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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
19/67

1-19 彼方に捧ぐ哀歌 其之六

 異変の正体を、セリカは即座に悟った。

 目に見える範囲では何一つ変わっていないというのに、まるで立っている場所が全くの異界に変わってしまったかのような強い違和感。

 それは魔導士にとって、実に馴染み深い感覚だった。

 即ち、霊脈の乱れ。それも都市全体に影響を及ぼすほど大規模な。

 星霊が発生する場所であっても、ここまで霊脈が不安定になる例はそうそうないだろう。従ってこの状況は人為的に誘発されたに違いなく、そしてその犯人は考えるまでも無かった。

「随分大胆なことをするのですね。マルクトの動力自体を乗っ取り、術式の資源リソースとするなんて」

 素直に感嘆を口にしつつ、異変の犯人に視線を戻す。

 蜃気楼のように佇む白き魔導士は、悠然と微笑むのみ。否定しないということは、概ね的中していると見て良いだろう。

 マルクトの中央に据えられた動力機関『霊脈炉』。そこから張り巡らされた無数のパイプは、都市の隅々にまで霊素エーテルを行き渡らせている。

 その目的は魔術ありきとなった人々の生活基盤を支えるためだが、かの機関が担う役割はそれだけにとどまらない。

 霊脈の安定化。寧ろこれこそが、『霊脈炉』に備わった最も重要な機能である。

 霊脈の乱れとは例えるならば、川の氾濫のようなもの。ある経路を流れる霊素の量が、許容を超えて溢れることにより、保たれていた空間の秩序が不安定になる。

 つまり『霊脈炉』とは堰堤ダムとして供給する霊素を調整し、都市の中を走る霊脈が乱れるのを防いでいるのだ。

 だから市街地で星霊が出現することはまずありえないと言って良い。

 しかし、その前提は崩れ去った。方法はともかくとして、ヨハネスはマルクトを流れる霊素に干渉して制御権を奪い取り、魔術行使のために消費している。

 霊脈自体に干渉しなかったのは、単に効率の問題だろう。自然界に千々に散らばる霊脈を束ねて利用するよりも、『霊脈炉』を通じて一束に集束された霊素を利用する方が魔術の稼働にかかる工程は少ない。

 では然るべき場所に、然るべき量の霊素が送られなくなればどうなるか。

 答えは単純、『霊脈炉』はその不足を埋めるため、霊脈から更なるエネルギーを収集するのだ。

 そうして引き起こされたのが、都市全体に影響を及ぼす程の霊脈の乱れである。程なくして、街中に星霊が発生する事態となるだろう。

 人類に恩恵をもたらすはずの機構が、正常に動作することで逆に人類を脅かすとは、何とも皮肉は話だ。

「霊脈の乱れの範囲から察するに、マルクトの人間全員を貴方の言う"永遠"へと錬成するつもりですか」

「当然だとも。例外を出す必要がどこにあると言うのだね?」

 何を当然のことをと言わんばかりにヨハネスは首を傾げた。

「過去の実験結果から、一人の人間を"永遠"のまま固定するには莫大な資源リソースが必要となることは分かっていた。ましてや都市の住民全てを錬成しようとするならば、例え増幅器たる『賢者の石』を触媒に使ったとしても、到底賄うことなど不可能」

「ゆえにこうして、我らが星の力を拝借させて貰うことにした。霊脈の乱れはこれでも抑えた方なのだよ。"永遠"が成る前に余り犠牲は出て欲しくないからね」

 その美麗な面に誇るような色さえ乗せて、白い魔導士は己の所業に胸を張る。厄災の引き金を引いたにも関わらず、そこに後悔や躊躇の類は皆無だった。

「……なるほど、五十年前の事件はそういう絡繰りでしたか」

 かつてヨハネスが帝国で引き起こした事件。

 あれは彼にとって、人を"永遠"なるものに昇華させるための実験だったのだ。

 しかし結果は失敗に終わった。魔術の暴発か、はたまた術式の不備が原因か。理由は皆目見当もつかないが、街の住民は一夜にして謎の失踪を遂げるに至った。

 そして時を経た今、彼は再びこのマルクトで"永遠"の錬成を成さんとしている。

 かつてから術式に改良を加えているのだろうが、失敗した場合に迎える結末は明らかだ。過去と同じか、或いはより凄惨な災いがマルクトに降りかかるだろう。

「そうとも。君達も知っているだろうが、かつて私は大きな失敗をした。私が未熟であったばかりに、あの街の人々には申し訳ないことをしたと思っている。――だからこそ、彼らの犠牲を無駄にしないためにも、私は必ず"永遠"を実現しなければならないんだよ」

