26.激突②
いったい何が。いそいで洞に待機していた護衛の人型に肩にのせてもらい、見晴らしの良い尾根に昇る。そこから見えたのは山裾に押し寄せる整然とした軍馬の列だった。
他国の兵やマリアージュの取り巻きである貴族の私兵ではない。
彼らが掲げる旗はリージェの国、フェルディナンド王国軍のものだった。
(どうして……?!)
なぜ、このときに王国軍がここに来る? しかも旗を見ればふだん王都に詰めている精鋭の第二騎士団だ。彼らの目的は何なのか。
カサンドラ軍の撃退? それとも。
リージェは身を乗り出し他に読み取れる情報はないか隊列を見ようとする。人型がその動きを補うように身を起して、それでリージェは見つかったようだ。
斥候らしき先行する一隊の中に、物見筒をつかったとおぼしき硝子の反射光が見えた。
すかさず発見の合図だろうか。角笛の音が聞こえた。伝令が走るのが見え、隊列が止まる。そして全体がリージェのいる尾根を囲むように散開していく。この動きは、まさか……。
「私を攻撃しようとしている? そんなはずは、殿下は私を……」
彼は言ってくれた。君を守ると。
迎撃態勢を整える時間も惜しんで必死に探す。彼が来ているなら王太子の旗があるはずだ。なにか行き違いがあったのだ。リージェがここにいることを彼は知らないだけだ。
そう考えたときだ。陣の中央から輝く白銀の獣が宙に舞い上がるのが見えた。
「あれは」
守護獣だ。一度、リージェをかばってくれた、聖王妃ダリアが使役したという白銀の獅子。それがなにもない空を蹴り、こちらに駆けてくる。
そしてその背に乗っているのは。
「マリアージュ?!」
一瞬、彼女が迎えに来てくれたのかと思った。鏡から聞こえた声の一件があったからだ。
だが友好の使者でないのはすぐにわかった。
彼女の手には瀟洒な引き上げ器のついたクロスボウがあった。貴族の社交全般をたしなむマリアージュが狩りも得意だったことをリージェは思い出した。
その刹那だ。リージェがマリアージュの射程に入った。
すかさず矢が弦を離れ、こちらに飛んでくる。
「くっ」
リージェはとっさに身を縮める。人型が腕をあげ矢を弾いた。だがその隙にマリアージュが距離をつめた。宙を駆け、リージェの頭上に肉薄するなり獅子にその前脚を振り下ろさせる。
とっさにリージェを抱いて人型が飛びすさった。
爪がかすめた岩肌が大音響とともにえぐられる。土塊が飛ぶ。
「まあ、驚いたわ。いつものぼんやりした〈お姉様〉にしては避けるのがうまいのですもの。この二月の逃避行とやらで少しは鍛えられたのかしら」
マリアージュが獅子の背で朗らかな笑い声をあげる。どうして? この期に及んで胸が痛んでたまらなくなってリージェは思わず声を張り上げる。
「マリアージュ、どうして? カサンドラ軍から私を助けてくれたのはあなたではないの?!」
「助ける? どうして私がそんなことをするの?」
心底不思議というようにマリアージュが首を傾げる。
「さあ、次は逃げられるかしら? 私のこの子は爪でひっかくだけじゃないの。鬣をつかって雷もつくれるんだから!」
マリアージュが高らかに告げると、獅子に合図する。その声に応じるように白銀の獅子が宙高く舞い上がった。白銀の鬣が逆立ち、バチバチと青白い火花を放ち始める。元が火山の魔の山は山頂部が開けている。標高が高いこともあって尾根にも岩が転がるばかりで避雷針になるような木は生えていない。
「とどめよ!」
マリアージュが宣言した時だった。
背後の山肌から矢が飛んだ。マリアージュの背に当たる。
「なっ」
木々に隠れて、射手が侵入していたらしい。
信じられない、と目を見開いたマリアージュが均衡を崩す。守護獣の背から地へ落ちていく。その姿がスローモーションのように見えた。
「マリアージュ!」
叫んで、リージェは手を伸ばした。届かないとわかっていてもその落下を止めようとした。こちらを殺そうとした相手だ。だが勝手に体が動いていた。
(私は、こうなってもまだ家族が欲しいの?)
なぜ? ふっきったはずではなかったの? 自分でも不思議だった。
理性が今までのことを思い出せと告げても、流れる血があの少女は同じ父母をもつ姉妹だと知らせてくる。失えば一人になってしまうとリージェを怯えさせる。
リージェは手でふれていない岩塊を人型にはできない。マリアージュの落下は止められない。だが急ぎ人型をマリアージュが落下した地点へと走らせた。
******
その頃、山裾のフェルディナンド王国軍の本陣では。
「ふむ。急所は避けたか。上出来だ」
大主教が物見筒を降ろしつつつぶやいていた。マリアージュを射た矢、それは彼が前もって山に潜入させた射手に命じて放ったものだった。
同行の騎士が蒼白になった顔を大主教に向ける。
「……猊下?」
「こちらの制止を振り切り一人、勝手に飛び出した聖王妃だ。それでも援護しようと石人形を狙ったところを聖王妃に当たっただけだ。不幸な事故であって、射手に非はない」
そう言う大主教の顔からはなんの感情もうかがい知れなかった。
「それより射手も含め、兵をいったん引け。マリアージュは死んではいない。ここからは聖王妃たちの戦場。我らただ人が立ち入っても死人を増やすだけだ。後は彼女らにまかせて、我らはカサンドラの敗残兵を牽制するだけでいい。……すべて予定の内だ」
そうして、彼は傍らに待機していた奏者に合図の角笛を吹くように命じた。




