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6.舞踏会の夜

 その夜、ここ、フェルディナンド王国の王宮はいつもに増して輝いていた。

 荘厳な正門から続く馬車道だけでなく、闇に沈む庭園までもが無数の燭台で飾られ、次々と家紋入りの馬車が乗りつけられる。時代がかったお仕着せの侍従が優雅な動きで扉を開け、着飾った貴顕たちが大理石の床に降り立つ。特に今夜は異国からの客も多く、贅を尽くした装いの招待客たちが深紅の絨毯の先へと吸い込まれていく。

 そんな中、王家の紋がつけられたひときわ豪華な馬車が横付けされた。

 降り立ったのは王太子クロードだ。次期王位継承者にふさわしい金と蒼。王家の色を配した正装に身を固めた彼は近づいた侍従の手を断り、ふり向いた。手ずから馬車の扉を支え、同乗の令嬢の華奢な手を取る。

「段差に気を付けて。いや、そのままでいい、降ろしてあげるよ」

 驚く彼女の細腰に腕を回し、そっと抱き下ろす。

 示された親密な態度に、周囲がどよめくのを感じた。

 当然だ。今までのクロードは国が定めた〈婚約者への公平性〉と儀礼を重んじて、公の場で派手な真似をおこなうことは控えていた。だが今夜は彼女こそが正当な王太子の婚約者であると皆に見せつけるためにここへ来た。

 王太子の婚約者でありながらこの半年、親の妨害にあい、社交の場に顔を見せなかったリージェ。婚約者の義務すら果たせない令嬢だと悪い噂がたっている。これを何とかしたかった。

 注目を浴び、足をすくませたリージェの顔を覗き込む。

「大丈夫、皆、君があまりに綺麗だから驚いているだけだよ、リージェ。僕がついてる」

 重ねた手に力を込めると、彼女が顔を上げ、その美しいアメジストの瞳を見せてくれた。

 ここは公式の場。王太子の婚約者としてエスコートをされながら臆してはクロードに恥をかかせる。そう自分を鼓舞したのだろう。彼女がこくりとうなずいてくれる。

 そうなれば厳しい妃教育を乗り越えた彼女に敵う令嬢はいない。

 優雅に、淑やかに。

 彼女は神が最初からそう創造した似合いの一対のようにクロードに寄り添い、歩んでくれる。その品位ある姿に、皆の目が変わっていくのが心地よい。

 王への礼をすませ、玉座の隣で客人たちの挨拶をうけていると妹娘をエスコートしたリリューシュ侯爵が現れた。

 挨拶のため歩み出て膝を折る瞬間に、侯爵がリージェの胸に眼をやった。

 そこにあるのは、見事な碧玉をはめた首飾り。クロードの瞳と同じ色の宝玉だ。

 リージェには王太子の瞳と同じ色の宝石を。

 彼女の妹には身に着ける本人の瞳と同じ色の宝石を。

 公平に、同じだけの値がつく品を贈った。ただし今夜の主役はどちらか、王太子が真に大切に思っているのは誰かをその色ではっきりと差をつけた。それを悟ったのだろう、侯爵が悔しげに唇を噛む。

