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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
26/67

1-26 彼方に捧ぐ哀歌 其之十一

「大したものだと、素直に称賛しよう。あの状況からよもや生き延びているとはね」

 肉体の復元を終えたヨハネスは口を開く。だがその表情には緊張が漂っていた。それが誰に対してのものかは言うまでもない。

 黒鋼の剣を手にした、一人の青年。彼から意識を逸らしてはならないと、直感が告げていた。

「ここに来たということは、君も私を止めたい訳か。なら君からも是非教えて欲しい。何故君は"永遠"を拒む――」

「二つ聞かせろ」

 ヨハネスの台詞を遮り、青年が問うてくる。

「……なにかな?」

「アンタが地上に敷いた術式は、霊脈炉から供給される霊素エーテルを奪って駆動している。そして霊脈から直接霊素を奪わないのは、炉心を介することで、人が加工しやすい状態に変換された資源リソースを利用した方が効率が良いから。そうだな?」

「その通り、素晴らしい見識だ。もう一つは?」

 淡々とした口調に反した、爛々と燃え滾る青年の瞳がヨハネスを射抜く。

「その馬鹿げた"永遠"とやらの探究を止めるつもりはない。そうだな?」

「無論だとも。君の認識は全て正しい。私は礎となった人々のためにも、必ず"永遠"を実現する」

 迷いなく、揺るぎなく、一片の疑いも覚えず断言するヨハネス。

 対する青年が浮かべた表情は、意外なものだった。ただ心の底から良かったと、安堵の息を零したのである。

「そうか、それを聞いて安心したよ。仕掛けが無駄にならずに済みそうだ」

「……?なにを」

 するつもりだ、と続けようとするヨハネスの前で、青年は手の中にある剣を逆手に持ち変えた。そして。

「俺の目的を伝えておこうか。――アンタに吠え面をかかせにきた」

 黒刃を地に突き立てた瞬間だった。

 何処かへ走り抜ける電荷は種火となり。

 ずん、と遠くの方で体の芯まで震わすような地鳴りが響いた。


 ◇◇◇


「――よし、この辺の星霊は殆ど片付いたわね。ヒューゴ、アンタ何人か連れて逃げ遅れた市民を探ってきて」

「了解しました!」

 走り去る部下の背中を見送りつつ、アネット・サリバンは肩を竦めた。

 雑魚ばかりの相手とはいえ、連戦に次ぐ連戦である。自分はともかく、部下たちの動きにも少なからず精彩が欠けてきていた。

 損害を減らす意味でも、休息を取りたいところだ。しかし各結社が事態の解決に協力してくれてはいるものの、人手不足なのは変わらない。

「とは言え、流石にしんどくなってきたわよねぇ……」

 いつまでも終わらない闘争は、肉体はもちろんのこと精神も擦り減らす。果たして異変が終息するまで、戦線を維持することができるのか。自分達が倒れれば、無辜の民が傷つくことになる。それだけは絶対に避けなければならなかった。

 それに、とアネットは都市の中心、大時計塔の方に目をやる。

(あの娘、無茶していないと良いんだけど)

