1-12 夜に誘う 其之三
「問答無用で仕掛けてくるとは、随分な挨拶ですね」
「これは失礼、お嬢さん。しかし、こちらも事情があるのでね。不躾なのは承知だが、どうか許して欲しい」
「さて、私達には命を狙われる覚えなど、皆目見当もつかないのですが?」
澄ました口調と表情に反し、セリカの瞳には剣呑な光が宿っている。
だがそんな刃のごとき眼光に射抜かれながら、ヨハネスと名乗った男はまるで意に介した素振りもない。
こちらを侮っているのか、あるいはそうしていられるだけの確固たる自信があるのか。何れにしても一貫して落ち着き払った佇まいは、彼が漂わせる狂気と矛盾していて、不気味さを際立たせていた。
「なるほど、君の疑問は最もだ。では分かり易く言うとしよう」
ヨハネスは胸に手を当て、親しみすら感じさせる柔和な微笑みを浮かべると、
「私は、君達が『吸血鬼』と呼ぶ自動人形を造りだした者だ」
驚くほどあっさりと、己の正体を明かしたのだった。
「……隠し立てしないのですね」
「そんな事をする意味が無いからね。どうせ遅かれ早かれ、軍警局か君達が私の存在に辿り着いていただろう」
『君達』を強調した言い回しは、暗に『アンブラ』の存在を指しているのだろう。
つまり、彼は結社の実態をある程度掴んでいる。だからこそ、これまで巧妙に身を隠してきたのだ。
にも関わらず、こうして姿を現したという事実。それが示す所は一つしかない。
「なるほど、貴方の目的も完遂が近いという事ですか」
「察しの通りだ。だから後顧の憂いを断っておきたくてね。心苦しい事この上ないが、この辺りで君達には退場して貰いたい」
「は、白々しいな。心苦しいと言うならやらなければ良いだけだろうが」
失笑混じりに皮肉を返すヘイズ。が、その裏側で彼はヨハネスの一挙一動を注視し続けていた。
悠然とした、隙だらけとも言える立ち姿である。しかし、先程の出来事の記憶がヘイズの警戒心を否応なく高めさせていた。
魔術とは霊素を媒介として様々な現象を引き起こす技術であり、それゆえに術式の起動に伴い何らかの兆候が発生する。
空間に遍在する霊素の揺らぎに端を発し、火の魔術であれば周囲の気温の変化、風の魔術であれば大気の流動等……。
要は術式が効果を発揮する過程において生ずるラグのようなもので、魔導士にとっては如何にそれを短縮し、抑えられるかが腕の見せ所となる。
翻って先の不意打ちを分析すると、理想的と言わざるを得なかった。
こちらの意識の掻い潜り、かつ一切の気配を匂わせる事なく魔術を発動せしめた技量は、この男が魔導士として練達の域に達している事の証左に他ならない。
「そう言われると面目次第もないのだが、これでも本心のつもりだ。命の価値に貴賤は無く、誰のものもかけがえのない宝に違いない。そして、それを奪う事の愚かしさを、私は重々理解している」
自嘲気味に言いながら、ヨハネスは軽く指を鳴らす。すると、彼の傍らにふわりと、重量を感じさせない所作で影が着地した。
女だ。仕立ての良さそうな衣装に身を包み、両手には大きな革製の鞄を握っている。
さながら旅行中の麗人といった風情だが、冷たさすら覚える整いすぎた面貌と、何の感情も宿らない深紅の瞳は人外のそれである。
吸血鬼。ヨハネスを守るように前に出る姿はまるで忠実な従者そのもので、彼が創造主であるという事を雄弁に語っていた。
「全く、相変わらず悪趣味な人形ですね」
自動人形を前にしたセリカが、不快さを声音に滲ませながら呟く。
ここに至り、ヘイズもようやく彼女の反応に合点がいった。
昨晩は色々とあり過ぎて観察する余裕も無かったが、こうして動いている様を目の当たりにすると瞭然である。
自動人形はあくまでも機械。どれだけ人の姿に近づけたとしても、器物と生物の垣根を決して超えることはない。
だというのに、この人形はどうだ。
主に寄り添うその姿は、余りにも自然過ぎる。それこそ、本当に生きているかのように。
「道理で気色悪さを拭えなかった訳だ。……お前、そいつを作るために人間を使ったな」
ヘイズの言葉に、ヨハネスは何も言わず微笑を深めるのみ。だが、その沈黙が何よりの肯定であった。
「この場合は人体を基盤に据えたと表現するのが妥当でしょう。骨格や筋肉、血管をも機械に置き換えた生ける自動人形……それが『吸血鬼』の正体です」
