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17.野に放たれた令嬢

 リージェの髪は高く売れたそうだ。

 クロードが悔悟の涙を流した午後から時を遡ること、三日。リージェがまだ都を脱出できていない時のことだ。手に入れたお金でリージェは男物の旅装を一そろい、ジルに頼んで買ってきてもらった。それから胸をおさえるだけでなく胴にも布を巻いて体型を変え、露出している肌には薄く炭を塗る。顔だちはごまかせないがリージェはさいわいマリアージュのような愛くるしいタイプではない。少年に見えなくもない。

 その後、ジルのつてで、臭いの強い染物工房の隅で一晩寝かせてもらい、翌朝、紛れ込める人の通りが出るのを待って出発した。ジルにおかみさんに渡す店の修理代を託すことも忘れない。ついでに染物工房で端切れを安く譲ってもらい、行商人に化けた。まさか侯爵令嬢が端切れの行商をやっているとは思うまい。

「じゃあ、姉ちゃん、元気で」

「ありがとう、おかみさんたちによろしく」

 ジルをこれ以上巻き込まないため、あえて行き先は言わずに市場で別れる。

 犬対策はしたがリージェにはまだ追手がいる。罪もない巡礼馬車を襲った者たちだ。彼らにリージェが馬車で都を脱出したと悟られてはならない。

 外套のフードをおろして駅馬車が集まる場所へ向かう。

 聖堂前の巡礼馬車の乗り場と違ってここに見張りがいる可能性は低い。リージェが旅費を手に入れるとは父も思わないはずだ。なら、彼らはリージェが徒歩で聖域へ向かうと考え、街道に人を配置する。もしくは都の北東にある侯爵家の領地への道を抑える。その裏をかく。

 リージェが向かうカディア地方は、それらとは反対の南にある。それでも念のため、まず西へと向かう馬車に乗り、そこから次の宿場町でまた馬車を変え、カディアに向かう。

 それだけ予防策を張ったからか追っ手に見つかることもなくリージェはこの馬車に揺られていけばカディア中心の街、ガディだというところまで辿りつく。

 ここまで来れば後もう少し。気を引き締め、乗合馬車の最後の乗り換えをしようとした時だった。段が高すぎ乗り込めずにいる老婆に気がついた。修道女時代のくせで体が自然と動く。

「はい、どうぞ。おばあさん」

「え? ああ、ありがとね、若いのに親切な人だね、あんた……あれ?」

 老婆の腰の曲がった体を支えた時に女とばれたようだ。あわてて距離をとると老婆が心得顔に片目をつむった。

「ねえ、あんた。女の一人旅はいろいろ危ないんだ。よければ私の孫ってことにして、一緒に行ってくれないかい? 護衛代に娘に持たせてもらったお菓子をあげるよ」

 リージェに断る理由はない。二人連れなら追っ手の眼もごまかせる。こちらこそよろしくお願いしますと言って、老婆と隣り合って座る。

 老婆は嫁いだ娘の顔を見に来て、この先にある宿場町まで帰るところだそうだ。

「どこまで行きなさる」

「端切れの行商に、南部まで」

 老婆に説明しつつ、リージェは自分の漠然とした目的に想いを馳せる。聖王妃のことが知りたいと出てきたがどこへ向かえばいいだろう。あの時はどくんと胸が跳ねた。が、実行に移すとなると先ず、何から探せばいいか分からない。

 小さくため息をついてジルにもらった護符を出す。老婆がのぞき込んできた。

「へえ、珍しい護符をもってるね。あんたもカディアの出かい?」

「いえ、これは貰い物なんです。そういうあなたはカディアの?」

「ああ、嫁ぐまではあっちで育ったよ。懐かしいねえ」

 これは良い人と隣り合った。リージェは不審がられないよう、何故、文様が違うのか、他にも都とは違う独自の祭祀様式があるのか聞いてみる。

「まあ、ねえ。大きな声じゃ言えないが、あの辺りはちょいと異質だからねえ」

「異質?」

「何しろ、ほれ、あの処刑された聖王妃様ゆかりの地だから」

 聖王妃様、とこの人は言った。都では魔女と呼ばれ、歴史書にもそう記された人なのに。

「では文様が違うのはかの方にちなんで? 何か理由があるのですか? 教えてください!」

 リージェの表情の変化に気づいたのだろう、老婆が声を潜めて護符をしまうように言った。

「……忠告しとくよ、余所者があまり聞かない方がいい。あれから百年近くたつが、いまだに中央からは区別されてる土地だからね。皆、敏感なんだ」

 言われてみればカディアのある南へ下るごとに街道が荒れていく。最初は地方へ行くとこんなものかなと思っていたが、違うらしい。

「カディアもだけどこの辺りも領主様が何度も入れ替えられて。もう終わったことなのに上はまだ警戒してるんだよ。また何か起こすんじゃないかって。だからいろいろ厳しくてね」

