13.魂喰らい
晃は、改めて朽木を“視た”。かつてご神木だったという桜の木と重なって、輝くように爛漫と咲く枝垂桜の姿が目に映る。そしてその向こう、遥かに“奥”に、何故か着物姿の女性の後姿が“視え”た。腰まである、輝くような黒髪を、毛先近くで桜色の地の金紗の布でひとつにまとめ、布を長くたらしている。
髪のせいで帯はわからないが、着ている着物はまごうことなき桜色。それに、金糸で桜の花びらが刺繍されているように“視え”た。
その女性の右手が、肩越しに手招きする。これは、ご神木の精ではないと直感した晃は、相手に向かって問いただした。
(お前は誰だ。何故、僕に手招きをするんだ?)
相手はそれに答えず、手招きをやめると、ゆっくりと振り返る。その顔が“視えた”とき、晃は愕然とした。一瞬、そのまま引き込まれるような気配があった。
危険を感じた晃は咄嗟に自分で意識を引き戻し、現実に戻った。
「どうした、早見くん。顔色が悪いぞ。何を“視た”んだ」
晃は一瞬口ごもったが、結城も同じような女を見ていることを思い出し、言った。
「所長。村上さんの部屋で〈過去透視〉をしたとき、『女性の後姿を“視た”』と言っていましたよね。今、それらしい女性の姿が“視え”ました」
晃の言葉に、結城はその時のことを思い出し、目を見開いた。
「それで、他に何か“視え”たの」
和海がさらに尋ねる。
「ええ、とんでもないものが。僕が、“視て”いたら、手招きしてきましてね、『誰だ』と問いかけたら、振り返ったんですよ。その顔が……村上さんそっくりでした」
それを聞いた二人の顔が、驚愕のあまり固まった。
「一瞬引き込まれそうになって、それを何とか振り切って、我に返れたんですが」
しばらくの間、誰も言葉を発しなかったが、やがて、結城がゆっくりと口を開いた。
「それが何を意味するか、君はわかるか、早見くん」
「直感ですが、あれは村上さん自身でしょう。完全に取り込まれたんです」
晃の答えに、結城も和海も一瞬何も考えられなくなった。いや、考えたくなかった。冷静な思考を放棄したといったほうが正しいかもしれない。特に、一度は女の後姿を見ている結城の動揺は、明らかだった。
そんな二人の様子に、晃は畳み掛けることをせず、充分な間合いを取った。
(僕自身、とんでもないものを“視た”っていうのが正直なところだから、仕方がないけどね。所長なんかは、一度自分もそれらしい後姿は“視て”いるし、村上さんは親戚だしで、二重に混乱してるみたいだ)
(こっちは、一度もっととんでもない地獄絵図を“視た”から、持ちこたえたようなもんだが、あれとは別な意味でぞっとしたぞ、俺は)
(僕もだよ。しかし、あそこまで取り込まれるというのは……)
(あれこそ、“因縁の血筋”のためよ。引き離すのは、難しいぞ)
突然、笹丸が会話に割り込んできた。晃も遼も驚いたが、笹丸は構わず続けた。
(驚かせてしまってすまぬが、これでも憑き神ゆえの力と思うてくれ。充分な力を持つものとの間で、こうして接触しているのなら、直接心の会話が出来る。それゆえ、割り込ませてもろうた。気を悪くしたのなら、謝る)
(いえ、別にそういうことではないのですが、僕と遼さんの会話に割り込まれたのが初めてだったので)
(なんせ、俺と晃はこういう特殊な状況なもんで、ここに割り込めるひとがいるとは、俺も思わなかったんですよ)
(遼さんが敬語使うの、初めて聞いたな)
(俺だって、使わなきゃならないときは使う。お前相手しか会話したことがないから、使わなかっただけだ)
そのとき、立ち直った結城が声をかけた。
「早見くん、どうした、なんかぼんやりして」
「え、あ、すみません。笹丸さんと、ちょっと話をしていたもので」
晃は、笹丸の言葉を伝えた。それを聞いた結城は、大きく溜め息をつく。
「“因縁の血筋”か。どうすればいいんだ……」
今度は和海が、笹丸に訊いてみて欲しいと言い出した。
「ねえ、笹丸さんは、もう少し何かわからないの。訊いてみて」
それを聞いた笹丸は、こう言った。
(我とて、“あれ”の姿はそなたの力を通してしか“視る”ことは出来なんだ。だから、そう詳しくはわからぬが、例の桜の精と、村上の家の長男との間に、血筋以上の因縁があったようにも思える。それが何かは、我にもわからぬが。血筋の因縁と、もうひとつの因縁が重なったゆえ、あのような有様になったと思うのだ)
(もうひとつの因縁……)
晃は、考え込みながらも、笹丸の話の内容を話した。当然、結城も和海も思わず顔を見合わせ、困惑を深くする。
(あのとき、そなたが深入りせず、意識をこちらに引き戻したは、賢明な判断。あれは魔性のもの。かつてはそうではなかったはずが、人を取り込み、“人を食らう”力を得たというてよいであろう。そなたが真の力を現しておれば、逆に“食らう”ことも出来たであろうが、あのときの様ではそれも難しかったであろうからな)
(“食らう”とは、どういうことですか?)
(そなたの中に眠る力と同じものよ。自分でも、その力には気づいておるのではないか?)