セリカの台詞はヘイズへの補足を兼ねていた。
自らの技術を詳らかにされた形となったヨハネスであるが、返ってきた反応は意外なものだった。
「素晴らしい、そこまで調べられていたのか」
怒るでもなく、ヘイズ達に心からの称賛を送ったのである。
「君達も魔導士ならば知っているだろうが、大抵の自動人形は機械から成るものだ。彼女たちは市井に紛れての活動を前提としていたからね、如何に人間らしく振舞えるようにするかが大きな課題だった」
さながら良くできた粘土細工を自慢する子供のように、ヨハネスは饒舌に語りだす。
「しかし困ったことに、人体というのはとにかく複雑怪奇でね。外見や骨格を忠実に再現してみても、動作の端々に機械らしさがどうしても表れてしまう。……そこで私は発想を変えてみたのだよ。機械を人に寄せるのではなく、人を機械に寄せれば良い、とね」
その結果が、彼女たちだと。ヨハネスは誇らしげに胸を張った。
「お陰で人の仕草を極めて自然な水準で再現する自動人形の製造に成功したよ。ああ、だが安心して欲しい。確かに彼女達の基盤は人体だが、決して都市の住民を材料に使った訳ではない。きちんと専用の素体を手ずから作成しているとも」
「素体……人造生命あたりですか」
「その通り。若いのに見識も広いようで結構」
無邪気そのものな口調に反し、ヨハネスの語った内容は余りにも生命の尊厳を踏みにじっていた。
実の所、生体と機械の融合という技術自体は義肢の作成に活用されているため、珍しくはない。だがその主旨は肉体の欠損を補うための医療行為であって、ヨハネスが抱く思想とは決定的に発想が異なる。
彼が目指したのは、人と機械をより根本の部分で混ぜ合わせること。
そしてそれを実現するためだけに、部品として生命を造り出したのだ。
果てに誕生したのが『吸血鬼』。器物にも人間にも成り得ない、自然の理から外れた異物という訳だ。
「くだらん。お前がどんな崇高な目的を持っているかは知らんが、結局は怪物を生み出し、人の命を食い潰しているだけだろうが」
「ああ、君の指摘は間違っていない。私の行いは人としての道義を逸脱した、唾棄されて然るべきものなのだろう。……けれども仕方がない。我が願いの成就のためには、彼女たちの存在が不可欠だったのだから」
一転して声を落とすヨハネスの顔には、己の罪を深く恥じ入る悔恨の念が浮かんでいた。それでも尚、必要だからという理由だけで実行に移してしまえるあたり、この男の倫理観は完全に破綻している。
最早、言葉の応酬は無意味だった。
決定的に異なる信条、価値観を掲げる者同士、相互理解など望むべくもない。
よってこれより先に繰り広げられるのはただ一つ、神秘幻想が乱れ飛ぶ殺し合いである。
「さあ、美しい我が娘よ。どうかお前の力を貸しておくれ」
ヨハネスは愛おし気に、傍らに立つ人形の頬を撫でる。まるで娘を慈しむ父親の様な、親愛に満ちた所作であった。
主の願いを聞き届けた女の瞳が紅く、妖しく瞬き始める。すると、まるで怪物が大口を開けるかのように、彼女の手中で鞄が独りでに開いた。
いったいどのような原理で納まっていたのだろう、飛び出したのは二振りの剣だった。それも女の身の丈を優に越える、最早鉄塊と呼んで差し支えない無骨な得物。
それらを軽々と持ち上げて、女は切っ先をヘイズ達に向ける。一連の動きは驚くほど洗練されていて、神話に謳われる戦乙女を思わせた。
しかしてその実態は、人の生き血を啜る鋼鉄の怪物に他ならず、全身から滲みだす魔性の気配たるや、常人ならば当てられただけでも意識を混濁しかねない。
瞬間、女の姿が弾けた。弾丸のような速度で地を滑り、主の敵へと大剣を振り下ろす。
ヘイズとセリカは左右に散り、寸でのところで回避する。
たったの一撃、さりとてその破壊力は絶大だった。
隙なく敷き詰められた石畳が木の板のように無残に砕け、その下の土すら爆散する。
そして巻き上がる粉塵を払うように、もう一振り。さらにもう一振りと、息つく間もなく繰り出される斬撃。
壁も、そこに張り巡らされた金属製のパイプも、路地の中に存在するあらゆるものを木っ端と散らせる様は正しく暴風だった。
