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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
14/67

1-14 彼方に捧ぐ哀歌 其之一

 思えば遠くに来たものだ。

 窓の外に広がる夜の街。屋敷の一室からその景色を見下ろして、アンドリュー・デズモンドはふとそんな感傷を覚えた。

 自分が今のデズモンド社の出発点となる商会を立ち上げたのは、二十を迎えたばかりの頃であった。元々はある商会に所属していたのだが、徐々にそりが合わなくなり、気の合う仲間数名と共に半ば喧嘩別れに近い形で独立したのだ。

 正に若気の至りと言わざるを得ない行動で、我ながら何とも背中の痒くなる話であったが、結果として良い方向に働いたのは間違いない。

 仲間達と立ち上げた商会はめきめきと成長を遂げて、今や『デズモンド・インダストリアル』はマルクト内外において名を馳せるまでの規模に至った。無論何もかもが順風だったとは言い難く、失ったものも少なくないが、収支を見れば黒字も黒字である。

 金も、名声も、望んだものは何もかも手に入れてきた。

 それでいて尚、自分の欲望は未だ留まることを知らない。まるで幾らでも湧き続ける泉のごとく、胸中から湧き上がるばかり。

 我ながら何という強欲かと苦笑したくなるし、それなりに葛藤した事もあるけれど、今はこれも性分と割り切っている。そもそも『商人』の肩書を持つ者は、須らく同じような業を背負っているものだから。

 ああ、しかし。終ぞ手に入らなかったものもあったか。

 即ち自らの継嗣――嫡子の存在である。

 妻と呼べる女はいたが、若い内に死別してしまった。再婚を散々周りから勧められたが、全て断った。

 そういう約束を、生前の妻にしたからだ。

 妻は生来は体が弱く、当の本人も結婚の折り、長生きはしまいと自ら申告してくる程であった。その言葉通り、幸せな時間は長くは続かなかったけれど、それでも彼女を選んだことに後悔などあろうはずもない。

 妻の晩年のことは、今でも鮮明に思い出せる。

 彼女は当時流行っていた病を拗らせて床に伏せり、医者から余命幾ばくもないと宣告を受けていた。

 弱り、痩せながらも変わらぬ美しさを保つ妻だったが、自分が見舞いをしに行くと決まって泣きそうな顔を浮かべるのだ。

『ごめんなさい、貴方を独りにしてしまって』

 その声に宿っていた感情は悔恨と、何よりも自分を案じる憂慮の念。

 一体何を不安がっている。

 俺は大丈夫。お前が隣にいなくともちゃんとやってみせるとも。食事だって栄養のバランスを忘れないし、運動も程々にして健康には気を遣う。企業もこれまで以上に大きくして、従業員たちに苦労はさせん。他の妻を娶る気もない、俺の妻は生涯お前一人と誓おう。だから大丈夫、もう泣くな。

 自分はそう何度も励ましたのだけれど、妻は泣き止んでくれなかった。

 そしてあれやこれやと日々は過ぎ、妻はあっさりと逝ってしまった。自分は終ぞ、彼女の涙を理解する事は出来なかった。

 それから幾年が経ったけれど、未だに答えは分からぬまま。

 死を目前に、彼女は何に対して謝り続けていたのだろう――。

「会長」

 不意の呼びかけに、アンドリューは我に返った。振り向けば、白い法衣をまとう友人が影法師の如き朧げな輪郭を浮かべている。

 この男との付き合いは、もう三年になるだろうか。偶さか赴いた地方で出会い、その思想に共感を覚え、友誼を結んだ。

 外見は二十代半ばとしか思えないが、驚くべき事に自分よりも年上なのだという。術を極めた魔導士は時の軛から外れていくとは聞いていたが、いつまでも瑞々しい姿であり続けられるのは素直に羨ましい。老いという概念は人の生に付きまとい、何かと大切な物を奪い、変えていってしまうものだから。

「どうしたヨハネス。いつになく真剣そうじゃないか」

「数日の内に、彼の結社と一戦交えます。私が上手く処理しますゆえ、片がつくまでは屋敷で過ごされるのがよろしいかと」

「フン、全く小癪な連中だ……しかしヨハネスよ、連中はお前の腕を斬り落とす程なのだろう。ならば私も、お前の後ろでふんぞり返っている訳にはいくまいよ」

 アンドリューの言葉に、ヨハネスは意表を突かれたように目を瞬かせた。

「会長、よろしいので?」

「構わん。私も偶には、年甲斐もなく体を動かしたい時もあるのだよ」

「……全く、相変わらずやんちゃなお方だ」

 ヨハネスは呆れたように肩を竦める。こうなってしまった以上、アンドリューは梃でも動くかない。一度発した言葉を、彼が覆すことは絶対にないのだ。寧ろその気性があればこそ、大企業の長という地位にまで上り詰めることが出来たのだろうから。

