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4.リージェの欲しいもの

 珍しく父がリージェの暮らす離れを訪れたのは、王太子クロードからカードと贈り物が届いた日の夜のことだった。

「お父様、どうしてこちらに」

 忙しいから、と。いつもは執事に伝言させるだけで直接来ることなどまれな人なのに。

リージェは驚いて迎える。紅茶など気の利いたものはないので、庭で育てたミントのお茶を出す。ミントはどんな所でも育つ強い植物なので、聖域でもたくさん植えていた。種を持ってきてよかったと思う。

 だが父は椅子に座ろうともせず、じろじろと部屋を見回す。そして衝立で隠していた次の間を見られてしまう。 

「……だらしのない、私室でもないのに」

 風の通りが一番いい部屋だからと、お行儀が悪いと知りつつ、火熨斗をかけた後、陰干ししていたドレスがトルソーにかけてあった。リージェは恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら、あわてて片付ける。

「も、申し訳ありません、邸の乾燥室を借りられないものですから、ここで。その、夜にお客様が来るとは思わなくて、明日の朝には片付けるつもりで……」

「言い訳ばかり上手くなる。誰に似たのやら」

「……」

「何を黙っている、何か言ったらどうだ」

 今日の父はいつもに増して機嫌が悪い。何をしても気に入られそうにない。

 小さな声で、今日の御用件はと問うと、父が片眉をつりあげた。

「そのドレスは殿下の贈り物だそうだな。いったいいつねだったのだ。男に取り入るのだけはうまいな、まるで娼婦だ」

 聖域に会いに来てくれていた頃には想像もできなかった冷たい言葉が鋭い鞭のようにリージェの心を打ち据える。二人の聖王妃候補を抱えた心労の日々が父を変えてしまったのだと思いたい。本当は優しい人なのだと。

「タリアが殿下が訪問なさった時に服を見咎められたからではとたいそう嘆いていた。これ見よがしに見苦しいドレスを着て殿下の前に立つからだ、馬鹿者が。罪のない母を苦しめてそんなに嬉しいか」

「で、ですが、あのドレスはお母様が用意してくださったもので……」

「言い訳するなと言っただろう! まったく。我が侯爵家の血筋とは思えん、浅ましい。同じドレスでもマリアージュに届いたものは執事を介してだ。なのにここには殿下の騎士がわざわざ手ずから届けたそうだな。差をつけられてマリアージュが心を痛めるとは思わなかったのか、それでも姉か。それにどういうつもりだ、この前の王妹殿下の宴でのことだ。何故マリアージュを泣かせた、しかも人前で!」

 父がさらに言いつのる。

「あの子は優しいから何も言わない。が、殿下の前でお前があの子をなじっていたと、他の方々が教えてくださった。わざわざあてつけのように一人で夜会に押しかけて、父が先に出かけたことも知らなかったのかと、あの子に嫌味を言ったそうだな」

 誤解だ。リージェは釈明しようとした。だが父は聞いてくれない。

「お前にはマリアージュの苦しみが分からないのか。この静かな離れでのんびり暮らしているお前にはわからんだろうが、マリアージュはいきなり舞い込んだ王妃教育にお茶を飲む時間すらないのだぞ。なのに笑顔を絶やさない。親に心配をかけまいとしてだ。誰よりも死の恐怖におびえているのはあの子だろうに……」

 手巾を取り出し、顔にあてる父に、リージェは何も言えない。

「だいたい情が薄いのだ、お前は。私もタリアももしマリアージュが毒酒を賜ったらと夜も眠れぬというのに、お前ときたら。マリアージュがかわいそうだとは思わんのか」

「……そ、その、私もマリアージュのことは大切で」

「心にもないことをいうな、図々しい。ああ、かわいそうなマリアージュ。リージェ、お前はいいな、みっちり十年も教育を受けたのだ。ただ一人の婚約者として王太子殿下とも長らく交際し、その御心もつかんできた。マリアージュはその年月分に追いつかなくてはならないのだぞ。ただでさえ大きすぎるハンデを背負った妹を、姉として助けてやろうとは思わんのか」

(……それを言うなら、私は十年間、厳しい聖域で手を赤切れだらけにしながら修行してきました。そこは頑張ったと認めてはくださらないのですか?)