「やけに堂に入った太刀筋ですね」
「彼女は魔導士との戦闘に備え、特別なチューニングを施しているからね。君達がこれまで闘ってきた娘と比べれば、些か華やかさには欠けるかもしれないが、退屈はさせないと思うよ」
セリカの場違いな程に感心した呟きも、ヨハネスの誇らしげな応答も、大剣が巻き起こす風に掻き消されていく。
(確かに、強いな)
内心そう呟きつつ、ヘイズは敵を見極めんと目を細める、
相手は昨晩闘った個体とは異なり、あくまでも人型を維持している。あちらは市民から吸血することを主眼に、獲物の恐怖を煽る怪物性を重視した設計だったのだろう。
その点、こちらはヨハネスの言の通り、魔導士と真っ向から刃を交えることを追及している。恐らくは機動性を確保するために、余計な機構を可能な限り削ぎ落としているのだ。事実、身体能力を強化したヘイズとセリカの動きに人形は完全に追従してくる。
中空で身を捻った直後に、耳のすぐ横を凶剣が通過する。同時に背中に走る悪寒に、ヘイズは恐れるべきは膂力だけに非ずと理解した。
つまりは呪詛。昨晩以上に強力な猛毒を溢れさせる術式が、この人形にも組み込まれている。
だが、人形にばかりかまけている訳にはいかない。この場にはもう一人、自分たちの命を狙う敵がいるのだから。
「さて、娘にばかり任せていては恰好がつかないな」
言いながら、ヨハネスは手に持っていた杖の柄を一撫でする。
すると金属製の支柱が、瞬く間に溶解して彼の足元に広がった。鈍色の水たまりは意思を持つかのごとく波打ち、刃と変じてヘイズ達に襲い掛かる。
「錬金術か」
ヨハネスが振るった魔術の正体をヘイズは即座に看破した。
数ある魔術系統の中でも、最も古いものの一つだ。かつて石を黄金に変えんとする者達によって編み出され、今日の魔術産業の根幹にも多大な影響をもたらしたとされている。
その本質は物質の創造と変容。遍くモノの根源を侵す神秘が牙を剥く。
ヨハネスは楽団の指揮者のようにただ宙を指でなぞるのみ。たったそれだけで液状化した金属は矛となり、盾となり、変幻自在の様相を呈しながら、ヘイズ達の行く手を阻んでくる。
周囲を建物に囲まれた路地の中では、自ずと行動範囲は限られる。ヘイズ達はその中で無尽蔵の体力を誇る自動人形の猛攻を躱さねばならず、ゆえにこの場における最適な戦術とは退路を封じることだった。
学者然とした外見にそぐわず、ヨハネス・エヴァーリンという魔導士は幾多もの修羅場を潜り抜けている。
だが、対するヘイズ達もまた歴戦の魔導士。この程度は窮地とも言わぬとばかりに即座に反撃へと転じて見せた。
「燃えろ」
短く命ずると同時に、人形の眼前に火柱が突き立つ。
ヘイズの魔術、『愚者火』が発動したのだ。市街地の直中ゆえに、熱量は常より幾分か抑えられているものの、鋼鉄を焦がす程度造作もない。
今まさに大剣を振り抜かんとしていた人形は、どこからともなく現れた鬼火に意表を突かれ、一瞬だけ動きを硬直させる。
無論、すぐさま炎を振り払って攻撃を再開するが、その僅かな間隙こそがヘイズの狙いだった。
散り失せる火の粉を掻き分け、本命たる太刀を携えた影が疾駆する。
抜刀。夜闇を切り刻む銀閃は、何れも絶技。
舞のごとく流麗でありながら、極限にまで研ぎ澄まされた太刀筋が大剣を、液体金属の矛を悉く斬り伏せる。
そうして開かれた道に、ヘイズは踏み込んだ。体勢を崩した人形へ肉薄し、力任せにその躯体を蹴りつける。
鈍い音と共に人形が勢いよく吹き飛び、ヨハネスの側の壁面に激突する。
阿吽の呼吸もかくやという連携だったが、これは全くの偶然の産物であった。
ヘイズは元より、セリカも相手に足並みを揃えようという殊勝な心掛けは持ち合わせていない。各々がその場で最善と考えた一手を実行しただけに過ぎず、結果的にそれが上手く嚙み合ったのだ。
両者が歴戦の魔導士であるからこそ成立する妙技だった。
だが、しかし。彼らと対峙する白き魔導士もまた、尋常ならざる実力者である。
「中々やるものだ。では次はこうしよう」
静謐な湖面に触れるように、ヨハネスがそっと指先で地面に触れる。
途端、石畳を捲り上げながら、土が壁のごとく隆起した。そしてぐずぐずと泥と化すと、津波となってヘイズ達に殺到する。