 異変の元凶たる魔導士と闘っているであろう、年下の友人。なまじ優れた天稟を有するがゆえに、独りで完結しがちな彼女の無事を祈らずにはいられなかった。

 と、そんな時である。

「隊長、アネット隊長!急ぎご報告したいことが!」

 血相を変えた部下の一人が、アネットの元に飛び込んできた。

 明らかに尋常ではない様子に、嫌な予感がした。

「どうしたの?何かトラブル?落ち着いて報告して頂戴」

「は、はい」

 隊員は息を整えると、真剣な眼差しでこう言った。

「たった今、原因不明の爆発により、四番街への霊素の供給が停止しました!」

「……は?」

 報告の内容が理解できず、つい聞き返してしまう。

 つまり、なんだ、それが意味するところは――。

「ですから!結節点ジャンクションの一つが爆破され、四番街への霊素の供給が停止!それに伴い、付近を保護していた結界が消失しました!」

「はああああああっ!?」


 ◇◇◇


「馬鹿な……何ということを……」

 愕然とするヨハネスを見て、ヘイズは自らの仕掛けが上手く働いたことを確信した。準備にそこそこ苦労しただけに、成果を得た実感も一塩である。

「何をしたのです?」

 すると、横合いからセリカが訊ねてきた。隠すようなことでもなし、素直に答える。

「都市に霊素を供給するパイプあるだろ?」

「はあ」

「その結節点ジャンクションを一つ、根こそぎ鬼火ウィスプで吹っ飛ばしてみた」

「………………はい?」

 セリカの目が点になる。彼女をして、聞き間違いであって欲しいと思ったのは始めてのことだった。

 いや意図は分かる。ヨハネスの錬成を止めたいのなら、駆動に用いられる燃料を奪えば良い。極めて単純な結論である。

 だが街中に張り巡らされたパイプは、文字通りマルクトという都市の生命線。それを物理的に絶つなど、地上を更なる混乱に叩き込むに等しい。

 これではヨハネスとヘイズ、どちらがマルクトにとっての災厄か分かったものではなかった。

「……君は、自分が何をしたのか、分かっているのか?」

 ヨハネスの声は震えていた。超越者としての余裕など最早そこには存在しない。人間らしい、生々しい激情に彩られた音色だった。

「霊素の供給が止まるということは、その周辺の結界は機能しなくなる!もちろん他の街区の結界も弱体化するだろう!君は、市民を更なる危険に晒したようなものだぞ……!?」

「ああ、アンタの言う通りだと思うよ」

 自分のことを棚に上げて糾弾するヨハネスに、ヘイズは失笑混じりの同意を返す。

 無論、全ての承知の上での行動だった。

 地上の人々への影響はもちろん、マルクトの経済活動にも多大な影響を及ぼすだろう。何しろ都市の一部がまともに稼働しなくなるのだ。復旧までに強いられる損失は計り知れまい。

「だが俺の目的を達成するには、こうするのが一番手っ取り早かったんでな」

 我ながら性質が悪いのは自覚している。とどのつまり、自分もヨハネスと同じ狢なのだろう。

 それでも吠え面をかかせると宣言した以上、微塵も手加減してやるつもりはない。

「まあアンタのことだ。こうなっても術式が動き続けるように細工は施しているんだろう。……だが錬成が実行されるまでの時間は稼げたはずだ。どのくらいかは分からんが、その表情を見るに、少なくとも五分、十分の話じゃなさそうだな」

 さて、次だ。

 絶句するヨハネスに向けて、ヘイズは淡々と剣を擬し、宣告する。

「殺してやろう。お前が大嫌いな"死"をくれやる」

「貴様……ッ」

 ヨハネスの顔が初めて激情を宿す。

 今この瞬間、彼はヘイズのことを、何をおいても排除すべき存在としてはっきりと認識したのだ。

 ゆえに、間髪入れずに攻撃が来た。

 ヨハネスの瞳が神秘の輝きを宿す。同時にヘイズは、形振り構わず横へ跳んだ。ヨハネスが扱う魔術の全容を把握している訳ではないが、視認することに端を発する類のものであることだけは理解していた。

 紙一重の回避。しかし負傷を抱えている故に、その体捌きに常の冴えはない。駆けだす足も覚束ない様子だった。

 そこに追い打ちをかけるように、ぞわりと足元の液体金属が波打つ。

 瞬く間に象られる無数の人形。その手に剣や槍、槌や矢を握りしめ、主の殺意に応えるべく、ヘイズへと殺到する。

 さながら鋼の波涛であった。一個人に向けるにしては過剰とさえ言える物量は、ヨハネスの殺意を如実に物語っている。

 流石にこれを正面から打ち破るのは骨が折れる。宙に跳んで回避という手もあるが、ヨハネスの眼光がすかさず飛んで来よう。となると包囲網に穴をあけて一点突破を狙うべきか。そう即断し、刃に鬼火を集束させる。

「ちょっと来なさい」

「うお……!?」

 不意に物凄い力で背中を引かれ、思わず素っ頓狂な声を上げる。

 ヘイズを押し潰さんとしていた鋼の津波が見る間に遠ざかり、入ってきた壁の大穴へと滑り込んだ。

 当然、人形達も追いすがらんとするが、突如としてその勢いが減じる。いつの間にか、穴の入口には結界が張られていたのだ。

「はあ、全く……」

 呆れ返った声に視線を上げると、セリカが憂い顔を浮かべていた。

「いきなり現れたかと思えば、とんでもないことをしてくれましたね」

「雇い主殿のお気に召したようで何よりだ」

 ヘイズがそう返すと、セリカは何となく不機嫌そうに眉を顰める。そして溜息を吐くと、唐突にヘイズの額を中指で弾いた。

 所謂デコピンだが、ばちんとかなり激しい音がした。

「いってェ……いきなりなにしやがる……!」

 突然の暴挙に、抗議するヘイズ。が、怒りの感情はすぐに鎮火していった。

 セリカが触れた箇所から、脳に流れ込んでくるものがある。言葉、或いは情景。一つ一つを紐解いてみれば、セリカとヨハネスが交わしたやり取りが、まるで自身がその場にいたかのように克明に伝わった。

