23.血の縁
二人の態度から、どうやらいわく因縁があるらしいと気づいた和海は、何があったのかを尋ねた。夫婦はずいぶんと渋ったが、実は霊能者もついてきているのだと粘り強く説得した結果、夫婦は話をしてくれた。
代々言い伝えられてきたものであるらしく、話は数百年前に遡る。
かつて、その桜があったところには、小さな山城があった。桜は、城の前庭に植えられており、数本の山桜と、一本の枝垂桜があった。
昔、山伏がそのうちの一本の山桜の実を所望し、持っていったという話もある。
その桜は、春になると美しい花を咲かせ、人々を喜ばせていた。
ところが、戦国の世にその山城は攻められ、善戦したものの、敗れ去った。捕らえられた者たちは皆、一本だけあった枝垂桜の根元で首を刎ねられたという。満開の花の下で。
城は焼かれ、そこにいたものはすべて息絶えた。桜だけが残ったが、その桜も不思議なことに次々と枯れていき、たった二本だけが残った。
一本は、かつて山伏が実を所望したえり抜きの一番立派な山桜。もう一本は、多くの人々の血を吸った枝垂桜。
しかも、枝垂桜のほうは奇怪なことに、それまで白に近い花が咲いていたものが、それ以来紅の色が濃くなったという。
枝垂桜はいつしか“人食い桜”と恐れられ、そばに行くと怪異が起こると噂された。
「実はの、そのとき城を攻めたものがこの土地に移り住み、のちの子孫が『山岡』を名乗っておるのじゃ。よって、山岡の家のものは、桜の場所に近づいてはならぬと言い伝えられておって、わしも行ったことはない」
行ったことはないが、と前置きしておいて、老人はさらに付け加えた。
「山岡の中でただ一家、桜に近いところに住んでいたものたちがおった。そのものたちは、代々滅ぼしたものたちの菩提を弔うために、桜守をしておったそうじゃ。もう十年も前に、町に出た子供のところに行ってしまって、ここにはおらんが」
「桜守の一家……」
桜守をしていたものたちは、代々枝垂桜が起こす怪異を封じる秘儀が伝えられていると噂されていた。もっとも、明治の初め頃に偉い先生がする必要はないと言い、ここ何代かは、そういう儀式は行っていないということだったと老人は言った。
「しかしの、人はいなくなった。山の裏側にはスキー場が出来ての、そのせいで山向こうの村にはそれなりに人が集まるが、こっちは寂れるばっかりじゃ」
最後に憮然とそういうと、老人は大きく息を吐いた。
和海は夫婦に礼を言うと、車に戻って聞いてきたことを告げた。
「……その桜守の一家って、問題の村上さんのおじいさんの一族なのでは?」
晃の言葉に、結城もうなずく。
「そうだろうな、まず間違いなく。さすがに、どんな儀式をしていたかまでは、わからんだろうがな」
一瞬の沈黙の後、さらに付け加える。
「もう一本の山桜のほうにも、“精”はいるだろう。そちらに聞けば、何かわかるかもしれん。危険を伴うが」
「近づかなければ大丈夫、じゃないかしら」
和海が、多少の希望を含めていったが、晃がそれを否定する。
「視界が開けて、村の様子が見え始めた途端、視線を感じ始めたんです。今だって、どこから見ているかわからない、いやな視線を感じます。距離は関係ないですよ、ここまで来てしまったら」
晃は、改めて二人の顔を交互に見ると、決然と言った。
「行きましょう。いざとなったら、自分のことは自分で何とかします。村上さんを救うほうが、最優先です。行ってください」
晃の決意に二人はうなずき、老夫婦に聞いた桜のある場所へ向かって、車を走らせる。
いよいよ道は細くなり、遂に舗装道路は終わってしまった。それでもまだ続く砂利道を走らせることしばし、道の傍らに民家が見えた。
すでに住む人もいなくなったと見えるその民家は、表札にかすかに『山岡』の文字が読み取れる。
「もしかしてここが、例の一家が住んでいた家かもしれん。降りてみよう」
結城の指示で車が止められ、三人は民家へと向かった。
昼間だというのに雨戸は閉められ、黴臭い匂いが漂う。あたりは木々が生い茂り、家はその中に飲み込まれそうになっているように感じられた。
春先だから、まだ辺りは見通しが利くが、これが夏なら、うっそうとした緑に覆われて、昼でも暗いに違いないという場所だった。
家はまだ原形をとどめているが、手入れをされていない家はあっという間に傷むのだということが、よくわかる。すでに土台からおかしくなっているように、家全体が歪んでいるのがわかった。
「……ここで〈過去透視〉をしたら、何かわかるだろうか。危険があるのは、承知の上での話だが」
結城の言葉に、晃がつぶやくように答える。
「何がわかるのかは、やってみないとわかりませんが、何かしら有用な情報は手にはいるとは思いますよ」
結城はうなずくと、近くに生えている木に寄りかかるようにして身体を安定させると、ゆっくりと精神統一にはいった。晃と和海がすぐ近くで待機し、万一に備える。
目を閉じた結城は、じっと瞑想しているように見える状態になったが、程なくつぶやくような声が漏れる。
「……桜。血の儀式。……街から来た学者がやめさせた……」
最後の言葉に、晃と和海が顔を見合わせたとき、結城が目を開けた。
「所長、最後に、『街から来た学者がやめさせた』といいましたけど、何がどうしたんですか」
和海の問いかけに、結城はこういった。
「街から、このあたりの村々の暮らしぶりを調査していた学者らしい。その人物が、儀式の話を聞き、そのようなものは必要ないと、やめさせたようだ」