 ぼそぼそとそれだけ言うと、老婆は口をつぐんでしまう。その沈黙の深さにリージェはそれ以上尋ねられなくなる。そっと老婆を見る。貧しい暮らしとわかる身なりだ。そういえばカディアの出だという酒場のおかみさんも、売られるようにして都へ出てきたと聞いた。

 貧しい地域。乱の余波が続いてそうなのか、もともと格差があるから乱がおこったのか。

 この地自体が貧しいとは思えない。広がる畑には青々と作物が育っている。暮らしがきついのは他に理由があるからだ。それはかの聖王妃が乱に加担した理由につながるのだろうか。

 知りたい。リージェの中に、そんな欲望めいた想いが生まれる。

 聖王妃のもつ力について知りたくて、代々の聖王妃の中でも特異な存在である彼女に一つの時代に二人の候補となった自分たちの姿を重ねて、何よりなぜ自分に五度も死んだ記憶があるのか知りたくてこの地へ来た。

 だが今は、同じ聖王妃候補と呼ばれる身として、彼女自身が気になる。なぜこの地がこうなったのか、彼女が王家に逆らったのがなぜかを知りたい。

 だが締め付けの厳しい地で、異端とされる者のことを軽々しく口にはできない。そもそも何のために話を聞くのか。

(聞いても、私ではこの地の苦境は救えない……)

 今まで時間をかけて国政について学んだ。なのに生かせていない。役に立てない。都を出る時だって、自分は何もできなかった。迷惑をかけただけだった。自分が無力だからだ。

 ふと思った。逃亡中の侯爵令嬢では何もできない。だが〈王妃〉ならできるのではないか。

 その考えに、ぞくりとした。

『善意は、特に害悪になる』

 以前、宗教問答で大主教猊下が口にした言葉だ。乱を起こした若き将軍、彼もまたそう考えて聖王妃を攫ったのでは。この地を良くするために。人はそうして野心を持つのかもしれない。最初は誰でも善きことがしたいと思って地位と力を欲して。

 リージェが悩む間にも同乗客たちが荷物をまとめ始めた。もうすぐ次の宿場町につくのだ。

 老婆はここで降りるらしい。馬車自体もここで休憩をとり馬を交換するそうだ。なので客たちもいったん馬車を降り、街の待合室で待つよう言われた。リージェも自分の荷を背負う。

 その時だった。荷馬車から身を乗り出して前を見た乗客たちが騒ぎ始めた。

「おや、なんだろね、あれ。検問じゃないか」

「この街で珍しいね。なにを探してるんだろう」

 街道沿いにある小さな街の入り口に男たちが立っている。馬車に止まれと合図していた。

 リージェは息を飲んだ。男たちの幾人かは厳つい簡易甲冑をまとっている。

 鎧についた紋章は貴族の私兵であることを示していた。

 侯爵家の者ではない。だが、いったい誰が何を探しているのか。

 リージェの追手だろうか。だとしても捜しているのは逃亡中の侯爵令嬢だ。薄汚れた行商人の若者ではない。ここはへたに逃げるよりごまかして通り過ぎたほうがいい。街は平原の真っただ中にある。辺り一面遮るもののない畑で身を隠す場所がない。

 リージェは止められた馬車から降り、そのまま検問の列に並んだ。まずはこの街で降りる乗客たちが検問所を通り、街へと散っていく。次はここで休憩する乗り越し客だ。

 だが次の瞬間、リージェはとっさに乗客たちの陰に隠れていた。

 馬車の到着を聞いたのか、街の中央から馬に乗った若い男がやってきたのだ。

(あれは、ブローニュ伯家のフィリップ卿?!)

 妹マリアージュの賛美者の一人だ。彼が何故ここへ。まずい。彼はリージェの顔を知っている。髪型を変えているとはいえ、フードをとればばれてしまう。

 そっと後ずさる。列の後方に移動して、そのまま町中へとまぎれようとする。

 が、目ざとくフィリップがリージェを見つけた。

「……! あれだ、捕らえよっ」

 男たちがこちらに向かってくる。あわててリージェは身をひるがえした。

 低い石垣がくねくねと迷路のように延びる田舎の街をリージェは逃げる。でもどこへ?