「……殿下、最初の一曲はぜひ我が娘マリアージュと踊っていただけませんか」

「侯爵。今日はリージェのエスコートをしている。当然、最初の一曲は同じくそなたの娘である彼女が相手だ」

「そこをなんとか。リージェ、お前からも何か言わないか」

 王の前だというのにしつこく食い下がる侯爵が、リージェに目を向ける。公の場だというのに今の今まで無視しておいて、最初の声掛けがこれか。

 リージェ、何も言わなくていい。クロードは無言で呼びかける。だが。

「……〈お願い〉です。どうかマリアージュと踊ってくださいませ」

 静かな、諦観に満ちたリージェの声が響いた。

 ため息をつくとクロードはそっとリージェの手を取り、その指先に口づける。

「…………一曲だけだ。だからどこにもいかずここにいてくれ」

 今宵の踊りの相手を妹に譲られることはリージェのふだんの言動から予測済みだった。だがまさか最初の一曲から譲られてしまうとは思わなかった。

だが〈お願い〉ならしょうがない。そういう約束を事前に彼女と結んでいる。

 ここへ来る前、彼女を迎えに侯爵邸を訪れた時のことだ。

 約束の時刻に彼女が住まう離れに行くと、彼女は自身の寝室に籠城していた。

 侯爵の指金だ。察した。

 今夜だけはリージェを夜会に出席させるようにと侯爵には念を押した。が、侯爵のことだ。何かしら妨害してくるとは思っていた。だからこそ邪魔をされないよう彼女のもとに女官を差し向け、自身も本邸にはよらずに直接、離れに迎えに行った。が、侯爵は動かしにくいクロード周辺に働きかけるのではなく、リージェ本人を動かすことにしたようだ。彼女は気分がすぐれないと着替えをすすめる女官たちの手を断り、部屋に閉じこもっていた。

 婚約しているとはいえ家族でもない男が未婚女性の寝室に押し入るわけにはいかない。単純だが有効な手だ。だが今回ばかりは見逃してあげるわけにはいかない。

 礼儀違反を承知でクロードは寝室に踏み込んだ。

 驚く女官たちを横目に寝台の傍まで行くと彼女はシーツを頭からかぶって縮こまっていた。まさかクロードが押し入るとは思わなかったのだろう。可愛らしい抵抗に目尻が下がってしまう。

「リージェ」

「き、今日は気分がすぐれないのです、ですから……」

 嘘が苦手な彼女らしく声が裏返っている。

 聖域育ちですれていないからか、彼女はたまに微笑ましいほど幼い行動をとることがある。

 つい、唇がゆるんで、その丸みの隣に腰掛けてしまった。

 椅子を用意した女官の眼が険しい。が、許してほしい。めったに会うことのできない婚約者の、こんな可愛い一面を見られる機会などそうはない。

 目の前にあるやわらかな丸みをそのままシーツごと抱きしめたくなる。

 が、我慢をして指先だけで布一枚隔てた彼女にふれた。驚いて、ぴくり、と体を強張らせるところも可愛くて仕方がない。彼女といられるなら夜会になど出ず、ずっとここに閉じこもっていたい。女官たちの目があるとはいえ楽しいだろう。

 だが彼女が王太子と一緒にいるところをそろそろ皆に見せておかなくてはならない。さもないと妃の座は妹のほうに決まったと妙な誤解をされてしまう。だから。

「ところで、こんなものを下の居間で見つけたのだけど」

 無邪気な抵抗を続ける彼女に、とっておきの切り札を出してみる。

「布のかかった籠だけど中に綿や糸といろいろなものが入っているね。もしかしてこれが前に言っていた、君がつくっているお人形かな」

 女官に探させておいた籠を掲げると、ぴくりと彼女の体がゆれた。

「君が出て来てくれないならしょうがない。寂しいが代わりにこの子たちを連れて行こう。胸のポケットに入れて、舞踏会の席で婚約者の代理ですと皆に披露して……」

「だ、駄目ですっ」

 耐えきれず、彼女が顔を出す。かぶっていたシーツのせいで髪が乱れて、寝起きの子どものようになっている。真っ赤になった涙目でこちらを見上げる姿は本当に可愛くて。夜着でなくきちんと着こんだ部屋着姿でいてくれてよかったと心の底から神に感謝した。さもないと自分の自制心を保てたか自信がない。

 ひょこひょこゆれる寝ぐせのような髪に、つい、ぷっと笑うと、彼女がまたシーツの中に隠れようとした。それを阻止して「お互い歩み寄らないか、未来の王妃様」と持ちかける。

「君がこんなことをするのは侯爵に何か言われたからだろう? 侯爵の願いと僕の願い。君はその間にいる。さあ、どうすればいい? 王妃教育の実践だよ。お互い主張を曲げない二国があると置き換えてごらん?」

