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『アンケートさん』

 夏。線路沿いに植えられたハナミズキから、蝉の声がする。


 肌がじっとりと湿っていくのを感じながら、制服姿の少女は俯いて駅のホームに立っていた。夏休みの昼間の、しかもさして大きい訳でもない駅だから、周囲に人はいない。

 もったりとした、なまぬるい生き物のような風が柔らかくぶつかってくる。まだまだ電車は来そうにないと分かっていても線路の先を見ては溜め息をついてしまう。


 携帯電話が鳴る。


 少女は肩をはねさせて鞄の中を探る。

 彼女の顔色は悪い。

 夏休み中の部活動とはいえ、学校に行くのに携帯の電源を付けたままにした覚えはない。


 今どき珍しい二つ折り携帯を取りだし、恐る恐る蓋を開く。液晶には『おばあちゃん』と書かれていた。それでも、少女の顔は強張ったままだった。

 キーボードに触れてもいないのに、勝手に電話が取られる。ひっ、と少女がひきつった声を上げた。


『……落としますか?落とすなら1を、落とさないなら#を、押してください』


 男とも女ともつかぬ、合成音声。

 少女は震える指先でシャープを押す。


『アンケート、ご協力ありがとうございました』


 黒髪の少女は携帯をしまうと、それからますます俯いてしまった。


───────────────────────


 時間通りに電車は来て、少女は一駅離れた市街地で降りた。

 普段なら自宅から学校までは自転車で通える距離だが、この夏があまりにも暑いので、大事をとって夏休みの間は電車を使うことにしていた。

 ここから家はすぐ近く。早く帰って、クーラーの効いた部屋で氷入りの麦茶を飲むべきだ。

 そう思ったところで、ふと違和感を覚えて横を見る。


 こんなところに建物あったっけ?


 暑さでぼんやりする頭を働かせて思い出す。

 いや、ここは大通りへ抜ける道だった筈だ、今朝までは確実に。それが今や、レンガ造りの建物で塞がれている。貼り紙や看板がべたべた貼られているところを見るとお店のようだ。それらに窓が覆われているせいで、中は覗けない。


────『困ったときに来るお店』?