「ではデズモンド氏は最初から切り捨てる計画だったと?」

 その問いにヨハネスはむ、と柳眉を歪ませる。沈着な錬金術師が初めて見せた、不快さの発露だった。

「流石にそれは聞き流せないな。確かに彼に施したアプローチは、私が本来進めていたプラントは別のものだ。しかし、私は彼を本気で"永遠"にしようとしていたし、あらゆる手段を尽くしたとも。私とアンドリューは確固たる覚悟と信頼の下、共に"永遠"を目指したのだ」

 だから、とヨハネスは一転して、懇願するような眼差しをセリカ達の方に向ける。

「どうか、ここで手を引いてくれないか。君達は敵だ。でも"永遠"の祝福を受けて欲しいと、心の底から願っている。"死"という病魔を克服し、不変の生を謳歌してくれ」

「抜かせよ阿呆め」

 しかしそんな彼の願いは、セリカの横から上がった冷笑に切り捨てられた。

「成功するかも分からん実験に命を差し出せ?上手くいけばお前たちは"永遠"に生きられるから?都合が良すぎて笑えるな、その面の皮の厚さは一体どこで手に入るんだ」

 ヘイズの声はいっそ愉快そうでさえある。

 だがその表情の裏に籠められた感情は、全く相反するものだった。

 どこまでも深い赫怒。触れたものを残らず消し炭にするような心火が、青年の中で解き放たれるのを今かと待ち構えている。

 そんな彼とは対照的に、セリカはあくまでも状況を冷徹に俯瞰し、己の選ぶべき行動を見極めていた。

 自分達が即座に"永遠"の存在とやらに錬成されないあたり、今はまだ準備段階といったところか。ヨハネスの魔術が完全に発動するまで、多少の猶予があると見た。

 となると最優先は霊脈の乱れの解消だが、それは向こう(・・・)が既に動き始めているはず。

 ならば余計な思案に頭を巡らせる必要はもうあるまい。自分はただ、マルクトに災禍を振りまく元凶を斬り伏せるのみ。

「そうか……とても残念だ」

 戦闘の構えを取る彼らの姿を見て、ヨハネスは心から惜しむように溜息を吐いた。

 決闘めいた緊迫感が、辺りを満たす。向かい合う両者はどちらもここからが正念場だと理解して、互いの出方を慎重に窺う。

 しかし、そんな彼らの思惑とは裏腹に、戦いの火蓋は唐突に切って落とされることとなった。

「軍警局だ!ヨハネス・エヴァーリン、貴様を逮捕する!大人しく投降しろッ」

 威圧するような怒声と、広間の床を乱暴に踏み鳴らす複数の靴音。

 現れた漆黒の制服を身に纏う一団が、その銃口を揃ってヨハネスへと突き付けた。

 張り詰めていた空気が予期せず弾けたことで、修羅場を潜り抜けてきた経験が、セリカの意識を僅かばかりそちらの方に割かせる。

 それでもなお、彼女の視線はヨハネスから小動もしなかったが、一秒にさえ満たぬ間でも空白が生じたのは確かであり。

 結果として、ヨハネスに先手を譲る羽目になった。

「これは丁度良い。君達も少し止まっていてくれると助かるよ」

 白き錬金術師の視線が、軍警局の隊員達の方を向く。するとその双眸に万華鏡を思わせる摩訶不思議な色が宿った。

 光が迸る。セリカでさえも察知に一拍の遅れを要するほどの、完璧な魔術の起こり。矛先となった側は、反応することさえ許されない。

 よって対応することが出来たのは、魔性を看破する眼力を持つ彼だけだった。

「ちっ……!」

 舌打ちと共に足の裏に霊素を爆発させて加速。灰色の魔導士が軍警局の隊員達の前に一息で躍り出る。そしてヨハネスの視線を遮るように、外套コートを宙に広げた。

 結論から言えば、彼がそうしていなければ隊員達の命は尽きていただろう。

 何とヨハネスの視線を浴びた長衣は、たちまち鋼の塊へと成り果ててしまったのである。仮に今の魔術を人が受けていれば、人型の彫像が出来上がっていただろう。それを理解した者らが、戦慄に息を呑む。

