『ウォッチ・ミー・イフ・ユー・キャン2』
「ねえ、知ってる?」
道端で数人の子ども達が囁き合う。
「見えないさんのお話」
ランドセルがぶつかりそうなくらいくっついて、それぞれの耳へ交代交代に口を近づける。
「スマホに夢中になりすぎると、『見えないさん』がやってくるんだって」
「パソコンも、ゲームもだよ」
「遭ったらどうなるの?」
「眼をくり抜かれるよ」
「耳が千切られるんだって」
「手も斬られて持っていかれるの」
ここがね、見えないさんのおうちなんだって! と一人の子どもが指差した先は、荒れた空き家だった。庭には雑草が蔓延り、ボロボロのサッカーボールが置き去りにされている。
「嘘だあ、ここ空き家なんだよ」
「泥棒に入られて家族全員殺されちゃったから空き家なんでしょ?」
「違うよ、男の子が一人生き残ったんだよ。その子が見えないさんになったんだって」
「家族みんなパソコンとかゲームに夢中で、誰も泥棒に気が付かなかったって」
割れた窓がそのままにされている家を横目に通り過ぎながら、彼らは彼らの、あたたかい家に帰る。
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バットが地面に落ちる。咳き込みながら膝をついた切島は、自身の背後に赤錆色の三角帽子と血染めの斧を見た。
「死霊操術──『赤帽子』」
斧を持った醜い小柄な老人が、ケタケタ笑って切島を見ている。老人は切島の血で鮮やかに染め直された帽子を満足そうに眺め、それからふわりと消えていった。
背中を切り裂かれたらしく、喉の奥から塩気のある液体が込み上げる。
「見えないくらいで逆転される訳にはいきませんよ」
物部がゆっくり立ち上がる。
「これも、仕事ですから」
切島は俯いたままでいる。肩で息をして、服がどんどん重たくなる。
だが、その目は死んではいない。
視力を奪われた物部は気付いていなかった。いや、気付けるはずがなかった。彼の足元、丁度真下に、カメラの起動されたスマートフォンが落ちていることには。
カメラはしっかりと物部を捉えていた。
スマートフォンの液晶に、まるで落描きのような赤い線が走る。線は映像の中の物部を袈裟掛けにして、その通りに現実にも斬撃が生まれる。何が起きたのか分からない物部は後ずさる。
再びバットを掴んだ切島は、今度こそ一撃叩き込む。咄嗟に防ごうとしたものの、腕ごともろに食らった物部が呻き声を押し殺す。切島が笑う。
「俺たちも、単なる趣味って訳じゃねーからよ!」
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物部は左腕を折られたと思い、激痛を堪えようと身構える。だが、いつまで経っても痛みはない。気がつけば、今までに受けた傷も痛まない。地面に倒れた感覚がない。刀を握る感覚がない。
「あんた、音楽とか聴かないタイプか」
暗闇の向こうで切島の声がする。どこが下かも判別がつかなくなっている物部は、どうにか声のする方向を見つけようとした。
「刀は早く離したほうがいいぜ。加減出来ずに手が砕けるからな」
「…………なるほど、奪うのは視力だけじゃない……ということですか」
「大、正〜解。俺の“機械怪奇”は、攻撃する度に相手の『機械に使う機会の多い順に』五感を奪える。大抵の奴は最初に視力が無くなるねぇ」
キャラに似合わずトリッキーだろ?と切島が胸を叩く。
「ま、そのまま大人しくしとけよ、皮膚感覚が無いまま無理に動くと大怪我するぜ」
切島の足音が遠ざかる。
思ったより血が出ているのか、物部は眠くなってくる。どこかで忠義の、自分を呼ぶ声が聞こえていたが、段々それすらもよく分からなくなっていった。
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小雪は動けないままでいた。
暫く続いていた金属音と喋り声が止んで、誰かに再び話しかけられる。
