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12.王宮にて 

「聖人像が倒れた?」

「はい。殿下のお耳をわずらわすほどのものではないのですが、一応、王家寄進の広場での出来事ですので、ご報告を」

 王太子クロードの執務室でのことだった。

 いつも通り執務をこなすクロードに、秘書官が口頭にて許可を得たい案件を列挙していく。通常、可否を伝えて処理をさせるだけのものだが、中の一つがクロードの気を惹いた。

「カディアの乱平定の際の戦勝記念につくられた広場です。幸いけが人はいないようですので壊れた像は片付け、安全のため新たな像は設置せず、土台も撤去するよう手配済みです」

 事務的に告げられる報告に顔を上げ、問い返したのは気になる言葉があったからだ。

 カディアの乱。

 王国の南、カディア地方で起った乱のことだ。聖王妃を攫い、妻とした若き将軍が己こそ正当な王だと主張し、決起した。

 もともと王国の南方は国境に近いせいか独立独歩の気風がある。聖王妃の力を王家が独占することに不満をもつ民が合流し、内乱と呼ぶ規模になったと、子どものころに歴史の講義で聞かされた。遠い昔の話だが、今は聖王妃がらみの語句があるとつい耳が反応してしまう。

「……結局、あの時の聖王妃は魔女として火炙りになったのだったか」

「はい。攫われ、無理に妻とされた身ながら聖女の優しさゆえか反乱軍の兵士に祝福を与えるなどして王家の軍に抵抗されましたから。おいたわしいことです」

 秘書官はさりげなくごまかしたが、彼女はそれ以上のことをしている。

 国中に広がった戦乱の中で当時の王太子を自らの手で弑した。そのため王家もその存在を看過できず囚われ、死を賜った。王国の長い歴史の中で神託を受けながら王家に嫁がず、処刑までされた聖王妃は彼女だけだ。

 以降の王家は聖王妃降臨の神託が降り次第、乙女を囲い込むようになった。

 無理もない。また聖なる乙女を手に入れれば王になれると思う者が出ては世が乱れる。この国ではそれだけ聖王妃の存在は重要だ。

 現に聖王妃を妻に迎えることができなかった父王は民の求心力が弱い。そのうえ即位前には母の異なる弟との間に王位を廻る争いを起している。王弟が聖域へと身を引いてくれたおかげで争いは大きくなる前に沈静化したが、今でも聖職についた王弟を支持する者は多い。おかげで貴族たちを押えるにも苦慮している。

 その分、父王は息子に賭けているのだ。だからこそ聖王妃の神託が降りると大事を取り、リージェを聖域に入れた。そうそうに聖王妃は王家のものだと宣言し、他の虫がつかないよう隔離したのだ。

 そこでクロードは、ふと、昨夜の男を思い出した。リージェと踊った謎の男だ。黒い髪に金色の瞳をしていた。王国の南方、カディア地方の民に多い色合いだ。

 かの悲劇の聖王妃もカディアの出で美しい黒髪に金色の瞳をした乙女だったという。

(……これは偶然だろうか)

 舞踏会から戻ったあと出席者名簿を調べた。が、あの男に該当する者はいなかった。

 招待客の同伴者や従者として入り込んだ可能性も含め、今も調査をさせてはいるが異国人ではなくこの国の生まれの可能性もあるのでは。そう考えたところでなにかが脳裏でひっかかった。はっとする。

「思い、出した……」

 クロードはつぶやいた。あの男には会ったことがある。

 まだ子どものころ、王都にある大主教の邸でのことだ。大主教は父王の異母弟だ。ふだんは聖域に暮らしているが都にも王弟としての邸をもっている。公爵の位ももつためだ。そこを訪れたとき、あの男がいたのだ。知人だと紹介された。

(だがおかしい。あれはもう十年も前のことだ)

 だからこそクロードは忘れていた。だが昨夜のあの男はあの時と同じ姿をしていた。

 歳をとっていない? いや、それはあり得ない。若く見えただけだろうか。だが、あの時に会った男が昨夜の男と同一人物なら、大主教のいる聖域でリージェは彼と会ったのだろうか。だから親しげに踊ったのか?

(だがそれならなぜそのことを言わなかった?)

