『師弟』
「ふん、退屈そうじゃないか」
病室で、ぼーっと外を眺めていた物部がその声に振り返る。エナメルの床を蹴り飛ばすように足音を響かせて、二々木が部屋に入ってきた。古賀は恐る恐る様子を伺いながら、入口で待機している。
「うわ」
「何がうわ、だ。露骨に面倒臭そうな顔しやがって」
「無自覚パワハラ三十路おじさんが急に部屋へ押し入って来たのでつい…………」
「何?」
「いや、気にしないでください」
椅子に腰掛けた二々木は、見舞いの品を置いて、じろじろと物部を見ている。
「怪我の具合はどうだ」
「もうすぐ退院できますよ」
「そうか、当然だな、寧ろススキの回復術が掛けてあるにしては遅いくらいだ。健康管理がなってないぞ。朝飯は抜くな、肉も野菜も食え、夜は寝ろ、風呂は湯船を張れと何度も言っているだろう」
「あれ? 今のは回復に安心する流れでしたよね? なんで急にダメ出しされてるんでしょう、俺」
二々木は電車の中でも見ていた書類を取り出すと、また数回めくって眺めた。それは、数十年にも渡るススキ機関とナナフシ議会の交戦記録だった。
「で、どこのどいつが俺の弟子を負かしてくれた訳だ」
「負けてないんですけど」
「潔く認めろ」
「逃げられただけなんですけど!」
「潔く! 認めろ!」
まだ大声を出すと痛む腹を押さえて、物部は口を尖らせた。
「……だって、言ったらあんた、殺しに行くでしょ」
「何か問題が? あいつらは怪異の延長線だ、人間じゃないぞ。そもそもお前は今までそんなの気にしていなかっただろう」
「………………俺の相手なんで、手を出さないでくださいってことですよ」
二々木は困ったような顔をした。一瞬、何か言いたげに口を開いたが、それは結局音にはならず、彼はくるりと背を向けた。
「そうか、まあいい。………………飲み物を買ってきてやる、何が飲みたい」
「コーラで」
「葉月、お前は?」
「えっ、あ、えーと、コーヒーのブラックがあれば…………」
不機嫌な足音が病室の外に消えた。
物部と二々木の会話を固唾を呑んで見守っていた古賀は、二々木が離れたのを確認すると、静かに寝台へと近付いてきた。
「あの、あんな態度でしたけど、二々木さん、東京であなたのこと凄く心配なさってたんですよ」
「そうなんですか?」
「心配して考え込むあまり、この一ヶ月で割ったマグは六個、家具に足の小指をぶつけること十二回、電車のドアに挟まれること五回、今はストレスで口内炎が三個ありますし、出がけに慌て過ぎて自宅に鍵を掛け忘れた上にエアコンが付けっぱなしだそうです」
「満身創痍…………」
早急に帰ったほうがいいのではないかと思うが、だいたい自分のせいでもあるので物部は何も言えない。
「あの、物部さんは二々木さんのお弟子さんだったんですよね」
「はい、結構前の話ですが」
「私……実はまだ、あの人のことよく知らなくて。過去に何があったのかも何も…………」
口籠った古賀は、少し躊躇ってから言った。
「あなたが怪我をしてから、二々木さん時々泣いてるんです。色々な人の写った写真を持ちながら」
「そうでしょうね」
「理由を教えていただけませんか? 私、知りたいんです…………仕事を共にする相棒として」
二々木はまだ帰ってきそうにはない。それもそのはず、物部は知っているのだ。そう、この病院の自販機にはコーラがない。
おそらく二々木は東京と同じ感覚でコンビニを探しに行ったことだろうが、実はこの辺、コンビニも結構遠い。
「こういう話、本人から聞いた方が良いとは思うんですけど、まあどうせ教えてくれないでしょうから。いいですよ」
「ありがとうございます!」
「でも、結局は単純な話ですよ」
そう言って、物部は話し始めた。二人が抱える、罪のことを。