 問いかける。生真面目な彼女はこう言えば一生懸命考えて答えを出してくれる。

「仲裁に立つ君はどうすれば双方を満足させられるかな?」

「……話し合いを重ねて、互いの望みの落としどころを見つける、ですか?」

「正解。君は僕と王宮に行きたくない。それは僕に君の妹の相手をさせたいからだね?」

 リージェが気まずげに目をそらす。

「ところが僕が共にいたいのは君だ。だから君が王宮へ行かないと言えば、僕もこのままここに居残るよ」

「それは、困ります」

「だから歩み寄りだ。君が僕と来てくれるなら、僕も舞踏会に出席しよう。そうなれば当然、侯爵たちの挨拶を受けることになる。彼らの相手ができる。ここに二人でいるより侯爵の望みに歩み寄ったことになる。そのうえで仲介にたつ君への利点もつくろう。僕と一緒に舞踏会に出てくれるなら、僕は一つだけ、君の〈お願い〉を聞いてあげるよ」

 お願い、と聞いて、また彼女が顔をうつむけてしまう。自然とその顔を見たい自分は寝台に手を置き顔を近づけることになる。彼女の温もりが感じられそうなほど近くに身を寄せて。

 嘘の下手な彼女は策士にはなれない。だがすでに立派な人たらしだと思う。その証拠に自分はもうめろめろだ。逃げる彼女を追わずにはいられない。目を閉じ、彼女の吐息を感じる。彼女の長い髪が頬に触れて、甘酸っぱい花のような香りが胸に満ちる。

 彼女の華奢な手に自分の手を重ね、そっとささやく。

「君の妹はね、いつも僕に、お願い、と言うんだよ。だけど君は出会ってから二年になるのに、一度も僕に何かをねだったことがない」

 リージェが寂しげに目を伏せた。自分にはそんなことを口にする資格はないと言うように。

 その様にクロードは胸が痛くなる。なんとかしてこの薄幸の少女を幸せにしたい、微笑ませたいと望んでしまう。彼女は気づいているだろうか。こういう時、クロードは決して〈マリアージュ〉と彼女の妹を名では呼ばない。自分が名を呼びたいのは彼女だけ。リージェだけだ。彼女の妹はあくまで彼女の付随物、〈妹〉でしかない。そのことをどう言えば彼女に信じてもらえるだろう。世のすべてに知らしめることができるだろう。

「ねえ、リージェ? 僕は君の口から、お願い、を聞いたことがないよ」

 だから、言ってみて、と懇願する。

「僕は、君に我儘を言われてみたい」

 だが、彼女は諦観に満ちた声で言うだけだ。「できません」と。この世界には〈お願い〉を口にしていい者と、そうでない者がいるのだというように顔を背けてしまう。

 こちらが立ち入ることのできない侯爵邸での暮らし。リージェが妹と同じ願いを口にしても侯爵を怒らせるだけなのだろう。だから彼女は口をつぐむ。願いをもつことをやめたのだ。

 それでも懇願すると、彼女はやっと〈願い〉を口にしてくれた。

「……では、マリアージュと踊っていただけますか?」と。

 予測していた〈お願い〉だ。だからこそ叶える願いは一つに限定した。

 胸が痛い。ここには彼女を監視する侯爵はいない。自分や女官たち王宮から来た者だけだ。だからどんな我儘を言ってもいいのにそんな答えしか口にできない彼女が切なくて。クロードは思わず彼女の手をとっていた。口づける。

 可愛いリージェ。君を親の呪縛から解き放つにはどうすればいい。

 彼女はずっと囚われたままだ。童話にある悪い魔法使いに囚われた王女様。だが童話と違い彼女は悪い魔法使いを愛していて、助けに来た王子を見ようとしない。

 ため息をついて意識を〈今〉に戻すと、クロードは踊っている相手を見る。

 王家主催の舞踏会の席上だ。

 自分は舞踏会の幕開けを告げる最初のダンスを踊っている。

 こちらを見上げ、媚びた笑みを浮かべるのはエスコート相手のリージェではなく、彼女の妹だ。リージェの〈お願い〉で譲られてしまったから。リージェはクロードの腕の中ではなく、父侯爵と共に踊りの輪の外にいる。

