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星辰のマギウス  作者: 空蝉
第一章 彼方に捧ぐ哀歌
13/67

1-13 予期せぬ邂逅

「ヨハネス・エヴァーリン、ね。ふーむ、どこかで聞いた名前だなァ」

 セリカから昨晩の顛末を聞いたヴィクターは立ち上がり、執務室の壁に並んだ書棚に歩み寄った。

 一部の隙間もなく詰め込まれた書物の背表紙を辿り、一際分厚いものを引っ張り出す。大陸で過去に起きた魔導犯罪をまとめた資料のようで、どの頁にもびっしりと細やかな文字が綴られている。

「見つけた、これだ。今から50年ほど前、帝国で起きた魔導犯罪事件で、ヨハネスなる人物の名前が記録されている」

 程なくして頁を捲るヴィクターの手が止まる。

 そこに書かれていた内容を要約すると、以下の通りとなる。

 星暦1160年6月、帝国の国境に位置する鉱山町にて、住民数百名が一夜にして失踪を遂げるという事件が起きた。

 建築物には一切破壊の痕はなく、住民達が移動した形跡もない。星霊が観測されたという情報も無かったことから、憲兵隊はこれを魔術による災害と判断。町に出入りする魔導士の関与を疑った。

 そこで真っ先に名が挙がったのが、ヨハネス・エヴァーリンである。事件発生の一月程前に町の近場に工房を構えた彼は、時折住民達から依頼を受けては自動人形や霊薬を提供して生計を立てていた。

 その部分だけ切り取って見れば何ら不自然な点はなく、どこにでもいる魔導士に過ぎない。けれども彼の経歴を調査する内に、その評価は一変する。

 ヨハネスという魔導士について、町に現れる以前の記録が一切残っていなかったのだ。名を変えようが身分を偽ろうが、人が存在していた痕跡を完全に抹消することは難しい。特に魔導士などという人種は数が限られているのだから尚更である。

 怪しんだ憲兵隊は事情聴取のため、ヨハネスの元を訪れたのだが、何と彼はあっさりと容疑を認めたのだった。

 そしてあろうことか、拘束しようとする憲兵隊数名を殺害。他にも重傷者を多数出す惨事を引き起こした末に逃亡した。

 これを受けた帝国政府はヨハネスを第一種魔導犯罪者……即ち国際的にも極めて危険な魔導士であると定め、複数の結社に要請して魔導士を派遣、逮捕を試みた。

「しかし結局は熾烈な戦闘に発展し、最終的に彼の死を以て事件は幕を閉じたそうだ」

 書物にはその時の記録も載っていた。

 激突の舞台となったのは国境沿いの険しい峡谷地帯だった。瀕死の重傷を負わされたヨハネスは崖際にまで追い詰められ、最期は心臓に銃弾を受け谷底に落下したらしい。

 如何に魔導士と言えども所詮は人の身、急所の傷は致命的だ。取り分け心臓は霊素を肉体に循環させるための起点となる部位である。そこを破壊されれば、四肢の欠損すら瞬時に再生可能な治癒魔術の使い手であっても確実に死に至る。

 よって、帝国政府がヨハネスが死亡した、と判断したのは当然の帰結と言えた。

「死人が蘇ったということですか?」

「さて、それは何とも言えないね。実は運よく生き延びていたのかもしれないし、別人が名を騙っているだけなのかもしれない。はたまた、本当に不死身なのか……。最も、本当にそうなら三大命題の一つをクリアしているという事だ。可能性としては低いと思いたいねェ」

 三大命題とは、魔導産業の進歩目覚ましい現代において未だ実現不可能とされている事象を指す。

 一つ、永久機関の創造。

 二つ、死の克服。

 三つ、時間遡行。

 これらの難題に対し、過去数多の魔導士がそれぞれのアプローチで挑んできたが、依然として成功事例は報告されていない。仮にヨハネスが"死の克服"を成し遂げていたのならば、彼が凶悪な犯罪者であるという点を加味しても、魔導士の世界においては偉業として扱われるだろう。

「まあ、彼の正体についてはこの際後回しだ。今考えるべきは、彼が果たさんとしている目的を如何に阻止するかだろう」

 ヴィクターは本を閉じると、傍らに置かれた小瓶に目をやった。中に揺蕩う赤い水が、窓から差し込む淡い光を浴びて不気味に、しかし思わず惹きつけられるような艶やかな色彩を映し出している。

