『異界神社』【急】
夜。巡回に出ていたパトカーが神社の横に止まり、警察官が降りてくる。懐中電灯で道の先を照らすが、何の変哲もない。蝉の声が喧しい。
「いま子供が歩いてた気がしたんだけどな……」
不思議そうに彼が言うと、運転席に座る同僚が嫌そうに応えた。
「やめてくれよ、ここ行方不明事件があった場所だぜ」
「ごめんごめん」
警察官が再びパトカーへ乗り込んで、車はそのまま走り出した。遠ざかるバックライトを横目に小雪は安堵の息をつく。
「本当に見えないんだね」
手元で青の光を放つランタンをしげしげと見つめる。
アルヴィンが貸してくれたのは妖精のランタンというらしい。その光に包まれている者は只人にその姿を見られることはないのだと。
その代わり、注意深く周りを見ていないと、違う世界に迷い込んでしまうことがあると彼は忠告した。
『妖精は気まぐれでプライドが高いんダ。くれぐれもバカになんてしナイようにネ』
小さなドアのような蓋の付いた、ガラスの向こうで、燃料も無いのにちろちろと炎が浮かんでいる。
「ほら早く行きましょうよ」
尾崎がちょんちょん突いてくる。どうも彼はかなり焦っているようだった。
神社は相変わらず古めかしく冷淡な印象で、足元には警察の踏み荒らした痕跡が色濃く残っている。
「何を調べよう…………」
小雪が呟くように言う。誰か幽霊なり妖怪なり居てくれれば話の聞きようもあったが、どうもこの敷地内にはそういった類いがいないようだった。
(考えてみたらちょっと不自然……だよね)
これだけ木々や茂みがあるならば、多少の怪異はいてもおかしくないと、小雪はもう知っている。
少し尾崎のほうを見ると、彼は鼻をすんすんと鳴らして顔をしかめていた。
「何か変な臭いでもするの?」
「いや…………」
妙に端切れの悪い尾崎だったが、すぐにいつものぱっちりとした瞳になる。小雪は不思議に思いながらも、何か思いついたことはないかと聞こうとした。
「それでね、尾崎く」
言い切る前に衝撃が来る。少し混乱した後に、ようやく自分は掴まれているのだと理解する。
巨大な手だ。
ミシッと肋骨が軋む。尾崎も同様に掴まれており、驚いた顔をしている。
小雪たちはそのままの勢いで神社の中へ引き込まれ、扉が再び閉じていくのを社の内から見ることになった。
───────────────────────
はっとして目覚めると蜘蛛の巣の張った天井が目についた。起き上がろうと手を着いて、下が畳であると気付く。
「雛菊さん、平気っすか」
弱々しく尾崎が声を上げる。かなり強く引き摺り込まれたせいか、所々身体が痛い。幸いなことにランタンは無くしていないようで安心した。
「ありがとう、大丈夫。怪我してない?」
「怪我は無いと思うんすけど、頭がぐわんぐわんして……」
手を差し出して起き上がらせる。二人できょろきょろ見回すが、そこには、社に引き込まれたにしては随分と広い空間があった。
「これって……」
ランタンを差し向けると薄汚れた襖が浮かび上がる。
そうっと近付いて襖に手を掛けた時、その反対の縁側から、ミシリ、ミシリと音がした。
恐る恐る振り返る。
あの巨大な手が、シルエットになって縁側を進んでいる。音を立てているのは、指が脚のように床を踏みつけているかららしい。
思わずお互いの口を塞ぎ、息もしないように身を竦ませる。
「大きな子どもはお造りにして、小さな子どもは踊り食い。ススキはもうすぐ殺せるから、そしたら料理の準備をしよう」
腕は延々と同じことを言いながら通り過ぎて行く。障子に映る影がすっかり消えた頃には、血生臭い臭いが小雪にもはっきりと感じられた。
(ススキ機関の人もここにいるんだ……)
不穏な台詞による嫌な想像を頭の隅に仕舞い込んで、二人は隣の部屋へと移った。
───────────────────────
凄まじい剣戟で敵を切り払い続ける物部の端整な顔には、冷や汗が滲み始めている。
腕一本一本はさしたる脅威でもないが何分数が多いのだ。退くことすら難しい千万無量の攻撃が確実に彼の体力を削る。
「済みません、そろそろ薬が切れそうです」
「はあ!? 早過ぎんだろ!!」
刀から心底驚いた声が飛び出た。物部は動きを止めず返り血を浴び続ける。
「恐らく外と時間の流れが違うのでしょう。思ったより時間が経っているのかと……ぐっ」
張り手を受け切れず、バランスを崩した物部を一際大きな腕が狙う。そのまま巨大な手に包まれ姿が見えなくなった。何かが砕ける音が太い指の隙間から漏れ出る。
邪魔者を握り潰せたと満足げに確認する手の平から零れ落ちたのは────木片だった。
腕が状況を理解する頃には、物部は既に障子の向こうへ消えようとしている所であった。
「おいおいおいおいおい何してくれてんだよアレ俺様ちゃんのオキニの一張羅なんだけど!?!?」
剥き身のままの忠義が恨めしげに怒鳴る。
「これを機にもっと軽い鞘にしてもらいましょう。重いんですよアレ」
そう言いながら物部は再び薬を飲んだ。後ろから迫り来る音を感じながら更に速度を上げる。
「このまま逃げつつ行方不明者を探します。貴方も手伝ってください」
「だぁもう仕ッ方ねぇなぁ!!」
───────────────────────
