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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
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1-18 彼方に捧ぐ哀歌 其之五

 眼前で繰り広げられた異様な光景に、セリカもヘイズも絶句を禁じ得なかった。

「アンドリュー……」

 水を打ったような静寂の中、白い魔導士が消えた友の名を呟く。

 アンドリューだったものの残滓を追うように宙を仰ぐ彼の頬には、一筋の雫が伝っていた。

「ああ、ここに誓うとも。貴方の思いを決して無駄にはしないと!貴方が夢見た"永遠"は、必ず私が実現して見せると!」

 涙を流しながら、血を吐き出すようにヨハネスは叫ぶ。

 そこに何の虚飾も、そして狂気の一片すらも存在していなかった。

 彼は無二の親友の死を心の底から悼み、嘆いている。このような形で離別を迎える羽目になった、己の不甲斐なさに激怒している。

 しかし折れない。

 友を自らの手で殺めた事実を胸に刻み、心を押し潰さんばかりの痛みと絶望を堪え、犠牲に必ず報いるのだと涙を拭い、確固たる決意を秘めて奮い立つ。

 アンドリューが商人の業を体現していたとするならば、ヨハネスは差し詰め魔導士の成れの果てといったところか。

 届かぬ願いに手を伸ばし、走り続けた賢者ぐしゃが辿り着く末路。人の心さえ捨て去った、遍く冒涜を是とする"魔"そのもの。

 それは星霊よりも更に性質の悪い、世に混乱を振りまく災禍に他ならない。

 よって、セリカ達の行動は迅速だった。

 二振りの刃が走る。そちらに意識を向けていなかったヨハネスに躱す術はなかった。短剣に首を撥ねられ、太刀で心臓ごと体を両断される。

 生存の余地を一片たりとも残さぬ致死の斬撃であり、魔導士を壊すという意味においてはこの上なく完璧な手腕だった。

 ――無論、それはヨハネス・エヴァーリンが人の範疇にあった場合の話であるが。

「全く、酷いことをするね。君達は」

 地面に落ち行く首が、非難の言葉を紡いだ。

 同時に、セリカは違和感に気が付く。振り抜いた太刀に血が付着していない。いやそれどころか、斬りつけた箇所から、血飛沫一つ上がっていない。

 得も言われぬ悪寒に肌が泡立つ。声のした方向を振り返れば、そこでは今まさに悍ましい光景が織り成されていた。

 分かたれ、崩れ落ちた肉塊。その端がさながら林檎の皮でも剥くように捲れ上がっている。宙に螺旋を描く薄い帯は、ほどなくして一か所にわだかまり、人の形を象っていく。

 さながら空間を骨格とした張り子作りだ。アンドリューが見せた回帰に等しい治癒とは根本から異なる、より奇怪で信じ難い現象。

 やはり、と太刀を構え直しながらセリカは冷静にヨハネスを睥睨する。

 事前にヘイズの推察を聞いていたのが功を奏した。こんなものを突然直視させられれば、正気の均衡を少なからず狂わされていただろうから。

 そうしてゆらりと、歪な挙動で白い魔導士は立ち上がった。彼の肉体は斬られた事実など微塵たりとも残っておらず、彫像めいた麗しさを保っていた。

「人を"永遠"の存在へと錬成する……中々突飛な発想だとは思いましたが、なるほど既に前例サンプルがあったからこそでしたか」

「いや失礼、見苦しいものをお見せした。残念ながら私は失敗作の部類でね。目指す"永遠"の形からは程遠い。中身だって君達と初めて会った時はまだ人の要素を残していたのだけれど、今ではこんな有り様さ」

 苦笑を浮かべたヨハネスは短剣を手元に創りだすと、徐に自らの手首を切り裂いた。

 掲げられた切断面に垣間見えるのは、生命の鼓動を感じさせる赤色ではなく、伽藍洞じみた虚ろな暗黒であった。

 今にも霞んでしまいそうなほど希薄なのに、否応なく視線を釘付けにされる異物感。相反する要素が破綻せずに両立する独特な気配は、強いて言えば星霊が近い。

 だが霊素が疑似的に再現したものとはいえ、彼らは現世で活動するにあたって血も肉も、骨だって所有している。

 ならば亡霊かと考えるも、それもまた異なるだろう。物質としての実体を持たないという点では類似するが、死者の想念が残留した存在にしては漂わせる妄執の念が生々しすぎる。