「伝承に曰く、吸血鬼は生存の糧として人血を啜ると言う。だが今我々が相手にしている彼らは、言わば"フラスコ"の役割を担っているのだろうね」

「つまり、その赤い水の生成が目的であると?」

 セリカの問いかけに、ヴィクターは頷きを返す。

「錬金術という魔術の本質は、物質の創造と変化にある。ならば錬金術師から生み出された彼らが、その特性を体現するのは寧ろ自然な話だ。無論、根拠はある」

 言いながらヴィクターは机の引き出しから複雑な図面の描かれた紙を取り出した。

 それは、吸血鬼と呼称される自動人形の設計図だった。調査のため、これまで回収した残骸を元に可能な限り書き起こしたのだろう。

「これを見たまえ。大凡の自動人形は、内部に動力たる霊素を運ぶ経路が張り巡らされているものだ。吸血鬼達もその例に漏れないが、彼らの場合はそれが一つの術式を象っている」

 設計図の上をヴィクターが指が滑る。やがて胸部の動力機関に辿り着くその軌跡は、なるほど確かに幾何学的な紋様を描いている。

 規則的であるということは、同時に作為的でもあるということだ。つまり、ヨハネスが意図してこのような設計にしたのは間違いない。

「術式の効果は……まあ表現としては()()が近いかな。経口摂取した血液から霊素を抽出、純化し、凝縮して最終的に赤い水へと変換している。そしてこのプロセスは体内の回路を霊素が流れることで術式が起動する。つまり吸血鬼達が活動するだけで、赤い水が自動的に生成され続けるという訳だ」

「なるほど、"フラスコ"という表現は言い得て妙ですね。しかし敵ながら、よくまあこのような手の掛かる仕組みを作ったものです」

「全く。この情熱と技術力をもっと社会に役立てて欲しいものだよ。……術式には他にも色々と調整を入れているみたいだが、何分流石に他人が作ったものだ。完全な解析には時間がかかるねェ」

 肩を竦める仕草とは裏腹に、ヴィクターの表情は新たな謎に心躍らせる学者のように楽し気だった。そんな彼を余所に、セリカは前髪を指先で弄びながら思案する。

 ヴィクター・ガスコインという男は魔術の技量自体は凡百に落ちるが、造詣に関しては図抜けている。本人曰く、下手の横好きとのことだったが、逆を言えばたったそれだけで長年『アンブラ』という結社を統率してきたのだ。実力至上主義の魔導士の業界において、その実績が如何に異端かは語るまでもない。

 よって彼の見立ては信頼に足ると見て良い。ならば次に考えるべきは、ヨハネスが移すであろう行動だ。

 赤い水は極めて高純度な霊素によって構成された物質。つまり魔術との神話性は極めて高く、触媒としての有用性は霊源石よりも上だろう。

「……何らかの大規模な魔術の発動を狙っている?」

 頭に思い浮かんだ推察が、口を衝いた。

 魔術とは要するに、物理法則を歪めて望むままの現象を発生させる力だ。しかし正しく機能しているものに逆らうからには、それだけの代償を支払わなければ辻褄が合わない。

 よって行使する魔術の規模と、霊素の消費量は比例関係にある。例えば小さな火種を一気に燃え上がらせるのと、何もない所から炎を熾すのでは後者の方が術者に消耗を強いる。

 触媒とはそうした負荷を肩代わりし、そして術の効力を最大限に高めるための謂わば補助装置だ。

 ではヨハネスがかつて帝国で起こしたという事件はといえば。数百人単位の人間を煙のごとく一斉に消すなど、熟達した魔導士であっても容易く出来る芸当ではない。副次的にそのような結果となった可能性も否めないものの、仮にこのマルクトでも同等か、それ以上の大規模な魔術を発動しようとしているのであれば、自動人形という"フラスコ"を用いて赤い水を生成しているのも合点がいく。

「今ある情報を総合すると、そう考えるのが一番妥当だろうねェ」

 ヴィクターも同意見のようだが、だとしてもヨハネスの目的が判然としない以上は、あくまで仮説の域を出ない。

 と、そこでセリカは壁際に佇むヘイズに目を留めた。この部屋に入ってからというものの、彼は傍観者に徹し続けていたのだが、今は何やら眉間に皺を寄せ、茫然と虚空に視線を彷徨わせている。