 彼女は知らない男だと言ったのに。

 クロードの胸に不安と疑念がわきおこる。叔父に問い会わせなくては。そしてリージェを決して聖域には近づけないようにしなくては。

 彼女が他の男に心を許すとは思わない。信じている。それでも。

 クロードは唇を噛んだ。そのときだ。

「殿下? どうかなさいましたか」

 秘書官が問いかけてきた。その声に我に返る。そうだった。今は執務中だった。

 己の狭量さに苦笑しながら顔を上げる。

「あ、ああ、だいじょうぶだ。続きを話してくれ」

「は、はい。……そういういわれの広場ですので、報告がこちらに上がってきたようですね。それに倒れた石像にもおかしな点もあったようで」

「おかしな点?」

「老朽化もしていない。なのに倒壊したそうです。しかも腕の形が元と違っていたとか」

「腕? 石像のか?」

「はい。もともとは人を迎え入れるように慈悲深く差し出されていた手が、誰かにつかみかかるように禍々しく曲がっていたとか」

 なんだそれは。

 クロードは書類に署名を入れようとしていた手を止め、秘書官を凝視する。

「ちょうど同じ日に聖域行きの巡礼馬車が襲われて……そちらは管轄が聖域になりますから報告は上がっていませんが、乗客が殺されるという事件が起きましたので、聖人が非道に嘆かれたのではないかと、民の間ではもっぱらの噂らしいですよ」

 まあ、石像が動くわけもなし、偶然そんな形に折れたのを民が騒いでいるのでしょう、と秘書官は笑う。

「それよりも殿下、執務中にこのような雑談にのってこられるとは、お気もそぞろのようで。せっかく離宮の用意もできたのに、姫君を迎えられないからですか」

 言われて、クロードはぐっとつまる。

「そのように悩まれるくらいなら夜会の後そのまま姫君を離宮までお連れすればよろしかったのに。もともとその予定だったのでしょう? 姫君にがっついた男だと思われるのがそれほどお嫌ですか」

「……そう言うな」

 遠慮のない言葉に、クロードは机に突っ伏した。この秘書官は学友時代からの側近なので遠慮がない。

笑うなら笑え。彼女を迎えることはかなり前から計画していた。そのうえで直接、侯爵邸まで面会に行き、夜会への出席を促した。

 そう、あの夜会の席で勝負をかけるつもりだったのだ。

 余裕ある男として彼女を誘うつもりだった。だがあの妙な男のせいで理性が飛んだ。人前で抱き上げ、部屋に連れ込むなど馬鹿な真似をしたこともあり、これ以上強引に出て彼女に幻滅されたらと、気弱になった。

 彼女の前では決して無様な真似はすまいと思うのに、彼女が絡む時に限って体が勝手に動いてしまう。始末に負えない。

「ですが昨日のうちに動いておかれた方がよかったかもしれませんよ」

 そんなクロードに、わかっているというように微笑みかけて秘書官が言う。

「今朝、リリューシュ侯爵は落馬して重傷を負われたそうですから」

「重傷だと?」

「命に別状はありません。ただ意識が未だ混濁しているうえ、顔に傷を負った状態だとかで。殿下の面会要請には当分、応えられないそうです」

 舌打ちが漏れそうになった。

 リージェを手元に呼び寄せられなかった以上、侯爵が彼女に何をするかわからない。潜り込ませた密偵に見張らせるだけでは心もとない。しばらく何もできないように侯爵に仕事を与え、地方に飛ばしてやろうと思っていたのに。

「姫君はお優しい方ですから、こうなれば父君の傷が完治するまで傍を離れられないでしょう」

「そこは腹が立つが。侯爵が首の骨を折らなくてよかった」

「ですね。ここで侯爵が亡くなれば即、家の者は次期侯爵となる者にリージェ様の処遇について判断を仰ぐでしょう。リージェ様の叔父君にあたるアンリ卿に。彼は侯爵夫人に頼まれ、マリアージュ様を推しているそうですし、何かよくない手をうつやもしれません。ですが当主が存命で、かつ、その判断が仰げない今はかえってリージェ様も安全でしょう」

 それが一番心配なのでしょう? と訳知り顔に言われてクロードは頬を赤く染めた。

 気に食わないがあれでもあの男は侯爵家の当主。リージェへの対応もふくめ、皆、彼に判断を仰ぐ。その彼の意識がはっきりしないとなればリージェに新たな脅威は発生しない。

 リージェ。彼女はもう迎えを受け入れる心づもりはできただろうか。

 父王へも話は通した。後は彼女の承諾だけなのだ。

 ここまで話を進めるのにどれだけ苦労したことか。侯爵はリージェが表に出ないことを「本人が静かな環境を好むから」「俗世になれず体調を崩して」ととりつくろっている。リージェへの招待状を握りつぶし、ドレスを取り上げて夜会へは出席できないようにしたことを気取らせない。

 他の者たちも温厚で子煩悩と噂の侯爵が、姉妹にそのような差をつけているなど想像外だろう。実際、自分もリージェと連絡が取れなくなり、怪訝に思って調べるまでは侯爵の主張を眉を顰めながらも受け入れていた。