「そういえば、さっきのおじいさんも、『偉い先生がやめさせた』と言ってましたね」
そこへ、晃が口を挟んだ。
「あの、それより気になるのが、『血の儀式』と言っていたことなんですが、それはなんなのですか」
「ああ、一瞬垣間見えた光景だったが、あれはそう呼ぶしかしかない儀式だった」
結城が見たのは、ここからさらに少し先にある満開の枝垂桜の根元まで、この家から男女数人ずつが行列を作って進んでいき、場をお神酒などで清めたそのあとで、女が自分の腕を小刀のようなもので切り付け、滴る血をそのまま根元にたらし、周囲ではそれを取り囲むように数人の男が経文とも祝詞ともつかぬものを唱えているという、異様な光景だったという。
「明らかに、何かの儀式ですね。多くの人の血を吸った桜だから、鎮めるにも血が必要、ということなんでしょうか」
そうつぶやいた晃だったが、不意に背後から、異様な圧迫感を感じた。晃の背後の方向は、例の枝垂桜がある方向だ。
咄嗟に振り返った晃には、人の形をした気配の塊が“視え”た。直後に、結城も和海も気配に気づいた。
「いかんっ!」
結城が胸ポケットから般若心経を取り出すと、相手に叩きつけんばかりの勢いで、それを唱え始めた。和海が深呼吸して念を込め、晃のそばに行く。
晃の肩の上に笹丸が飛び乗り、気配を威嚇する。晃もまた、神経を張り詰めて、相手を睨みつけた。
三人と一匹に威圧され、気配はひとまず遠ざかっていった。
気配が感じられなくなって初めて、全員が安堵の息をつく。しかし、完全に気を抜くことは出来なかった。
「……今のは、例の“桜の精”か?」
結城の声に、晃がうなずく。
「ええ。今、はっきりと“視え”ました。『何故村上さんだったのか』ということも、およそわかりました」
晃は、村上が一月の末頃、休暇を取ってスキー旅行にいったはずだと告げた。そのとおりなので、結城も和海も息を飲んだままうなずく。
「まったくの偶然ですが、村上さんが来たスキー場というのが、この山の裏にあるスキー場で、村上さん自身、バックカントリースキーと称してゲレンデ以外のところを滑っていて、あの枝垂桜のところに来ていたんです」
「なんだって!?」
結城が思わず目を剥いた。
「そしてそのとき、止まり損ねた村上さんは、木に衝突して枝を折ってしまった。そして自分もスキーのエッジで脚を切り、桜の根元に一滴の血がかかったんです。それが代々、自分の先祖がその血を持って怨みの念を鎮めていた桜とも知らずに……」
「そういえば、休み明けにしばらく足を少し引きずっていたわ。聞いたら、スキーのエッジで切って六針縫ったって」
和海が、腑に落ちたという顔になる。しかし、と結城が問いかけた。
「血で鎮めるというなら、何故今回、かえって目覚めさせてしまったんだ。矛盾するじゃないか」
「鎮められるのは、実は女性の血だけなんです。男である村上さんの血は、かえって桜に宿るもろもろの“念”を活性化させてしまう結果になったんです。なぜなら、その“桜の精”は、自分の中に人の恨みを宿し、自分もまた世話してくれた人々の死を哀しみ、呪う“念”があった。それをかろうじて鎮めていたのが、一族の女性の血で恨みを贖う儀式でした。それが行われたのが、ちょうど桜が満開の頃だったんです」
桜の下で流されたのと同じだけの血が流されれば、浄化は終わっていたはずだった。だが、浄化まであと少しというところで、近代になって儀式は行われなくなり、まだ浄化されていなかった“念”が徐々に膨れ上がり、すべての中核で、ここで起こったあらゆることを見てきた“桜の精”を狂わせていったのだ。
「桜が吸った血は、実は男の血。だから、それを浄化するのに女性の血が必要だった。異能の力も何も持たなかった一族が、必死に編み出して、伝えてきたのが、所長の“視た”『血の儀式』だったんです。それが、男である村上さんの血を“吸って”、桜は逆に目覚めてしまった。枝を折られた怒りも、入っていたと思います」
そこまで言って、晃はわずかに表情を緩めた。
「もっとも、今の霊視の半分は、笹丸さんの力添えですけどね。過去の因縁に関しては、笹丸さんの力で引っ張ってもらったようなものです」
二人が納得したようにうなずいていると、肩の上の笹丸が言った。
(我とて、ほんのわずかな手助けをしたに過ぎぬ。大半はそなたの実力。だが、おおよその事情はわかった。力を削ぐ霊能を嫌って近づけぬばかりに、このような不幸な偶然を見落としておったとは、まだまだ修行が足りぬ)
(それは仕方がないでしょう。それより、これからのことを考えないと)
(そうであるな。あの“女”のおぞましき力、因縁の一族の“血”を取り込んだが故のもの。引き離せば失われるのはわかっておるが、それが難しい……)
(あそこまで取り込まれたのは、やはり“因縁の血筋”のせいなんでしょうね……)
そのとき、結城が口を開いた。
「行こう。事情はわかった。もはや、直接対峙するしか、方法はないだろう。村上くんを救うためにもな。覚悟は出来ているか」
晃も和海も、無言のままうなずいた。時刻は午前十一時をだいぶ回っている。
三人は、車に戻って早めに昼食をとることにした。桜の元に行ったら、昼食など食べている余裕はないだろうから。
宿で用意してもらったおにぎりを食べながら、三人と一匹は、これからのことに思いをめぐらせていた。