 その間、マリアージュは親に愛され、この邸で自由に暮らしていた。

 それにマリアージュを応援しろと言うことは、リージェに笑いながら周りの皆を気づかいながら、自ら進んで死ねと言っているも同じなのだ。父にはそれがわからないのだろうか。

 そもそもリージェは父の言いつけ通りマリアージュにすべてを譲っている。文句を言ったこともない。なのに父は満足してくれないのか。後、どれだけマリアージュに譲ればリージェを認めてくれるのだろう。

 正直を言うと、もう限界なのだ。

 確かに自分は薄情かもしれない。父や母と同じように、マリアージュを笑顔にすることこそが喜びと考えることが最近はできなくなっている。

 冷たいと言われても、リージェはつかれてしまったのだ。

 冷たい父母の視線が。日を追うごとに頻繁になるマリアージュのささやかな〈そんなつもりのなかったお願い〉と、そのことを皆の前で〈許す〉と言うよう強要される一連の流れが。

 マリアージュに悪気はない。それは分かっている。彼女は心を素直に言葉にするだけ。強制などしない。すべては拒否せず、聞き入れた自分が悪い。

 なのに寂しいと思う自分は確かに母の言う通り気持ちの悪い娘だ。父がなんと酷い姉かとなじるのも当然だ。だけど……。

 そこで、父ははっきりと言った。聞き誤りようのない大きな声で。

「何故、もっとうまく殿下をマリアージュにゆずれない。お前はあの子が毒酒を賜っていいと思っているのか!」

 ぐらりと床が崩れる気がした。

 ふるえる声で必死に問いかける。

「では、お父様は私に代わりに毒酒を呑めとおっしゃるのです、か……?」

「当たり前だろう、姉なのだから。今までさんざん特別扱いをされてきたのだ、次くらいは妹に譲ってやれ」

 ぎゅっとドレスを握り締める。でないと叫びだしてしまいそうだった。

 公平とは、なんだろう。

 私もマリアージュと同じくあなたの娘なのですよと言いたい。これは我がままなのか? それとも口にしていい〈お願い〉なのか。

 自分が聖域育ちで人と感覚が違っていることには気づいている。だからリージェには何が正しいかわからない。だが今の状態がおかしいことはわかる。

 何故、こうなったのだろう。

 自分がマリアージュのように人に愛される娘ではなかったから?

 リージェは自分が人を愛するのも、愛されるのも、下手なことを知っている。だがどうすればよかったのだろう。いくら書物を読んでもわからなかった。親にすら愛されない娘はどうしたらいい? これで相手が継父や継母と言うならわかる。なさぬ仲の親子はこじれることが多いと聞く。だがリージェの父母は実の母と父で、マリアージュも同父母の姉妹なのだ。

 なのに何故うまくいかない? 親子の情を築けない? 親とは公平に子を慈しむ者とどの書物にも書かれているのに……!

「とにかく。殿下直々に舞踏会にはお前を出席させるようにと言われた。それには従わねばならないが。当日は私もマリアージュをつれて出席する。わかっているな?」

 今度こそ、しっかり譲れ。そう父の目は言っていた。

「はい、お父様……」

 リージェはようやくそれだけを口にした。それしか言えなかった。

 これだけはっきり言われても、リージェは父に認められたくて仕方がない。愛されたくて仕方がないのだ。

 やはりリージェは聖女などでは、真実の聖王妃などではない。もうすぐ十七歳になるのに、中身はただの無いものねだりの子どものままだ。

 父の前では〈いい子〉でいたい。いい子だと言ってほしい。愛してほしい。そんな欲望でいっぱいで。

 リージェは未だに囚われている。

 聖域に面会に来てくれていた頃の優しい父の顔に。

 その時だけの〈良い親〉の顔だったが、確かにあの一瞬だけは父も自分を見てくれていた。

 あの時の父の顔が、あの時の胸の温もりが忘れられないのだーー。



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