「ちゃんと待っててくれてありがとな。能力解くと一括解除しちまうんで、見えないのはもう少し我慢してくれ」
聞こえてきたのは切島の声だった。心のどこかで漠然と、物部が勝つだろうと思っていた小雪は急に怖くなってくる。
「あの……物部さんは……」
「殺してはねぇ。…………君はこっち側だろ、なんでススキを気にかけんだ」
車はもう使い物にならないらしく、切島は小雪の手を引いてどんどん進む。
「一度優しくしてくれたからって信用していい奴らじゃねえ。君が“機械怪奇”を持ってるから利用したいだけに決まってる」
酷い血の匂いが鼻をつく。それでも深手を負っていることを微塵も感じさせない態度で切島は話し続けた。
「ススキ機関のやり方はおかしいよ。人間を守るためなんて言って、従わない魔術師や怪異を殺してやがる」
まるで拗ねた少年のような口ぶりで切島は語る。もしかしたら小雪とそう年が離れている訳ではないのかもしれない。
「でも遊馬さんは、あなた達もススキの人を殺してるって」
「そりゃ殺されそうになったら殺し返すしかないだろ、向こうが先にやってきたんだ」
「切島さんは誰かを殺したことはあるんですか」
小雪がそう言うと、切島はぴたりと足を止めた。
「俺はまだだ」
静かに答える。落ち着いた声色だったが、力強さが根底に潜んでいる。
「だけど、いざとなれば手を汚すのも躊躇するつもりはない。我々の正義のためなら俺は、どんな悪事も厭わない」
ススキを何人殺してでも、と一層低い声で呟く。もう一度歩き出そうと小雪の手を引くが、小雪はそれを振り払った。
「ごめんなさい、もう行けません」
切島が今どんな顔をしているかは分からない。驚いているだろうか、それとも怒っているだろうか。
「……ススキ機関の側につくからか」
返事からは感情の機微が読み取れない。下手なことを言ったら殺されるだろうか。しかし、小雪は退かなかった。
「あの、私…………ススキ機関には、協力しないって言ったんです」
つい先刻の話だ。遊馬の誘いは断った。掠れた声で切島が言う。
「まあ、きみくらいの女の子なら戦いに巻き込まれるのは怖いもんな、仕方ない」
「違うんです。どちらも犠牲にしないのが、私の正義だと思ったから」
切島が息を飲む音がした。
それから、小雪の視界がふっと開ける。切島はどこか悲しそうな表情で、能力を解いていた。
「……そんな綺麗事が通用するかね」
「それだけの力があるって、皆が教えてくれました」
携帯電話が震える。古臭い着信音が鳴る。三人目の、気配がする。
小雪の携帯は切島が持っているはずだった。小雪が『アレ』を喚べる訳がなかった。だが、それは今までの話だ。小雪が微笑んだ。柔らかい唇が動いてその名を呼ぶ。
「ね、アンケートさん」
小雪の優しい声とは裏腹に、禍々しく暴力的な影が浮かび上がる。そしてその姿は、前に現れた時よりもより一層、ヒトに近付いていた。背筋の凍るような殺気はすぐに無くなり、穏やかな様子で霧散した。
「私たちが、誰も犠牲にならない道を探します」
傲慢だと自分でも思う。組織と組織の争いに、一人で何が出来るんだ、とかつての小雪なら諦めていたと思う。けれど、藻掻くことで何か変わるかもしれないのなら、今の小雪はその方法を選ぶ。そう決めたのだ。
「参ったな」
ため息をわざとらしく吐いてみせる。切島は困ったような、嬉しそうな、複雑な表情を見せた。
「ま、せいぜい止めてみい」
それから小雪に返そうと、切島は携帯を取り出す。
その後ろに、何かが降ってくるのを小雪は見た。
「死霊操術『魔縁天狗』……!」
黒スーツと日本刀。
物部が、死にもの狂いで切島へ斬りかかる。彼の砕けた手の骨が、軋んで擦れ合う音がする。切島は振り返ることすら間に合わない。
小雪は咄嗟に、ポケットの中のキーホルダーを、切島へ押し付けた。
刃が振り下ろされた後も切島には何もダメージがない。代わりにキーホルダーのぬいぐるみは、真っ二つに裂かれていた。
切島が携帯を返すと同時に後ろに下がる。そこは別の工場の監視カメラの画角だった。
