31.決戦
「よくここが分かったな」
リージェが山中を行きあの墓地に出ると、あの男がいた。リージェが胸に抱いた手鏡で悟ったのだろう。
「なるほど、俺のことを知ったか」
おせっかいな母親だ、と肩をすくめる。
「そう睨むな。言っておくがこれでもお前たちの幸せは何か悩んだんだぞ。人形のままのお前では妹に喰われて終わりだ。だが人形にしなくてはお前は自分のもつ欲と義務感に引き裂かれて壊れていた。歴代の聖なる乙女たちと同じくな。例外は我欲に生きるお前の妹だけだ。今回は二人ともここまで死なずに来れたのだから感謝してくれてもいいと思うが」
「どうして私たち姉妹に固執したのですか。時を繰り返させてまで」
「同時代に二人の聖王妃の力を発現できる器たる乙女がいる、そんな特異点をもつのは今この時しかなかった。奈落の蓋を開けるには一人の聖王妃だけでは無理でな」
「でもあなたは歴代聖王妃の力を借り受けることができるのでしょう?」
「俺一人でやれればよかったがしょせん俺は力を譲られただけのただ人だ。聖なる乙女ではない。奈落を開けられる器ではなかった。お前たちの代に時を何度か繰り返すことができたのも、今を不服とするお前の妹が俺の与えた力で時を繰り返す力を行使したからにすぎない。本物には敵わない」
彼曰く、マリアージュはリージェが死んだ後も王子の心をつかめないことを不服とし、彼を通して借り受けた聖王妃の力をつかい、時を繰り返していたそうだ。
「それをマリアージュは知っているの? あの子からそんなことを言われたことはないわ」
「時を繰り返せば前の記憶はなくなるらしい。時の流れに介入するだけで力を使い果たしているのだろう。俺は自分に加護の力をかけている。巻き込まれて時を繰り返すことは防げないがかろうじて記憶をたもつことはできた」
クロードや大主教といった者たちにマリアージュの魅了が効かなかったのも、彼が加護の力をかけているからだそうだ。
「こちらも力が足りなくてな。魅了を撥ね除けられるのは数人が限度だ。厳選せざるをえなかった。お前の妹は我が強い分、行使する力も強い。近しく接する親たちといった者を守るのは無理だった」
「そのマリアージュの強さを利用してダリア様のように奈落の蓋を開けさせる。その先は? あなたはなにを計画しているの」
ダリアもそこから先のことはわからないと言った。彼女は鏡を通して時の先を見ることができる。だが限界がある。未来のことは時折、気まぐれに映る断片しか視ることができない。それにあの声を残してくれたのは過去のこと。百年前に死んだ人なのだ。
『私は奈落の蓋が開きかけることを鏡を通して知っているわ。でもあの山に逃げ込むしか方法がない未来が来るのでしょう。力をふるわずにはいられなくなる。明日のことより今を切り抜けることしか考えられなくなる。自分が処刑された後のことは不透明なの。あなたを見つけられたのも奇跡のような偶然にすぎないわ。だからこれが最期のあなたへの声かけになるでしょう。私のあの子を守って』
そう言っていた。
だからここから先の未来は謎のまま。彼が何を考えてこんなことをしたのかがわからない。
「その問いには行動でもって答えよう。ほら、ちょうどお前の妹が追いついた」
その声とともに「ちょっと、あなた歩くのが速すぎるわ。おいていくなんてありえない!」盛大に文句を言う声が聞こえて、ふてくされた顔のマリアージュが現れた。そこにリージェがいるのを見て、彼女が目を見開く。
「……どうしてここにいるのよ」
つぶやくと、男とリージェを見比べ、眉を逆立てる。
「またなの? また私から奪うの? あなたはいつだってそう。私が欲しいと思うものを奪っていくの。綺麗な聖人顔をして! 被害者ぶって! もうたくさんよ!」
叫ぶように言われて、リージェはマリアージュがこの男のことを気に入っていることを知った。華奢な女性靴でなりふりかまわず山道を追ってくるほどに一緒にいたいと思っていることを。
あわてて誤解を解こうとする。
「違うわ、マリアージュ、私はあなたを探していただけで……」
だがマリアージュには通じない。
「消えて。今の私ならできるんだから」
叫ぶなりマリアージュが聖王妃の力をつかった。彼女が地面につけた足元から岩が音を立てて盛り上がり、巨大な人の形をとる。
リージェが操るものより攻撃的な外見だが、これは。
「まさか、マリアージュあなたは……」
「そうよ。今の私は歴代聖王妃の力をつかうことができるの。彼から聖王妃の力を借り受ける力をもらったから。あなたと同じ石人形を操ることができるのよ!」
マリアージュが高らかに笑う。彼女の意志の強さを反映してか、マリアージュの人型はリージェのものより大きかった。リージェなら直接岩に手を当てないと人型をつくれないのに、マリアージュは靴越しの足元からさえ巨大な石の塊を動かし、人型に仕上げてみせる。
マリアージュが己の人型に手を伸べさせ、その肩にのる。岩がきしむ音がして、リージェの耳に人型が悲鳴をあげるのが聞こえた。本来の持ち主から無理矢理力を奪われ使役されているからだ。マリアージュの意志にゆがめられ、無理に人の形を取らされた石たちがきしんでいる。
それでリージェは彼が言った「しょせんは俺は力を譲られただけのただ人だ。聖なる乙女ではない。奈落を開けるほどの力はなかった」の言葉の意味を知った。本来の持ち主以外がつかうと聖王妃の力は歪んでしまうのだと。
「私の方が愛されてるの。私の方があなたなんかより味方が多いのよ。思い知りなさい」
マリアージュの人型が己を矢としてつっこんでくる。こんなものに直撃されればリージェの石型もただではすまない。
石でできた人型たち。彼らは傷ついても死んだりしない。操者が死んだと認識しないかぎり石を集めれば何度でも蘇る。
それがわかっていてもリージェは彼らを使い捨てにはできなかった。
「皆、避けてっ」
自分の力の及ぶ石型たちに回避させる。
「ちょこまかとっ。動かないで!」
とたんにリージェの足が止まる。マリアージュの言葉に従うように体が動かなくなる。
(これは、魅了の力?!)