「おや、意外だな。庇ったのは君の方だったか。まあ、私としてはどちらでも構わなかったのだけれどね」

 しかしヨハネスは獲物を仕留め損なったことを気にも留めず、淡々と指で宙をなぞり上げる。

 直後、ヘイズの足元から剣山が突き出した。咄嗟に短剣で切り払わんとするも、初動は完全に出遅れていた。

 胴を、足を、ヘイズの全身を地面に縫い留めるように切っ先が貫いていく。

「ヘイズッ!」

 あれはまずい、完璧な致命傷だ。

 そう悟や否や、セリカは地を蹴っていた。磔にされたヘイズを救うため、駆け寄らんとする。しかし。

「落ち着きたまえよ」

 そこに再び輝きを放つ万華の瞳。だが発現した現象は先程とは異なっていた。

 広間の壁が、床が、みるみる錆びつき腐食していく。大気でさえも例外ではなく、猛毒の息吹と化して空間を侵し始める。泡を立てながら溶けゆく床や壁が、その凶悪さを物語っていた。

 セリカは迷わず神速を発動、大挙する腐食の津波から間一髪逃れる。

 しかし魔術の矛先は、彼女以外にも当然のごとく牙を剥いた。

「ぐが、ぎィ――」

「おい、しっかりしろ!駄目です隊長、防護術式が意味を成していません!」

「まずい……総員退避!退避しろ!」

 軍警局の面々から悲鳴が上がった。

 彼らが身に纏う制服は、魔術的な加護が何重にも付与された特別製である。その強度は凄まじく、魔導士との戦闘にも耐えうる上に、瘴気に満ちた環境でも普段と変わらぬ活動を可能とする。

 だがそんな人の叡知など一切無駄と嘲笑うように、猛毒の神秘は隊員達を蝕んでいった。このままでは遠からず彼らは全滅を遂げるだろう。

 一方でヨハネスは、串刺しとなったヘイズの元に近付きつつあった。その手中に創造されるは銀色の剣。止めを刺すつもりであることは明白だった。

 どうする。

 素早く状況を把握したセリカは、逡巡する。

「ああ、全く……厄介な手を使ってくれますね!」

 決断は、瞬く間に下された。

 語調を荒げながら、セリカは軍警局の隊員達の方に向けて太刀を一閃。走る霊撃が旋風となって彼らを取り囲む瘴気を霧散させる。

 ほうほうの体で安全圏に脱していく彼らを見やりながら、我ながら碌でもないなと自嘲する。だって自分が彼らを助けることを優先したのは、人的損失の多寡を考慮したからだ。

 大規模な霊脈の乱れが発生している今、マルクトは混乱の渦中にある。軍警局には総がかりで住民の避難や出現した星霊の撃退を行って貰う必要があり、人手は幾らあっても足りないのだ。

 そう判断したからこその行動であり、合理的だとも思っている。だが結果だけを見れば、ヘイズを見捨てたのと何ら変わりなかった。

「君の判断は間違っていないとも。大国と比較して規模は小さいが、彼らは統率された立派な軍隊だ。都市の混乱を治めるのなら、これ以上の適任はいないだろうからね」

 敬意を表するとでも言わんばかりに肯定の台詞を宣うヨハネス。その足元には、血だまりの中で俯く青年の姿がある。

 彼らの周囲には濃密な腐食の嵐が渦を巻き、更には液体金属の剣山がそそり立っていた。さながら断頭の処刑台の如き光景である。

 神速を使うか?駄目だ、ここからでは遠すぎて間に合わない。

 では霊撃を放つか?いやヨハネスの錬成速度は尋常ではなく、壊した先から修復されるのが関の山だ。

 聡明であるが故に、セリカは現実を正しく理解してしまう。

 そして認める。相手の方が上手であったと。

 だが、己の選択を悔いはしなかった。何故ならそれは、自ら切り捨てた青年に対する最上級の侮辱だと思うから。

 よって、敵に送る言葉は只一つ。

 紫水の瞳を真っ直ぐヨハネスに据え、絶対零度の殺気と共にセリカは宣誓した。

「貴方を、必ず斬ります」

「そうかね」

 感心無さげに頷いて、ヨハネスが剣を振り下ろす。

 魔導士と言えども肉体は人間である以上、活動に必要な最低限の要素が存在する。血液はその最たるものの一つであり、ヘイズの出血量は明らかに許容範囲を超えていた。

 そもそも体に幾つも風穴を開けられて、まともに動ける者がどれだけいるだろう。分泌された脳内麻薬が痛みを和らげたとしても、運動の起点となる組織が壊れていては元も子も無い。