 従って、もはや既存の枠組みの中に、今のヨハネスを的確に表現する言葉はない。

 自然の理から完全に逸脱してしまった、異端なる"何か"だった。

「ふむ、余り驚いていないようだね?魔導士であっても中々目にすることのない代物だと思うのだが……ああ、そういえば。そちらの彼に見抜かれていたんだったか」

「……そこまで気色悪い状態になっているとは、思ってなかったがな」

 不快さも隠そうともせずにヘイズは吐き捨てる。人ならざるものを捉える彼の眼に、果たしてヨハネスがどのように映っているのか、その反応から瞭然だった。

「しかも現在も変質は進んでいるのか。失敗作と言うからには何らかの代償を払っているな?そうでもなければお前が得ている利益リターンには釣り合わない」

「それはご想像にお任せしよう。もっとも個人的な所見を述べさせて貰えば、まあ多分、間違ったアプローチだったのは確かだね。私は人を人のまま"永遠"にしたいのであって、新たな種を生み出したい訳ではないのだから」

 眉尻を下げ、困ったとばかりに肩を竦めるヨハネス。

 対して滔々と推察を述べていたヘイズはその反応にいっそう渋面を深める。求めていた手掛かりを掴めず憮然としている、という様子ではない。どちらかと言えば、返ってきた答えの意味を咀嚼して、吟味せんとしているといった風だ。

「それで、如何しますか。貴方の協力者たるデズモンド氏は消え、この研究所も制圧されました。私としては大人しく首を差し出して頂けると助かるのですが」

「ふむ……配置していた人形達の反応がない。事実のようだね」

 客観的に見て、今のヨハネスは窮地に立たされている。セリカもヘイズも、人外に成り果てた彼を生かしておくつもりは毛頭ない。よしんば彼女達を返り討ちしにしたところで、その後には軍警局や『アンブラ』の別動隊が待ち構えている。

 つまりどう転んでも後がない訳だが、依然ヨハネスは余裕そうな面持ちを保ったままだ。

 何を仕掛けてくる?ヨハネスの一挙手動に神経を巡らせ、セリカはいつでも踏み込めるように太刀を擬した。

「ところで……」

 唐突に、ヨハネスが言った。

「君達は何故、私が吸血鬼などと呼ばれるような自動人形を作ったのだと思う?」

 脈絡のない問いかけだった。

 しかし、改めて言われてみると確かに不可解だと思わされた。

『賢者の石』の生成するために自動人形を造り出したのはヨハネス自身の語る所であるが、効率の観点から考えると首を傾げざるを得ない。

 なるほど、確かに人形達の内部機構は自己完結していて、良くできた無駄のない仕組みと評せる。だが根本的に、彼らを介する必要性は皆無だった。

 何故なら『賢者の石』が自動人形達の中に蓄積されていくのならば、集めるためには逐一それを回収しなければならないからだ。そして市民に紛れた彼らと接触する以上、どのような経路を選ぶにせよ、その痕跡は確実に残る。つまり企みが露見する危険性が少なからず生じることになるのだ。

 事実として、そうした痕跡を辿ることでテオドア達はこの研究所を割り出すことに成功している。

 よって水面下で『賢者の石』を創るだけなら、それこそ裏社会の人身売買組織あたりから材料を購入すれば良い。デズモンド・インダストリアルの力を借りれば、その程度のを払い落とす真似は難しくもないだろう。

 にも関わらず、ヨハネスは吸血鬼を都市に放つことを選んだ。

 そこに一体どういった意図が隠されているのか。

「――つまり、こう言いたいのかよ」

 思案するセリカの横で、ヘイズが重々しく口を開いた。

「お前にとって吸血鬼共は自立するフラスコであると同時に、大衆おれたちの目を惹くためのであると」

 人の生き血を啜り、夜闇を駆ける怪異。

 それは神秘幻想が息吹く現代においても非日常的で、魅惑的な甘い謎だった。

 巷の騒ぎ様がその証左と言えるだろう。噂話は街中を駆け巡り、人々は女子供隔たりなく正体不明の怪物について持論を囁き合う。そして話が広まるにつれて尾ひれが付いて回り、結果として軍警局だけでなく『アンブラ』さえも注目する脅威となった。

