1.二人の婚約者
この国、フェルディナンド王国には一つの伝説がある。
今なお現実に機能する、生ける伝説だ。
〈神託の聖王妃〉という。
数十年に一度、神がこの国に聖なる力を持つ乙女をつかわしてくださるのだ。
その力は祈りによって雨をもたらすものであったり、笑顔で人の心を和ませる祝福の力であったり。代々の乙女はそれぞれ固有の聖なる力を持ち、より多くの民を救うため、それぞれの時代の王や王太子に嫁ぎ王妃となった。ゆえに神託の聖王妃と呼ばれる。
そして当代の王太子クロードにも、四歳の時、聖王妃降臨の神託が下った。
リリューシュ侯爵家の光の加護を持つ娘こそが神がつかわした乙女だと。
急いで調べると、確かに侯爵家には二人の娘がいた。一人は三歳の幼女リージェ。もう一人は一歳になったばかりの赤ん坊のマリアージュ。そして上の娘はすでに光の加護を受けていた。
彼女こそが神託の聖王妃。大切に守り育てなくては。
先の聖王妃が現れてから四十年、現王の代には妻とすべき聖王妃の顕現はなかった。久しぶりの神の恩寵だ。決して損ねるような真似をしてはならない。
身の安全を図るため、すぐリージェは幼い身で親元から離され、聖殿に入れられた。
それだけではない。なにしろ将来は王に代わり祭祀を行う尊い娘だ。民に慈しみの心を持つよう、一国の王妃として皆の前に出ても恥ずかしくない立ち居振る舞いを身に着けるよう、徹底して教育がおこなわれた。そして時が経ち、彼女が十四歳になった年のこと、婚姻の儀前の最後の仕上げとして、貴族社会に馴染めるようにと侯爵家に戻されたのだ。
十二年ぶりに俗世に戻ってきた娘に侯爵夫妻はとまどった。可愛い盛りに泣く泣く手放した娘だが、その心の空白はすでに妹娘のマリアージュを溺愛することで満たしていたからだ。
成長した姿で現れた娘は他人も同然だった。
今さら戻されても好みも何も分からない。共通の思い出すらない娘を家族と受け入れるには抵抗があり、それでもいずれはこの国の王妃となる娘を邪険に扱うわけにもいかず。親としてどう接していいか分からなかったのだろう。
この娘はすでに神にささげた娘、王家から一時預かっただけの王妃候補と考えよう。家臣として一線をおいて敬おう。そういう形で侯爵夫妻は心の折り合いをつけたのだった。
ところがそうして落ち着いたかに見えた侯爵家に、また激震が走る。
リージェが帰還して一年がたった頃だ。今度は妹のマリアージュが光の加護を受けたのだ。
きらきらと祝福の光が舞い散る中、微笑みながら立つマリアージュはまさしく天の御使いそのものだった。侯爵夫妻は感動した。
神託だという理由だけで血を分けた姉妹だというのに、妹が姉に膝を折り臣下としてかしずかなくてはならない。普段からそのことを苦々しく思っていた侯爵夫妻は狂喜した。扱いに困る姉娘より、可愛い誰からも愛される妹娘のほうこそが幸せになるにふさわしい。妹娘こそが神託の聖王妃だったのだと、即座に王家に報告したのである。
前代未聞の出来事に、知らせを受けた王も驚いた。
神託は、〈リリューシュ侯爵家の光の加護をもつ娘〉としか言っていない。もっとはっきり確認したいが、聖なる乙女の降臨を告げる神託は一人の乙女につき一度だけ。神に真意を問いなおすことはできない。
姉か、妹か。いったいどちらが本物の神託の聖王妃なのか。
間違えれば国は神の恩寵を受けそこなう。
王も困ったらしい。何しろ今までに例のない、複数の聖王妃候補だ。緊急の御前会議を招集し、三日三晩に渡って吟味した。それでも答えは出なかった。
結果、決定を保留にした。
二人の娘は光の加護を受けているとはいえ、未だ聖王妃としての力を発現していない。前例からしてここ数年のうちに力は発現するだろう。どちらが本物か、決定はその時まで待とう。それまでは二人とも王太子の婚約者として遇そう。そう決めたのだ。
そしてむごいようだが、選ばれなかったほうは聖王妃候補であった身を他者に悪用されないよう、幽閉。真の聖王妃が無事、世継ぎを生んだ後は後顧の憂いをなくすため毒酒をたまわることになった。
栄光の王妃の座か、幽閉の後の死か。二つに一つ。
だがそれまでは姉妹を公平に扱うことになった。
王家から姉妹に贈られる花も同じ数。招かれる夜会の数も同じ数。王太子クロードは夜ごと公平に一人づつ、姉妹を交替でエスコートする。昼に行われるお茶会も、王家主催の狩りも。王太子の婚約者として参加すべき公務の数はすべて同じだけ。
それは姉妹をなるべく均等に王太子と交流させようとする公平性だったのだろう。伴侶となる王太子の目で運命の相手を見極めさせようという狙いもあったのだろう。あやふやな神託のせいで過酷な運命を強いることになる姉妹に対する王家としてできる限りの誠意だった。
だが。
妹マリアージュを溺愛する侯爵夫妻と、姉リージェが聖域に去ってのち、使用人をもふくめ侯爵家のすべての愛を独占していたマリアージュにとって、そんな王家の配慮は不満だらけの不公平なものでしかなかったのだーー。