 舗装もされていない細い路沿いに家が点在する狭い町だ。隠れてもすぐ見つかってしまう。街の外へ逃げても見渡す限りの草原に、畑の連なりだ。相手は馬を持っている。あっという間に追いつかれる。

 ぜいぜい息を荒げながら走っていると「あんた、どうしたんだい」と声がした。見上げると路に面した家の二階の窓から、老婆が一人こちらを見おろしている。

 馬車で隣になった老婆だ。ここが彼女の住む家だったらしい。

「追われてるのかい、なら、うちへ……」

 言いかけたところで、リージェの行方を遮るように、槍が一本、飛んできた。リージェの眼の前、顔の高さに、どがっ、と土壁を抉りながら突き刺さる。

「……手間をかけさせるな」

 馬上からフィリップ卿がこちらをにらんでいた。その憎悪の眼差しにリージェは思わず問いかけていた。

「どうして、どうしてあなたが私を追うのですか」

「は、どうしてだと?」

 フィリップが鼻で笑った。

「薄情な姉君だ。あなたが勝手に都を出たせいで侯爵家がどんな目に合っているかご存知か」

 従者に二本目の槍を手渡されながら、フィリップが言う。

「侯爵やマリアージュ嬢があなたを虐待していた、そんなデマが飛び交ってマリアージュ嬢は難しい立場にいる。侯爵は牢に入れられ、彼女は王宮に留めおかれているんだ!」

 何、それは。

「マリアージュ嬢からは前から涙ながらに、姉がひがんであてつけのように離れに閉じこもっている、ドレスを与えても突き返して修道女服ばかり着ている、父が可哀そうだ、どうすればいいかと相談は受けていた。が、まさかここまでやるとは。あの夜会のおり王太子殿下と部屋にこもってあなたは一体何を殿下に吹き込んだのだ!」

「な、なにも言っていません、私は父たちがそんなことになっていると知らなくて……!」

「見苦しい、言い訳をするなっ」

 フィリップ卿が吠えた。槍を構える。

「絶対に連れて帰る。マリアージュ嬢を解放するために」

「危ない、町中でなんてことするんだい、お貴族様だからってひどいじゃないかっ」

 槍が投擲されるのと、老婆が威嚇のためか窓から桶の水をぶちまけるのは同時だった。

 降ってきた水に驚いた馬が身をよじったせいか槍の方向がそれた。リージェではなく、まっすぐに老婆に向かっていく。

(駄目っ)

 脳裏に襲われた聖域行きの馬車、猟犬に踏み込まれたおかみの店が浮かぶ。

 また自分のせいで人が傷つくのは嫌だ。今度こそ守りたい。いや、守って見せる!

 リージェが老婆をかばおうと、石垣ごしに身を乗り出した時だった。

 突然石垣が崩れた。手が空をつかむ。

「きゃっ」

 支えを失ったリージェは、そのまま地面へと倒れこむ。いや、地面には届かなかった。

 土の上に倒れこむ代わりに、リージェの体は、硬い、しっかりとしたものに包まれるように支えられていた。そして何かが槍を弾き返す、重い音がする。

「え?」

 そしてふわりと体が浮き上がる。

 気が付くとリージェは家の屋根より大きい、石山の上に座っていた。 

 何、これ!

 こんなもの、さっきまではここになかった。リージェが逃げ惑っていたのは丸い石を積み上げた低い石垣が続く町中で、周りには家しかない。こんな大きな石の山などなかった。

 あわてて見おろすと山はずんぐりとした人の形をとっていた。丸い石が無数に積み重なってできたような大きな体。リージェはその肩に、人型の手で支えられながら座っていた。

 丸い石、人型。はっとして自分が立っていた場所を見る。そこにあったはずの石垣がなくなっていた。ちょうどこの石人形の質量分だけ。

(まさか、これ……!)

 驚いているのはリージェだけではない。

「な、なんだ、これは」

 フィリップ卿が上ずった声を出し、乗馬が怯えて前脚をふり上げる。そこへリージェを肩に乗せたまま、石の人型がおおいかぶさるように腕を伸ばした。

「う、うわああっ」

 馬が暴走し、フィリップ卿もつられて去っていく。

 何が起こったのか理解できず窓辺に座り込んだままの老婆の上に、大きな影が差した。

「えっと、その、おばあさん、大丈夫です、か……?」

 リージェは石の人型の上から話しかけた。



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