22.寒村
顔を付き合わせ、深刻に考え込む二人の姿を見ながら、晃はなんともいえない気分になっていた。
(僕ひとりなら、かえっていくらでも対処のしようがあるんだけど、あの二人は僕を護ろうと動くんだろうね)
(当然だろ。お前が逆の立場だったとしても、なんとしてでも護ろうとするだろうが。ただ、それがかえって厄介なんだがな)
自分の“本性”を明かすことが出来ない限り、二人に対して『危険が及ぶ恐れがあるから、自分から離れてほしい』とはいえない。ひとりより、三人で協力したほうがいいに決まっていると、反論されるに違いないからだ。
(そなたの真の力は、実力を出していないそなたと、他の二人を合わせた力を、完全に凌駕しておるというにな。あの二人、自分たちが完全に足手まといになる可能性があるとは、考えてもおるまいよ。そこが難しいところであるが)
二人の様子を眺めていた笹丸が、晃を見上げる。晃も溜め息をついた。
結論を出すことが出来ないままに、時間ばかりが過ぎていく。
「お客様、朝食の用意が出来ました」
女将の呼ぶ声が聞こえ、皆はいったん思考を中断し、朝食をとることにした。
「腹が減っては戦が出来ぬというからな」
結城が、明るい声を出して立ち上がる。それが空元気であることは、誰もわかっていたが、何もいわなかった。すっかり重くなってしまった部屋の空気を変えようとしたことが、痛いほどわかるからだった。
三人は、簡単に自分の布団をたたむと、部屋を出て食堂へと向かった。
階段を下りて廊下を進み、食堂の前に来ると、すでに香ばしい朝食の匂いがあたりに漂っている。
引き戸を開けると、すでに別な宿泊者の若い女性二人組が、食卓を囲んでいた。
三人が中に入ると、一瞬視線を走らせ、晃の姿を認めた途端、二人の表情が変わる。
しかし、晃はそれに気づきつつも、視線を送ることなく自分の食卓についた。
今日は、一日調査に費やし、解決の糸口を見つけ出さなければならない。取り込まれてしまった村上の魂が、どこまで持ちこたえられるかわからないという、時間との戦いという側面もあるからだ。
普段なら、女性の視線を冷やかす遼も、今日は口をつぐんでいる。軽口を叩ける雰囲気ではないと、わかっているからだった。
食卓は、ご飯に味噌汁、ニジマスの塩焼き、山菜の和え物、生卵などが並んでいて、なかなか美味しそうなのだが、心が晴れない三人は、味がよくわからないまま食べ始めた。
別な客に聞かれないように、小声で今日の予定などを打ち合わせるが、全然会話が弾まない。
とにかく、目的地の山里に行って、杏子の父方の先祖の血筋がどういうものであったのかを調べ、村上の魂を取り込んだ“桜の精”が、何故こういうことをしたのかという謎の解明に繋がる手がかりを、なんとしても見つけ出すつもりで臨むことになった。
食事を済ませ、セルフサービスでお茶をいれて飲むと、早めに出発するため、早々に部屋へ戻る。
晃は背後から、まだ食堂で話している女性二人組の視線を受けたが、無視して食堂を出た。廊下を歩いていくと、引き戸をわずかに開けて、晃の後姿を追いかける気配がある。あの二人組に違いない。
(こういう事態じゃなかったら、俺も『声ぐらい掛けとけ』というところなんだがな。でも、今回はお前の飛びぬけた容姿に、“桜の精”が惚れちまったのがきっかけで、こんなことになってるんだしなあ)
(だから、普通の地味な顔のほうがいいんだ。結局、ろくなことにならないんだもの。いまだに、繁華街に行けば芸能プロダクションのスカウトが声掛けてくるし、まったく、ろくなもんじゃない)
晃はさっさと階段を上り、部屋に入った。中では結城が、資料を小さめの鞄に詰め、今日の調査の準備をしていた。
晃は、リュックサックの中からボディバッグを取り出すと、その中にハンカチやポケットティッシュといった身の回りのものと、小さな般若心経、塗香を入れた。そしてふと思いついて、結城にこんなことを言った。
「所長、般若心経は唱えられますか。今回、一応般若心経は持ってきてるんですが」
「般若心経か。なんとなく覚えてはいるが、見ないと唱えるのは無理だな。本を、持ってきているのか」
「ええ。聞いた話ですが、般若心経を逆から唱えると、強力な退魔の力を発揮するというのを小耳に挟んだもので。あくまでも、俗信の域を出ない話ですけどね。むろん、普通に唱えても、強力な破邪のお経であることには違いないんですけど」
結城は、般若心経を見せてほしいといった。晃は、いったんボディバッグの中にしまったものをまた取り出し、結城に手渡す。そして、そのまま持っていていいと言った。
「それは、僕より所長が持っていたほうがいいような気がします。また宿に戻ってきたら、返してもらえればいいですから」
「そうか。ならば、持たせてもらうよ」
結城は、掌にすっぽりおさまるサイズの般若心経を、シャツの胸ポケットに入れた。
そこへ、和海が顔を出す。
「そろそろ行きましょうか。現地での調査時間を多くとらないといけませんから。これから、まだ車で一時間くらい掛かるんですよ」
「そうだな、行こうか」
結城が、晃のほうを見る。晃はうなずき、傍らの笹丸に目をやった。
(うむ、行こう。考えても埒が明かぬときは、思い切って行動してみるのも一手よ)
三人は部屋を出て一階に降り、宿の女将に昼食用のおにぎりを作ってもらい、部屋においてある荷物のことを頼むと、玄関から外に出た。時計を確認すると、午前八時半。
外は朝から快晴で、いつもの配置で車に乗ると、そのまま出発した。
それから現地に着くまでの約一時間の間、三人は黙りこくっていた。話したくても、話しづらい雰囲気が、車内に満ちていたせいだ。
晃は、傍らの笹丸と、最悪の事態になったときにどうすればいいか、話をしていた。
最悪の事態といったら、晃の周囲にいる結城や和海に対し、“桜の精”が本気で襲い掛かってきたときだ。
(もしそうなったとき、そなたが取る道は二つ。あくまでも真の力は出さずに対処するか、“本性”を知られるのを承知の上で、全力を出すかだ。真の力を出さないでいたならば、犠牲者が出るやも知れぬ。どうする?)
