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プロローグ

現在、再開に向けて改稿・見直し中です。ご迷惑をおかけします。

本日(2024/10/11)から一話づつ改稿分と差し替えていきます。新と旧、わかりやすいように改稿分は段落中の空行は入れません。よろしくお願いいたします。

「あら、あそこに来られたのはリリューシュ侯爵令嬢リージェ様では?」

「まさかそんな、王妹殿下の夜会にお独りで来られましたの? エスコートもなく?」

 リージェが煌びやかな夜会の広間に足を踏み入れたとたんだった。貴婦人たちの間から驚きの声が上がった。様々な感情を含んだ視線が投げかけられる。

 好奇と憐れみ、そして……嘲弄。

 無理もない。未婚の貴族令嬢が付き添いもなく、社交の場に現れたのだ。奇異に思われないわけがない。

 だがしかたがない。リージェにはこういったときに傍らに立ち守ってくれる兄弟や従兄弟はいない。婚約者は約束した時刻に現れなかった。そして、父は……。

 きゅっと唇をかみしめると、リージェは華奢な舞踏靴で前へ踏み出す。なるべく目立たないようにと、長い白銀の髪をなびかせながら人の少ない壁際を進んでいく。

 身にまとうのは裾にわずかにドレープをつくった簡素な蒼いドレスのみ。

 ほっそりとした首筋にも桜貝のような小さな耳朶にも、宝石の類はいっさいつけていない。王族の夜会に出るには質素すぎる装いだ。

 が、ただひたすらに前のみを見つめるリージェ自身が麗しい宝飾品だ。すんなりと伸びた長い手足に、小さな整った顔。美しい雪の結晶めいた燦めく銀の髪、重たげな睫毛が影を落とす瞳は愁いに満ちた菫の色。繊細な美貌はこわばった表情ゆえやや硬質な印象を与えるが、それもまた彼女の静かな佇まいとあいまって独特な神秘な風情を醸している。

 どんな装いでも人の目をひかずにはいられない美しい令嬢、それがリージェだ。

 だが当人は人の目を集めることを恥じていた。

 誰よりも厳しく淑女教育を受けて育ったリージェだ。一人で夜会に参加する不躾さは知っている。

 だが今夜は日頃、世話になっている王妹殿下の誕生祝の席。招待状を受け取り、出席すると返事をしてしまった以上、反古にするわけにはいかなかった。

 早く、一刻でも早く。

 自分が一人で来たことが会場の皆に知れてしまう前に、王妹殿下に挨拶して帰りたい。

 心を焦燥で満たしながらそれでも淑女として顔には露一つの焦りも見せず、優雅な白鳥のように歩を進めるリージェに皆が道を開けていく。そのあまりにも整然とした動きにリージェは嫌な予感を覚えた。社交の笑みを貼り付けた皆の目がなにかを待ちかまえているような。

(まさか、今夜はあの子も招かれて……?)

 リージェははっとした。今からでも遅くない。気分が悪くなったと断り、帰るべきか。

そう迷った時だった。

もっとも聞きたくなかった声に呼び止められた。

「まあ、お姉さま! いらしていたの?!」

 明るく、愛くるしい、まさに花が咲きほころぶような、リージェがよく知る声だった。

 足を止め、ゆっくりと向き直る。

 そこにいたのは一人の愛らしい少女だった。

 薄紅の薔薇色の瞳に、リージェと同じ白銀の髪。ただし受ける印象はリージェとは真逆だ。比べものにならない華やかさだった。ゆるやかに波打ち広がる髪は丁寧に櫛けずられ、花の形をした輝石が無数に編み込まれている。ふわりと裾の膨らんだピンクのドレスは最新流行の形。真珠やレースのリボンがふんだんに飾られ、身じろぎするたびに燭台の光に煌めき、涼しげな音を立てる。どこまでも可憐で美しい、ピンクの薔薇の精のようなドレスが似合う少女。

 世界中の誰からも愛されている、そんな見ているだけでこちらまで幸せになれそうな少女が、凛々しい軍装をまとった青年にエスコートされて歩みよるところだった。

「マリアージュ……」

 少女が浮かべる笑みにふさわしい、幸せな花だけを集めたブーケのような名をリージェは唇にのせる。

 リージェの妹であるマリアージュ。

 二人は同じ父母から生を受けた姉妹でありながら纏う雰囲気も、ドレスも、境遇も、なにもかもがあまりに違いすぎていた。

 マリアージュがちらりと眼を流してリージェを見ると、さも驚いたように口を開く。

「まあ、お姉さま、まさか一人で来られたの? そんな、お父さまは?」

「……お母様とビロー伯爵の音楽会にお出かけになったわ。前からの予定で、お断りすることはできなかったの」

「ではお姉さまを置いて、お父さまはお出かけになったの? ごめんなさい、私、私、知らなくて……」

 マリアージュの淡い薔薇色の瞳に、みるみる透明な涙の粒がもりあがる。口元を小さな手で押さえた立ち姿はとても綺麗で、一人で夜会に来ざるを得なかった姉を憐れむ、優しい妹にしか見えない。だがリージェの心は死んでいくのだ。彼女から言葉をかけられるたびに少しづつ。