「逃がすか…………!」
「待ってください!」
追撃しようとする物部の、服を小雪が掴んで引き止める。
物部が躊躇う。その間に切島は再び姿を消した。
無理をして追ってきた反動で、物部は意識が朦朧とし始める。ふらつく彼を急いで支えた小雪は、辺りに飛び散る血の跡に、その時初めて気がついた。
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ぱっと景色が変わり、切島は自分の部屋に出た。隣の部屋から血相を変えた若葉が足音を立てて飛び込んでくる。
「おいクソ島!! 血!! 怪我!!」
「おう、今にも死にそうだわ、治療よろ」
服を脱がせて傷を診る。若葉はどうにも焦って手元が覚束ない。
「ふ、深過ぎるよ、表面治しただけじゃ駄目だ。カナタじゃないと……」
消毒液をばしゃばしゃかけられて、切島が顔を顰める。若葉は止血しながら呟いた。
「…………なんであの子を連れてこなかったんだよ。怪我のし損じゃんこんなの」
「……そりゃあれよ、カッコつけ」
「はあ?」
「ちゃんと自分で考えて決めたんならさ、尊重してやるのが大人ってもんだろ」
照れ臭そうに話す切島を、若葉は呆れた顔で小突く。肩の力も抜けて、手の震えもとうに止まっていた。
「それで手抜きとかしないでよね」
「そこはちゃんとするって。真っ直ぐ全力でぶつかって、それでも負けるからこそ、あの子の意志が強かったって証明になるんだしな」
切島の握った拳が、西陽に照らされる。若葉は少し和らいだ顔で軽口を利いた。
「あーあー良いのかなぁ、議長が負けても良いなんて言ってて。イマリンが知ったら幻滅しちゃうよ」
「いっ…………よし若葉、このことは秘密な! 二人だけの秘密!」
「ボクもっと良い椅子欲しいなー」
「買うから!」
「おっけ」
若葉と切島が拳をこつんとぶつける。それから二人は黙ったっきり手当を続けた。
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病室。
物部が目覚めると、傍らには見知った顔がいた。遊馬が雑誌を読んで座っている。彼女の盲目も、もう解除されたようだ。
「君がこんな怪我するの、何年振りかな」
「さあ……入院は中学の時が最後でしたけど」
左腕にはギプスがつけられて、右手も動かせないように固定されている。息をすると胸が痛むし足もどこか傷めたらしい。紛うことなき満身創痍だ。
「小雪ちゃんがススキに連絡くれたんだよ。じゃなかったら流石にヤバかったね〜」
「そうですか…………じゃあ、雛菊さんは議会には行かなかったんですね」
「あはは、あの子も大概良い子だよねえ。大人を信用しちゃってんだ。こっちがちょっと手段を選ぶ素振りを見せたものだから」
何があっても私たちはナナフシ議会を皆殺しにするのにね。そう遊馬が言う。物部は返事をしなかった。廊下を看護師が歩く音が聞こえる。
「……物部くんさ〜、ちょっとブレてきてんじゃない?」
遊馬は雑誌を閉じて備え付けの机に置いた。
「ナナフシ議会のリーダーと遭った時、彼は小雪ちゃんから離れたらしいけど、君の術式なら彼女を回収して逃げるくらい造作もなかったよね」
遊馬は間髪入れずに続ける。
「でも物部くんは敵を殺すことを優先した。そういう風に仕込まれてる」
「なら、何もおかしくはないでしょう」
「後悔してるのが丸分かりなんだよね〜。鉄臭い自分を小雪ちゃんに気付かれるのが怖いのかな?」
物部の血色の悪い頬に手を添える。お互いの吐息が掛かりそうなほど近くに鼻先を寄せ、遊馬は囁きかける。
「夢なんか見ちゃ駄目だよ。幾ら望んだところで、汚れた私達は“頼れる大人”にはなれない」
ぱっと離れて遊馬が笑った。
「意地悪言ってごめんね〜、じゃ、私帰るから。ゆっくり休めって支部長も言ってたよ。またね」
病室の戸が閉まる。頭にこびりつく声を振り払うように、物部は深く呼吸をした。傷が痛むのも構わずに。何回も、何回も。