 よって青年に抵抗する術はなく、白刃の下に命を散らすことは覆せない結末だと思われた。


 ――ゆえにこそ。

 人知を捻じ曲げ、道理を木端と粉砕する彼の姿は、この世のものとは思えぬほどに凄絶で。

 その場の誰もが目を奪われずにいられなかった。


「おい」

 振り下ろされる剣が、青年の首に触れる寸前で静止する。

 五本の指が鏡面のような刃を強く握りしめ、それ以上の進行を阻んでいた。

 驚愕に目を剥くヨハネスの前で、琥珀の瞳が鬼火のごとく揺らめく。

「何を勝った気でいやがるんだ、お前」

 次の瞬間に吹き荒れた爆炎は、過去最高の威力を誇っていた。

 火山の噴火を想起させる程の凄まじい熱量と衝撃が空間を焦がし、漂う毒気すら一片たりとも残すことなく滅却させる。

「……正気の沙汰じゃないな」

 呆れ返った調子で、ヨハネスが言う。彼の体は左半身が八割ほど吹き飛んでいた。

 損失した部位が多すぎるためか、復元の速度は緩やかだ。完全に元通りになるのには幾ばくかの時間を要するだろう。

 しかし己の体など二の次とばかりに、彼はまるで信じがたいものを見るような目で、炎の中心に立つヘイズを凝視する。

「意図的に魔術を暴走させたのか。そこまでの傷を負っていては、術式を起動することさえ覚束ないだろうに」

 セリカもヨハネスに同意だった。

 これまで見てきた限り、愚者火ウィル・オ・ウィスプにここまでの破壊力はない。にも拘わらずこの惨状を引き起こすに至ったのは、一重に術者の施した細工が原因だった。

 術式とは言わば魔術を発生するための演算、出力を行うための回路だ。ゆえに耐久性が存在し、燃料である霊素を処理できる上限が定まっている。

 では仮に、それを無視して術式に霊素を注ぎ込み、かつエネルギーが外部に発散されない状態を維持し続けれるとどうなるか。

 その結果が、たった今起きた現象だ。

 即ち、術式が負荷に耐え切れず自壊し、暴走する。

 理屈は分かる。方法も見当がつく。

 しかし同じ真似をしろと言われたとして、セリカにも出来る自信はなかった。

 単純な表現をすれば、ヘイズの行動は自爆以外の何物でもない。ほんの僅かでも計算に狂いがあれば、自分自身も消し飛んでいたはずだ。

 だというのに、彼は躊躇なく実行に踏み切った。その胆力も然ることながら、何より重傷を負いながら微塵の綻びも見せぬ緻密な制御技術が常軌を逸している。

 思いつきや、生半な修練だけでは到底成し得ぬ、魔術の極致の一つであった。

「ごちゃごちゃ煩い、知ったことかよそんなもの」

 軛から解き放たれたヘイズが牙を剥く。負傷など一切顧みず獣のごとく疾駆して、ヨハネス目掛けて短剣を突き出した。

 ヨハネスはそれを避けようともせず受け入れる。何せ今の彼にとって体などあって無きようなもの。焼かれようが刺されようが、痛手にはなりはしない。

 切っ先は抵抗なくヨハネスの左胸へと吸い込まれた。とうに心臓さえも空っぽになっているようで、案の定血の一滴さえも零れなかった。

 だが、至近距離で両者の視線が交差した瞬間である。

「……ッ」

 ヨハネスの顔に焦燥が浮かび上がった。

 このままではまずいと、まるで言い知れぬ悪寒に駆られたように、魔術を起動する。

 ヨハネスの足元から沸き立った液体金属が、ヘイズへと勢い任せに叩きつけられた。殺傷に適した形状に変化させずとも、純粋な質量はそれだけで凶器と成り得る。

 半ば破れかぶれの攻撃ではあったものの、ヘイズには躱すことができなかった。敢え無く弾き飛ばされ、床に倒れ伏す。そのまま起き上がってくる気配はない。

 一方のヨハネスは追撃はせず、胸元から短剣を引き抜き、洞のごとき傷痕の観察に専念していた。

 穿たれた箇所は復元が始まると共に即座に消え失せていく。

 なのに彼の表情は一向に晴れない。寧ろ困惑を深めたように眉間に皺を寄せ、再生の様子を観察している。

「……む?」

 不意に、違和感を覚えたようにヨハネスが視線を上げる。

 その目が映しているのは天井の更に上、地表で展開されている術式だろう。今も霊素を糧に稼働を続けるそれを分析し、怪訝そうに呟いた。

「もう対応が始まったか。しかしそれを抜きにしても、霊素の抽出が想定より遅い……やはり旧き都市か、妙な仕掛けが施されているものだ」

