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16.王太子の後悔と怒り②

「まだ見つからんのか!」

 王都にあるリリューシュ侯爵邸では、当主である侯爵の焦りに裏返った声が響いていた。

 顔の半面をおおう包帯も痛々しいが、それ以上に血走った眼が、包帯の隙間からのぞくどす黒い肌が、侯爵の姿を鬼気迫るものにしている。

 当然だ。猟犬を使う無茶までしたのにリージェが捕まらなかった。しかも酒場に残った人々から行方を聞きだそうにもなぜか城の近衛兵たちが駆けつけ、手を出せなくなった。

 ぎりりと爪を噛み、部屋を歩き回っていると執事が控えめに声をかけてきた。

「お館様」

「なんだ、忙しい」

「それが。殿下が市街の騒ぎについて説明のため登城するよう使者をつかわされました」

 ごくりと息をのんだ。これだけの騒ぎになったのだ。王家の耳に入るのは当然だ。なのに対策もせず歩き回ることしかできなかった自分はもう冷静な判断ができなくなっているのだろう。自分でもそれが分かり、侯爵は顔をゆがめる。

 王族の要請を断ることなどできない。侯爵はしぶしぶ出かける旨を執事に告げた。

 王家差し回しの馬車に乗せられ、連れていかれた先は王太子の執務室だった。

 護衛と秘書官、それに法務の文官以外は人払いされた部屋で、侯爵はようやく使者という名の兵の手から解放された。

 王太子の前にある机にはくたびれた鞄と女性用の着替え、よくわからない布人形、歪に曲がった石像の腕、それに銀に輝く髪の束が置いてあった。

 見覚えのある髪色にはっとする。

「……さすがにわかるようだな、この色が」

 淡々とした、静かなことがかえって恐怖を感じる王太子の声がした。

「私の密偵が毒殺された件と巡礼馬車が襲われた件についてあなたには聞きたいことがある」

「毒殺、それに巡礼馬車?」

 いきなり妙なことを言われて、間抜けにも繰り返す。

 そんな侯爵に秘書官が、リージェが邸を出てから遭遇したと思われる苦難の数々を語って聞かせる。邸の者を探索に出したこと、猟犬に追わせたこと以外は初耳ばかりだ。

(何故、そんな関係のないことを、さも私がしたように……)

 王太子がマリアージュを推す自分を快く思っていないことは知っている。ならばこれは自分を陥れ、リージェを妃にするための策略か。侯爵はあわてて否定した。

「私は知らない、私は犬を放っただけで!」

「犬を?」

 かっとクロードの顔色が変わった。怒気を込め、侯爵を見据える。

「なるほど。侯爵、あなたは犬を放ったのか。私の婚約者たる女性に」

 自分が自供を引き出されたこと、なにより王太子の迫力に侯爵はひっと息を飲んだ。

「そもそも彼女があんな時刻に邸から逃げ出さなくてはならなくなったのはなぜか。私にはあなたに原因があるように思えてならないが」

 クロードがこつりと靴音を響かせて近づく。侯爵は思わず後ずさる。

「侯爵、あなたは考え違いをしているようだ。私が今まであなたの所業を見逃してきたのは、あなたが聖王妃候補の父であり、私の未来の岳父となる人だからではない。リージェがあなたを慕っていたから、ただそれだけの理由だ」

 また一歩近づき、絞り出すようにクロードが声を出す。

「リージェを悲しませたくない、その想いから私は我慢した。だがもう彼女はいない」

 わかっているのか? お前はお前自身の手で自分の首を締めたのだ、そう語られない言葉が聞こえた。

「本当ならこの場であなたを八つ裂きにしてやりたい。リージェを散々苦しめたあなたを。だがまだ聞くべきことがある。命はうばわずにいてやる。あなたの身柄を拘束する」

 再び兵士に腕をとられ、半分床に崩れかかっていた体を引き起こされて侯爵は茫然とする。

 こんな馬鹿な。王太子からの叱責は覚悟していた。邸に謹慎くらいは命じられるだろうとは思っていた。だがこの王太子の口ぶり、周りを取り囲む兵士たち。

「……まさか罪人のように私をこのまま牢に連れていく気ですか、陛下の前での釈明の機会も、正式な裁きもおこなわず、すべての手順を無視して?!」 

 私は、侯爵なのに。

訴えるが王太子の顔は本気だ。汚物にたかる蠅を見るような目を向けられた。

「あなたの口からそのような言葉を聞くとは思わなかった。では逆に聞くが、自分が乗る予定だった馬車を襲われ、追手の手を逃れていきついた先で犬をけしかけられたリージェにも、あなたは侯爵家令嬢としての正式な手順を踏んで対応していたのかな?」