「ふッ――」
裂帛の呼気と共に、セリカが太刀を一閃する。空を薙ぐ斬撃が、衝撃波となって飛ぶ。
使用したのは『霊撃』という、霊素を物理的なエネルギーへと転換する術式だ。魔導士としては身体能力の強化と同じく基礎も基礎だが、その単純な仕組みゆえに、使い手次第で大砲にすら匹敵する威力を叩きだす。
現に膨大な霊素を乗せたセリカの一撃は、土砂の波涛を押し返す所か、真正面から叩き割って見せた。
しかし、激突の余波は決して無視できるものではない。ただでさえ覚束ない足場は更に不安定になり、視界を泥の残滓が覆う。その渦中を無理やりに踏破する影は、果たして二つの鉄塊を帯びた怪物である。
それを迎え撃つは、灰色の魔導士。
短剣という傍目から見れば余りにも心許ない得物で、ヘイズは数倍以上もの頑健さを誇る凶刃と真っ向から切り結ぶ。
戦況は正しく一進一退であった。ヨハネスが本気でないのは明白で、それはヘイズ達も同じことだった。
されど相手が未だ手の内を隠している以上は、可能な限り優勢を確保すべき。
つまりは、単純に数の利を得る。
即断したセリカが、ヘイズと鍔迫り合いを繰り広げる人形に狙いを定めた。
軽やかながらも爆発的な加速を生む踏み込みは正しく疾風のごとく。一息でその身を剣戟の渦中に割り込ませ、人形の首を撥ねんと白刃が叩きこまれる。
「……っ!」
が、その寸前で、セリカは唐突に身を捩った。
太刀の振るう先は頭上。落下してきた何かが激突して、中空に火花が散った。弾き飛ばされた影は、ドレスを靡かせながらヨハネスの傍らに音もなく着地する。
前髪の下から覗く深紅の瞳。それは新たな鋼鉄の怪物が到来したことを告げており、更に闖入者はそれだけに留まらない。
ヘイズははっとして、ヨハネスの方に視線を向ける。正確には、彼の背後に続く闇の奥へ。
直後、乾いた炸裂音が二度、三度と光の明滅と共に木霊した。
ヘイズは目の前の人形の体を蹴りつけ、反動でその場から離脱する。彼がいた場所に凶弾が突き刺さり、石片を舞い上げた。
「……ここにきて追加か、面倒な」
「言った筈だ、私は君達の命を頂戴しに来たと。ならば相応の準備はしておくものだろう」
銃を携えた自動人形の登場に、ヘイズは辟易と肩を落とした。
これで三体目。一体だけならまだ対処が容易くとも、複数で襲われれば流石に手こずるというもの。市中ゆえに魔術の行使に制限をかけていたが、そう悠長にしてはいられないらしい。
「上等だ。消し炭にしてやる」
ヘイズの戦意に呼応して、周辺の大気が熱量を帯び始める。しかしそれを解き放とうとする間際、セリカが遮るように一歩前に出た。
「どういうつもりだ」
「いえ、ここは個人的な流儀を通そうかと思いまして。貴方にばかり手の内を晒させるのも不公平というものでしょう」
劣勢に陥ったと言うのに、セリカの口元には依然として涼やかな笑みが浮かんでいる。
そのまま太刀の切っ先を擬すると同時、ばちりと彼女の周囲に青白い火花が散った。それを発端に荒れ狂う霊素の奔流は、魔術発動の前兆に他ならない。
火花は更に数を増し、いつしか雷光の煌めきと化してセリカの身を覆う。
そして、神秘の名が紡がれると同時に、彼女はただ一人、あらゆるものを置き去りにする加速の世界へと突入した。
「――雷切」
閃光が闇夜を焼きながら迸った。
稲妻を纏ったセリカの姿が消えたかと思うと、次の瞬間には自動人形達は心臓部の動力機関ごと胴を切り裂かれていた。
その光景に瞠目しながらも、即座に行動に移したヨハネスの判断力は敵ながら見事と言わざるを得ない。
足元に蟠っていた液体金属をまるで鎧のように総身に被せ、防御の構えを取らんとする。
だが、何もかも遅きに過ぎた。流星のごとく尾を引く雷火がヨハネスへと肉薄し、その身に白銀の閃きを刻み込む。
「……驚いたよ」
心底からの感嘆の念を漏らしつつも、ヨハネスは大きく後ずさった。
彼の前では、雷の残滓を漂わせるセリカが、太刀を振り抜いた姿勢で立っている。
「"神速"の使い手、話に聞いていた以上じゃないか。ああ全く不甲斐ない、少々侮っていたようだ」
ぼたぼたと滴り落ちる夥しい血液が、白い法衣をみるみる赤く染め上げていく。ヨハネスの左腕は肘から先が消失していた。