 一番大きな看板に、堂々とそう書かれている。他の貼り紙には『多分何とかできる』『きっとお値段は安い』『ぜったい話だけは聞く』等、少々心許ない文章が載っていた。

「幻覚見えてるかも…………」

 消え入りそうな声で少女が呟く。けれど、口とは反対に足は自然と戸口の方へ進んでいた。


 藁にもすがる思いで。

 あの携帯の入ったバッグをぎゅうっと抱き締めて、温まったドアノブを握って引いた。


───────────────────────


 子供たちは気温など気にせず、思いのままに夏を遊ぶ。

 数人の小学生がプールではしゃぎながら、ひそひそと囁き合っていた。


「あのね、お兄ちゃんに聞いたんだけど、怖い話!」

「もしかして、呪いの電話の話?」

「そう、それ! 四人集まってある番号にかけると、アンケートさんに繋がるの!」

「アンケートさんに繋がるとどうなるの?」


 最初に話し始めた子供は一層声をひそめて、大人の目を気にするようにしながら言った。まるで、大人に聞かれれば怒られると分かっているかのようだった。


「アンケートさんに繋がると、呪われて、電話がかかってくるようになるんだって。嫌いな誰かを殺すとか、病気にするとか、そういうアンケートを取られるんだって!」


「呪われた人は訊かれるだけなの?」

「違うよ! そうやって何回も何回も訊かれてる内に、呪われた人もだんだん弱って死んじゃうんだって!」


 きゃーっと、甲高い、悲鳴のような、歓声のような、そんな声が上がる。


「うそだぁ!」

「本当だって! お兄ちゃん言ってたよ、高校生に、アンケートさんに電話かけて階段から落っこちた人もいるって」

「あ、それ見た! この間の駅前に救急車が止まってたやつでしょ?」

「アンケートさんってどんな見た目してるんだろう」

「怖いね」

「今度アンケートさんに電話かけてみようよ」

「大きな鎌とか持ってるんじゃない?」

「やだよ」


 沢山の会話は混じりあって、入道雲の流れる空に吸い込まれていく。

 ただの噂話が現実を侵食していることなど、無邪気な子供達には知る由もなかった。


───────────────────────


 少女が足を踏み入れた店は、甘くて涼しい独特な匂いがした。正面の奥にはカウンターがあり、両脇には天井まで届く棚に木箱や瓶が並べられている。

 香草が紐で吊るされて、開けられた扉から入る風で揺れていた。


「薬屋さん……?」

「そうだヨ」

 カウンターの奥から声が聞こえた。

 驚いてそちらを見やると、自分よりもずっと幼い男の子が一生懸命カウンターの椅子に登ろうとしているところだった。


「イラッシャイマセ、どんなお薬が必要デスカ」


 ぎこちない日本語に、明るい髪色。

「…………海外の子?」

「イングランドから来た。名前はアルヴィン、ヨロシクネ」

「よ、よろしく」


 すっと差し出された手をそっと握って、握手する。

「ここは悩みがある人だけ入れるところ。だからあなたも悩みがある。違う?」

「困ってること…………は、あるけど……」

「どんな悩みでもイイヨ。薬が治せるの、ケガとビョーキだけじゃナイ」


 無意識にバッグを見る。相談して良いものか少し迷う。

「変な話なんだけど、信じてもらえるかな……」

「不思議なことはイングランドでもよくある。大丈夫ヨ」

 少女はこくり、と覚悟を決めたように小さく頷いて話し始めた。


───────────────────────


 私の名前は雛菊小雪(ひなぎくこゆき)


 人付き合いが苦手で、いつも教室で本を読んでいるような人間。

 でも、幼なじみの奈々子に連れられて、クラスでも派手なタイプのグループに交じることもあった。


 あの日は、学校で噂になってた『アンケートさん』を呼んでみようってグループの一人が言い出して、本当は嫌だったけど強く言い出せなくて、一緒に放課後の教室に残った。

 私にもう少し勇気があれば良かったのかな。


 電話をかける役は私になった。


 『アンケートさん』はボタンのある電話じゃないといけないから。


 それも断れなかった。いつもならフォローしてくれる奈々子も、あの日に限って風邪で休んでた。


 言われた通りに番号を押して、電話をかけた。本当に『アンケートさん』に繋がることよりも、知らない人に繋がってしまったり、電話を使っているところを先生にバレたりする方がその時はずっと怖かったけれど。