(……犠牲者が出るくらいなら、全力を出します。たとえそれで、今の“居場所”を失うことになっても、この二人が無事でいてくれたほうがいい……)
笹丸は、静かに言った。
(そなた、その信念を貫く覚悟はあるな。ならば、我が見込んだとおりの男であったといえよう)
やがて車は、さらに山間部に入り、人家もほとんど見当たらない一帯に入ってきた。この奥の山里が、杏子の父の一族が暮らすはずの場所だった。
道はさらに狭く、車二台が並ぶのはきついほどになり、いつしか片方が急峻な崖という状態になる。対向車はなく、すれ違いがないのが救いだが、山はますます深くなり、とてもこれから先に人家があるとは思えなくなってくる。
「……本当にこの奥に、村があるのか? えらい山奥に来たような気がするが」
さすがに結城も、不安を隠せない有様になってくる。ハンドルを握る和海は、眉間にしわを寄せて助手席の結城を睨んだ。
「文句があるなら、ご本家の古文書にいってくださいよ。最初に場所はこのあたりだと特定したのは、古文書からの推定だったんですからね」
言い返され、結城は口をへの字にして溜め息をつく。
しばらくして、不意に視界が開けた。小さな峠を越えたのだ。そこには、小さな盆地のように広がるわずかな平坦な土地を田畑にしている、時の流れから取り残されたような村があった。
村にはいくつか桜の木があり、ちょうど今が満開の盛りだった。しかし、見渡す限りでは、枝垂桜らしい木は見当たらない。
だが晃は、どこからか自分を見つめる粘りつくような視線を感じていた。
「……視線を感じます。どこから見ているのかはわからないけど、間違いなく誰かに見られています」
晃のつぶやくような声に、結城も和海も顔に緊張が走る。
「やはり、ここなのか……」
結城はそういいながら、晃から借りた般若心経の入った胸ポケットを押さえた。
車は、かろうじて舗装されている道路を走り、村に入っていく。だが、三人はすぐに、村の雰囲気がおかしいことに気がついた。
田畑の多くは雑草が生えて、耕作を放棄しているように見える。通りかかった一軒の家は、明らかに無人となってから久しい気配を漂わせていた。
完全に廃村になったわけではないようだが、ごくわずかの住民しかいないのではないか。そんな思いが、胸をよぎる。
とにかく人を探そうと、三人は車に乗ったまま、村のあちこちを走り回った。時期からいっても、そろそろ田畑の土を本格的に起こす季節だ。誰か農作業をしている人が、どこかにいるはずだった。
あちこち探し回って、やっと一組の老夫婦が小さな耕運機を使って土を耕しているのに出くわした。
老夫婦は、見慣れぬ車が近づいてくるのを訝しげに見ていたが、その車が近くに止まったのを見て、ますます怪訝そうに首をかしげる。
ひとまず、一番当たり障りのない和海が車を降り、様子を聞いてみることにした。
こんにちはと声を掛け、世間話で打ち解けた後、このあたりに『山岡』という家がないかどうか、尋ねてみた。
「あの、この辺に、『山岡』という家はありませんか」
すると老夫婦は口々に、このあたりの半分が山岡だといった。
「なんせ、わしらも『山岡』じゃ。残りが『岡田』。この村には昔から、この二つの名前しかなかったで、皆屋号で呼んでおったんじゃ」
それを聞き、和海は内心頭を抱えた。仕方がないので、枝垂桜のことを出してみることにした。
「すみません、このあたりに枝垂桜ってありますか。向かい合わせみたいな位置に、普通の山桜か何かがあるらしいんですけど」
そういった途端、夫婦の顔色が変わった。
「……あんた、あんなところに何しに行くつもりじゃ」