『教授』の魔術である。セリカは自らの記憶を指先に乗せ、ヘイズの頭に直接叩きこんだのだ。

「……情報共有は、助かるが。もう少し穏便なやり方があるだろ」

「ちょっとした意趣返しです。少しくらい許しなさい」

 一先ず溜飲を下げてくれたのか、いつも通りセリカは涼し気に笑う。

「時間も余りありませんので、率直に聞きますが。あそこまで自信満々に宣言したからには、何か策があるのでしょう?」

「ん……まあ、な」

 奥歯に物が挟まった表情ながら、ヘイズは確と頷いた。

 数分前であればヨハネスを仕留めるにはまだ(・・)足りなかった。だが、先程のセリカの『教授』により、欠けていたピースが全て揃ったのだ。

 これなら、殺せる。

 疑いの余地もなく、そう断言できる。

 ただ無視できぬ問題が一つ。

(奴に俺を警戒させたのは、痛恨のミスだったな……)

 切っ掛けは間違いなく、研究所での一幕。アンドリューに負わせた傷を、ヨハネスが目にしてしまったのは失敗だった。

 あれのせいで、彼は漠然ながらも認識してしまっただろう。この男には不死身を殺すだけの何かがある、と。

 だからヘイズがこの場に現れた時も、大袈裟なくらいに距離を取ったのだ。

 しかし逆を言えば、こちらの手札をヨハネスは把握できていないということでもある。魔導士同士の闘いにおいて、これは明確な利点になる。

 まとめると、勝利するための課題は次の二つ。

 一つ、ヨハネスの攻撃を掻い潜り、接近すること。

 二つ、決定的な機会が訪れるまで、ヘイズの魔術の正体をヨハネスに知られてはならないこと。

 これらを解決するための手立ては、明らかだった。

「……なあ、雇い主殿」

「なんです?」

 首を傾げるセリカ。ヘイズにしては歯切れの悪い様子に、疑問を覚えているらしい。

 自分でもらしくないとは思う。でも多少の逡巡は許して欲しい。何しろこれから、命を賭けた大勝負に出るのだから。

「取引だ」

 その言葉に、セリカは目を瞬かせた。

 構わずに続ける。

「奴に一撃入れたい。それまで、ありとあらゆる攻撃から俺を守ってくれ」

「……報酬は?」

 色々聞きたいことはあるだろうに、セリカは迷いなく続きを促してきた。

 頼もしいことこの上ないが、ここを間違えたら全てご破算になる。

 取引とは、需要と供給が釣り合っていなければ成立し得ない。ではヘイズ・グレイベルがセリカ・ヴィーラントに差し出せるものは、果たして何があるだろう。

 多額の金銭?それとも都市を守るという栄誉?……否、そのどれもがこの女を動かす理由足り得ない。

 たった数日の付き合いだったけれど、その位は承知している。ゆえに、提示するべき報酬はただ一つ。

「お前に、奴を斬らせてやる(・・・・・・)