 少しのコール音の後、聞こえてきた声は普通の人間のそれじゃなかった。


『アンケートです』


 背筋が凍りきって、粉々に砕けてしまうのではないのかと思った。

 次に、誰かが仕込んだイタズラじゃないのかと疑った。でも、周りを見渡しても、様子のおかしな私を訝しげに見ているだけで、事態を把握しているようには見えなかった。


『殺しますか?殺すなら1を、殺さないなら#を押してください』


「ねえ、どうしたの?繋がった?」

「あ、あの、実は」

「見せて見せて」

 ぐい、と携帯を引っ張られて、私は勢いでボタンを押してしまった。


 そのボタンは1だった。


 どうしよう、どうしよう、と血の気がなくなっていくのを感じている内に、誰かが面白くなさそうに携帯を突き返してきた。


「何だ、かからなかったんじゃん。脅かさないでよ」

「えっ?」


 慌てて携帯を耳に当てると、不通を伝えるよくあるアナウンスだった。


 皆が帰ってしまった後、嫌な感じがして、さっきの電話にもう一度かけ直した。

 やっぱり繋がらない。それでも、必死になってお願いした。

「待って、殺しちゃ駄目、絶対に殺さないで、間違いなの!」

 先生が巡回に来て、電話の使用を注意されて、帰るよう言われるまで、ずっと、ずっと。



 次の日、グループの内の一人が駅の階段から落ちて重傷を負ったことを知った。


───────────────────────


「それからずっと、この携帯に『アンケートさん』から電話がかかってくるの。あの時一緒にいた子達を、落とすかどうか尋ねるの」


 事情を語りきった小雪に、小さな店主は首を傾げて尋ねた。


「コユキはどうしたい?」

「どうしたいって……」

「ボクができるのはお手伝い。どうなったら良いかはキミが決めることダヨ」


 そう言えば、私はどうしたいんだろう。『アンケートさん』にいなくなって欲しい?……それも何か違う気がする。手違いとはいえ、呼んでしまったのは私だ。


「私は……話がしたい……かな。ちょっと怖いけど……」

 アンケートが取れるくらいだから、きっと会話も出来るだろう。そうしたら、話し合いで解決出来るかもしれないじゃないか。


「それは良い考え方。コユキは優しい」

 アルヴィンはカウンターの下を暫く探って、桜色の小瓶を取り出した。

「コレ、薬」


「く、薬?」

「飲むとお化けや妖精が見えるようになるヨ。ボクは魔法使いだからネ。不思議な薬いっぱい作れる、すごいデショ」


 ふんすふんすと鼻を鳴らして得意そうな顔をしている。小雪にはそれが冗談か本気か良く分からなかったが。

 それからアルヴィンの自慢げな表情はすぐに消えて、真剣な顔つきになる。


「デモ、この薬には注意。“見る”ことは彼らと深く関わること。無関係には戻らないヨ」

 つまるところ、元の生活に戻りたいだけなら、祓ってもらうほうが良いという訳だ。


「チョット考えてきてもイイヨ! いつでも待ってる」

「そうしてみる。ありがとね」

「薬の良いとこ悪いとこ、説明するのがボクの仕事ダヨ」


 やっぱりちょっと自慢げだ。


───────────────────────


 店を出て、振り返るとそこはもうただの道路だった。

 季節柄まだ陽は高いが、結構時間が経ってしまったように感じる。


 白昼夢かとも思ったが、服に残るあの涼しげな匂いが鼻をくすぐる。


「早く帰ろう」


 誰に言うでもなく、そう呟いて歩き出す。

 家に着いてから、シャワーで汗を流し、丁度上がった頃に再び携帯が鳴った。ドキドキする胸を抑えてそーっと手を伸ばすと、小雪は拍子抜けしたように声をあげる。


「奈々子から?」


 『アンケートさん』はいつも祖父母の名前を使って電話をかけてきていた。ではこれは本当に彼女からなのだろうか?


「もしもし」

『もしもし、小雪?』


 聞き慣れた声がする。じんわりとした安心が小雪を包んだ。


「どうしたの、奈々子」

『ようやく聞いたのよ、あたしが休んでる間に何があったか!』


 奈々子は随分と焦っているようだった。

『亜美が階段から突き落とされたって……しかもそれを小雪がやったんじゃないかって噂になって』


 噂されているのは本当だ。小雪と奈々子は幼なじみでお互い仲の良い親友だったが、奈々子の友人とはそうではなかった。弄られ役、のようなものだったかもしれない。


 『アンケートさん』の一件も、小雪はノリが悪かった。その後に階段から落ちた、それも誰かに押された気がするとあっては、仕返しじゃないかと囁かれても仕方ないだろう。



「それは……」

『あたし言ったよ、小雪はそんな奴じゃないって』

 え、と声が出る。

『当たり前じゃん、あたし小雪のこと信じてるもん。それより、何で言ってくれなかったの、疑われて困ってるって』

「ご、ごめんなさい」

『……どうして謝るのよ。でも、これはおあいこかもね。あたしも小雪に言わなかったことあるし』

「言わなかったこと?」


 回線の向こうの奈々子は少し言い澱んで、それから頼りない声で言った。


『……あたしね、夏休み中に引っ越すの』

「え」

『黙っててごめんね、自分で言いたかったから、小雪には言わないでって小雪のじいちゃんたちにもお願いしてたの』

「引っ越しって、どこに?」

『そんなに遠くはないから! 県内だよ県内』


 そう言うものの、挙げた地名はとても気軽には行けないような場所だった。

 奈々子も元気に振る舞っているが、どこか悲しそうだ。


『だからね、あたしが引っ越しても小雪が安心出来るように、友達増やして欲しかったの。でもあたし馬鹿だね、合わないだろうなって思ってたのに、無理に付き合わせちゃった』


 そんなことを、思ってくれていたのか。


『あいつらも結構良い奴らなんだよ! でも、小雪は我慢しがちだってこと、忘れてたんだ。……あ、悪いね、長話しちゃって。また今度、ちゃんと挨拶に行くから。じいちゃんばあちゃんにもよろしく言っておいて! ……じゃあ』

