を上げる。

「お前……何で……」

 朧げな視界に移り込む女の姿に、ヘイズの眠気は完全に吹き飛んだ。

 透き通るような白金の髪に、清冽な紫水の双眸。僅かに息が上がっているのは、ここまで走ってきたからなのだろうか。

 女――セリカ・ヴィーラントは呆れた表情を浮かべて、目の前に立っていた。

「何故も何もありません、取引相手の安否を気遣うのは当然のことでしょう。お陰であちこち探し回る羽目にはなりましたが。……しかしまあ、よくそんな有様で生き延びられたものですね」

 感心した風に言いながら、セリカはヘイズの脇に自らの腕を差し込んで、立ち上がる。

 肩を貸される形となったヘイズとしては、何やら妙な罰の悪さを覚えて仕方がなかった。

「地上の方は、良いのか。星霊共はまだ出現しているんだろ」

「それも間もなく収束するでしょう。都市に打ち込まれた楔については、既に我々が解呪を終えつつありますから。貴方が術式を制御する者を止めてくれたお陰ですね」

 そしてセリカは、ヨハネスの亡骸を一瞥する。何故だか不満そうな顔だった。

「……なんだよ、文句を言われるようなことをしたつもりはないが」

「いえ別に。私の方は、無料ただ働きで終わってしまったと、そう思っただけです」

「はあ?……え、なに。お前にとって"斬る"って、そういうことなのか?」

 いや確かにヨハネスを斬らせることを、彼女への報酬としたけれど。

 脳内に浮かぶ物騒極まりない等式に、ヘイズは背筋が寒くなった。

 対してセリカが「冗談です」と微笑みながら返してくるも、目が笑っていないように見えるのは気のせいだろうか。

 かくして二人は連れ立って、地上への帰路を歩き始める。

 一度だけ、ヘイズはヨハネスの方を見やった。

 白き錬金術師はもう目覚めない。

 他でもない自分の手で、意思で、殺めたのだ。

「――ヘイズ」

 セリカが柔らかい声で言った。

「お疲れ様でした」

「……ああ、お互いにな」

 歩みを再開する。

 ヘイズもセリカも、もう振り返ることはなかった。

ご愛読くださっている皆様、いつもありがとうございます。

次回、エピローグです。

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