例え魔導士であっても、決して無視できる損傷ではない。だが、ヨハネスの顔色には微塵の変化も見られなかった。まるで痛みを感じる機能が、元より備わっていないかのように。
「それはこちらの台詞です」
太刀に付着した血を振り払いながら、セリカは顔をしかめた。
自身の手元に視線を落とす姿は、敵を仕留められなかったことに対する不満ではなく、今も掌に残る感触を気味悪がっているかのようだった。
「先程のヘイズの反応に得心がいきました。――貴方、一体何ですか?」
剣士としての直感が、ヨハネスの異常さを手応えとして理解したのだろう。だがそれを的確に説明する言葉が見つからないのか、セリカは不快そうに口元を曲げる。
ただ彼女も確信を抱いたはずだ。この白い魔導士は、自分達とは根本から在り方が異なる存在であるということを。
「さて、疑問に答えてあげたいところではあるがね。この場はどうにも分が悪いらしい。申し訳ないが、私は失礼させて貰うことにするよ」
ヨハネスが右腕を掲げると、液体金属が集まり法衣の袖の中に納まっていく。
その寸前、斬り落とされた腕と共に、倒れ伏す人形達の中から何かが回収されていくのを、ヘイズは見逃さなかった。
暗がりの中、僅かに垣間見えたそれは、フラスコを思わせる透明なケース。そして、その中に封されていたのは、血よりも鮮烈な赤い水だった。
「俺達を殺すんじゃなかったのか?」
「そうしたいのは山々なのだがね。流石に片腕で勝てると豪語するほど、私は自信家ではないよ」
ヘイズの挑発をあっさり受け流し、ヨハネスは懐から一本の試験管を取り出した。
それを地面に向けて、無造作に放る。硝子が砕け、中に入っていた液体が零れた瞬間、路地の中に濛々と白い気体が立ち込めた。
(毒?……いや、ただの水蒸気か)
ならばこれは単なる目晦まし。
ヘイズはヨハネスの狙いを即座に見破るも、彼は既に踵を返し、夜闇に紛れて逃走を開始していた。
逃がすものか。遠ざかるその背に向けて、愚者火を放つ。
しかし、射線上に割り込んだ影がそれを阻んだ。灼熱に焼き焦がされる歪な輪郭は、無力化したはずの自動人形達だった。
動力機関を破壊され、機能を停止するのを待つばかりだったにも関わらず、彼らは主の盾となるべく立ち上がったのだ。
敵ながら見上げた忠誠心だが、この状況では邪魔でしかない。
迷いなく振るわれたセリカの一刀が人形達を両断し、引導を渡す。同時に視界を覆う蒸気が吹き散らされるも、ヨハネスは既に離脱した後だった。
「追いますよ」
「言われなくとも」
地面に残された血の斑点を辿る。
程なくヘイズ達は、路地の壁に隠れるように置かれた扉に行き着いた。錆びの付着した錠前は融解していて、無理にこじ開けた形跡がある。隙間から覗いてみれば、地下へと通じる階段が見えた。
そこまで観察して、ヘイズは横に視線を投じる。
「それで、どうする雇い主殿。このまま追いかけるか?」
判断を委ねられたセリカは瞑目し、すぐに首を横に振った。
「いえ、深追いは禁物です。この先に彼の工房があるならば、迂闊に飛び込むのは愚策でしかありません。構いませんね?」
「ああ、異存はない」
同意を示して、ヘイズは肩の力を抜いた。緊張の糸が切れたことで、どっと倦怠感が体に圧し掛かる。そんな彼とは対照的に、セリカは何ら疲れた様子もなく、思案顔を浮かべていた。
「取り逃がしはしましたが、収穫はありました。やはり、これが鍵になってくれそうですね」
セリカはコートの内側から、昼間見せてくれた小瓶を懐から取り出す。揺蕩う赤色の液体は、ヨハネスが去り際に人形達から持ち去ったものと相違ない。
「態々回収していったくらいだからな。何らかの用途を想定しているのは間違いないだろ」
最も、余り悠長に調べている時間は残されていなさそうだが。セリカが指摘していたように、ヨハネスの目的は達成が近いと見て良い。
早々に手を打たねば、取り返しのつかない事態を招くのは想像に難くなかった。
「とりあえず今夜はここまでにしておきましょう。後は早々に事後処理に取り掛かりたい所ですが……」
と、続く言葉をセリカは区切り、来た道の方に視線を転じる。
見れば揃いの制服に身を包んだ一団が、次々と路地の中に立ち入ってきていた。
彼らの胸元に光る盾の象徴。軍警局の隊員である証だった。