 つまり、吸血鬼という存在の狙いが、こうしてセリカ達がヨハネスと対峙する状況を作り出すことにあるとするならば。

 本命はもっと別の、それこそこの研究所とは全く縁のない所で狼煙が上がるのを待ち侘びているのではないだろうか。

 セリカの持つ懐中時計の向こうで息を呑む気配が生ずると同時、ヨハネスは穏やかな表情のまま、天を仰いだ。その仕草はさながら、星に祈りを捧げる聖職者を連想させて。

「では、実験を始めるとしようか」

 合図はしめやかに。されど異変は激震を以て、マルクトを揺るがした。


 ◇◇◇


 時は僅かに遡る。

「それじゃあ、自分は昼休憩を頂きますね」

「ああ、お疲れ様。午後も頼んだよ」

「はい」

 一人の男が、とある百貨店のフロアを後にする。

 建物の外に出た途端、体を包む冷気に身震いを一つ。首に巻いたマフラーに鼻先をうずめて、彼は歩き始めた。

 歳の頃は二十代後半といったところか。銀縁の眼鏡をかけ、皺一つないスーツを嫌味なく着こなす姿は実に洗練されている。知的さが漂う顔立ちも、美男子と呼んで差し支えない。

 おまけにどんな仕事もそつなくこなし、人柄も真面目かつ誠実と来れば職場での評価も窺い知れよう。特に同僚の女性陣からは優良物件と太鼓判を押されており、個人的に食事に誘われることも少なくなかった。

 かといって同性との関係も疎かにはせず、度々催される酒の席には必ず出向く付き合いの良さも持ち合わせている。

 総じて好印象を抱く人物であり、その辣腕ぶりもあって僅か1年という短期間でありながら、彼は職場において無くてならぬ人材としての地位を確立していた。

 今日は何を食べようか、などと考えながら男は大通りを物色する。

 生憎と空は刷毛で灰を塗りたくったような色合いで、凍てつく大気が骨身に染みる。となれば何か暖かいものが良い。

 そういえば近くに同僚から教えて貰った店があった。何でも兎の肉を使ったシチューが絶品だとかで、強く勧められたのを覚えている。

 折角の機会だと思い立ち、彼は店の方角へ歩き出す。昼休憩の後に感想を言い合う光景を想像して、それも悪くないなと頬を緩めた。

 ――瞬間、どくんと。心臓が一際高く、鼓動を打った。

「……そうか。とうとう、この時が来たのか」

 どこか惜しむように、寂し気に吐息を零す。しかしそれを上回る程の随喜の感情を、彼は抑えることができなかった。

 足の向く先を変える。

 大通りから外れて、ひっそりと静けさに満ちた路地に辿り着く。周囲に人の気配は無く、ここだけが喧騒から切り離されているようだった。

 無数の建築物が聳える大都市であるが故に生じた空白地帯。事を起こす場所としては、御誂え向きの場所だった。

 よって彼は一切の躊躇なく、自らの左胸に手を突きいれた。

 指先が肉を破り、どくどくと脈動を続ける心臓を鷲掴みにする。

 そのまま果実でももぎ取るように、腕を捻りながら一気に引き抜いた。途端、ぽっかりと空いた胸の孔から、生暖かな液体が吹き出す。

 視界に亀裂ノイズが走り始めた。指先の感覚もみるみる無くなっていくが構わない。

 知人たちとの別離?確かに思う所が無いでもないが、そんな些末事にかまけている暇はない。

 だってこの身は自動人形。主の願いを叶えるために、命を燃やすのが至上の喜びなのだから。

 独特の臭気を放つ黒い血溜まりを踏みしめ、男は掌の中のソレを宙に掲げた。

 赤い、赤い、艶やかな深紅の宝石。

 輪郭は凹凸が激しく無骨なのに、自動人形の目さえ惹きつける輝きがある。

 これは星だ。人々を祝福された場所へと導くための道標。

 自分はこれを造り上げるために市勢に溶けこみ、日々送られてくる材料を取り込み続けてきた。

 それが今実を結ぼうとしている。誇らしいと心から思うし、そう感じることが出来る機能じょうどうをくれた主に感謝の念が絶えない。

 きっと同じようにしている自分の仲間も同じ気持ちを抱いていることだろう。

 男が最後の力を掌に籠めると、赤い石が瞬き始めた。

 溢れ出す莫大な霊素が足元に術式を描き、楔となって地面に沈んでいく

 下へ、下へ。それは都市の動脈にまで辿り着くと、樹木のごとく根を張った。

 これにて己の役目は終わりだ。既に稼働を停止した体はこれっぽっちも言う事を聞かず、重力に従ってその場に倒れ込む。

 ひび割れ消えていく意識の中で、彼は達成感と共にただ一念を無垢に祈っていた。

 どうか主の悲願が叶いますように、と。


 そして、点と点は線で繋がって意味を成し。

 前人未到の奇跡に挑む、魔法の幕が上がる。


誤字、脱字の報告頂けますと幸いです。

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