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『大人と子ども』

「あっ、今日学生料金よりシニア割のほうが安いんだ、おれシニアで入れないっすかね」

「それやった瞬間指導入りますけどいいですか?」

 映画の券売機を三人で覗き込み、尾崎が手際よくボタンを押していく。チケットが軽い音を立てて発券された。


───────────────────────


 ムキになった尾崎が筐体に千円分を投入する横で物部が片手間にストラップを取る。

「ススキのひとクレーンゲーム上手ダネ」

「この手のやつは取れる物を見分けるのがエンジョイのコツなんですよ」

 既にぬいぐるみを抱えているアルヴィンに、先程観た映画にも出てくる火炎ライバーのストラップを一つ譲った。


───────────────────────


「前に店行ったとき、棚に探偵モノあったっすよね。あの作者が好きならこれオススメっす」

「おお……! これはまたオモシロソウな……」

 重厚な本を手に取りパラパラめくる。アルヴィンくらいの少年にはまだ重たそうな書籍だが、尾崎は構わず次々と勧める。

 購入を済ませ、袋を抱えてよたよた歩くアルヴィンを見かねて物部が持ってやった。


───────────────────────


 買い物も無事終わり、アルヴィンと尾崎をそれぞれ自宅まで送った物部は、荷物を肩に掛け直して駅に向かった。朝より随分重くなった鞄には例のストラップがぶら下がっている。

 これからススキ機関に帰って、今日のことを記録しておかねばならない。それが彼の仕事なのだから。

 しかし、今日の出来事を冷静に思い出そうとすると、妙な感覚が邪魔をする。心がそわそわするような、内臓が持ち上がるような。


 物部はがしがし頭を掻いて、深く深く息を吐いた。


───────────────────────


 夕方、小さな駅のホーム。昼間の熱が抜けないコンクリートが足裏をじんわり温める。小雪は時間潰しに買ったアイスをぺろぺろ舐めながら、ぼんやり座っていた。


「奇遇ですね」

 その声に顔を上げると、物部が立っていた。いつもの黒いスーツではなく、季節感のある洒落た私服の出で立ち。横目で小雪を見た物部は、少し驚いたような顔をする。

「どうして泣いているんです」


 そう言われて初めて、小雪は溢れた涙に気がついた。

「わ、わかりません」

 慌てて手で拭って鼻をすする。悲しいとか、辛いとか、そんなこと考えていなかったのに、何故だか涙が止まらない。

「ごめんなさい、何にも苦しいことはないのに、どんどん涙が出てくるんです」


 奈々子とお別れしたけれど、それだって一生の別れではない。事実、さっきは笑ってさよなら出来たのだ。

 それなのに、どうして今は泣くのをやめられないのだろう。


 物部は、困ったように小雪を見て、少し考えてからこう言った。

「涙は抑えきれない感情です。それがどんな感情にしても、分からないなりにあふれさせておけばいいんですよ。それからゆっくり理由を考えればいい」

と彼はティッシュを差し出した。


 遠くで踏切が鳴っている。小雪はそのささやかな音を聞きながら、物部の言葉を噛み締めた。優しい声色、大人な言葉。

 蝉が鳴いている夕暮れの中に鼻をかむ音が交じった。

 そのうち電車がやって来て、物部はそれに乗り込んだ。小雪の乗る電車はまだ来ない。扉の閉まる直前に彼は言った。

「理由が、いつか分かるといいですね」


 アイス溶けてますよ、と微笑みながら指を向けられて、小雪は急いで食べ切った。視線を戻す頃にはすっかり電車は去ってしまって、次の踏切が鳴り始めていた。


───────────────────────


 夏休みが明けると、また忙しない平日が戻ってくる。教科書を準備して、ノートを取って、礼をしての繰り返し。違うのは、奈々子がいないことくらい。


 クラスの女子グループは小雪に目もくれない。奈々子がいなければそんなもの。きっと、無理をして付き合っていたのは小雪だけじゃなく、向こうも同じなのだろう。


 お昼時になるとちょっと困ることになってしまった。一緒に食事出来る相手がいないのだ。今更他のグループに入るほどの度胸は無いし、仲が良いとは言え部活の後輩のところに行くのも気後れするし、尾崎は男子グループと食べるに決まっている。


 迷っているうちに自分の席はもう他の人に占拠されてしまっていて、仕方なく、廊下に設けられた広間のベンチで一人弁当を広げた。

 もそもそと白米を口に運んでいると、誰かが近寄る気配がする。見ればそれはシスター先生と呼ばれている、美人で人気の社会教師、静田(しずた)だった。


「一緒に食べていいかしら?」

 そう問われて反射的に頷いてしまう。儚げな笑顔で礼を述べた彼女は向かいのベンチに腰掛け、購買のパンを食べ始めた。

「いつもはお友達と一緒だったと思うのだけど、彼女、転校してしまったものね」

 その言葉に、もしかして気遣われているのだろうか、と気づいた小雪は急に恥ずかしくなってきた。誰の目から見ても今の小雪が孤立した生徒であることは確かだ。というか実際孤立している。