 また嫌味を言われているかもしれない。早く救い出してやらねばと焦る。

 だが同時に理解している。

 この場で彼女をこの手に取り返しても、それは一時のことにすぎない。彼女は舞踏会が終われば侯爵邸に、親の支配下に戻ってしまう。また自分の手の届かないところへいってしまう。そうなれば終わりだ。今度はいつ会えるかわからない。

 王子とはいえ、いや、王子だからこそ、明確な理由もなく他家の内情に口出しはできない。王族自ら法を破れば皆に示しがつかない。

 絶大な権力をもつように見えて王族の立場は制限が多い。まだ年若な彼女の親権が父である侯爵の手にある限り、他家の家内には立ち入れない。

 彼女が「親から虐待を受けている」と証言してくれれば話は別だが、あのリージェが親を売るような真似をするわけがない。その状況下でこちらが強引に出れば侯爵は彼女に危害を加えかねない。人質に取られているようなものだ。

(今、できるのは密偵を侯爵邸に潜り込ませ、陰から見守ることくらいか……)

 自分の無力が歯がゆい。

 クロードは、くっ、と奥歯を噛みしめた。そこで、ふと、何かが引っ掛かる。

(おかしくはないか?)

 リージェと彼女の妹は同じ父、同じ母をもつ実の姉妹だ。いくら引き離された期間があったとはいえ、実の親がこうまで姉妹の待遇に差をつけるものだろうか。

 遠い、玉座の傍にいるはずの侯爵の姿を目で探す。彼とは以前から王族と、それに仕える貴族として顔を合わせていた。多少、頑固なところはあるがお人よしが取り柄の凡庸な男という評価だった。その後、侯爵邸に出入りし言葉を交わす機会が増えたが、その印象は変わらない。夫人のほうも貴族には珍しく愛情深い、家庭的な女性だったはずだ。

「……いつから、だ」

 思わずつぶやく。

「いつから、彼はああなった……?」

 思い出せない。二年前、聖王妃候補を家に戻すと王が告げた時、侯爵は明らかに安堵した顔を見せていた。手元に娘が戻ることを歓迎していた。それがいつからリージェをあんな目で見るようになった? 

「どうなさいましたの、殿下?」

 声をかけられてはっとする。見下ろすと、彼女の妹が無邪気な顔でこちらを見上げていた。

大きな、吸い込まれそうになる薔薇色の瞳。

 唐突に思った。この薄紅の瞳を間近で見るのは何度目だと。

「君、は……」

 言いかけた時だった。広間の対角でどよめきが起った。なにごとかと顔を上げると、信じられない光景がそこにあった。

 自分ではない男が、リージェの手をとり踊っている。

 艶やかなダークブラウンの髪に、この国では珍しい琥珀色の瞳をした男だ。上背のある逞しい体に黒の夜会服をつけ、堂々と彼女を腕に抱き踊っている。

 かっと体が熱くなるのを感じた。

 誰だ、王太子のものに手を出すのは。この国の者ではない。この国の者ならリージェの複雑な背景を知っている。踊りに誘う馬鹿はいない。

 思わずステップを踏むのをやめると、男と目が合った。

 見た事のない男だ。なのに自分はこの男を知っている。何度も会っている。そう感じた。

 そして改めて異常に気づく。くっきりと男の顔が見える。おかしい。広間には煌煌と灯が点されているとはいえ、夜の屋内だ。この距離でここまで細かく顔の判別がつくはずがない。

 なのに男が目を細めるのがわかった。愛し気に彼女にふれながら、こちらに伝わっていると確信するかのように唇の動きだけで語りかけてくる。

「また会ったな」、と。

 そして続けて男は言った。

 長らく預けていたものを、返してもらうぞ、とーー。


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