『ナナフシ議会』
「怪我人を運ぶのを手伝ってもらえますか、ススキ機関で治療します」
呆けている小雪たちに物部が促す。それから彼は手早くどこかへ連絡を取って、事務的な会話を幾つかした。
直ぐに偽装の救急車がやってきて、四人の被害者少年はススキ機関へと運ばれていった。
朝日がすっかり昇りきって心地良い温もりを注ぐ神社で、尾崎はばつが悪そうに立っている。小雪が声をかけようとしたその時、物部が遮って言った。
「尾裂狐、ですね?」
尾崎は答えない。
「家筋に憑き、主人の願いを叶えて繁栄させるが没落も引き起こす憑き物……本来単独では行動しない筈ですが」
物部は続ける。
「以前に書類を見かけました。明治の頃に契約者の娘を食って逃げた個体がいると」
「…………!」
尾崎は今までに見たことのないほど険しい顔をした。手足に力が入っているのが見て取れる。
「ススキまでご足労願えますか?」
丁寧だが有無を言わさぬ圧で彼が言い、小雪が慌てて間に入る。
「ま、待ってください、本当にそれが尾崎くんなんて証拠は……」
「あなたも庇える立場ではありませんよ。この間、会いましたよね?」
う、と困り顔をする小雪。ばっちりバレていたらしい。
「大体こんな時間に帰ってご家族に説明が出来るんですか。きちんとご協力頂ければ、我々が偽装するのもやぶさかではないです」
アンケートさんを見られてしまっている以上、その点の追求が無いとは思えない。けれど、ただでさえススキ機関の好戦的な噂を聞いているので尾崎を行かせるのも嫌だ。
冷や汗を流す小雪の手をとって、尾崎が叫んだ。
「……逃げるっすよ!」
「……!!」
しかし、後ろに退こうとした二人はがくんと脚をもつれさせて転ぶ。驚いて物部を見上げると彼は心底からのため息をついていた。
「そんなことだろうと思いましたよ」
彼の握った拳からキラキラと光る糸が伸びている。それは小雪たちの手足首に繋がっていて、いつの間にかぐるぐる巻き付けられていた。
先刻に見た蜘蛛の糸だ。
「観念してくださいね、お二人共」
流石にもう、逃走する気力はなくなった。
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三階建てのテナント用ビル、その屋上。ノートパソコンを抱えた美少年と双眼鏡を覗く若い男がいる。
「ね〜え! あの子、連れてかれちゃったんだけど」
少年のパソコンに表示された、監視カメラからと思しき映像に、とぼとぼ歩く小雪と尾崎が映っていた。
「捕まっちゃったねぇ」
若い男がのんびり返事をして双眼鏡から目を離す。少年は暫く液晶と睨めっこしていたが、お手上げとばかりにパソコンを閉じた。
「この監視カメラ角度悪くてボクには何も出来なーい!! カナタやれる? やって!」
カナタ、と呼ばれた若い男は首を振った。
「やだよ。日本の住宅地でスナイパーライフルぶっ放せって?」
「ちっげーよ! おまえの怪談使えばいーじゃん」
「最初はそのつもりだったけどやっぱ無理。物部の坊っちゃんが相手は正直ヤバいよ」
カナタは双眼鏡を鞄に仕舞い、少年に立ち上がるよう促した。
「戻って作戦会議しよう。君がいればいつだってススキを強襲出来るでしょ?」
そう言われた少年は一変して得意げな顔になって、機嫌よくカナタを追いかける。
「まったく、ボクがいないとナナフシ議会は成り立たないんだからなぁ! もしや次期議長はボクかな!!」
「切島には言うなよソレ。面倒臭いから」
そうして、屋上の扉が閉まった。
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こぢんまりした部屋に一人、座らされている。小雪は居心地の悪そうに身を竦めた。
中学校にあったカウンセリングルームのような、柔らかい色合いなのに、使われていない冷たい感じのする部屋。
「尾崎くん……大丈夫かな」
あれからススキ機関に連れてこられて、尾崎とは別の部屋に案内された。あの何だか怖い男の人は尾崎の方に向かったようだった。
ススキ機関の建物はあの神社からやや離れた辺りの工業団地の中に、偽装された形で存在する。工場のような外観とは打って変わって、内装は学校や病院を彷彿とさせる洗練されたデザインだった。
突如ノックが響き、スーツ姿の女性が入ってくる。両手にカップを持った彼女は快活に笑ってみせる。
「どうも〜、お待たせしました」
癖っ毛のポニーテールを揺れさせて、小雪と向かい合うように席に着く。豊満な胸が机に当たる。
「いやぁごめんねぇ、怖かったでしょ。物部くん愛想がないから。顔は良いんだけどね〜顔だけはさぁ〜」
勧められてカップに口をつける。冷えた麦茶が身体に染み渡る。