「これはこれは、アネット・サリバン大尉。こんな夜更けにどういったご用件でしょうか?」
「なーにとぼけてんのよ。こんだけ暴れ回っておいて、ウチらが出張らない訳ないでしょうが」
集団の先頭に立った隊長格と思しき女がセリカに応じる。
一本芯が通ったような立ち居振る舞いと、はきはきとよく通る声音は、総じて明朗快活という表現がよく似合う。気安そうなやり取りからして、どうやらセリカとは顔馴染みであるようだ。
だが、彼女の背後に控える隊員達の雰囲気はどう取り繕っても友好的とは言い難い。態度にこそ表れていないものの、彼らがこちらに向ける視線の大半からは、気に食わないという感情がひしひしと伝わってくる。
残りは無関心、或いは関わり合いになりたくないという嫌厭といったところか。
『アンブラ』が軍警局から目を付けられている、というヴィクターの話は嘘ではなかったらしい。
そんな針の筵とも呼べる状況なのだが、当のセリカは澄まし顔でアネットという女と雑談に興じている始末。
見ている側の精神衛生に大変よろしくない状況であった。と、そこでアネットがヘイズの存在に気付いたらしく、感心を向けてくる。
「そういえばそこの彼は見かけない顔ね。もしかしてアンタ達の所の新メンバー?」
「いえいえ、彼は民間の協力者です。今回の吸血鬼事件解決のため、私が個人的に雇ったのです」
「ふぅん、アンタが人を雇うねえ……」
じろじろと好奇の混じった目で見まわされる。悪意は一切感じられないが、どうにも居心地が悪い。
そんなヘイズの内心を察してか、アネットは慌てて取り繕った。
「っとと初対面でいきなりごめんね。詳しい事情は聞かないけど、この娘に付き合うんだったら精々無茶しないように気を付けなさい」
「はぁ……」
ばしり、と豪快に肩を叩かれる。
軍警局と言えば良くも悪くも四角四面のイメージ付きまとうが、セリカへの態度も含めてアネットはらしくない。それでいて、隊員達が彼女に対して不満げな目を向けていないのは、人徳のなせる業なのだろう。
「話が逸れましたが大尉、本題は何でしょうか?」
「相手は誰か知らないけど、アンタ達さっきまで派手にドンパチやってたでしょ?それでウチに市民から通報が来てね、後始末は任せて貰えないかしら?」
言いながら、アネットは戦闘の舞台であった区画を見やる。
そこは玩具箱を引っ繰り返したような有り様だった。壁の至る所に深い裂傷が刻まれており、地面に至っては道と呼べぬ程にまで粉砕されている。
更には自動人形が振りまいた呪詛によって汚染までされているものだから、修復には相応の時間を要することだろう。
ここまでの破壊が繰り広げられればなるほど、騒ぎになるのも無理からぬ話だった。
「こちらとしては構いませんが、珍しいですね。いつも私達の活動には不干渉ですのに」
「流石に通報を受けちゃったらねぇ、立場上動かない訳にもいかないのよ」
「なるほど、市民へのポーズという訳ですか」
「そういうこと。ま、後はこっちで適当に処理しておくから、誰かの目に留まる前にアンタ達はさっさと行きなさいな」
本来、ヘイズとセリカは路地の惨状を作り出した立派な当事者であり、軍警局からすればおいそれと帰す訳にはいかない。
しかし『アンブラ』と彼らは暗黙上とは言え、持ちつ持たれつの関係にある。だから落としどころとして、アネットはヘイズ達の存在を見なかったことにしようとしてくれているのだ。
そうなれば軍警局側も当事者を逃した名分が立ち、『アンブラ』としても余計な手間を取られずに済む。
最も丸く納めるためとは言え、自分達の後始末を押し付ける形になるのは間違いない。流石に忍びなさを覚えたのか、セリカは申し訳なさそうな表情で、アネットに頭を下げた。
「お心遣い、感謝します」
「はいはい、貸一つね。……あ、代わりと言っちゃなんだけど、今夜の件は何があったのかちゃんと連携してよ?ただでさえアンタら秘密主義なんだから」
「ええ、勿論です」
どうやら話はまとまったらしい。
路地の奥へと歩き出したセリカにヘイズも倣う。去り際、何の気なしに振り向いて、ふと違和感に気が付いた。
その場にしゃがみ込み、地面のある点を凝視する。
(……血痕が無くなっている?)