襖を開けては次の部屋に移り続け、怪物の迫る音に息を潜めて数分後、尾崎が小雪を引っ張った。
「こっちっす!」
天井の高い、物置のような室内に飛び込む。血の臭いが一層濃くなり思わず口元を覆う。
そこに転がっていたのは、小雪にも見覚えのある数人の少年達だった。尾崎が駆け寄る。
「先輩、先輩!!」
「う、うぁ……」
意識のあるのは一人だけのようだった。彼の足は折れているらしく、大きく腫れ上がっている。
「ば、化け物が、俺、起きてるのバレたら食われると思ってっ、ずっと、気絶したフリしてっ!」
回らない口で何とか説明をしようとする少年を尾崎が制止する。
「大丈夫っす、もう大丈夫っすから!」
「他の人は起こせるかな、流石に四人は運べないよ……!」
「心配ないよ」
声の主を見て、痛む足を抑えていた少年が悲鳴を上げる。
壁に所狭しと蠢く沢山の手、天井から涎を落とす沢山の口。いつの間にか周囲が異形の様相を呈している。あらぬ方向へねじ曲がった腕が小雪達を誘うように揺らめいた。
「運ばなくていいよ」
怪異が何を言っているのか動悸の音でよく分からない。
誘い込まれたんだ。
上手く逃げたと思い込んでいた。
手の平で転がされていただけだったんだ。
「帰らなくて良いんだよ」
汚らしい音を立てて、歪な歯並びの口が大きく開く。
どうにかしなくてはいけない。その思考で一杯になった小雪は反射的に携帯電話を取り出した。
「アンケートさん!!!!」
例え事情を知らない尾崎達の目の前であろうとも、やれることをしたかった。怖がられても気味悪がられても良いから。親友に恥じない自分でありたかったのだ。
しかし、その想いは無碍に砕かれる。
素早く伸びてくる手に携帯を弾かれたのだ。空を舞った携帯電話は、そのまま敵に奪われてしまった。アンケートさんは出てこない。
「あっ」
携帯電話を弄り回していた腕だったが、忌々しげに吐き捨てる。
「キカイカイキか、ふざけやがって」
小雪は頭が真っ白になって、へなへなと座り込んでしまった。何を間違えたのだろう。それは多分、全てを間違えたのだろう。自分に自信を持ってしまったから、やれることがあると勘違いしたからだ。
やっぱり私は誰かの後ろをついて回ることしか出来ないんだ。
───────────────────────
尾崎は悩んでいた。
一度手に入れた物を捨てることに躊躇していた。このままでは皆死ぬと分かっていても尚、秘密に向き合うことを恐れていた。
怖がられてしまうだろうか。気味悪がられてしまうだろうか。自分の隠し事を知られたら。
「アンケートさん!!!!」
小雪がそう叫ぶまで、尾崎は動けずにいた。
今の時代に珍しい折り畳み式の携帯を取り出して誰かを呼ぶ少女。呆然と見ている間に、携帯は敵の手に落ちた。
彼女の表情を見た瞬間、尾崎の考えは一変する。
ああ、伝えなくてはいけない。出来ることをすることが、どれだけ勇気のいることか、どれだけ頼もしく見えることか、伝えなくては。
貴女は、何一つ間違えていないと。
「あの携帯、あれがあれば何とかなるんすね」
はっとして見上げる小雪が、震える声で応える。
「…………うん」
「取り返します」
え、と声を漏らす小雪を置いて、尾崎は飛び上がった。小雪の身長の倍はあろうかという高さで、掴みかかる手を蹴り飛ばして避ける。
彼にはふさふさの尻尾が生えていた。
尾崎は手を伸ばすがギリギリ、携帯に届かない。体勢が崩れた所を狙った腕に、小雪は思わず妖精のランタンを投げつけた。
「チンケな灯りが……!」
そう怪物が言い放った瞬間、ランタンの蓋が勢い良く開き、中の炎が真っ直ぐ飛んで腕を焼く。熱さに腕がビクリと硬直した隙を、尾崎は見逃さない。
「盗ませてもらうっすよ!」
させるかとばかりに大きく横振りされた腕が直撃するかと思われたが、すんでの所で姿が掻き消えた。
目を凝らせば、小さな狐と言おうかイタチのような小動物が小雪の携帯を抱えている。
着地と同時に人間の姿に戻った尾崎が、携帯を小雪に手渡した。
「ありがとう、尾崎くん」
もう一度あの名前を呼ぶ。
「『アンケートさん』!!!!!!」
───────────────────────
「綴! この部屋だぜ!」
忠義が示した部屋からは振動と強い気配が伝わってくる。しかし、戸に手をかけても、抑えられているようでびくともしない。
「裏から攻めましょう」
物部はそう言うと部屋を移って回り込んだ。例の部屋に繋がるであろう壁に向かって、刀を低く構える。
「消し飛ばします」
一瞬の後、何重にも切り込みの入った壁が無残に崩れる。すぐに飛び込んだ物部が腕を全て斬るつもりで構えるが、直ぐに改める。
携帯の着信音が響く。
『殺しますか? 殺すなら』
「いち」
小雪が静かに言う。
物部が刃を切り返して唱える。
「死霊操術、『人面蜘蛛』」
夥しい腕がまるで凍りついたように動きを止める。物部が喚び出した蜘蛛の吐き出す糸が縛り上げているのだ。
赤黒い鎌を、アンケートさんが振り上げる。
一閃。
怪物の叫び声が部屋を埋め尽した。
ビリビリとした絶叫に気圧され、全員目を瞑ってしまう。
次に目を開けた時には、カビ臭い小さな社の中に戻っていた。外はもう、朝日が昇り始めている。