 確信と共に言い放つ。

 セリカはしばし目を瞠り、そして挑発するように笑った。

「良いでしょう。その取引、乗りました。言っておきますが、報酬の踏み倒しは絶対に容認しませんので、心に留めておくように」

「へいへい、精々気を付けますよ」

 そうと決まれば話は早い。

 手短に打ち合わせを済ませて、ヘイズは体の重心を落とした。

 深呼吸する。大気中の霊素の流れから、ヨハネスの位置がどこにいるのか大凡の当たりをつける。

 立ち止まることは許されない。決定的な機会が訪れるまで切り札を使ってもいけない。

 自身はただ疾走に専念し、道を切り開くのはセリカに一任する。

 その時ふと、自身の内側で問いかける声がした。

 ――お前は、他者に自らの命運を預けられるのか。

 猜疑心と不安。湧き上がる黒い感情が、荊のように四肢に絡みついて竦ませてくる。

「は……決まってるだろ」

 それを一笑と共に、蹴り飛ばす。

 策の良し悪しなど知ったことか。こうするのが確実だと考えたのだから仕方がない。

 何よりもセリカがやると口にしたのだ。言葉を弄しはするが、約束を違えることは決してしない女だと、そう確信している。

 お膳立ては全て整った。

「勝負だ、錬金術師」

 穴を守っていた結界が解ける。

 二人の魔導士を挽肉にせんと殺到する鋼の人形。すかさず閃く雷光が、それらを打ち払う。

 包囲網にこじ開けられた、一筋の隙間。そこに身をねじ込むように、ヘイズは疾走を開始した。

 直後に瞬く、錬成の輝き。広間の中心に立つヨハネスの眼光が、ヘイズだけを射抜いている。

 錬成が完了するまでの時間は、コンマ数秒にさえ満たない。その僅かな時間でヨハネスの視界から逃れなければここで詰む。

 だがヘイズは焦らなかった。自分達が隠れている間、人形達による圧力しか与えてこなかったのは、必殺の瞬間を狙っていたがため。それを事前に予測していれば、対策は幾らでも立てられる。

 ヘイズが剣を持つのとは逆の掌を開く。そこに蝋燭程の大きさの焔が灯っていた。

 穴から飛び出す前に生み出していた鬼火である。それをヨハネスの頭上目掛けて投じた。

「っ!?」

 当然、ヘイズを最大限に警戒するヨハネスは僅かながらも意識を向けてしまう。

 脅威に対処せんとするがゆえに、異物を視界に納めてしまう。

 放物線の頂点に到達したところで、鬼火が炸裂した。しかし生み出された熱量はない。代わりに溢れんばかりの赤光が、薄暗い地下の空間を埋め尽くした。

愚者火ウィル・オ・ウィスプ』の術式の改造と暴走による、即席の閃光筒スタンフラッシュである。

「ぐあ……!」

 たまらず両目を覆うヨハネス。

 彼の修復の起点は身体の損傷にある。よって、"目が眩む"という生理作用に対しては効果を発揮しない。

 これで僅かな間とは言え、彼の最も厄介な魔術は封じられた。

 無論、安心からは程遠い。

 ヨハネスが手を振るえば、即座に足元の液体金属が凶器となって襲い来る。されどヘイズの足は揺るぎなく、またその表情にも焦り一つ浮かんでいなかった。

「さあ、報酬分働いてくれよ」

「ええ――任せておきなさい」

 神速の稲妻が眼前に閃いた。

 振るわれる大太刀は正に達人の妙技。標的に掠り傷を与える暇さえなく、鋼の凶器はことごとく切り裂かれていく。

 そのまま広間を縦横無尽に駆け抜けていく白金の女剣士。続々と新たな障害が生み出されるも、彼女の前では無意味だった。

「全く、大した女だよ!」

 素直に称賛を口にしつつ、ヘイズは加速した。

 駆け抜ける道筋はヨハネスを中心に円を描きつつ、徐々に近づいていく形になる。彼に『大いなる業』がある以上、正面からの突破は愚策という判断だった。

 広間の大きさからしても、走って三十秒秒足らずで走破できるだろう。

 だが、ヨハネスの下へ辿り着くまでに、幾つかの関門があると踏んでいた。

 一つ目はつい先ほど、疾走を開始した瞬間である。ヨハネスにとっての必殺の一撃を如何に躱すかが課題だったが、予想通りの動きをしてくれたお陰で突破できた。

(残りの距離はもう半分。二つ目は……そろそろ仕掛けてくる頃合いか)

 そう思いつつ、ヘイズがヨハネスの横手に回った時だった。

 進路上の大気が猛毒へと変わる。目眩から回復したヨハネスが、再び『大いなる業』を行使したのだ。

『強化』によって脚力を強化されたヘイズの疾走は高速に達している。術式の効果範囲を視界内に限定している以上、これを捉えるのは難しい。

 ゆえにヨハネスは標的に直接干渉するのではなく、周辺環境を操作して動きを停めることに注力したのである。

 実に合理的だ。立ち止まれば勿論、『大いなる業』によって錬成されて死ぬ。しかしこのまま進んでも、毒に侵されて恐らく死ぬ。

 では、どうするか。

 セリカを頼るまでもない。最初の予定通りに行動するのみ。

「爆ぜろ」

 鬼火を出現させる先は、自身の真横。

 爆発の衝撃がヘイズの体を宙に押し上げ、ヨハネスの方へと吹っ飛ばした。

「何っ!?」

 自爆めいた無茶な軌道変更に目を剥くも、ヨハネスはすぐに顔を上げる。中空を舞うヘイズと視線が交錯した。

 その瞳に映る感情は、得体のしれない敵に対する恐怖、焦燥。ゆえに間髪入れず、万物を変質させる錬金術が行使された。

 しかしその刹那、再び稲妻が迸った。死角から飛び込んできた太刀が、すれ違い様にヨハネスの首を撥ね飛ばす。

 損傷した箇所の修復が始まる。が、それが終わる頃には、ヘイズは既に彼の背後に着地している。

 ――残るは十歩。

 目算で瞬時に距離を測り、ヘイズは思い切り地面を蹴った。

 この数秒の前進に、己の全神経を注ぎ込む。

 第二の関門も突破した。されど最も危険なのは、彼我の距離が近付いたここからだ。

 なるほど、確かにヨハネスは無防備な背中を晒している。それはヘイズの動きに反応できていないためか?

