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20.魔の山②

 聖域と王都しか知らないリージェにとって山は未知の世界だ。不安がないと言うと嘘になる。

だが農夫と別れ、平原を身を低くして越え、ようやく入った深い林での一人の道行きは思った以上に大変で、そして想像以上に気楽だった。

 ここ一月で環境が激変して旅にも慣れたとはいえ、移動は馬車に頼っていた。獣の心配はなかったが周囲には常に人がいて、正体がばれないか、またかっぱらいに出会わないかと、宿に泊まる際でも椅子を扉の前において眠らないと安心できなかった。

 それが今はフードもとり、気持ちの良い外気に顔をさらして進むことができる。

 今のリージェには、人型がついてくれているからだ。

「あ、あれはリドガの実? 食べられるはず」

 手が届かないところにある果実をリージェは人型にとってもらう。木々が茂っているので大きな人型をつくっても見とがめられたりしない。でこぼこした地面や行く手を阻む下生えをかき分け進むのがきつくなったのでリージェはそのまま人型に運んでもらうことにした。

「ごめんなさい、旅の道連れになってくれる? 私はリージェ、よろしくね」

 聞いている人がいないから、邸の離れにいた時のように人型に名前を付けて話しかける。甲冑のマルクたちと違って返事がないのは自分が未熟で操るのでせいいっぱいだからか。

 話し相手がいないのは寂しいが、人型の肩にのって揺られて行くと疲れも取れ、周りを見れるようになった。図でしか見たことのない木々や花、鳥がいる。危険な獣や蛇も人型が怖いのか出て来ず、緊張して身構えていたリージェは肩透かしを食らった気分だ。

 食べられる葉や茸を見つけると人型に止まってもらって採取して、高い視点から見渡して湧き出る清水を見つける。お行儀悪く直接、手で水をすくって飲むのも新鮮だ。

 そうこうするうちに魔の山の裾へとたどり着く。最初は奥まで行くつもりはなく、すそ野で夜を明かすつもりだった。だが追っ手を気にするなら見通しの悪い林より人の来ない尾根近くまで登ったほうがいい。移動しながらリージェは今夜の野営地を探し始めた。

 山の獣は人型がいるので怖くない。が、リージェは眠る間も人型を維持したことがない。安全を期して木の上か、洞を見つけて入り口をふさいで寝たほうがいいかもしれない。

 獣が来てもすぐ見つけられるように見晴らしの良い岩場を探しながら山肌を行くと、何故か鹿の骨や角が集まった枯れ沢のようなところを抜けてごつごつした岩場に出た。

あつらえたような洞穴がいくつも見つかった。

 まだ陽のあるうちに火をおこし、松明を作って中を探検してみる。

 入り口はリージェがやっと入れるくらいなのに奥へ奥へと続いて立って歩けるようになる。ところどころ幅が広くなり、部屋のようなくぼみもあって、まるで地下迷宮だ。

 それに風通しがいい。覚悟していた虫などもいず、乾燥している。

 ここなら入り口を人型でふさいで一夜の宿にできるかもしれない。

 そう思った時、奇妙な声が聞こえてきた。

 ふおおおお、と物悲しく泣く声のようなもの。

 ごくりと息をのむ。

(これが書物にあった、魔の山の悪魔の叫び?)

 夜な夜な奈落へとつながる洞から出てきた悪魔たちが踊り、魔女が魔術をおこなうという。

 一瞬、逃げようかと思った。だがここを出れば追っ手のいる街道へ逆もどりだ。そもそももう暗くなるから山の中を歩けない。ぱんっとリージェは自分の頬を叩いて気合を入れた。

 源を確かめよう。このままでは怖くて眠ることができない。

 私にはこの子がついてる、と人型にしがみつきながら音のほうへと進んでいく。

 ごつごつとした岩場に出た。怪しい声はまだ聞こえるが、悪魔や魔女の影はない。耳を澄ませ、おそるおそる音の源に近づくとそこには小さな穴があって風が吹き出していた。

「風穴、ね」

 書庫の本で見たことがある。ここでは夜になると温度差が生じて風が起こり、無数にある穴が笛のような役割を果たして、この物悲しい音色を奏でているらしい。緑に覆われた山だが昔は火山だったのだろう。そういえば山裾のカディア地方は温泉があることでも有名だ。