「おねーさんは遊馬 夏って言うんだけど、名前訊いても大丈夫かな?」
「雛菊…小雪です」
恐る恐る名乗ると、遊馬は手元の紙に何やら書き込んだ。
「小雪ちゃんね、お洒落な名前〜。……回りくどいのやだからもう訊いちゃうけど、ナナフシ議会って集団に心当たりは?」
「ないです」
そう答えた瞬間じっと顔を見つめられて、少し、身じろぎをしてしまう。
「おっけ〜嘘じゃないね。じゃあ説明しちゃお」
遊馬は紙を放り投げて椅子に座り直す。
「実のところね、小雪ちゃんは敵対勢力の疑いがかけられてました〜」
「えっ」
「物部くんに訊いたんだけど、『携帯電話を媒介に出現する怪異』が小雪ちゃんには憑いてるんだよね」
アンケートさんのことだ。
「それは合ってます、でも」
困っている訳ではない、と弁明しようとしたが、遊馬に遮られる。
「それはただのお化けじゃあないんだ」
真面目な顔になった遊馬は説明を始めた。
「それは『機械怪奇』。キカイカイキ自体は分かってることは少ないんだけど、さっき話したナナフシ議会はキカイカイキを使って活動する集団なの」
だから小雪ちゃんも議会の子かなって思われてたんだよ〜とおどけたように言う。
ナナフシ議会は、人間であるが怪異の世界に生き、ススキ機関と対立する集団。
「どっちが正しいとか決めることは出来ないけど、私達は敵対していて、何年も何年も、面子を変えては殺し合ってる」
でも、と遊馬は言った。
「ナナフシ議会よりも先に、私達はあなたを保護出来た。これは何かを変える鍵になり得ると私は思う」
「鍵、ですか?」
「うん。小雪ちゃんが協力してくれればキカイカイキの研究も進むかもしれないし、研究が進めば議会との膠着を打破出来るかもしれない」
これ以上の犠牲を出さないで済むかもしれないんだよ、と彼女は笑った。
「だからさ、協力してほしいな〜なんて、おねーさんお願いしちゃう」
小雪は直ぐには答えられなかった。考えるだけの情報も、時間も、足りなさ過ぎた。
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「ナナフシ議会作戦会議始めまーす、点呼ォ」
アパートの一室で、短髪の男が声をあげる。だが、その呼び声には誰も顔を上げすらしなかった。
「返事しろ返事〜! 議長命令だぞ」
「全員でも六人しかいないのに点呼いるぅ? 数も数えられないのかよ切島は」
キーボードを叩き続ける美少年が一瞥もくれずに言う。ナナフシ議会議長である切島は、腕組みをして大仰に話す。
「こういうのは形だ形! やったほうがかっこいい」
「あほくさ」
ポテトチップスを皿に開けたカナタがゴロリと床に寝転んだ。その後ろから、外国人風の男が興味津々とポテトチップスに手を伸ばす。
中学生くらいの少女がジュースを開けて皆のコップに注ぎながら言った。
「今日は伊万里ちゃんだけ欠席かな」
「イマリンちゃんと働いてるからなぁ、切島と違って」
「俺かて真面目に働いてるわ! ……実際、お前のほうが暇人だろ若葉」
若葉、と呼びかけられた美少年は口を尖らせて反論する。
「ボクはまだ夏休みで〜す」
「夏休み明けても学校行かねーくせに」
図星のようでベロベロベロと舌を出すだけの若葉を無視して切島が本題を話し出す。
「で!! 新しいキカイカイキが生まれたって話だったんですけどー! …………勧誘はススキに先を越されたってオチでぇす!! 話し合って解決策を出すぞ!!」
カナタが手を挙げる。切島が指名する。
「僕たちがより良い条件で勧誘すればいいんじゃないでしょうかー」
「それだ。けど流石にススキの監視はつくだろ、接触出来るか?」
「そこはこう……拳で」
すると周りが口々に騒ぎ出す。
「いつも結局それじゃん」
「ポテチうま」
「そもそも良い条件って何かしら」
「頭良さそうな作戦にしたい」
「もっと声落とせお隣さんから苦情来る」
会議は踊る、されど進まず。ジュースはどんどん減っていく。
「よし! 決まり!」
日が暮れる頃、ようやく切島が手を叩いて話を締め切った。
「作戦決行は新入り(予定)が次にススキの支部に行ったとき! 直接殴り込み行くぞ!」
「おーう」「イエーイ」
皆でゴミを片付け、次々と帰っていく。しかし、しぶとく居残り続ける若葉がゴネて切島の足にしがみついた。
「布団あるでしょ泊めて」
「馬鹿野郎ふざけんな未成年誘拐になるだろ」
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小雪とは違う部屋で、尾崎はぼんやりと昔のことを思い出していた。過去の、大切な思い出。
自分の名前を呼ぶ懐かしい優しい声が脳裏に蘇る。
胸がズキズキと痛むような気がしたが、構わず目を閉じて、深く記憶を呼び覚ました。