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ある異能者の備忘録  作者: 鷹沢綾乃
第四話 狂い桜
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20.裸の付き合い

 すると、入り口の引き戸が開いて、女将が顔を出す。客の様子を見に来たのだとわかったが、ちょうどそのとき、またも雨戸が鳴った。

 途端に、女将の顔が青ざめるのがわかった。彼女も、雨戸の音に関して、何か嫌な経験や怖い思いをしたことがあるのではないか、と思わせるような表情の変わりようだった。

 「どうかしましたか?」

 和海が試しに訊いてみる。女将は懸命にこわばった表情を打ち消し、笑みを浮かべてみせた。

 「な、何でもありません。お風呂のほう、午前零時まで入れますから、よろしかったらどうぞ。お風呂は、正面の引き戸の奥です」

 「ありがとうございます。お食事、美味しかったですよ」

 「いえいえ、お客様に喜んでいただけるのが、一番の喜びですから」

 そういったあと、さりげない風を装って、女将はこう付け加えた。

 「このあたりは時々風が強く吹くときがありますので、雨戸が鳴ってうるさいこともありますが、お気になさらずお休みくださいませ」

 かつて雨戸が不自然に鳴ったことで客からクレームがつき、こういう言い訳を考えたのだろうということは、音の正体がわかっている三人にはよくわかった。

 この場は余計な詮索はやめにして、三人はそれぞれの部屋に戻った。

 そして、結城は早速風呂へ行く準備を始める。晃にも、せっかくだからと声をかけた。

 「急に決まった出張みたいなものだが、せっかくの機会だ、裸の付き合いといこうじゃないか」

 「はあ……」

 晃は一瞬考え、こう言った。

 「僕の体を見ても、びっくりしないでくださいよ。大抵の人が、絶句しますからね」

 「わかった、わかった。私はこれでも、君の左腕が義手だとわかっている。君が言うほど、驚いたりはしないよ」

 結城はそういって笑った。

 結城の目の前で、晃はリュックサックを開け、ボディーブラシなどを取り出した。結城はそれで、リュックサックが妙に大きかったわけを悟った。柄の長いボディーブラシを入れていれば、かさばるはずだ。

 結城の視線に気づいて、晃が苦笑する。

 「僕、これがないと、うまく体を洗えないんですよ」

 「今日は、背中くらい私が流してあげよう。さ、行こう」

 二人は浴衣に着替え、タオルやら洗面道具やらを抱えて立ち上がる。

 結城に促され、晃は一緒に部屋を出た。さすがに、笹丸は“留守番”をすることになり、部屋の中から二人を見送る。二人が階段を降りかけたところで、和海も部屋を出てきた。

 「あ、二人とも行くんですか、お風呂」

 和海もまた、浴衣に着替えていた。

 「ああ、今日はいろいろ忙しかったからな。まさか、私の本家まで日帰りで行って、その日のうちにここまでくるとは、思っていなかったし」

 「ご本家からの帰りは、さすがに所長が運転を替わってくれましたけど、わたしは疲れましたよ。こんなに運転したの、初めてかも」

 和海の言葉には、疲労感と多少の皮肉が混ざっていた。

 「わかった。帰りには、私が運転するから」

 結城が、頭を掻く。そして三人は階段を下り、風呂場へ向かった。

 廊下を進み、先程入った食堂の向かい側の引き戸を開けると、そこにはこじんまりとした風呂場の入り口が二つあり、ちゃんと男女別になっている。三人はここで男女にわかれ、それぞれの入り口をくぐった。

 一般家庭のそれと変わらない広さの脱衣所で、結城と晃は備え付けのかごの中に脱いだ服を入れていく。結城が先に裸になり、晃のほうを振り返った。

 「先に入って……」

 言いかけて、結城は思わず息を飲んだ。

 それを見て、晃がどこか寂しげな笑みを浮かべた。義手をはずした晃のほっそりとした身体には、左の肩から胸、脇腹にかけて、痛々しい傷痕がのたくるように走っている。左腕があったところには、わずかな瘤のようなものが残っているに過ぎない。ただ、その瘤が動いているところを見ると、わずかに残った“腕”なのだろう。