 そんな有様で自分が強引に出れば。公平に扱うべき姉妹に私情で差をつけたと、リージェが傾国の娘と悪者にされる。

 そもそもこの件を公にできたとしても、リージェ自身が虐待があると認めないだろう。

 本人が否定するのに、他者が他家の事情に踏み込むわけにはいかない。それが今までこちらの足かせになっていた。が、リージェはあの家を出ることに不承不承ながらも同意してくれたのだ。だから、今度こそ。

 潜り込ませた密偵からは特に連絡はない。彼には朝となく夜となく、彼女の様子を確かめるよう命じてある。何かあればすぐ守れ、連絡してこいと。

 連絡がない、それは彼女が無事だという証でもあるのだが、早く返事がほしい。いや、会いたい。

「よろしければ、侯爵邸に忍びこむお手伝いをいたしましょうか」

「……いや、それはさすがに」

 その前に侯爵に見舞いの使者を送るべきだ。

 クロードが内心、迷い、口ごもった時だった。侍従がマリアージュの訪れを告げた。

 断れ、という暇もなかった。可憐なピンクのヒヤシンスのようなドレスをまとった彼女が、侍女を連れて、勝手に執務室に入ってくる。彼女は形ばかりの礼をとるとすぐクロードの元へ駆け寄ってきた。

「殿下、近ごろちっとも私と出かけてくださらないのですもの。迎えに来てしまいましたわ。ねえ、外はとても良いお天気ですのよ、遠乗りに出かけません?」

「……」

 確か彼女とはついこの間の叔母上の誕生日祝いに一緒に出席したはずだ。昨夜の夜会でもともに踊った。これで不満を言われては男としてつきあいきれない。そもそも今朝、父親が落馬して意識不明の重体に陥ったばかりだろう。こちらからも見舞いの使者を選定せねばと考えていたところなのに、何故、実の娘である彼女がこんな明るい顔で遊びに誘ってくるのか。

 つい、ため息が出る。これはこの少女が常識外れだと非難していい案件だろう。リージェが気にかけているから相手をしてきたが、あれだけはっきりこちらが好きなのはリージェだと示しても態度を改めないこの神経が信じられない。

 確かにマリアージュも自分の婚約者だ。丁重に扱わなくてはならない。

 だが逆に言うならいくら婚約者とはいえ、約束もなく王太子の執務室に押しかけるなど、常識外れも甚だしい。そこをどう思っているのか。まだ若いから、ではすまされない。

 なのにマリアージュはなんの悪気もなく首をかしげてこちらを見上げてくる。

「外出が無理なら屋内で過ごしてもよいですわよ。実は私、ベルヌの舞踏曲をもっと練習するようにダンスの教師に言われてますの。王太子妃になるのなら絶対に必要だって。でも、あれはとても難しくて」

 みるみる表情がくもるクロードを意に介さず、マリアージュが腕に縋って甘えてくる。

「遠乗りにつきあってくださらない罰ですわ。ダンスの練習につきあってくださいませ。それで最近の殿下のつれない仕打ちは許して差し上げますわ」

「……リージェが君の年頃だった頃、もう完璧にステップを踏めていたよ。私と練習などしなくとも。彼女は努力家だったから」

 腕を払い、ぴしゃりといってやる。袖についてしまった甘ったるい残り香が気持ち悪い。

 リージェは妹の命を心配して、こちらの手をとれないでいる。なのにこの妹は自分が王妃となるためなら平気で姉を蹴落とすだろう。いや、それどころか後顧の憂いをなくすため、姉を早く死罪にとでも言いかねない。リージェが心を配る価値もない娘だ。

 見ていると怒りが抑えられなくなりそうでクロードは顔を背けた。侍従に命じる。

「リリューシュ侯爵令嬢がお帰りだ、馬車まで送ってさしあげろ」

 まだ何やらわめくマリアージュを護衛騎士も呼んで部屋から連れ出す。

 秘書官が憂い顔で問いかけた。

「よろしいのですか」

「かまわない」

 もうリージェ以外の手を取るのは限界なのだ。

 窓を開けさせ、立ち込めた香水の臭いを追い出しながら、クロードは愛する婚約者に想いをはせた。彼女からはこんな臭いはしない。彼女からはいつも優しく爽やかな香草の香りがする。そしてこちらを落ち着かせてくれる。

 つい、昨夜、抱きしめた彼女の感触を思い出し、クロードは咳ばらいした。

 王族は貴族と違い公人の割合が多い。だから今までは自身の結婚が政略の道具につかわれてもしかたのないことと受け入れていた。だがリージェに会った。

「……その、侯爵家の密偵と連絡をとってくれないか」

「殿下?」

「あちらから連絡してこない限りこちらからは接触しない。気取られては彼女が危険だから。それが鉄則だが……」

 彼女の様子が知りたい。

 初々しく頬を赤く染め、言い淀むクロードに、秘書官がくすりと笑った。


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