 ならば自分は彼をサポートする状況を作るだけのこと。総ては、長年に渡る悲願の成就がため、ただ最善を尽くすのみ。

 かくしてマルクトを巻き込む嵐が、人知れず起こり始めるのだった。


 ◇◇◇


 地下は湿っぽい冷気が充満していた。

 通路は思いの外縦横に空間が確保されており、大人が五人ほどが横に並んでも窮屈さは感じないだろう。かと言って進み易いかと問われれば、答えは断じて否である。

 何せ数歩進む度に分かれ道に行きあたり、おまけに明かりと呼べる物は随所に設置された申し訳程度に足元を照らすランプだけ。

 巷では地下にまつわる怪談話がよく噂されるのだが、それもさもありなん。喧騒から完全に隔離されている上に、辺りに漂う黴と埃の匂いが地下墳墓のごとき風情を漂わせている。本当に亡霊が住み着いていたとしても何ら不思議ではない。

「地上も大概だったが、ここは輪をかけて酷いな。迷路というより、魔窟の類だ」

 心底から呆れ返ったとばかりにヘイズは嘆息した。

 セリカと共に地下に踏み入って、かれこれ二十分が経つだろうか。目指す先はヨハネスの潜伏先と思しきデズモンド•インダストリアルが有する研究所である。近づいているのは間違いないだろうが、まだまだ先は長そうだ。

 それというのも、余りにも煩雑すぎる地下の構造が原因だった。持参した地図は殆ど意味を成さず、進んでは引き返すを繰り返している。

 この惨状は最早迷宮と呼ぶのも生温い。旅の道すがら、古代の遺跡を何度も探索した経験のあるヘイズをして、中々に骨が折れる道行きであった。

「はいはい、つべこべ言わずに次の角を曲がりますよ」

 そんな彼の前を行くセリカは対照的に、顔色一つ変えずただ粛々と足を進める。或いはそうする事こそが、この地下を踏破する最も効率的な手段であるのかもしれない。

「魔窟という表現には心底から同意しますが、仕方がありません。都市の急成長にインフラの配備が追いつかず、場当たり的な工事を行わざるを得なかったそうですから」

「だとしても保守性を疎かにするのはどうなんだ」

 言いながらヘイズは壁面に目をやった。そこにびっしりと張り巡らされているのは、金属製のパイプ群。あれらは全て動力機関『霊脈炉』に通じており、莫大なエネルギーを街中へ供給し続けている。

 よって物理的な耐久度は言うに及ばず、魔術による防護も加わり、見た目以上の強度を誇る。恐らくそれなりに本気で魔術を叩きつけない限り、破損の心配はないだろう。だが物体として存在する以上は老朽化には抗えず、しかも都市の活動を支える生命線であるのだから、定期的な整備メンテナンスは必須だ。その辺りは公社が管理しているのだろうが、この地下の様相を思えば、作業時の苦労も窺い知れる。

「しかし、少々退屈なのは否めませんね」

 拍子抜けだとばかりにセリカが呟いた。

 ヘイズ達が地下へと降りてきた場所は、昨晩発見した路地裏の扉からだ。つまりヨハネスの逃走経路を辿っている訳で、即ちそれはこの道が彼の工房に通じていることを意味している。よって、追跡者或いは侵入者を排除するための罠が、あれこれ仕掛けられていてもおかしくない。

 ところが、そんな彼らの予想とは裏腹に、ここまでの道中は実に静かなものであった。

 ヘイズからすれば体力も霊素も温存できるので願ったりだったが、同行者の方はそうではないらしい。足取りこそ依然として軽快だが、声色には隠しきれない不満が滲み出ている。

 何となくではあるが、ヘイズは彼女の人となりを理解し始めていた。

 要するに、セリカ・ヴィーラントという女は刹那主義なのだ。安寧よりも波乱こそが好ましく、自らが面白がるために持ち前の優れた能力を尽くすことを厭わない。

 きっとヘイズを雇ったのも、そうした嗜好が働いた結果なのだろう。本人は似た者同士だから、と言ってはいたが、それ以外にも何らかの期待を寄せられているのを感じている。時折試すような目を投げてくるのがその証左だ。