 わざわざ声をかけてくると言うことは多分、そういうことなのだろう。


「最近何か面白いことはあった?」

「え、ええと」

 しどろもどろになって目を泳がせる小雪を、静田は優しく見守る。

「面白いことじゃなくても話してくれていいのよ。悩み事でも何でもね」

「はあ……」


 と言っても最近のことで人に話せることなんて限られている。怪異がどうなんて話題を振れば、間違いなくカウンセリングを勧められるだろう。

 しかし、丸ごと嘘の話が出来るほど小雪は器用ではない。だから、嘘ではないが、真実も言わないことにした。


「……先生は」

「何かしら」

「先生は、良いことと悪いことってなんだと思いますか」


 ススキ機関で遊馬に協力を求められたとき、結局最後まで答えられなかった。ススキの血生臭い噂を聞いてきて、すぐに信用出来なかったということもあるが、何よりこれが分からなかったのだ。

 これ以上の犠牲を出したくない、と遊馬は言ったが、その達成の為にはナナフシ議会の犠牲が必要なのではないか?

 争いを止めることは良いことかもしれないが、その為に犠牲を生むのは悪いことではないのか?


 夢を見る子どものように目を輝かせる遊馬の前では口に出せなかったが、その問いがずっと小雪に付きまとっていた。


「良いことのために悪いことをするのは、良いことなんでしょうか」


 静田は一言「哲学的ね」と呟いて、目を伏せた。変に思われただろうか、と小雪が不安げに様子を見ていると、彼女は

「これは私個人の意見だけれど」

と、前置きして話し始めた。


「良いことの為にする悪いことを正当化出来るか、というのはその人次第だと思うの。その“良いこと”が何よりも“良いこと”だと信じているから悪いことをしてでも達成しようとする人がいる。その一方で、“良いこと”は絶対に“良いこと”でなくてはいけないから、悪いことを通過点にしてはいけないと考える人もいる」

 弁当を食べ終え、静田の話に耳を傾ける。柔らかな声で綴られる思考は、“シスター”のあだ名に相応しい。


「私は前者。小雪さんはどう?」

「私は……ええと」

「直ぐに答えられなくてもいいわ。勿論、これ以外の考え方もある訳だし。何か思いついたら後で教えて?」

 小雪は小さく頷いた。暫くの間の後に静田は加えて何かを言おうとしたが、それを遮る声があった。

「雛菊! 手が空いてるならちょっと手伝ってもらえないか」

「……加賀(かが)先生」


 加賀は小雪のクラスの担任で、理科を教える教師だ。静田とは反対に、粗暴で厳しいと生徒からは不評である。『見た目は華奢で大人しそうなのに中身はヤバめの体育会系』とかつて奈々子がぼやいていた。

 小雪は静田に軽く頭を下げてから、急いで弁当セットを片付けに行く。

「私とお話してたのに」

 静田は不満げに加賀を見上げたが、彼は黙って一瞥をくれただけだった。


───────────────────────


 理科室に着き、空の水槽を机の上に置いて一息つく。

「お疲れ様、ありがとうな」

 遅れてやって来た加賀が沢山のダンボール箱を抱えて礼を言った。彼は箱を開けながら「ついでにメダカに餌をやっておいてくれ」と窓際を指差した。


 よく管理された水槽の中をメダカが何匹も泳いでいる。餌を撒いて、それをつつきに来る彼らをじっと見つめていると、加賀が言った。

「ところでその……なんだ、最近変わりはないか? 変なこととか……困ったことがあったら周りの大人に頼っていいんだからな」

「え? あ、はい」

「何もないならいいんだ、うん、何もないなら」

 妙に口籠る先生を少し不思議に感じたが、それ以上追及して来ないので特に気にはしなかった。


 そんなこんなで理科室を出ると丁度ばったり尾崎と出くわした。ぎょっとして逃げようとする尾崎をすかさず加賀が捕まえる。

「こら尾崎! お前先週の課題まだ出してないだろ! 今日中に出さなかったら倍にしてやらせるからな」

「げえ!! いや、無理っすよ、今日持って来てないですもん!」

「そーかそうか、じゃあ倍確定だな!」

「横暴ー!!!!」


 神社の件以降どこか元気がないように見えた尾崎も、元の調子に戻ってきたようだ。


 願わくば、このまま新しくて平穏な日々が続いて欲しい。小雪はポケットの中の携帯電話を優しく握った。




 勿論、そんな風にはならないのだが。




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