うすうすそうではないかと疑っていた。これで確信した。自分がどんな目に遭ってもマリアージュからの愛を乞わずにはいられなかったのはこの力のせい。
「い、や……」
自分の今までの家族への想いと、愛を得られずに悩んだ月日を否定されたような気がする。あの焦がれる想いさえもが他者に強制されたものなら自分の感情とはなんなのか。
だがそんなリージェの葛藤などマリアージュには関係ないのだろう。
「とどめよっ」
マリアージュが人型に命じてリージェを押し潰そうとする。
もう駄目だ。リージェは目をつむった。クロードの顔を思い浮かべる。
この想いだけは強制されたものではないと信じたい。人形だった自分が初めて得た欲。魅了の力を受けていてもマリアージュに譲りたくないと思った彼の隣の座。
(殿下っ)
その時だ。動けずにいるリージェを横様に飛び出してきた人影が攫う。人型が何もない地面を押し潰し、リージェはしたたかに背を草地にぶつけた。
「リージェ、ごめん、乱暴をして。怪我はない? 目を開けてくれ」
聞き慣れた声だ。愛しい声。目を開けると、そこにいたのは王都にいるはずのクロードだった。心配そうにリージェを上からのぞき込んでいる。
「……どうして」
「君に会いにきたに決まっているだろう」
言って、彼がリージェを抱きしめる。きっと強行軍でここまで来たのだろう。制止しようとする王国軍を引き離すのに無茶をしたのだろう。彼の服はぼろぼろだった。剥き出しになった手や顔にも細かな傷がついている。
「あ……」
ずっと王太子としての義務を大切にする人だった。国への責任、人への気づかいを忘れず、己の立場を自覚し、行動を律する人だった。
(なのに、逆らってくれた)
リージェのために父王や皆がかける期待を裏切りここにきてくれたのがわかった。
リージェのせいだ。責任感ある王太子をたぶらかした傾国と言われてもしかたがない。
なのに彼は少しもリージェを責めない。
勝手に王都を出てこんなところに逃げ込んだリージェのせいで傷を負ったのに、ひたすらにリージェの無事を喜んでくれる。再び会えたことを感謝してくれる。それどころか彼は「肝心の時にそばにいられなくて、後手になってごめん」とひたすら謝ってくる。
「守るって言った。なのに遅れてしまった。ごめん、リージェ」
この行動を軽率と責められ、立場が悪くなるとわかっているだろうに、彼は国よりも王子の立場よりリージェをとってくれたのだ。それがわかるとリージェの胸を罪深い思いが占めた。
(嬉しい……)
リージェの胸が熱くなる。目の奥がつんとして嬉しくて泣きそうになった。
彼に愛されている。そして自分も彼を愛している。心の底から信じられた。愛というものがなにか、体の奥から次々と湧き上がる熱に理解できた。もう絶対に手放さないと思った。
リージェが思わずその背に腕を回そうとして、今は動けないことに気づいたときだ。
「どうして」
怒りに押し潰されたマリアージュの声がした。
「どうしてその女ばかり! 皆どうしてそんな、なにもせずに守られるのを待っているような女ばかり気にするの? 誰も私を愛してくれない!」
駆けつけたクロードを見て、マリアージュがぎりりと歯ぎしりする。
「私は頑張ってるのに。こんなに一生懸命なのに。どうして誰も見てくれないの? 消えて。そんな王子様なんて私はいらない。私を寂しくさせるこの世界も欲しくない。私を見ない人なんてこの世に存在しないでっ」
叫ぶなりマリアージュが乗る石型の足元から地響きが聞こえた。地面がゆれる。山を構成する岩盤が大きく隆起した。