 違う、彼とて熟練の魔導士。対応できる根拠があるからこそ、油断を誘っているのだ。

 視線の先で、ヨハネスが腕を持ち上げる。

 彼の掌の上に浮かぶ、幾つかの面を備えた立体。その滑らかな表面にヘイズは自身の、更にはセリカの姿をも映し出されているのを認識した。

 即座に握っていた剣を逆手に持ち変える。

 あれは鏡だ。

 標的が視界から逃れ続けるのならば、視界そのものを逃れられぬ程に拡張すれば良い。敵を確実に抹殺するための、ヨハネスが土壇場まで伏せていた切り札であった。

 だが、温い。そんな使い古された手など、仕掛けてくると分かっていれば対処は容易い。

 右足を強く踏み込み、体を捻る。運動エネルギーを指先にまで伝わせて、解き放つ。

 乾坤一擲。投じられた黒刃は真っ直ぐな軌跡を描き、錬金術師の肩を掠め、その先にある立体を破壊した。

「ぐ……!」

 苛立たし気に口元を歪め、振り返らんとするヨハネス。

 もう間に合わない。刃が届く間合いまで、きっかり五歩。

 後ろ腰の短剣を引き抜くと共に、ヘイズは切り札を行使する。

 ヨハネスを視る。

 その身に流れる霊素の流れを。

 彼という存在が体現する神秘の構造を。

 セリカから授けられた知識やいばを以て、ヨハネス・エヴァーリンが内包していた遍く謎を詳らかにする。

 ――残り、三歩。

 流し込まれる情報の濁流に、頭蓋の内側が沸騰しているみたいだ。体を巡る血管が、圧し掛かる負荷に断線してしまいそう。

 だが、無視する。今はそんなことどうでもいい。

 ただヨハネスに刃を叩きこむ。己をそのためだけの機構と化す。

 ――残り、一歩。

 見切った。ヨハネスが纏う神秘の核を、完全に理解した。

 もう手を伸ばすだけで、短剣の切っ先が敵を捉える。

 ……そう勝利を確信した矢先のことだった。錬金術師の背中を守るように、足元から剣山が突き立ったのは。

「――――」

 予想外の光景に、ヘイズの意識が完全に凍り付く。

 如何にヨハネスが極まった錬金術師とは言え、剣山の出現は余りにも速過ぎた。いや、それどころか、霊素が流された気配さえなかった。

 となれば、導き出される結論は即ち、()()()()()()()()()()

 ヘイズが背後を取った瞬間からか、或いはもっと前からか。

 この男は渾身の切り札さえ破ってくる、と。ある種の信頼を以て、ヨハネスは反撃の手立てを残していたのだ。

 液体金属の形状を固定する切欠は、ヘイズの接近に設定していたのだろう。

 どうする、どうすれば良い。

 ヘイズは目まぐるしく思考する。

 避けることは不可能だ。体は既に短剣を振るう姿勢になっているし、『愚者火』を起動する時間など勿論ない。

 鋼の切っ先は、もう吐息がかかる程間近に迫っている。このまま踏み出せば研究所の二の舞どころか、確実に死に至るだろう。

 ……だからこそ、状況も忘れてその光景に見惚れざるを得なかった。

 頭上に影が差す。その女は雷光を纏い、鮮やかな白金の髪を棚引かせながらそこにいた。

 ヘイズとヨハネスの間合いは最早一歩分にさえ満たない。にも拘わらず、走る斬閃は剣山だけを正確無比に斬り伏せて見せたのだった。

「馬鹿な……」

 ヨハネスの驚愕の声が聞こえる。

 今ばかりは心の底から同意しよう。針に糸を通すような作業だったというのに、つくづくこの女には度肝を抜かれる。

 だがお陰で、痛い思いをせずに済みそうだ。

「これで終いだ、ヨハネス――!」

 狙いは違わず。

 ヘイズの刃が、ヨハネスの痩躯を一閃した。

読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。

第一章は残り3、4話で完結する予定です。

もうしばし拙作にお付き合い頂けますと幸いです。


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