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3.王太子の贈り物

 リージェが同じ敷地内にある侯爵家の本邸に呼びだされたのは、その翌日のことだった。

 いつもなら、目にふれればマリアージュが悲しむから近寄らないようにと言われるのにと、不思議に思いながら母の部屋へ行く。

 久しぶりに会う母は冷ややかな顔をしていた。リージェを見るなり言う。

「殿下が来ておられます。リージェ、あなたに会いたいと」

 リージェは息をのんだ。マリアージュが新たな婚約者となってから、彼がリージェを名指しで会いに来るなど初めてだ。

「殿下の仰せでは断れません。すぐ着替えなさい、そんな見苦しい服では我が家の名誉に関わります」

 母の合図で、侍女たちがリージェを取り囲む。

 出された灰色のドレスには見覚えがあった。まだこの邸に来て間もない頃、母がリージェの貴族としてのドレスを作るため、縫い子を呼んだ。その時に母が前に注文していたドレスも納品されたのだ。だが、「デザイン画の時は素敵だと思ったけど、おばあさんのドレスみたい。やぼったいわ」と、母が眉をひそめていたものだ。

 ずっとしまい込まれていたのだろう、ラベンダーの香りが濃いドレスを、侍女たちがリージェに着つけていく。

 なめらかな絹の肌触り。

 あの時は貴族社会になれていなかったので、こんな豪華なドレスをどうして気にいらないのだろうと驚いたが、華やかな社交界を見慣れると確かに少し地味かもしれない。

 だがリージェはそのほうが落ち着く。

 ほっとしていると、侍女たちが顔を見合わせながら、驚いたようにささやき合った。

「……嘘、お似合い?」

「サイズもあってないのに、こんな流行遅れのドレスが素敵に見える……」

 母が小さく舌打ちを漏らした。

 侍女たちがあわてて「よく見るとやはりやぼったいですわ」「ええ、何を着てもお美しいマリアージュ様と大違い」とけなす。それを忌々しげに見て、母が言った。

「わかっていると思いますが、今、この邸には可哀そうなマリアージュがいます。殿下は貴女だけの婚約者ではないのです。そうそうにお相手は交代するように。殿下は誠実な方ですから陛下の定められた〈公平に〉との決まりのためにあなたに声をおかけになっただけですから」

「……はい。わかっております」

「本当にわかっているの。表情一つ変えない。相変わらず気持ちの悪い子」

 投げつけられた言葉に、リージェの体が冷水をかけられたようにふるえる。

「殿下をお待たせしているのです、早くなさい」

 立ちすくむリージェに眼もやらず、母は部屋を出て行った。



「リージェ、やっと会えた」

 王太子クロードは客間でリージェを待っていた。

 リージェを見るなり笑みを浮かべて立ち上がる。

「約束もなく押しかけてすまなかったね。先に手紙を出そうかとも思ったが、いつも君の気分がすぐれなかったり出かけていたりとすれ違いになるから直接来てみたよ。迷惑だったかな」

 それでリージェはクロードからの手紙が本邸で止められていたことを知った。

 社交の挨拶をすませ、侍女がお茶をそれぞれのカップに注ぎ終わると、クロードが同席していた母に向かって言った。

「侯爵夫人、少しリージェと二人にしてもらえないか? もちろん侍女を同室させるし、部屋の扉は開けておく」

「殿下、それは……」

 母の不快を感じて、リージェはあわててやめてくれるようにとクロードに訴える。だが、クロードは「心配しないで」と微笑むと、再度、言葉を重ねて母を部屋から退出させた。

「侯爵夫人、私の願いを聞いてはもらえないか?」

 母がしぶしぶ立ち上がり、部屋から出て行くのをリージェは蒼白になって見送った。

 後で母に何を言われるか。

 リージェは長椅子に座ったまま、固く手を握り締める。紅茶の香りを楽しむことも、久しぶりのクロードの顔を見ることもできない。

「リージェ、顔を上げて」

 そんなリージェに、クロードがなだめるように声をかける。

「ここへの訪問だけでなく、夜会のエスコートもちょっとした外出も。僕は君を誘うたびに断られている。たまには婚約者の顔を見る権利くらいあると思うが」

 ……それはリージェが断ったのではない。そんな誘いがあったことも知らなかった。

 だが顔を上げるのは無理だ。母はいないが、侍女たちが見ている。クロードを誘惑したと報告される。それに早くマリアージュと交代しないと、また母が父に言いつける。

 リージェは消え入りそうな声で、クロードに懇願した。

「あの、私は気分がすぐれなくて。代わりにマリアージュと過ごしていただけませんか」

「また、あの子に〈お願い〉されたのかい? 君が急病だからと、エスコートの相手を替わると言われた昨夜の僕と同じに」

 小さくクロードがため息をついた。

「交互に君たちに会うのが決まりのはずだ。だがこの半年、僕は君の妹の〈お願い〉で彼女とばかり会っている。君は僕に会いたいとは思ってくれないの」

 そんなことはない。家族や愛というものを知らずに育ったリージェにとって、神が定めた婚約者でも、彼が示してくれる優しさは嬉しかった。こうなる前、まだ彼のただ一人の婚約者でいられた頃は、彼に会える前の夜はわくわくして眠れなかったほどだ。

