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28.マリアージュの力

「おい、いつまで寝ている。とっくに昼だぞ」

 言われて、マリアージュは目を開けた。

 木漏れ日がゆれる山中だ。陽はすでに中天にさしかかっている。

 体のあちこちが痛い。背に受けた傷はもう治癒しているし、落下の時には目の前にいる男が受け止め、かばってきた。だからこの痛みは慣れない野宿をしたからだ。

 マリアージュは自分を受け止め、傷を負ったはずの男を見た。平気な顔をしている。

 昨日はどこからともなく現れたこの男がマリアージュの矢傷を癒やし、落下地点に待ち構えていた射手たちからかばってここまで連れてきた。

(この男。思い出したわ)

 前に夜会の席であの女と踊っていた男だ。

 じっと見つめる。が、男に変化はない。淑女に対するにはあり得ない偉そうな態度で手にした籠を差し出してくる。

「ほら、喰え。腹が減っただろう」

「……遅かったじゃない。食べ物をとりに行っただけがどうしてこんなに時間がかかってるの」

 この私が見つめてあげたのになんの反応も示さないなんて、と、マリアージュは不機嫌になりながらも差し出された籠をうばいとる。昨日から何も食べていない。

 中に入っているのはパンと骨付き肉だ。二つずつ入っている。

 粗末すぎる食事だがお腹が空いている。マリアージュは鳥の腿らしき肉を両手に一つずつつかんでかぶりつく。男が不平そうな声で言った。

「おい、俺の分は」

「? パンがあるでしょ」

「……いや。ふつう二つずつパンと肉があって人が二人いればパンと肉を一つずつとって残りは渡すものだと思うが」

「どうして私があなたに肉を渡さないといけないの」

 心底不思議でマリアージュは目を瞬かせた。

 パンは粗末な黒パンだ。前に貴族の義務だとかで孤児院に行かされたときに出されて二度と食べるものかと思った。肉も質の良い物ではないがパンよりはましだ。こんなものしか用意できない男を相手に怒らず、我慢して食べてあげているのだから褒められていいくらいだ。

(〈あの子〉を出せたらすぐ王国軍のところに帰るのに)

 今まで自由につかえていた守護獣の力がつかえなくなっている。

 理由は聖王妃の勘でわかった。

 あの獅子を操る力が自分のものではないからだ。

 矢を射かけられ、落ちる瞬間に自分を覆っていた別の聖王妃の力が消えるのを感じた。そのせいだろう。もともとつかえる力ではなかったのだ。

(……私の本当の力で、他の時代の他の聖王妃も魅了できたのかと思ったのに)

 つまらない。マリアージュは頬を膨らませる。見栄えの良い獅子を気に入っていたのだ。あの獅子をもうつかえないならこれからどうやって周囲を誤魔化そうと考える。マリアージュが聖王妃として王子と結婚するためには、目に見える形でその力を示さなくてはならない。

(だって。私の本当の力は人には言えないもの)

 すでに覚醒し、得た力のことを思う。

 マリアージュのもつ力は魅了の力。

 人の心に働きかけ、マリアージュだけを愛するように仕向ける力だ。

 人の心を操る力だから、ばれれば皆が警戒する。だから秘密だ。

 マリアージュが自分の力を自覚したのはつい先ほどだ。獅子の背から落下するときに、獅子の力が自分の物ではないこと、とっくに自分が覚醒していたことに気がついた。気づくのに遅れたのは、今まで自覚もなく魅了の力をつかっていたからだ。

 マリアージュがこの力に目覚めたのは〈姉〉だという女の存在を知った時。親の愛を奪われそうになったときだ。自分が両親にとって二番目になってしまうのが怖くて未熟な、芽生えたばかりの力をつかって父母に「私を愛して」と呼びかけた。

 今思えばあの女にすべてを奪われる恐怖から覚醒したのだと思う。そして成長とともに増した力を無意識につかっていた。邸の使用人や社交界で知り合った男たちを虜にした。

 味方をつくっていたのだ。自分の周りを魅了した者で囲んであの女の脅威から身を守ろうとした。マリアージュを守ってくれる者を選んで力をつかった。つまり。

(……私が愛されていたのは力のせい)

 マリアージュ自身が愛されているわけではない。だから背から矢を射られ、こんなところに落ちた。あの女を守るために誰かが射手に命じられたのだろう。

(それは、殿下? それとも大主教猊下?)

 悔しい、悔しい。どうしてあの二人には魅了の力が効かないのだろう。聖王妃候補だったあの女ですら自分は魅了できたのに。

 しかも他の聖王妃の力である獅子を自分のものだと思って行使しすぎてつかれたのか、魅了の力すら今は使えない。目の前の男を魅了できない。こんな山中に落ちて脱出もできない。

 しかたなく世話を受けているが、この男もマリアージュが好きで助けたのではないだろう。目的があるからに決まっている。

 魅了することもできない相手だと思うと馬鹿馬鹿しくて媚びるのを止めた。聖王妃の力がないと誰からも愛されないのなら可愛くふるまって何になるというの? 