 「……大体の人が、そういう表情をするんですよね、この体を見ると。だから、銭湯とか旅館の大浴場とか、入ったことがないんですよ」

 「あ、いや、すまん。私としたことが……」

 結城は気まずさを誤魔化すように風呂場の戸を開け、中に入った。晃もすぐ後ろに続く。

 中は、家庭の風呂より二回り広いくらいのもので、二人で入るとあまり余裕がない。結城は、自分で言ったとおり、晃の背中を流した。背中にも、整形縫合の傷痕が残っている。

 「贅肉はないが、筋肉もあまりついてないなあ」

 「……仕方ないですよ。体を使うことを、あまりしてないですから」

 と、風呂場の窓が、不自然に鳴った。誰かが外から、叩いたようだ。

 「またおいでなすったか。そろそろうっとうしいな」

 「入れないせいですよ。入りたいのに、入れない。確かに霊というものは、壁を抜けたりする能力を持っていますけど、やはり生前の習慣を引きずって、扉や窓といった開口部からしか入りたがらないひとは多いし、そのひとと縁もゆかりもない建物は、一種の結界ですからね」

 「だが、入れたら厄介なことになるんだろう」

 「そう考えたら、僕たちはぎりぎりの時間に来ていたんですね」

 三人が着いた時間は、この霊がやってくる直前だった。もう少し到着が遅れて、玄関先で留まっている間に霊が来ていたら、面倒なことになっていたかもしれない。

 時折窓が叩かれる音を聞きながら、今度は晃が結城の背中を流した。

 「……僕、実の父親にも、こういうことをしたことがないし、されたこともないんですよ。仕事が忙しいこともあるんですが、どうしても、打ち解ける気にならなくて……」

 晃がつぶやく言葉に、結城はなんともいえない気持ちになった。子供の頃からの『能力を認めてくれなかった』という気持ちが、実の親に対してこれだけの心の壁を作ってしまったのだろう。

 たとえ口だけでも、『“視えた”んだね。怖かっただろう』と言葉をかけてやれば、そのあとどれだけ違っていただろうか、と結城は思った。

 お互いに流し合ったあと、手足を伸ばすと二人でも少し狭いくらいの湯船に、二人で浸かった。体の疲れが湯船の湯の中に溶けていくようで、心地よかった。

 そのあと髪も洗い、もう一度湯船に浸かったあと、二人は風呂から上がる。体を拭いて、浴衣を着ているとき、結城は初めて義手をはめる晃の姿を見た。結城の視線に気づいて、晃はかすかに笑みを浮かべる。

 「もう慣れてますよ、はめるのは」

 「そうだろうな。あっという間だもんなあ」

 浴衣を着終わって風呂場を出、階段を上がったところで、晃が洗面所に寄るという。

 「義眼を一回はずして、洗うつもりなんで」

 「……あ、そうか。君は、そういう身体だったな……」

 結城は先に部屋に戻り、晃は二階の廊下の突き当たりにある洗面所へ行った。洗面所の脇がトイレになっていて、やはり窓が鳴っている。人の気配がするところにやってきては、窓を叩いているようだ。

 晃は義眼を洗い清めてはめなおしたあと、窓は開けずに話しかけてみた。

 (あなたは、何が目的で中に入りたがっているんですか。何か、物凄く執着しているものがあるようですが)

 (……ここには、オレの大切なものがあるんだ)

 (大切なものとは、一体なんですか)

 (……)

 どうやら、自分で“大切なもの”だと思う何かが家の中にあるのはわかるが、それが何なのかがよくわからない状態であるらしい。

 その気になれば、いろいろ対処の方法もあるが、今のところはどうしようもない。ただ、その“大切なもの”に執着しすぎて、悪霊になりかかっているように“視え”た。放っておくのも危険だろう。

 そのとき、背後から声がした。

 「晃くん、何をしているの?」

 風呂から上がった和海が、部屋に戻ろうと階段を上りきったところで、晃の姿を見つけて、声をかけてきたものだった。

 「あ、小田切さん。いや、あんまり人の気配を追いかけてくるんで、ちょっと尋ねたら、この家の中に、このひとが執着する何かがあるらしいんですよ」

 ただ、それが何かわからないので、今のところ手の出しようがない、と晃は告げた。

 「能力全開で探ればわかるはずですが、そうすると多少でも消耗しますね。いくらこれから寝るからとはいえ……」

 「無理しないほうがいいわ。でも、そろそろお祓いをしないとまずい感じにはなってきているわよね」

 和海が、晃の傍らに歩み寄りながら答えを返す。

 「ええ。だからといって、それを宿の人に告げるというのも、変な話ですし」

 結局、明日の晩もここに泊まるのだから、明日の状態によって考えようということになり、二人はそれぞれ部屋に戻った。


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