 悪魔の正体はわかった。リージェはほっとした。

(と、なると。ここにも、あれ、があるのかしら)

 もしかしてと付近を探すと、こんこんと湯の湧き出す泉を発見した。試しに木の葉を付けて煮だつ温度ではないことを確かめてから手を浸してみる。

 温かい。緊張と山歩きで強張った筋肉がゆっくりとほぐれていく。リージェは長靴を脱ぎぱんぱんに張った足をつけてみる。ふにゃりと顔がほころぶ。このまま眠ってしまいたくなる。

 そこでふと、リージェは気づいた。人の立ち入らない山、人型を作るのに困らないたくさんの石、雨風をしのげる地下洞窟、新鮮な飲み水に豊富な山の幸、それに温泉。

「……私、しばらくなら、ここに隠れていられるのでは?」

 追手もまさか魔の山にリージェが潜むとは思うまい。聖王妃について聞き込みをしたいカディア地方は山のふもとだ。ほとぼりが覚めるまで待とうにも宿は真っ先に調べられる。町よりこちらの方が安全だ。心を決めたリージェはさっそく周辺を調べることにした。

 その日はもう夜も遅かったので眠り、翌朝、夜明けとともに起きだすと探索にとりかかる。さすがに人が踏みこむことを拒む山だ。険しいだけでなくいたるところに危険な崖や穴が隠れている。そんな山なので当然、道はない。木立の中へ入ってしまえばどちらが北かもわからない。なので要所に見張り役の小さな人型を作って配置していく。彼らがいなければリージェは元の洞窟に戻ることすらできない。

 昨夜試して眠る間も人型を維持できることは確認した。彼らには棒をもってもらって、いざという時はそれで木を叩いて音で連絡を取り合えるようにした。コンパスはないので太陽の位置や倒れた木の根の年輪から方角を割り出して目印となるものを書き込んでいく。地図の書き方を妃教育の一環に組み込んでくれた大主教様に感謝しなくてはならない。

 人型の肩に乗って尾根を越え、カディアへと降りる山肌に差し掛かった時のことだった。

 魔の山の南の斜面、そこにも無数の洞があるのを見つけた。そのいくつかに人がいた痕跡があったのだ。櫃や衣類、食器といった生活用品が残されている。剣や弓まであった。

(誰かが、ここで暮らしていた……?)

 物の数は多い。人は大勢いたのだ。すべて埃にまみれ崩れかけている。ずいぶん古い物だ。

 その時だ。ふわりと漂う花の芳香にリージェは気がついた。人型にそちらへ向かってくれるよう頼んだのは何かの予感があったのだろうか。

 枝をかき分け、開けた場所に出る。

 そこには、花の香りに満ちた窪地があった。リージェの目が見開かれる。

「え……」

 一抱えほどある石が、整然と並んでいた。

 花園の中に、いや、石の周囲に花があるのか。薄い桃色の小さな花が石列の間を埋め尽くしている。薄桃色の花を背に延々と並んだ石。どう見ても自然のものではない。人の手が加えられている。何かの記念碑? いや、違う、これは、

「もしかして、墓標……?」

 リージェは振り返る。ちょうど木々が途切れて遠く、カディアの地が見えていた。

 そして中央に一つだけ、他より大きなものがある。

 そっと近づいてみると、手折られてまだ数日のしおれた薄桃色の花が供えられていた。

 誰かがここへ来たのだ。ここ数日の間に。いや、それ以前にもここへきてこの墓地を作った人がいる。皆が怖れ、踏み込むことすらためらう魔の山の奥に。

(そして今なおここへ通い、花を手向けている……)

 リージェは混乱する頭を抑えつつ農夫に聞いた昔話を思い出す。

魔の山にこもり、全滅した反乱軍、密かに葬られた将軍、そしてその墓に花を手向けたのは誰だった……?

 ざっと風が花弁を巻き上げていく。花嵐の中に見たことのない女の姿が見えた気がした。

「まさか、聖王妃ダリア様、本当に……?」

 リージェの問いに答える者は、誰もいない。


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