 この男だってすぐ立ち去るだろう。もともとあの女と踊っていた男なのだ。こんな男、いなくなっても別にどうということはない。

 やけになって肉にかじりつく。

 するとまだなぜか立ち去らずにいた男が、くっと笑った。籠を手に、傍の岩に座る。

「お前は強いな」

「……なあに? 馬鹿にしてるの?」

「いや、褒めている。……俺の母も。お前のように自分を優先することができればあんな最期にはならなかったかもな」

 遠い目をする。

 よく見るとなかなか整った顔立ちの男だ。王子とはまた違った野性的な魅力がある。魅了の力が回復したらあの女への当てつけも兼ねて取り巻きにしてやってもいいかと思う。

 肉を食べ終わった。が、まだお腹が空いている。昔から見た目と違いマリアージュは大食いだ。とくに聖王妃の力をつかうといくら食べても満足できない。

 見ると男は文句を言ったわりにパンに手をつけていない。

「それもよこしなさい、まずいけど我慢してあげるから」

 言葉と同時に手を出して籠を奪うと、男がまた笑って言った。

「やはりお前は聖王妃ではないな」

「な、どういう意味」

 もしやあの獅子を出せないことを気づかれたのか。警戒すると男が言った。

「ただ与えるだけの聖女でも、王に従うだけの妃でもない。お前は俺が待ち焦がれた女王だ。お前ならこの搾取され続ける忌まわしい聖王妃の輪を断ち切ってくれる。今度こそ」

 その目は真っすぐにマリアージュを見ていた。その瞳に浮かぶ色は知っている。魅了した男たちから向けられるのと同じだから。焦がれるまでに相手を求める色だ。

(私、魅了の力をつかっていないのに)

 不思議な気分だ。なんだかそわそわする。

 魅了の力が効かない人間ならたまにいた。王子や、大主教といった、あの女の周囲にいる者たちだ。マリアージュはそういった人間からは嫌われていた。そういった者に限ってあの女ことが好きでマリアージュの言うことを聞いてくれない。マリアージュはずっと不快だった。

 自分の力の及ばない者がいること、自分の味方にはなってくれない者がいることが気になってたまらなかった。また姉に奪われるのではないかと怯えた。親に愛されていても不安だった。だから自分を崇拝してくれる男友達を大勢つくった。

 でも今にして思えば彼らは魅了の力に従っていただけ。嘘の涙一つで操れて簡単すぎてつまらなくて。そしてよく思ったものだ。

 この人たち私が嘘つきだって知っても私のことを好きと言えるのかしら? と。

 それに、このままマリアージュが歳をとり、今の愛らしさがなくなっても変わらず愛していると言えるだろうかと思う。

(おばあさんになんかなりたくない!)

 彼らは今のマリアージュだから魅了され、称えてくれる。愛らしい天使でなくなったマリアージュに用はない。見捨てられてしまう。また一人取り残される。

 そう思うとその時は魅了の力のことを知らなかったから、怖くて本当の自分を見せられなくなった。だけどこの男は素のマリアージュを知っている。なのに、欲しい、と目で語る。

 ずっと飢えていたのに手にしたパンにかじりつく気が失せた。自分が彼の目にどう映るか気になった。

 その時だ。風が吹いて木々の梢を揺らした。

 緑に染まった木漏れ日が男の顔に降りかかって、こうして二人で話すのは初めてではないと思った。

 緑の光が踊る彼の顔に、うろ覚えの遠い記憶が蘇る。幼い日、礼拝室で祈ったときに現れて、光の加護を授かる方法を教えてくれたのはこの男ではなかったか。

 急に怖くなった。あの時に会ったのがこの男なら、マリアージュの本当の力のことを知っている。そもそもふつうの人間が空高くから落下した人間を受け止めて平気な顔をしていられるだろうか。この男はマリアージュを癒すために治癒の力までつかってみせたのだ。

「……あなた、誰?」

 パンを取り落とし、自分のものとは思えない小さな声で聞く。

 男が目を細めた。逆に問いかけてくる。

「まだ思い出さないか? 俺とお前は何度も会っている」

 言われたが知らない。あの時の一度しか。マリアージュは思わず座ったまま男から距離を置こうとした。

「あなたの望みは何? どうして私を攫ったの」

 じっとこちらを見る目が切なげで。マリアージュは生まれて初めて自分ではなく誰かのために何かをしてやりたくなった。だが、あえて言う。

「言っておくけど私が好きなのは殿下よ。あなたみたいな雑魚はお呼びじゃないの」

 だって、結局、この男もまたあの女のために自分を利用しようとしているだけ。魅了の力もつかっていないのにマリアージュに寄ってくる男はそんな者しかいない。それにこの男は幼いマリアージュを知っている。

 魅了の力は秘密だ。ばらされれば力でずるしていたことがわかる。本当は愛されていないことがわかってしまう。あの女や王子にまで知られてしまう。

 そんなこと、私の矜持が許さない!

 聖王妃ではないとされて毒杯を賜ることより我慢できないことだ。マリアージュは決意した。

(口を、封じないと)

 だが今は守護獣の力もつかえない。武器なんて持ってない。クロスボウはとっくに落としてしまった。

 その時だ。男から奪い取った籠の中にパンを切るためかナイフがあるのが見えた。マリアージュはドレスの裾に隠してそれを手に取る。

 斬りかかる。

 が、その手を止められた。

「離してっ」

「命を助けた恩人にいきなり斬りかかるとは毛を逆立てた猫だな、お前は」

「私を王軍のもとに帰して。いえ、帰しなさい! 私は聖王妃なのよ? 王太子の妃なの!」

「だがそれを肝心の王太子は認めていないようだが」

 ぐっとつまる。すると男が面白がっているような顔で言った。

「そう怒るな、教えてやろう。お前が魅了以外の力を得て、皆の前で聖王妃として堂々とふるまえる方法を」

 やはりこの男はマリアージュの力のことを知っている。

 顔をゆがめるマリアージュに、彼が、前にもお前に教えて助けてやっただろう? と言った。

「別の聖王妃の力を取り込めばいいんだ。あの守護獣のように。人には言えない魅了以外の力を自分のものだと言い張ればいい。己の欲に従い手に入るすべての力を得ればいい。その力を与えてやろう。俺にはそれができるんだ」


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