(……“あれ”のことですか? 自分では、禁忌の力にしているんですが……)
笹丸の指摘に、晃は自分の意思で封印したある“能力”を思い出した。まだ、遼からもらった超常の力をうまく制御出来なかった頃、怒りに任せて一度だけ使ってしまい、その恐ろしさに封印を決意した能力。
(そう、その力。使わずに済ませられれば、それに越したことはない力ではあるがな)
笹丸は、あのおぞましき“女”は、“その力”と同等の力を持つという。
晃は溜め息をつき、結城の顔を見た。
「あの、村上さんを取り込んだ“女”は、実は恐ろしい力を持っているそうです。“魂喰らい”です」
「“魂喰らい”って、どういう意味だ」
思わず聞き返す結城に、晃は続けた。
「それは、文字通り命そのものを食らう力です。“気”を啜る程度ではすみません。その人の生命力そのものを啜り、最後には死に至らしめる恐ろしい力です」
それには、結城も和海も顔色を失った。
「急がなければ、取り込まれた村上さんはもちろん、“女”に魅入られた人の中から犠牲者が出てしまうでしょう」
言いながら、晃は“あの瞬間”を思い出していた。
事故の後、復学した直後、昼休みに屋上でひとりぼんやりしていたら、別なクラスの数人の男子が近づいてきて、晃をからかった。事故のために負った障害と、長期欠席のために再度事故前と同じ二年生に編入されたことが、からかいの元だった。
初めは無視していたが、他に人目がなかったせいか、だんだんエスカレートし、しまいには集団で晃を取り囲み、小突き回し始めたのだ。
やめるように言ったのだが、嵩にかかっていた相手は、ますます調子に乗って晃を殴り、馬鹿にした。
それが頂点に達したとき、晃は怒りのあまり、我知らず遼の力を呼び込んで、相手に逆襲を仕掛けてしまったのだ。そのとき、無意識に使ったのが“魂喰らい”だった。
“霊気の左腕”で相手の命そのものを削り、奪い取ってしまったと気づいたとき、その場にいたすべての相手が、真っ青な顔でうずくまり、中には倒れこんだまま動けないものさえいた。
そして、晃自身は異様な力が全身にみなぎるのを感じていた。それは、先ほど殴られた打撲傷を回復させ、跡形もなく消してしまうほどのものだった。
しかし、引き起こした結果の重大さに恐れおののいた晃は、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったことで我に返り、その場を逃げ出した。
それからしばらくして、学校に救急車が到着したことを、晃は憶えている。
その後のことは記憶が曖昧で、気がついたときには、帰宅するために学校の最寄り駅へと歩いていた。精神的なショックで、記憶が飛び飛びになったのだろう。
あのときの“被害者”は、それから二週間あまり入院したと聞いた。
暴力は、表沙汰にならなかった。“被害者”も“加害者”も、沈黙を通したからだ。ただそれからは、その時関わった連中は、決して晃に近づかなくなった。彼らの目は、明らかに晃を“化け物”として畏怖の目で見ていた……
あのおぞましい“魂喰らい”の力を、あの“女”も持っている。村上の魂を取り込み、禁忌の力を発現させたあの“女”を、なんとしてでも止めなくては。
「……その、“魂喰らい”の力、防ぐ方法はないのか?」
結城が、かすれた声で問いかける。晃が、笹丸に視線を送った。
(難しいの。そなた自身、防ぐのが難しいことは、わかるであろう。その力、いくら着込んでいようと関係はない。防げるものがあるとしたら、より強いまことの神仏の力か、呪術のような力しかあるまいて。我とて、食らわれたら無事では済まぬ)
笹丸の話の内容に、結城は途方に暮れたように天を仰いだ。
「……所長、和尚さんの力、借りましょうか。和尚さんなら、何か対処法がわかるかも知れませんよ」
何とか場の雰囲気を変えようと、和海が法引の事を持ち出した。妙昌寺の住職である西崎法引は、晃が調査に同行するようになる前、超常事件の解決に協力してくれていた霊能者だった。
「……そうだな。場所の特定と平行して、身を守る算段もつけておかないと、まずい。我々が倒れてしまっては、村上くんを助けるどころではなくなるからな」
結城と和海は、一旦戻って態勢を立て直す方向で意見がまとまりつつあった。それを見ながら、晃はふと、自分はあの“神霊”に呼ばれたのかもしれない、と思った。そうでなければ、ここに来る途中であれほど“ここにくれば何かわかるかもしれない”と感じることはなかったはずだ。
しかし、あの朽ちたご神木の残骸を通して、なぜ“あの女”が“視え”たのだろう。確かに、親木の傍に枝垂桜はあったというが、直接の関係はないはずだ。
そのとき、笹丸の声がした。
(それは、そなたを呼び寄せた“神霊”が、それに応えてくれた礼として“視せ”てくれたものではないかと思うが。“神霊”の伝言、忘れずに伝えねばの)
そうかもしれないと晃は思った。
「ここを離れる前に、地元の人に、“神霊”が話していたことを、伝えておかないといけませんよね」
晃が口を開くと、結城に向かって和海が言った。
「所長、お身内がいるんですから、伝言お願いしますね」
「私がやるのか?」
結城は思わず渋い顔になったが、和海の言うことももっともなので、不承不承にうなずいた。
三人は車に戻ると、ひとまず結城の本家へと向かった。