 別に腹の内を明かさないのは構わないが、釈然としないものを覚えるのは確かである。果たして自分は彼女にとって価値ある何かを見せたのだろうか、と。

(まあ、報酬さえ支払ってくれるなら、どうでもいい話か)

 あれこれ思い浮かぶ疑問をヘイズは敢えて放棄する。

 今の自分は彼女に剣を預けた身。利用したければ利用すれば良い、そういう契約なのだから。

 それはさておき、退屈という意見についてはヘイズも同感だった。代わり映えのないパイプに覆われた通路は、控えめに言って殺風景に過ぎる。なので情報の整理も兼ねて、話題を提供してやることにした。

「ところでヨハネスを匿っているという企業……デズモンド・インダストリアルだったか。名前は何度か耳にした事はあるが、随分大それた相手らしいな」

「規模だけで言えば間違いなくマルクト最大の重工業メーカーですからね。それもたった一代でここまでの成長を遂げた例は、大陸でも他に類を見ないでしょう」

 歩みは止めぬまま、セリカは続ける。

「デズモンド・インダストリアル――現在の会長であるアンドリュー・デズモンド氏が独立する際に立ち上げた商会がその前身とされています。魔導製品の製造と開発を主業とし、当時から爆発的な発展を遂げていた魔導産業の後押しを受けて瞬く間に成長。今では個人用の機器から軍需品まで手広く取り扱っています」

「へぇ……それはまた何かとやっかみを買いそうな経歴だな」

 他の商人達にとって、急速に力を伸ばしたデズモンドは正に目の上のたん瘤、さぞ目障りだったに違いない。出る杭は打たれると言うが、苛烈な利権争いの渦中にあるマルクトにおいては尚のこと。あの手この手の謀略が、彼の前に立ち塞がった事は想像に難くなかった。

「まあ、表沙汰になっていないだけで妨害工作は多々あったでしょうね。ですがデズモンド氏は敵すらも貪欲に呑み込んで、一商会を都市所か大陸でも屈指の巨大企業にまで発展させたのです。その部下をまとめ上げるカリスマ性、時流を読む先見性、そして失敗を糧とする克己心、どれをとっても商人としては一級品と言えるでしょう」

 しかし、とセリカはそこで声色を落とす。

「デズモンド氏の周囲に昔から黒い噂が付きまとっているのも事実です。近年も競合企業を吸収するに当たって、かなり強引な手段をとったのだとか。ですから彼がヨハネスに手を貸しているとしても、何ら不思議ではありませんね」

「なるほど。大企業の頭らしく、立派な悪党という訳か」

 身も蓋も無いヘイズの感想に、セリカは苦笑を返すばかりであった。

 そうしている内に、通算何度目かになる開けた場所に出た。都市の端々まで路を繋げるため、地下には中継点とも呼べる空間が設けられており、ここもその内の一つに当たる。

 地図を信じるならば、ここが研究所への最短経路に通じる場所の筈だ。しかし、周囲には閉塞感を与えてくる壁しか存在しておらず、道など何処にも見当たらない。

「行き止まりか?」

「ふむ……?少々お待ちを」

 またぞろ地図の誤りか。ヘイズが面倒そうに溜息を吐く傍ら、セリカは壁に歩み寄るとその表面に手を這わせ始める。

 不意にガコン、と何かがはまる音がする。次いで聞こえてきたのは歯車が噛み合いながら回る音。程なく微細な振動と共に、ヘイズ達の正面にあった壁が横へとずれていき、やがて奥へと続く路が姿を現した。