「ヘイズ?何か気になることでも?」

「……」

 どっぷり思考の世界に使っているらしく、呼びかけても返答はない。

 そんな彼の様子に、ふと魔が差した。セリカはするりと滑るようにヘイズの側に寄ると、耳元に顔を近付けて吐息がかかる程の距離から囁く。

「――何を呆けているのですか」

「うおあ」

 彼らしからぬ悲鳴を上げて、ヘイズは後ずさった。顔を赤らめるどころか、猛獣に突然襲い掛かられでもしたような反応が多少不満ではあるけれど、いつもの仏頂面が崩れた様は悪くない。

 それはともかくとして。

「気がかりな事でもあるのかと聞いているのです。何やら難しそうな顔をしていましたが?」

「あ、ああ……別に大した話じゃない。お前たちが今話していた内容とも、余り関係のない事だ」

 そうはぐらかすヘイズの表情をセリカはじっと見据える。

 嘘は言っていない。だが、何か釈然としないものを覚えているのは間違いなかった。

 ここ数日の付き合いで分かった事だが、この青年は妙に勘が鋭い。昨晩も路地裏から去る際、自分は気付かなかった何事かを察知していた節がある。濁している理由はまだ確信が持てていない情報であり、それを口にして場を混乱させたくないといったところか。

 まあ、必要になった時に聞き出せばよろしい。

 とりあえずセリカは自分の中でそう結論付けて、ヴィクターの方に向き直った。

「それでオーナー、次はどう動きましょうか。やはり潜伏先の特定ですか?」

 ヨハネスの狙いに予想をつけた所で、結局それが阻止できなければ本末転倒である。昨晩の闘いにて、彼は地下へと逃走を図った。という事は、あの扉から潜伏先を割り出せる筈。最もマルクトの地下は入り組んでいるので、闇雲に探す訳にはいかないが、それでもある程度の目星はつけられよう。自動人形の製造には然るべき設備が不可欠であり、保管するにしても場所が必要になるのだから。

 そう思っての提案だったが、しかしヴィクターは待ったをかけた。

「それに関しては少し待ってほしい。実はアテがあってね。予定ではそろそろ来る頃だと思うのだが……」

 ヴィクターが時計に目をやると矢先、執務室の扉が開け放たれる。

「ようオーナー、入るぜ」

 まず入ってきたのは金髪を無造作に掻き上げた青年だった。彫りの深い顔立ちは貴公子然と品があり、紛れもない美男子と言えよう。しかしながら眼光は射竦めるかのごとく鋭く、近寄りがたい印象を受ける。

 その後ろに続くのは、黒いケープに身を包んだ娘である。夜を溶かしたような艶のある闇色の髪と、黒瑪瑙を彷彿とさせる深い色合いの瞳。その美貌は硝子細工めいた透明感と、浮世離れした風情を完璧な比率で両立している。

「やあやあ二人とも。何て良いタイミングなんだ。もしかして狙ってたりしたのかい?」

「あ?アンタじゃねぇんだから、そんな面倒なことするわけねぇだろ。……つーか、見慣れない顔があるんだが?」

 絡んでくるヴィクターを適当にあしらいながら、青年がその碧眼をヘイズに向ける。

 瞬間、ヘイズの目の色が一変した。気怠く覇気に欠けたものから、狩人のごとき冷然とした敵意を帯びたものへ。身構えこそしていないが、今にも得物を抜き放たんばかりの臨戦の気配である。

 しかしそれを受けた青年はと言えば、取り立てて気分を害した様子もなく、寧ろ面白そうに相好を崩した。

「へえ、一目で分かるかよ。なるほど、てェことはセリカが目を付けた奴ってのはお前か。まさか本当の話だったとはなぁ」

「何故私が嘘を口にする必要がありますか」

「……日頃の行いね」

 心外そうにセリカが声を挙げると、黒い娘が横から鋭く突っ込む。彼女も彼女で、じっとその瞳にヘイズの顔を映していた。

 この子が他人に興味を持つのも珍しいですね、などとセリカが内心で呟く傍ら、不躾な態度を反省したらしいヘイズが鋭い目付きを解いて頭を下げていた。

「……悪かった。初対面の人間にとる態度じゃなかったな」

「いやいや、別に構やしねぇよ。俺はテオドア・シュレーゲル。こっちの黒い女はイヴ・カルンハイン。ま、短い付き合いだろうが、精々よろしく頼むぜ」

 困惑気味な表情を浮かべるヘイズの肩を上機嫌に叩くテオドア。その様子にセリカは内心で安堵の息を零した。

『アンブラ』は取り扱う案件の性質上、部外者の直接的な介入を好まない傾向にある。一度勧誘されたとはいえ、民間人であるヘイズが結社の活動に協力している今の状況は、実の所異例も異例であった。

