15.懊悩
晃がどうしてそんな力を持つようになってしまったのか、晃はもちろん遼もわからない。
遼がかつて持っていたのは、“気”を啜る普通の霊体が持つ力だ。それが、晃の霊能力と混ざって相乗効果を引き起こしたとしか、考えられなかった。
そして、晃の表情を見て、法引が眉をひそめた。
「まさか、あなたが“魂喰らい”の力を持つというのですか?」
晃は、絶句したまま答えられない。だが、その反応自体が、答えになっていた。
大きく溜め息をつく法引に、さらに笹丸が話をした。
(言っておくが、この者にとってもそれは、禁忌の力。自分の意思で封印した力。それだけは、我の誇りに掛けて保証する。この者が、自分が秘めたる力を乱用するようなものであるか否か、そなたもよくわかっておるはずだ)
笹丸の言葉に、法引もうなずく。そして、しばし考えたのち、晃に向かって思い切った提案をした。
「早見さん、わたくしに、その力を使ってみてください。わたくしは、読経により御仏の力をこの身に降ろし、どこまでその力を削ぐことが出来るか、試してみたいと思います」
「……和尚さん……」
晃はしばらくの間、絶句したまま戸惑っていた。“あのとき”の記憶が、頭の中を走馬灯のように駆けめぐる。
その記憶には、事故のときに次ぐ恐怖の感情がこびりついているのが、はっきりわかった。怖い、封印を解くのが怖い。
(落ち着くのだ。今のそなたなら、充分に使いこなせる力のはずだ。自らを信じよ。いよいよとなれば、あの“女”に対して、使わねばならぬことになるやも知れぬのだぞ)
笹丸が、晃の肩の上に乗り、静かな声で励ました。
笹丸の言うとおり、使わなければならないかもしれない。晃は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した。
(遼さん、僕を支えて)
(ああ。腹くくったか、晃。支えてやる。支えてやるとも。安心しろ)
遼の声を聞き、晃は目を閉じたままその力を一気に呼び込んだ。全身を、冷たく熱い炎が駆け巡る。体が冷え切っているようで、燃え上がるように熱い、異様な感覚が押し包む。
晃は目を開け、真正面にいる法引を見た。それを合図にして、法引の読経が始まる。
晃は、その意識を“霊気の左腕”に集中させていく。法引の周囲を、清らかな“気”が取り囲み始める。
「行きます」
晃の言葉に、読経を続けたままの法引がうなずく。
晃は“霊気の左腕”を伸ばし、法引の胸の辺りを横一文字に払った。
異様な“手ごたえ”があった。何か、“硬いもの”に腕が当たったかのような、不可思議な感触だった。見ると、法引の額に汗が滲み、心なしか顔色も悪くなっているようだ。
晃はというと、自分のものとは違う何がしかの力が、自分の中をわずかに廻っているのがわかった。“魂喰らい”が発現したのだ。
しかし、明らかに法引の周囲の“気”に力の大半を弾かれたこともわかった。法引の読経は“魂喰らい”の力を防いだ。
だが、これが充分に手加減したものであったのは間違いない。これが全力でのものであったなら、どうなっていたのかわからない。
やがて、読経を終えた法引が、晃の顔を見る。
「……なるほど、“魂喰らい”がいかなる力であるか、よくわかりました。御仏の力に護られていなかったら、どうなっていたかわかりません。しかし、あれが全力ではないのでしょう?」
「そうです。かなり手加減しています。でも、相当に“弾かれた”というのを感じました。和尚さんの読経の力で、かなりの力を防げるのではないでしょうか」
晃の言葉に、それでも法引は首を横に振る。
「手加減した状態でこれでは、こちらを害するつもりでかかってくる相手に対して、どこまで防ぐことが出来るのか、不安があります。もし、全力で今の力を使っていたら、どうでしたか?」
「わかりません。第一、全力を出すことが怖いんです」
晃はそう言って、遼の力を分離した。それでも、体の中を廻る力のわずかな違和感に、ある種の嫌悪感が走る。
晃は、たった一度力を暴走させたときの体験を、法引に打ち明けた。自分の力が恐ろしくて、食べることも眠ることも出来ない状態に陥ったことも。
「だから、今までずっと、封印してきたんです。今でも、全力を出すなんて、怖くて出来ない……」
そういってうつむいた晃に、法引は優しくこう言った。
「あなたは、正常な感覚を持っている人です。あなたは、決して自分の力に溺れることはないでしょう。強い力を持つからこそ、慎み深くならねばなりません。あなたは、それが出来る人です。しかし、乗り越えなければならないものもある。恐怖を乗り越え、自分自身の力をきちんと見極め、使いこなせるようにしなければなりません。それがたとえ“負”の力であろうと、その力の存在を認め、暴走することがないよう、御する力を身につけるのです。そうすることが、自分自身への恐怖や嫌悪感を和らげる道でしょう」
法引は、力を暴走させたとき、晃の心に最初に刻まれたのが『恐怖』であったことが、ある意味幸いだったと言った。
「もし、最初に感じたのが、高揚感や陶酔感だったとしたら、あなたはその力に溺れていたかもしれません。しかしあなたは、自分自身の力に恐怖を感じました。あなたが、どこか影を引きずっているように思えるのは、そういうことなのでしょう。ですがそれは、決して悪いことではありません」
「和尚さん、僕に出来るでしょうか? 僕はいまだに、“魂喰らい”の力を、完全に御することが出来るようになるとは思えないんです」
晃の目の奥には、自分自身の力に対する恐怖がこびりついている。
「恐怖を乗り越えるのです。たとえそれが“負”の力であっても、御することが出来ると信じるのです。いいですか」
「……和尚さん、先程は、大丈夫でしたか? わずかですが、僕は和尚さんの命を削ってしまいました。その感覚はまだ、僕の中に残っています。だから、やはりこの力、封印しておいたほうが、いいと思うんです」
晃は、そう言って再びうつむいた。
法引は、晃の右手を両手で力強く握ると、叱咤するような口調になった。
「逃げていてはいけない。“負”の力を御することが出来て初めて、あなたは本当の意味で成長出来るのです。自分の中の“闇”を覗くことは、誰でも恐ろしい。皆、逃げています。普通の人なら、逃げていてもたいしたことはありません。ですが、人にあらざる力を持つあなたは、いつまでも逃げていることは出来ません。いくら封印していたとしても、それは自らの意志で使わないと決めただけです。怒りに我を忘れるようなことがあったとき、暴走させないという保証はないでしょう。最初に使ってしまったときのように。ならば、それを受け止め、その力もまた自分自身なのだと、認めるのです」
晃は、うつむいたまま考え込んでいた。
確かに、法引の言うとおりかも知れない。自分の中にある力を恐れるあまり、その力に向かい合うことを逃げていたというのは、本当だ。