「隠し扉……なんというか、いよいよ魔窟ぶりに拍車がかかってきたな」

「マルクトが建設されたのは戦時下でしたからね。有事の際は砦としての機能も果たせるように、こうした仕掛けがあれこれ備わっているのです」

 淡々と説明して、セリカは歩みを再開する。呆れ返りながら、ヘイズもその後に続いた。

 目的地まであと十分程度という所だが、相変わらず罠の類が襲ってくる様子はない。順調であるに越したことはないが、どうにもヘイズにはそれが不可解でならなかった。

 昨夜の口振りからして、ヨハネスは自身が追われる身である事を理解している。一度姿を見せてしまえば、潜伏先を嗅ぎつけられるであろうという事も。

 だと言うのに、こうも無防備なのは何故なのだろう。そもそもこの先に彼の工房など存在しないからか、或いは誘っているのか。

 意図が読めない状況は不気味で、否応なく警戒心を煽られる。そんな時だった。

「それで、昨日考えていた事を話す気にはなりましたか?」

 前方から唐突に投げられた問いに、思考が打ち切られる。余りにも脈絡が無さ過ぎて、ヘイズは本気で訝しんだ。

「いきなりどうした?」

「貴方、ヨハネスの正体が分かったのでしょう?」

 虚を突かれて、言葉に詰まる。

「……何故そう思う」

「切っ掛けはテオドアと顔を合わせた時でしょうか。あの時、彼に対して貴方は妙に殺気立っていましたね。そしてその反応は、ヨハネスを前にした際も同じでした」

 歩調はそのままに、セリカは視線だけを緩やかにヘイズの方に寄越した。

「それで得心がいきました。貴方は神秘を知覚する力に相当長けているのですね」

 かつん、かつん。

 足音だけがしばしの間木霊する。やがてヘイズは降参だとばかりに、肩を竦めた。

「怖い女だな」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 皮肉を送るも、セリカは涼しく流してしたりと笑った。

 別に隠している訳でもなし。寧ろこの後に待ち受けていることを思えば、こちらの事情を把握しておいて貰った方が連携も取りやすいだろう。

 ヘイズはそう無理やり納得して、見透かされた気まずさを飲み下す。

「まあ、概ねお前の認識している通りだよ。と言っても魔眼だとか、そんな大それたものじゃない。俺のこれは……そうだな、癖みたいなものだ。そこに人ならざる何かがあれば、反射的に嗅ぎ取ってしまうのさ」

 そう述懐するヘイズの声音は苦々しい。誇るどころか、不本意で仕方がないと吐き捨てるような趣すらあった。

 彼が意味するところを、セリカも理解したのだろう。涼し気な美貌に驚きの色が差す。 

 第六感、見鬼、あるいは霊視――即ち神秘の気配を捉える感受性は魔導士と常人を分ける最低限の素養である。

 やや暴論ではあるが、魔術とはつまるところ肉眼で見えぬものに干渉する技術だ。よってこの素養に恵まれなかった者は、魔導士としての門口に立つことすら叶わない。

 ヘイズの場合、そうした感覚が常人よりも遥かに鋭敏なのだ。

 だが薬も過ぎれば毒となるもので、優れた才が一概に恩恵だけをもたらしてくれるとは限らない。何せ認識できるということは、裏を返せば目を背けられないということ同義である。それは人が精神の均衡を保つための機構が、正常に動作していないに等しい。

 つまり如何に悍ましい怪奇、妖物を前にしても、自らの意思に関係なくその本質を捉えてしまうのだ。ならばこれは最早、素養というより呪いと形容して憚るまい。

「……」

 セリカは沈黙したまま、一言も発さない。ただ左手に握られた愛刀に視線を落とし、鍔を指先でしきりに撫でている。

 その仕草はまるで、込み上げる何かを懸命に飲み下さんとしているかのようで。不穏な気配を感じたヘイズは、固い声で呼びかける。

「おい、お前が聞いてきたから答えたんだろ。何とか言ったらどうなんだ」

「……ああ、失礼。貴方も苦労しているのですね」

 はっとした風に顔を上げ、柔和な笑みを浮かべるセリカ。そして何事もなかったかのように、問いを重ねてきた。

「では聞かせてください。貴方の目に、ヨハネス・エヴァーリンはどう映りましたか?」

「お前も分かっているだろう」

 ヘイズは口にすることさえ厭わしいとばかりに、不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「アレはもう、文字通りの意味で人間を辞めているな。確かにお前たちの所のテオドアとかいう奴が気配としては近い……が、ヨハネスの方はもっと始末に負えん。存在の比重が殆ど()()()()に傾いている」

 抽象的な表現ではあったが、セリカには十分伝わったようだ。

 彼女は顎に手を添え、ヘイズが語った内容を吟味する。しかし導かれた結論は意表を突くものだったのか、怪訝そうに眉を寄せた。

 「……なるほど、そう考えれば辻褄は合うでしょうね。ですが、本当にそんな事が実現できるのですか?」

 「さあな、所詮は直感による推察だ。真偽は本人に確かめるしかない」

 全く、とヘイズは心底からうんざりしたように、昏さの滲む口調で吐き捨てた。

「これだから魔導士というやつは」

キリが良かったのでサブタイトル変更しました。

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