「うん、また今度」


 早口で切り上げた彼女の台詞は、鼻声混じりだった。ともあれば、無理に引き留めたりはしない。奈々子はかっこつけたがりなのだ。


「………………私、我慢してたのかなぁ」


 携帯をぼんやりと見詰めて、そう語りかける。返事を期待していた訳ではなかったけれど。


 小雪は思う。

 奈々子はどれだけ勇気が必要だっただろう。友人たちから私を庇うことに。私に秘密を打ち明けることに。


 私も、勇気を出してみる時が来たのかもしれない。

───────────────────────


「あ、イラッシャイマセ」

「こんにちは」


 次の日、決意新たにあの場所へ向かうと、店はその姿を現した。


「早いネ。気持ちは決まった?」

「うん。ばっちり」


 アルヴィンはうんうんと頷いて小瓶を差し出した。

「飲むんだネ。お代は先に貰ってイイ?」

「あ、そうだね。……あんまり高いとアレなんだけど」

「120エンでイイヨ」

「120円!?!?」

 それは安過ぎるのではなかろうか。


「??? ちょっと高すぎたか?」

「払える、払えるけども!」


 小雪が小銭をちゃりちゃりと渡す。アルヴィンはそれを確認すると満足そうに親指を立てた。


(もしかしてポンドそのままの価値だと思ってるんじゃ……)

 ポンド換算すると確かに高校生には辛いお値段になるので、後で教えることにした。




 魔法の薬はどこか懐かしい匂いがした。昔に奈々子と飲んだ瓶入りラムネのような、軽やかな匂い。


「……私、うまくやれるかな? 人付き合いは苦手なんだけど」

 少し手を止めてアルヴィンを見る。

「ダイジョブ。キミって結構、話すの上手ダヨ!」

「………………うん」


 大きく息を吐いて、一気に飲み干した。匂いそのままの味が柔らかく舌に触れる。

 くらくらするような感覚を覚えた後、小雪の視界はさっきまでと一変していた。


「わっ!」


 空気中を漂う光るナニカや、薬を吟味するナニカ。妖怪とか、妖精とかと呼ばれるような彼ら達。私達以外誰もいないと思っていたけれど、この店はこんなにも賑わっていた。


 小雪はチカチカする目をしばたいてから、そっと振り返る。

「…………貴方が、『アンケートさん』?」


 噂通りの、怖い姿だ。

 右手に大鋏、左手に大鎌。どちらも赤く錆びてしまっている。ほつれたコートから伸びる手足には、人形のような関節部が目立つ。黒い靄のせいで顔はよく見えない。


 彼(彼女)が頷くような動きをするのを見て、小雪はしっかりと向き直った。


「あのね、私ね、言わなきゃいけないことがあるの」

 アンケートさんは動こうとはしない。

「私、誰かを傷付けたいとは思ってないよ。苦手だなって思う人でも、嫌悪をぶつけたら駄目だから、だから、その……」


 アンケートさんがターゲットに指定してきた名前はいつも、小雪が苦手に思っている人達だった。奈々子や祖父母を落とすかどうか尋ねたことは一度も無かった。

 だから、もしかすると、『アンケートさん』は『そういう存在』なのかもしれない。


「ワたシ……が、コわい……でスカ?」


 靄の中から言葉が聞こえる。継ぎ接ぎしたみたいな、ぐしゃぐしゃな音。


「もう怖くないよ。……最初はちょっぴり怖かったけど」


 あのとき、確かに「殺しますか?」と聞いてきた。でも、実際に落ちたあの子は大怪我だったけど命に別状はないらしい。

 それからも、かかってくる電話はいつも「落としますか?」になっていた。

 まるで、「殺さないで」というお願いを聞いてくれたみたいに。


「きっと話が出来るって、信じてたから」


「あナた……は、怒っテ、いマス……か?」


「怒らないよ。貴方なりに考えてくれたんでしょう?」


「アなた、に……わたシは、必要、ナイ……ですカ?」


「もう大丈夫だよ、私、無理な我慢はやめるから。でも……普通の電話なら、くれたら嬉しい、かも」


「そ、ウ……」


 アンケートさんはそう言ってから、すうっと消えた。

 床には小雪の携帯が落ちている。それを拾って、小雪は微笑んだ。


 小雪は一つの結論に辿り着いていた。

 『アンケートさん』は、単なる怖い怪談ではない。ただ、自分に電話をかけてきてくれたことが嬉しくて、その人が嫌いな人を排除することで感謝を伝えようとする怪異。人間から見れば間違っているかもしれないけれど、それは一つの視点でしかない。


「ありがとう」


 応えるかのように、コール音が一回鳴った。


───────────────────────


 優しい怪談と不思議なお店。

 まだ、全ての始まりでしかないけれど、何よりも大切な始まりでもある。

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