 だが、

(〈お願い〉、だから)

 母を通して言われたこととはいえ、きっとマリアージュは待っている。叶えなければマリアージュは悲しむ。そして父が怒るのだ。「お前はなんと冷たい姉だ」とリージェを責める。

 唇をかみしめ、前にぶたれた腕の痣をドレスの袖ごしにかばっていると、突然、クロードが立ち上がった。リージェに手を差し伸べる。

「リージェ、侯爵邸の庭を案内してくれないか」

「……え」

「いい天気だ。たまには外を歩くのもいいだろう」

 あわてたように侍女たちが口を挟んだ。

「畏れながら。案内でしたらマリアージュ様の方が適任かと。リージェ様はこちらに戻られて日が浅く、部屋に閉じこもりがちですから邸内のことはよくご存じではないかと」

「なら、逆に僕が案内しよう。何度か君の妹に連れ出されたことがあるからね。ああ、侍女の君たちは侯爵には僕が強引に誘ったと報告しておけばいい。君たちに落ち度はない」

 行こう、とクロードが手を引いてリージェを立たせる。王太子の言葉をこれ以上拒むわけにはいかない。しぶしぶ侍女たちが従う。

 それでやっとリージェは彼がどうしてこんな強引なことをしたのかが分かった。

 侍女がいる室内ではリージェが何も話せないと知って、誘ってくれたのだ。

 明るい陽光の下、綺麗に整えられた庭園を、二人で歩く。

 広いとはいえ王都内にある邸だ。歩ける範囲は限られている。それにクロードは本邸の窓から見えない木陰を選んで歩いてくれている。会話が聞こえないだけの距離に侍女を遠ざけられる、開けた場所を慎重に選んで。なので同じところをぐるぐる回ることになる。それでも今のリージェにはその配慮がありがたかった。

 自然と顔が上がり、言葉が出るようになる。楽しい。離れた場所から侍女が見ているが、誰の耳も気にせず人と話せるのはいつぶりだろう。リージェは自分がこんなにおしゃべりができる娘だとは知らなかった。聖域育ちで無口な性と思っていた。

 クロードが聞き上手だからかもしれない。リージェが口ごもりそうになるとさりげなく話題をふり、自分のことを話したりして話しやすい雰囲気を作ってくれるから。

「今、お昼の間は何をしているの?」

「あの、子どもじみて恥ずかしいですが、お人形を作っています」

「へえ、見てみたいな。僕にも作ってくれる?」

「そ、それは駄目です、へたですから」

 あわてて言うと、嬉しそうにクロードが破顔した。

「ああ、やっと少し大きな声を出してくれた。昔のリージェに戻ってくれたね」

 実は昨夜のことで謝りたくてここへ来たんだ、と彼が言った。

「君を迎えにここに来たときに断られたから、君が夜会に来れるとは思わなかったんだ。義理堅い君が叔母上の招待を反古にするとは信じられず、念のためロイドたちは待機させたが、君は急病で面会もできない、だから妹を代わりに、と侯爵に頼まれたからね」

「え……」

「それが侯爵のいつもの手だと言うことは分かっていた。また君に会えないのかと残念に思ったが、ことを荒立てては君に迷惑をかける。そう思い、引いたが、そのせいでまさか君を一人で出席させることになるとは」

 すまない、と彼がいきなり頭を下げた。

 王太子にそんな真似をされて、リージェはあわてる。

「君に恥をかかせてしまった。なのに僕は……。久しぶりに見た君に見惚れて言葉が出なかった。そのうえ君に嫉妬してもらえないかと期待した。それが無理でもせめて怒ってくれないかと。それでとっさに君の妹を止めることができなかった。君を傷つけるとわかっていたのに、すまない」

「そんな……」

 彼がわざと約束を反故にしたのではないとわかっただけで、リージェは十分だ。マリアージュの〈お願い〉を断ることができる者などいないのだから。

「そのお言葉をいただけただけで身に余る光栄です。そのためだけにわざわざ訪ねさせたこちらこそ申し訳ありません」

「君が謝る必要はない。それより本当に何とも思わなかった? 僕を彼女に横取りされて怒らなかった? すべて僕のひとりよがりかい?」

「……そ、それはたしかに一人で出席するのは恥ずかしくて。少し困りましたけど」

 つめよる彼に圧されるように正直に言ってしまって、はっと口を抑える。うまい言い方ではなかった。これではせっかく護衛や馬車を貸してくれた彼を責めているような。

(ほんとうに、殿下のことを怒ってなどいないのに……)

