『虚構をよぶ放送』
「色々頼み事しちゃってごめんなさいね」
夕暮れの校舎、赤く染まった廊下を小雪と、美人教師の静田が歩いている。
昨日に電車で澄と会った後には、特にこれといったことはなく、容赦なしに月曜日が始まった。
静田はやけに小雪のことを気にかけてくれているらしく、今日も雑事の手伝いを口実にあれやこれやをよく話した。
「そういえば、変な噂はすっかり消えたみたいで良かったわね」
静田が笑った。
変な噂、というのは夏休み前の、小雪がクラスの女子グループと『アンケートさんを喚び出す儀式』をしてしまったことに起因するものである。
嫌がる小雪に電話を強制した女子が、駅の階段で転倒し大怪我を負った。
実際はアンケートさんの引き起こしたものだったが、彼女が「誰かに突き落とされた気がする」という発言をしたので、直前に揉めていた小雪が犯人かと疑われたのだった。
職員の間でも小雪を疑う意見が出ていた。
「加賀先生が証言してくださったらしくて」
「ええ。私も職員会議にいたから実際に聞いたわ」
小雪の担任で、理科教師の加賀。
彼は「落下事故の起きた時間帯には、雛菊小雪へ校舎内での携帯使用について叱責を行っていた」と職員間の疑惑を否定した。
重ねて小雪の親友である奈々子の、同級生へのフォローもあって、ありがたいことに噂は今ではほとんど消えてしまっていた。
「生徒に人気は無いけど良い先生ではあるのよね………あら? まだ電気のついてる教室が……」
静田が明かりに気付いてそう言った。
二組の天窓から人工的な光が見える。消し忘れか、それとも生徒が残っているのだろうか。小雪が駆け寄り、扉にそっと手をかける。するすると開いて中を覗くことが出来た。
「…………尾崎くん?」
「ひ、雛菊さん!? それに静田先生!」
中にいたのは頭を抱えた尾崎幸太郎だった。
どうして、と問いかけて小雪はふと思い出す。尾崎が先週、加賀から、未提出の課題があると説教されていたことを。
「あの野郎本当に倍にして追加を出してきやがったんすよ……! 許せねえ……許せねえ……!」
「出さなかったのが悪いとしかコメント出来ないわね、教師的には」
話を聞けばどうやら、終わるまで帰らせないと言われたらしい。
「じゃあ一緒にやろう? 分からないところあるなら、少しは教えられるし」
「いいんすか!?!?」
尾崎の前の席に遠慮がちに座る。廊下からそれを見ていた静田が、肩をすくめて言った。
「残るのは良いけど、六時半には教室を出て頂戴ね。鍵をかけるから」
「はあい」
元気よく返事をする子ども達を尻目に静田は立ち去った。その顔は、微笑ましげで、慈愛に満ちていた。
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「おわ、お、終わった!! うひょあ!!」
「頑張ったね、尾崎くん」
あまりの達成感に奇声を発する尾崎。時計を見れば、丁度リミットの五分前だ。
尾崎は興奮のままに覚束ない手で課題をかき集めると鼻息荒く息巻いた。
「出しに行くっすよ!!! あのふざけた理科教師に! 叩きつけてやるっす!! こんな感じで! こんな感じで!」
びゅんびゅんと課題の束を振り回す。加賀を課題で叩くイメージトレーニングということらしい。
「静田先生にも六時半までって言われたしね、職員室寄ってそのまま帰ろっか」
「っす!!!!!」
リュックを背負って廊下に出る。秋に差し掛かろうかというこの頃、外は薄暗くなり始めていた。
静まり返った廊下を二人で歩いていると、小雪は以前聞いた七不思議を思い出した。
奈々子曰く。
「『幽霊を喚び出す放送』。夕方の、もう先生が鍵をかけて回る頃に、一人二人でまだ校舎に残っていると校内放送が聞こえてくることがあるんだって。幽霊の特徴を伝えるだけの声がするんだ。するとその通りの幽霊が、帰らない生徒の前に現れるって噂だよ」
まるでぴったりな状況だ。そう思うと少しドキドキしてくる。
そうだ、尾崎はこの噂を知っているのだろうか? そう思って口を開こうとした。その時
ぴん、ぽん、ぱん、ぽん
「校内放送すね」
「でも音がちょっと変だよ……」
尾崎と顔を見合わせる。そうこうしているうちにノイズ混じりの放送が始まった。
『二年二組、尾崎幸太郎くん。二年三組、雛菊小雪さん。後ろで怪異が待っています。黒くて、大きな、人一人簡単に握り潰せる怪異が待っています』
思わず振り返る。するとそこには、真暗な闇が、巨大な闇が、巨人の形になって迫ってきていた。
「え、ああああああああああ!?」
咄嗟に駆け出し、転びそうになりながら前に進む。渡り廊下を抜けて、仕切りの扉を乱暴に閉めた。どうにかこうにか鍵をかけると、あの闇は無理矢理こちらへまでは来られないようだった。
よろよろ後ずさって、未だに脈拍の速い心臓を押さえる。
「いやいやいや、あんなんありっすか…………!?!?」
「なんていうかさあ! 七不思議ってもっとこう……慎ましやかなものじゃないのかな!!」
壁に背を預けてずるずると座り込む。ほっと一息ついていると、尾崎が何かに気がついた。
「………………?」
「どうかした?」
「誰か近づいてくる…………」
小雪の耳にも物音が届き始めた。人気のない校舎に響く、足音と鈴の音。
知り合いであれば良いが、果たして。二人は唾を飲み込み身構えて、音のする方を注視した。