左腕を斬り落とされたヨハネスは、多量の出血をしていた。なので地面には血痕が残されており、自分たちはそれを頼りに彼の逃走経路を突き止めた。
けれども今。ヨハネスが落とした血の雫は、跡形もなく消失していたのである。
軍警局が処理したはずがない。何しろ彼らは作業に着手したばかりで、今は自動人形の残骸を路地から運び出している最中だ。ならば自然に消えたと考えるのが妥当だろうが……。
疑念と共に、漠然とした薄気味悪さがヘイズの胸中に募る。
「ヘイズ?どうかしたのですか?」
「……いや、なんでもない」
怪訝そうなセリカの声に立ち上がり、今度こそヘイズはその場を後にするのだった。
◇◇◇
静寂の蔓延る地下通路に、靴音が反響する。
覚束ない足取りで進む白い人影は、まるで大海をゆく小舟のように頼りない。
我ながら耄碌したものだ。左腕だったものに視線を落として、ヨハネスは自嘲気味に笑う。
ここまでの傷を負ったのは、一体いつ以来になるだろう。それも自分の油断が原因なのだから、ばつが悪いにも程がある。
とは言え、いつまでも気を落としてはいられない。直に接触を果たした以上、『アンブラ』とは遠からず再び矛を交えることになるだろう。
彼らはマルクトに仇なすあらゆるモノを狩る剣。片腕で相手が出来るような生半な相手ではない。
それに、あの灰色の魔導士。こちらが知り得るメンバーの中にはいなかった筈だが、何者なのだろうか。
ただの一目で、こちらの正体に勘づいた様子だった。外見上は只人と何ら変わりがない筈なのに。
「全く。人生とは兎角、上手くいかないものだ」
苦笑を浮かべながらヨハネスは、左腕を肘の切断口に押し当てる。
すると一体どのような原理が働いたのか、腕は瞬く間に癒着し、更には傷痕すらも最初から無かったかのように塞がった。
驚嘆すべきは、そこに魔術が行使された気配が一切なかったという点である。単なる治癒とも違う、言うなればそうあるべきと定められた形への回帰。
しかし何の代償もなく、それを成し得た訳ではなかった。蘇った指先の感覚を確かめるヨハネスは、体の内より何かが抜け落ちていく強い喪失感をしばし味わう。
「もう少しだ」
誰ともなく、血を吐き出すように呟く。
そう、あともう少しなのだ。間もなく自分の悲願は成るだろう。
それまでは例え外道と糾弾されようとも、誰に理解されずとも、この道を違えるつもりはない。
全ては現代を生きる人々のため、希望ある未来のため、そして何よりも"■■"のために――。
「……?」
ふと、そこでヨハネスは不思議そうに首を傾げた。はて、今思考の中に虫食いじみた奇妙な空白があったような。
だが思い出せないということは、きっと自分にとって不要と捨てたものなのだろう。
疑問を抱いたことすらも即座に忘却して、ヨハネスは闇の中を突き進んでいく。
彼は決して止まらない。昔日に抱いた決意の火だけを標とし、祈りの成就を迎えるその日まで。
ひっそりと更新再開します。