「で、ですが、あれは勝手に家を出た娘で、しかも自らあのようないかがわしい下町に出向いた愚か者ですぞ!」

 思わず反論したのはこの王太子の怒り具合では妻まで拘束されかねない、ならばせめてマリアージュだけでも助けなくては、との親心からだった。

「破落戸たちに追われたのも自業自得ではありませんか。マリアージュなら、あの清らかな天使なら決してそんなことはしないっ」

 追いつめられた頭で、必死に姉娘の非を訴える。それを追った自分たちに罪はないと。

それらの言葉がよけいにクロードの怒りに油を注ぐと気づかずに、侯爵は次々と言葉を発し、リージェを貶めた。

「だいたい殿下はあの娘ばかり気にかけておられるがあれが一度でも想いを返したことがありましたか? あの娘はマリアージュと違って殿下を慕ってなどいない、冷たい子なのです。それは今回のことでわかったでしょう。邸を出た後、あの娘は殿下を頼ろうとはしなかった、つまりあなたの妃の座などいらないと言っているのではないですか。そんな愛のない不実な娘にどうして殿下ともあろう方が……!」

「……それがなんだ? 私たちの仲とあなたの犯した罪とは関係がない」

 ぴしゃりと言われて、侯爵は言葉に詰まる。

「言っておくが彼女と私はきちんと心を通じ合わせている。あなたに心配される必要はない」

 連れていけ、と王子が兵士たちに告げる。その横顔はそれ以上の会話を拒む険しさで、侯爵は茫然と聞くしかなかった。



 クロードは忌々しげに力なく引きずられていく侯爵の背を見る。

 もちろん後で取り調べには立ち会うが、今は他に手配しなくてはならないことがある。

 今までの事情を知る秘書官や護衛のロイドはやっと溝の塵が流れたとでも言いたそうな顔をしているが、法的な手続きのために同席させた文官は苦々し気な顔でクロードに意見した。

「殿下。僭越ながら申し上げますが一連のできごとは推測ばかり。証拠もない段階で正規の裁きもなく聖王妃候補様の父君を捕縛するのは時期尚早ではありませんか」

「……証拠? そんなものが欲しいならいくらでも出すぞ。おい、前に調べたあれをこの文官殿に出して差し上げろ。そう、あの妹娘に贅沢をさせるためにおこなった不正の件だ。それと今回の件ならこれからいくらでも証拠が出るはずだ。大掛かりにやってくれたからな」

 あの巡礼馬車の件など、最初に聞いた時には耳を疑った。

 姉妹に差をつけるなど人間性に難のある面は知っていたが、まさかあの温厚な侯爵がそこまでするとは思わなかった。実際に馬車を襲った破落戸たちに指示を出した侯爵家の従者はまだ確保できていないが時間の問題だ。彼から金をもらってやったと破落戸たちも認めている。

「私はこれを機に妹のほうも捕らえるべきだと言ったはずだ。それをそなたの言を聞き入れて父親だけにした。かなりの自制だと思うが? あの従者はそもそも侯爵ではなく妹娘に従っていたのだから、教唆した主犯はあの娘でもおかしくはない」

「しかしあの方は聖王妃候補、まだ十五歳の令嬢ですよ? 親の罪は関係ありません」

「……そなた、見る眼がないな」

 リージェの心を汚したくなく、「我儘が過ぎる」くらいしか言ったことはないがあの妹娘は天性の悪女だ。自分が悪いと胸を痛めることなく平気で人を傷つける。だが聖王妃候補という立場が彼女を抑える邪魔をする。

「お腹立ちなことは分かりますが、ことの真相がはっきりするまでは暴挙はお慎みください。リージェ様がおられない今、あの方がただ一人の聖王妃候補なのですから。侯爵を捕らえただけでも、世間は眉をひそめておりましょう」

「なら、現行犯ならいいのだな」

「え? ええ、まあ」

答えてからはっとしたように文官が問いかける。

「まさか殿下、何かなさる気で? あんな可憐な令嬢を企みに落とすなど感心できません!」

「別に私がなにかするわけではない」

「は?」

「すぐ馬脚を現してくれるさ、少し隙をみせてやれば、すぐに。あの娘は堪え性がないから」

 クロードはリージェの前では決してしない口調で吐き捨てた。


 ++++++


 父が帰ってこない。王太子が自らあの女の捜索を始めたらしい。

(どうして? どうして皆、私の思うように動いてくれないの? 邪魔ばかりするの?)

 意地悪。

 マリアージュは王太子に招かれて滞在中の王宮で、不満顔になっていた。

 父が捕われた後はしばらく邸に軟禁されたがその後、王子は客人待遇で王宮に招いてくれた。最初は喜んだが違う。代わりに夜会や茶会など社交の催しは欠席するようにというのがあからさまだった。ほぼ軟禁状態で、こんなの酷いですわと、王子を追いかけて不満を言いたてても聞いてもらえない。それに今日のマリアージュはそれどころではない。

 うわさで聞いた。市街を逃亡する際にあの女は皆の前で石像を操り倒して見せたという。

(……それって聖王妃の力よね?)

 先に目覚めたということか? あの女が? まだ、私は目覚めていないのに!