 それどころか自分たち姉妹の不確かな神託に関わらせてすまないと思っている。

 俗世に出て二年になるのに、リージェは未だにうまい言い回しができない時がある。

 とくに嫌われたくないと思う人たち、父や母を前にすると、緊張して怒らせることばかり言ってしまう。さっきも母に気持ちが悪いと言われたばかりだ。

 おそるおそる彼を見る。

 が、そんなリージェに、クロードが嬉しそうな顔を見せた。

「困って、くれたんだね。少しだけでも。僕のリージェ」

「あ、あの」

「そんな顔をしないで。悪いのは全面的に僕だ。君はいくらでも僕をなじっていいんだよ」

 そんな真似はできない。そもそもどうなじればいいかわからない。言い訳になるがずっと心を抑えるようにと言われて育ったので感情表現が下手なのだ。

 リージェの戸惑いを察したのか、クロードがぽんと子どもにするように頭をなでてくれた。

「感情の表し方は人それぞれだよ、だから気にしないで。僕にはちゃんと通じてる。だからいいんだよ、無理はしなくて」

 わかってくれる人がいた。リージェは嬉しくて涙がにじみそうになる。

「心は分かりやすければいいというものじゃないと思う。皆は君の妹は天真爛漫でいいと言うが。僕から見ると少し我儘が過ぎるよ。逆に君は一度も我儘を言わない。彼女を許してばかりだ。なのに何故、侯爵や皆は分からないのだろう。何故、君ばかりを冷たいと責めるのか。見ていれば分かることなのに。……僕はどうやって君を守ればいいんだろう。公平に、という国の決定を守りながら、親にすら誤解されている君を」

 クロードがそっと手を伸べてきた。リージェの手をとろうとしている。エスコートのためでなく、恋人として重ね合うために。それがわかった。

 瞬間、リージェの意識が、冷水をかけられたように現実に戻る。

 少し距離をおいたとはいえ侍女たちが同席している。会話は聞こえなくても自分たちがしていることは見えている。

(もしお母様やお父様に知られたら。……マリアージュに知られたら!)

 リージェはとっさに後ずさった。手を背に隠す。

 やってしまってから、はっとした。あまりに露骨すぎた。

 彼を嫌って逃げたわけではない。だけどそう思われたのなら。

 家族の愛を得られずにいる今、彼だけが救いなのだ。そんな彼にまで見捨てられたら。リージェはこの世界に独りになってしまう。

 恐ろしさのあまり体を強張らせると、クロードは少し寂しそうな顔をして、それでも静かに身を引いてくれた。

「……すまない。僕が性急だった。代わりと言っては何だけど、この前の夜会の埋め合わせに、今度の王家主催の舞踏会で君をエスコートしていいかな。侯爵には話を通しておくから」

 それから、彼はリージェのドレスを見た。

「サイズが、合っていないね」

 リージェははっとしてドレスを手で押える。そんなことをしても隠せるわけがないのに。

「王族が一貴族家の内情に口を出すわけにはいかないが。一人の男として、婚約者にささやかな贈り物をすることなら許されると思う」

 さっき驚かせたお詫びと思ってくれないか、と彼が言った。

「ドレスを贈るよ。君の妹君へではなく、リージェ、君に。舞踏会の夜はそれを着て僕の隣に立ってほしい」

 優しい彼に、嬉しい、と。ありがとう、と言いたい。感謝していると伝えたい。

 だが無理だ。父がきっと取り上げる。理由をつけて出席を取りやめさせる。

 また彼に、リージェ自身が彼と会いたくないと我儘を言って舞踏会を欠席した、無礼にもドレスを突き返した、などと思われたら。

 何も言えずにいるリージェに、わかってるから。心配しないで、と言って、クロードは帰っていった。

 そして、その数日後。離れを訪れた客人があった。

「殿下より御届け物ですよ、リージェ様」

「ロイド卿?!」

「ご安心を。マリアージュ嬢へも同じ品目を贈りましたから、姉妹を平等にという決まりには抵触していません。安心してお受け取りください」

 当日は着つけとドレスがちゃんと届いているか確認のため女官もよこすからと、クロード自ら記したカードを渡された。リージェに侍女がいないこと、贈り物があっても父に取り上げられることまでを彼は察しているようだった。

 次々とリボンをかけられた大きな箱や装飾品が入っているらしいビロード張りの小箱を従者が運び込んでくる。

 背後では、ロイドに押し切られてこの行列を通してしまったことを苦々しく思っているのだろう。本邸を仕切る執事が苦虫をかみ殺したような顔をしているが、リージェは嬉しかった。

 贈り物をされたからではない。美しいドレスを所有できたからではない。

 そこまでこちらの事情を考えて手配してくれたクロードの好意が、涙が出そうなくらいに嬉しかったのだ。

 だが、その幸せも長くは続かない。

 その夜のことだった。

 めったに離れに寄り付かない父が、わざわざリージェのもとにやってきたのだ。


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