 マリアージュが父の予定を知らないはずがない。侯爵邸の離れで一人暮らすリージェと違い、マリアージュは父母に溺愛されにぎやかな本邸で一緒に暮らしているのだから。

 この後に繰り広げられるだろういつもの光景を思うとリージェはこの場を立ち去りたくなる。また見世物にされるのは嫌だ。

(あの〈言葉〉を繰り返させられるのはもうたくさん……)

 逃げ場を求めて後ずさる。

 だが可憐な花の蕾のようにふるえるマリアージュが、それを許してくれない。

 周囲に人だかりができるのを待っていたかのように、マリアージュが、ごめんなさい、ごめんなさいお姉さま、と健気に謝りながら泣き始める。

「私、私が我儘だったの。日頃親しくしていただいているシュザンナさまにお誕生のお祝いを言いたいなんて、招待されてもいないのに殿下におねだりしてしまったから。本当は婚約者であるお姉さまが今夜、殿下にエスコートされてここに来るはずだったのに……!」

 マリアージュが泣きながら、傍らの青年にしがみつく。

 王太子クロードだ。

 天上の星のように煌めくプラチナブロンドの髪に、澄み渡る青水晶のような瞳。彫の深い白皙の美貌は男らしくありながらも同席の女性たちにうっとりため息をつかせる艶がある。煌びやかな礼装の上からもうかがえる見事な長身は鍛えられた騎士のもの。頼もしくも凛々しい、この国の娘なら誰もが憧れる王子様だ。

 そして神に選ばれたリージェの婚約者でもある。

 二人の姉妹に挟まれる格好になったクロードは少し気まずそうに、それでいてなにかを期待するようにこちらを見る。

 いったいなにを期待なさるというの。そう言いたくなった。

 このあとマリアージュが口にする言葉はいつも同じ。なのに何故、誰も止めてくれない?

 リージェはマリアージュを責めたことなどない。とっくにそんな感情は死んだ。あきらめている。なのに皆、なぜそんな同情の目をマリアージュにだけ向ける? 

 そして何故こちらを責める目で見るのか。妹にエスコート役の婚約者を奪われ一人で夜会にこざるを得なかったリージェのほうが悪い。わざわざ恥ずかしい姿を妹の前にさらしてあてつけがましいと責める目だ。

 ここにいるのは皆、マリアージュの味方。お前など邪魔だ、消えてしまえと思い知らせてくる。それがリージェにはつらい。身の置き所がなくなってしまう。

「ごめんなさい、お姉さま。どうしてなにも言ってくださらないの? やっぱり怒ってらっしゃるの?」

 マリアージュが言いつのる。周囲の目もきつくなる。そんなつもりでここに来たのではないのに。

「許してくださらないの? ご自分の婚約者を奪った図々しい女だと、私のことを責めておられるの?」

「……どうして、私があなたを責めたりできるの?」

 小さな、ふるえる声をリージェはかろうじて紡ぎ出す。自分が望んだからではない。周囲がそう言えと、マリアージュに謝れと無言の圧力をかけてくるからだ。ここでこの言葉を口にしないと妹が泣き、父が薄情な姉だとリージェを叱るから。

「そんなに泣かないで。私が殿下の婚約者でエスコートをしていただく資格があると言うなら、あなたもそう。だからあなたはなにも悪くないわ、マリアージュ」

 リージェはゆっくりと、マリアージュが期待するいつもの言葉を口にする。

 明るく、健気なマリアージュ。

 誰からも可愛がられ、守られる、神に愛されし娘。

 皆がマリアージュのために、リージェにこの言葉を言うことを望むから。

「……マリアージュ、あなたもまた殿下の婚約者。神より定められた正式な運命の伴侶よ。だから謝ることなんて一つもないの」

 そうなのだ。リージェが神託により選ばれた王太子クロードの正式な婚約者ならば、同父母の妹、リリューシュ侯爵家のもう一人の令嬢であるマリアージュもそう。

 王族であろうと一夫一妻の結婚制度を貫くフェルディナンド王国だが、異例なこととして、当代の王太子には婚約者が二人いた。

 そしてその二人は実の姉妹なのだった。



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