 彼とて万事滞りなく運ぶとは考えていなかっただろうが、諦めるという選択肢もまた持ち合わせていまい。

 実験を成功に導くため、起きた問題に対し粛々と対処に当たるだろう。

 ゆえにセリカも、自身に課せられた任務を全うする。

 雷光を纏い、ヨハネスに肉薄する。振り返る彼の首筋目掛け、刃を走らせた。

 咄嗟に身を引かれたせいで、頭部を撥ねることに失敗する。

 が、これでは終わらない。更なる剣技を繰り出すべく、セリカは白い影を追いかける。 

「この場は失礼させて貰えないかな。どうやらやることが残っているようなのでね」

「面白い冗談です。細切れにしても同じ口が利けるのでしょうか」

 その言葉を口火として、怒涛の剣戟をヨハネスに見舞った。無論、斬られた端から復元が始まるが、それを優に上回る速度で太刀を振るう。

 徹底した解体ではあるが、セリカもこれが有効打に成り得ぬことを重々承知している。よって彼を足止めしつつ、打倒するための手立てを探る心算だった。

「実に物騒なことだ。しかし、罷り通らせて貰うよ」

 そう言ったヨハネスが、体を庇うように左腕を差し出した。

 当然、セリカの太刀はこれを断つが、同時に敵の狙いを悟る。

 好都合とばかりに笑うヨハネスが、切り離された部位を金属の塊へと錬成した。更には内側から膨張させる形で、爆発させる。

 彼の皮膚さえ貫きながら、破片が鏃のごとく四方八方に飛散する。

 セリカの行動は迅速だった。

 再び神速の世界へ突入し、鏃の届かない位置にまで一息で離脱する。その最中、倒れたヘイズを回収することも忘れない。

 だが強制的に引きはがされた間合いは、ヨハネスが次の行動に移る機会を与えてしまう。

 白い魔導士の足が、床を一つ踏み鳴らす。瞬間、そこを起点に霊素という電荷が研究所を走り抜ける。

 直後にわかに始まる研究の鳴動。それは瞬く間に地震もかくやといった勢いにまで達し、壁面や床に亀裂を生み、天井を瓦礫と落とす。

 ヨハネスは建物内の支柱を、全て魔術によって破壊したのだ。その結果、自らの重みに耐え切れなくなった施設が倒壊を開始する。

「では、さようなら。巻き込まれない内に逃げることをお勧めしよう」

 言いながらヨハネスが壁を指先で突く。

 するとその部分が飴細工のごとく溶け落ちて、地下へと伸びる階段が露わになった。

 どこへ続くとも知れぬ無窮の暗闇。ヨハネスは足取りも軽やかに、その中へ身を投じる。

「待ちなさい!」

 セリカはすぐに追いかけんとして、しかしすぐに立ち止まり背後に視線を向けた。

 そこには満身創痍で、息も絶え絶えなヘイズの姿があった。契約があったにせよ、自分が巻き込み、深い傷を負った青年の姿が。

 いかに魔導士と言えど今の彼に普段の運動能力はなく、施設が崩れ去るまでにそう時間はかかるまい。

 理性ではヨハネスを追うべきだと分かっている。だが自分でも意外なことに、感情は彼をこのままにしておいてはならぬと訴えていた。

「呆けてる、場合か……」

 しかし、そんな彼女の葛藤を打ち破ったのは、酷く不機嫌そうな声だった。

 意識が残っていたのか、地面に両手を突き、上体を僅かに起こした青年が咎めるような眼差しを送ってくる。

 死地に連れてきたことを責めているのか。

 いいや、違う。

 彼はそんな些事など意中にもなく、足を止めて振り返ったセリカの行動だけを糾弾していた。

「奴を斬るんだろ?なら、さっさと追え」

 余計な世話だと、いっそ煩わしがるような口ぶり。

 けれどもそんな彼の悪態に何だか胸のつかえが取れた気がして、セリカは知らず表情を綻ばせた。

「言われずとも、そうさせて貰います。――ああそれと、貴方はまだ私に雇われている身です。私の許可なく、勝手に死なないように」

「……当たり前だ、報酬も貰わずに死ねるか」

 会話はそれで終わった。

 セリカは脇目も振らずに駆けだす。ヨハネスの後を追い、暗闇へと飛び込んでいく。

 ヘイズはどことなく満足気にその背中を見送り、やがて意識を手放したのだった。

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