 マリアージュはぎりりと爪を噛む。父が頼りにならないので取り巻きたちを国中に散らして捜索させているがまだ見つからない。まずい、まずい。このままあの女が先に王子に保護されたら。王子はマリアージュの手が届かないところに安全にかくまってしまう。いや、それどころか「彼女こそが真の聖王妃だ」とひいきして妃の座を与えるかもしれない。

「やだ、そんなことになったら、私、終わりじゃない……」

 幽閉の後、毒酒を呑まされてしまう。

 どうしよう、どうしよう、もう時間がない。あの女が見つかる前になんとかしなくては。

 部屋をうろうろと歩き回った後、マリアージュはきゅっと唇を噛みしめた。机の奥から隠していた小瓶を取り出す。

 聖王妃候補になる前に遊び仲間と大人の世界をのぞきたくてこっそり行った仮面舞踏会。そこで知り合った男にもらった薬だ。一口飲めば理性のすべてを蕩かして、目の前にいる女に焦がれるようになる媚薬だとか。実際、下男で試したらおもしろいことになった。もしも使える時があればとここへも持ってきたのだけど。

 マリアージュは少し考えるとつけられた女官たちを呼んだ。王子への伝言を命じる。

「殿下をお茶にお招きしてほしいの。承知してもらえるまで戻らないで。ああもう、気がきかないわね、そこにいる全員でいきなさいよ。手ぶらで戻ったら承知しないから!」

 癇癪をおこしたふりをして、部屋から他の人間を追い払う。

 茶会をこの部屋でおこなっても侍従や女官が同席する。本当の二人きりにはさせてもらえない。それにお茶は侍女が入れる。薬を垂らす隙は無い。

 だから。

 マリアージュは誰もいなくなった廊下にそっと滑り出る。王子の部屋の場所などとっくに馬鹿な侍従たちから聞き出している。それに最近は一人で放っておかれる時間が暇で、こっそり王子の弱みを握れないか周囲を探検している。だから慣れたものだ。

 あの女を探すためか、今日は妙に人の少ない廊下を進んで王子の私室までやってくる。

 ちょっと恥ずかしげに微笑んで、「殿下に部屋で先に待つように言われて」と上目遣いで眺めれば衛兵なんていちころだ。部屋に通してくれた。

 何度か同じ手を使って入った部屋を見回す。

 王子の香りがする。

 彼の私室らしく、派手ではないが整理が行き届いた美しい部屋だ。

 いつもならここで二人で暮らす日を夢想しながら長椅子や寝台にのって遊ぶのだが、今日は使えるものはないかと部屋の中を見回す。

 もう夕方だから部屋の清掃も終わり、寝台はベッドメイクもできていて、枕元には冷たい水の入った水差しまで用意されていた。

 ちょうどいい。あれにしよう。マリアージュは寝台に近づくと隠し持った小瓶を取り出す。

 中の薬を水差しの中に入れようとした時だった。

「そこで、何をしている?」

 かけられた声に、驚いて振り返る。

 王子が立っていた。護衛の騎士や貴族たちを従えて。

「王族の寝所に無断で忍び込み、一服盛ろうとした。明らかな罪だな、これは」

 皆が証人だ、そう言いながらこちらに向けた冷たい眼差しにマリアージュは悟った。今までにも何度か入ったこの部屋。それはわざとつくられた隙だったと。こうして自分が馬脚を現すのを王子が待っていたのだということに。

「ひどいっ、最初から私のことはめる気でいたんじゃないっ」

 それはあの女のため? ずるい、ずるい。マリアージュはわななく唇を動かして主張する。

「私は悪いことなんてしてないわ、私はただ殿下に愛してほしかっただけっ」

 あの女しか見ない、不公平な男の目をこちらに向けたかっただけ。公平に接してほしかっただけ。なのにどうしてそんな目で見られないといけないの?

「私だって聖王妃候補よっ、殿下と愛し合う権利だってあるはずよ、なのに私を見てくれないから、だから悪いのは私ではなくて、あの女で……!」

「つれていけ」

 なおも騒ぐマリアージュを、クロードは退出させた。

 可憐な令嬢の本音を目の当たりにして、茫然と立ち尽くす証人たちに向き直る。

「これで文句はないだろう?」

 クロードは蒼白な顔になっている文官にひたと眼を据えて言い捨てた。囮に用意したのとは違う自室に戻り人払いをする。そして胸元から市街で回収したリージェの髪を取り出した。

そっと銀の輝きにふれる。

 リージェ。あんなに長い髪が似合っていたのに。

 これを切る時、彼女はどれだけ追い詰められていたのか。想像するだけで胸が痛くなる。

クロードは自ら都中を探し回って集めた、リージェの足跡に語りかけた。

「必ず、見つけるから。だから、待っていて」

 どうか無事でと、クロードは酒場の少年から彼女の伝言と共に手渡された手巾に額を押しあてる。脳裏に侯爵が言った「あなたを頼らなかった」との言葉がよぎる。だが。

『愛しています』

 彼女はそう伝言してくれたのだ、自分に。

 いつも遠慮がちで、言って、とねだっても一度も返してくれなかった言葉。それを口にしてくれた。

 初めて彼女から告げてくれた想いに、「僕も、愛してる。間に合わなくてごめん」とつぶやくと、クロードは低く、後悔の嗚咽を漏らしはじめた。


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