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ご存知かとは思いますが、俺は怪異が視えません。専用の薬が開発されるまでは、視える誰かと一緒じゃなければ、まともに暮らすことも出来なかったんです。見鬼が出来ない術師の子どもなんて、怪異にとっては都合のいい餌でしかないですから。
両親もなんとか自力で身を守る術をと、家に伝わる封印術に限らず、呪術、妖術、果ては西洋の魔法まで俺に教えてくれました。でも、俺は何一つ出来なくて、一時はそもそも呪力や魔力が全くないんじゃないかとまで言われました。
でもある日、俺は、自分が唯一、死霊呪術だけは使えることに気が付きました。それでも、まず相手を倒せなければ何にもならないじゃないですか。それで、俺は誰かに自分の力の使い方を教えてもらうことになりました。
それが二々木さんでした。
当時はまだかなり若くて、界隈の有力な新人くらいの立場だったはずですが、『他にない能力を扱う』ことにかけて、彼の右に並ぶものはいませんでした。何せ二々木さんは、元々あった術を転用して独自の術を自分で創り出してしまった人でしたから。
そのノウハウを教えてもらおうって話になったんです。
それで結果は、大成功。俺はしばらく彼と一緒に仕事をして、怪異を集めて契約して、そのうちに補助薬も開発され、何とか一人でやっていけるような一人前になりました。
結局、家業は兄が引き継ぐことになりましたけど、俺も二々木さんのツテでススキ機関に入って、こんな仕事を始めた訳です。
二々木さんの評価が変わったのはその頃でした。
俺みたいな、落ちこぼれ扱いだった子どもをいっぱしの術使いに仕上げた。それは事実だとしても、俺のちょっと変わった事情とか、二々木さんに任された経緯とか、そういうのをすっ飛ばして結果だけ見る大人が多かったんです。
世界各地で、現代化に伴った術師の後継世代不足が問題に挙げられ始めた頃でした。魔法使いや魔術師は後続のための学校を作り、妖術師や呪術師は諦めてその座を科学や医学に明け渡しました。
ススキ機関では有力な術師に、若手を任せて育てようという方針が取られました。人数を増やすというより、質を上げる方向だったようです。
二々木さんのところにも何人も弟子が入ったそうです。
でも、本当のところ、二々木さんは師匠には向かない人だったんです。多分、自分でも分かっていたんじゃないでしょうか。
俺の術なら、弱い怪異から始めて少しずつ強い怪異を倒していくだけで強くなれます。だから二々木さんは、俺の目の代わりになるだけで良かった。
それに、二々木さんは強い能力者ですが、撃ち漏らしも多かった。それをカバーするのが昔の俺の仕事で、今の古賀さんもそうでしょう?
経験がないのが問題である新人が、実戦で先輩術師のカバーばかりしていて強くなれる訳がなかったんです。ましてや、他に誰も使えない術を使う二々木さんの戦いを見ていても何の参考にもなりません。
でも、二々木さんに回ってくるような仕事をメインでこなせる実力があるなら、弟子入りなんかしてません。
二々木さんのところに来た弟子は、みんな強くなったつもりで帰っていって、死にました。
その度にあの人は、自分のせいだと言って泣くんです。そんなことを何度も繰り返して、そのうち上層部も彼に弟子を取らせなくなりました。
結局のところ、生き残った弟子は俺だけです。
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「二々木さんは怖がってるんです、自分のせいで人が死んだと思うのが。俺たちが出会わなければ、死ななかった人かもしれないから」
「だから、あんなに狼狽して……」
物部は、改めて古賀の顔を見た。古賀家はススキ古参の有力一族、芒八家と呼ばれる内の一つ。話に聞いているだけでも実力は確かだし、こんなふうに歩み寄ってくれる人が二々木には必要だ。
「…………あなたは死なないでくださいね。二々木さん、きっと古賀さんのこと大切ですから」
物部は、いつになく柔らかな笑顔でそう伝えた。