 よってセリカの方で根回しこそ済ませてはいたが、実際に他の構成員と接触した場合、突っ掛かれる事が懸念されていた。しかし、この場においては杞憂であったらしい。

 それどころか、この邂逅は思わぬ収穫をもたらしてくれた。

 テオドアとイヴは結社内において屈指の実力者である。おまけにヴィクターからの信も厚い彼らが認めたという事実があれば、今後反対意見を容易に抑え込める。

 最も、そうでなくとも黙らせる方法は幾らでもあるのだが。後の事を思えば穏便に済ませるに越したことはない。

「おーい、いつまでも放置されると寂しいのだがね」

「っと、悪い悪い。とりあえず、指示通り調べて来たぜ」

 ヴィクターに呼びかけられ、テオドアは手に持っていた書類の束を机の上に置いた。紙面には細やかな文字が綴られており、その横に建物の外観と思しき写真が添えられている。

「その前に、まずはセリカ君達にも説明しておこう。そもそも私は事件が始まって以来、疑問に感じていた事があったのだよ。……ずばり、吸血鬼と呼ばれる自動人形達は何処で生まれたのか」

 教鞭を執るように、ヴィクターは説明を続ける。

「吸血鬼達の正体が自動人形であることは早々に判明していた。当然軍警局は市内に存在する人形工房をマークしたし、今も不穏な動きが無いかを監視している。外部犯の可能性も疑って、入国記録を洗いだしたりもしたのだが、結果は知っての通りだ。吸血鬼達の製造主について、影一つ掴むことが出来なかった訳だよ。――これは幾らなんでも都合が良すぎると思わないかね?」

 言われてみれば確かにそうだ。それに赤い水の収集をしているのならば、市中の自動人形達と定期的に接触していた筈だし、にも関わらずそうした目撃情報の一つもないのは些か不自然だ。

 そこまで考えたセリカは、ヴィクターの言わんとしていることを理解した。

「つまり、第三者がヨハネスの存在を隠匿していると?」

「その通り。そんな訳でテオドア君達には企業が保有する工場やら研究所やら、それらしい施設の内情を調査して貰っていたのだよ」

「全くこの爺さんは、いつもいつも気軽に言ってきやがって。こちとら慣れねぇ仕事で肩が凝ったぜ……」

 今日までの苦労を思い返したのか、テオドアは辟易気味に肩を落とした。

 商業の都たるマルクトには、膨大な数の企業や商会が存在している。ある程度の絞り込める条件があったとしても、それら一つ一つを虱潰しで探る労力は想像に難くない。

 テオドアに同行していたイヴも、相変わらず氷像のような無表情を保っていたが、どこか恨めしそうにヴィクターを睨んでいる気もする。

 しかしその程度の抗議など馬耳東風と、我らが『アンブラ』の総帥は何食わぬ顔で不思議そうに首を傾げた。

「おや?偶にはこういう仕事も新鮮で楽しいかと思ったのだけど、違うのかね?」

「分かってる癖によく言うぜ。俺ァ暴れる方が好きなんだよ。次からは慣れてる奴に任せて欲しいもんだね。……で、調査の結果なんだが」

「聞こう。収穫があったそうだね?」

 ヴィクターの言葉にテオドアは頷くと、書類の束の中から一枚を抜きとり、掲げて見せた。

「吸血鬼共の出荷元として一番有力なのはここ、六番街に存在する研究所だ。元はアルビオン王国由来の製薬会社が使っていたんだが、企業自体は業績不振から半年前に本国へ撤退。それに伴って建物も閉鎖され、あとは廃棄を待つばかりっつー状況だったんだが、そこを別の企業が債権を買い取ってる。事業拡大を理由に謳っちゃいるが、未だ閉鎖は続いたまま……なのに妙に人が出入りしている形跡がありやがる」

「ほう、それはそれは。随分と露骨なことだねェ」

「加えて買い取った企業の方を当たってみたが、これが名前だけの架空の団体でな。その手の事情に詳しい裏の業者に片っ端から話を聞いて回って、ようやくある企業に行き着いた」

 そこで言葉を区切り、テオドアは頬を吊り上げた。これから起こる波乱に胸を躍らせるような挑戦的な笑みであった。

「企業の名は、デズモンド・インダストリアル。マルクトでも十指に入る、巨大企業サマだ」


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