11.古寺
(どうなのかね、このお狐さんは。頼りになるのか、ならないのか)
(そのときによるんじゃない。僕や所長、小田切さんだって、能力に向き不向きはあるんだし。少なくとも、先祖の因縁みたいなものを見通す力は、誰より強いと思うよ)
(そうだな)
そのとき、和海が口を開いた。
「笹丸さん、休んでるの? なんか、丸くなっているみたいだけど」
「ええ、今、休息中という感じです。ところで、目的地まであとどのくらいですか」
「ちょうど三分の一くらいかしらね。まだしばらくかかるわよ」
和海が、カーナビの表示を見ながら答える。
しかし、笹丸が言ったことが事実なら、これから向かう結城の本家の菩提寺と、村上の部屋で晃が“視た”桜の関係が、まったく見えなくなる。それが、三人の心に当惑を生んでいた。
笹丸は、“厄介な血筋”は杏子の父親の家系だといった。だとしたら、確かに結城とは直接関係がなくなる。結城にとって、血が繋がっている親族は、杏子の母である伯母の邦子だからだ。
「地図に線を引っ張ったときに、誤差が出た可能性はあるはずですよね」
和海が、溜め息混じりにそういった。すると晃が、考えながら答える。
「でも、もやもやしていてはっきりしないんですが、まったく無関係とも思えないんですよ、僕は。地図で見たとき、直感的に『ここに行けば、何かわかるかもしれない』と思ったんです。予知とまでは行かないんですけど」
「早見くんの直感は、あてにしていいものだ。とにかく乗りかかった船、行くだけ行ってみよう」
結城の決断で、車はそのまま目的地へと向かって走り続けた。
事務所の前を出発したときには、まだ午前八時にもなっていなかったものが、高速道路をたっぷり二時間以上走り続けて、やっと菩提寺のある町へと入ってきた。寺は、背後に山を抱えたこの町の郊外、山のふもとにある。
「所長、せっかくだから、本家へ寄ってみたらいかがですか。確か、伯父さん夫婦がまだ健在なんでしょう」
和海に言われ、結城は頭を掻いた。
「……どうも、伯父さん夫婦は、子供の頃から苦手なんだよな。いとこたちも、完全に一回り上だし、なじみが薄くて……」
「でも、これから菩提寺を訪ねるのに、本家に顔を出さなかったら、余計に面倒なことになりませんか?」
晃に痛いところを突かれ、結城はしぶしぶ本家に行くことにした。
一度ナビを切り、古い住宅地にある結城の本家へと車を進めると、すでに近代的な建物に建て替えられてはいるものの、都会では考えられない敷地面積と床面積の立派な住宅が現れた。低い塀に囲まれてはいるものの、中の土地が高くなっているらしく、建物の様子はよく見えた。
「ここだよ。建物は、すっかり建て替えられているがなあ」
「うわ、大きい。結構いいとこの出だったんですね、所長」
和海が、感心したように何度もうなずいた。
「いや、本家は確かに大きいが、うちのところは特に関係はないさ。私の父は三男だったから、食っていくために五十年も前にここを出ている。それからは、正月とか旧盆とか法事くらいしか帰らなかったし、私自身結婚してからは、いちいち本家に行くようなことはなかったしな。二十年近く、ここには来なかったんだ」
結城の言葉が終わるか終わらないかというところで、車は本家の正門の前に止まった。
結城は助手席のドアを開けると、君らは関係ないからと言い残し、ひとりで建物に向かった。
どのくらいの時間がかかるのかと案じながら、二人が車内で待っていると、二十分ほどで結城は戻ってきた。
「用があって菩提寺を訪ねる途中で顔を見せにきたと言って、お茶一杯ご馳走になってきたよ。すぐ行かなきゃならんからと言って、頃合いを見計らって戻ってきた。さ、行こう。ぐずぐずしていると、伯父さん夫婦に捕まりそうな気がしてならん」
結城が車に乗り込んでドアを閉めると、本家の玄関が開く。
車が、大急ぎで発進する。その背後から、ごま塩頭の女性が、大声で怒鳴った。
「タカーッ、芋でも持っていけばいいによーっ!」
車の中にも、これはかすかに聞こえた。
「所長、『芋でも持っていけ』と言ってるみたいですけど?」
後ろを振り返りながら、晃がつぶやく。結城が苦笑した。
「決して悪い人たちじゃないんだが、こっちが必要ないものでもあげるあげるとうるさくて。以前からそれがうっとうしくて、避けるようになったという面もあるんだ」
「純朴な人たちですね。なんとなく目に浮かびますよ」
和海が、何度もうなずく。結城は、苦笑が止まらない。
車は、改めて結城の家の菩提寺へと向かった。住宅地を抜けて、そのまま郊外へと向かう。菩提寺である藍山寺は、住宅地から車で十分ほどだった。
どっしりとした白壁に囲まれた、その土地の古刹といった趣の寺で、土地の人々の信仰を集めていることは、ひと目でわかった。
山門手前の駐車場に車を止めると、三人は車を降りた。晃の後ろには、笹丸がぴったりとくっついている。
(ところで、こういうところは大丈夫ですか?)
晃の問いかけに、笹丸は大丈夫だと言った。
(得意というわけではないが、入れば困ったことになる、ということはない。案ずるな)
それを確認して、晃は山門に足を向けた。
皆が山門をくぐると、三人三様に何がしかの気配を感じ、思わず周囲を見回した。互いの視線が交錯したとき、三人がそれぞれ何かを感じたことに気がついた。
「何を感じた?」
結城が、二人に問いかける。
「人ではない存在の気配ですね、わたしは」
和海が答えた。
「僕もです。動物でもありません。もっと淡い気配です。前方に見えている本堂の裏手から、漂ってきたように思いましたが」
「私も、何か妙な気配を感じたんだが……。さすがに早見くんが一番具体的だな」
いちおうお参りをして、ご本尊に霊視するということを告げてから、調べることにしようと、三人は本堂へ向かった。
途中の手水舎で手や口を清め、調査の成功を祈ると、気配が漂ってきたという、本堂裏手に向かう。
本堂の裏は、見上げるような大木が何本も生えている、林のような雰囲気のところだった。一種独特の気配が、絶えず周囲に漂っている。林の向かって右奥が、檀家の墓地になっているのが見えた。この林は、このまま裏手の里山へと続いているようだった。
すでに花は終わっているが、桜の木も何本かあった。
「ここのどこかから、さっき気配を感じたんですよね」
晃が、頭上を見上げながらゆっくりと歩き出す。
(ここには、古木の精霊たちがおるようだ。そなたの力なら、話を聞くことが出来るやも知れぬぞ)
後ろからついてきた笹丸が、晃に言葉をかける。
(僕に出来ますかね? 人の思いがこもった器物霊なら、話したことはあるんですが)
(それが出来るなら、古木の精霊とも話せるはず。我が力を貸すゆえ、やってみよ)
笹丸は、一気に跳躍して、晃の肩の上に乗った。柔らかな毛皮の感触が、首筋を撫でていく。そして、笹丸が晃の肩の上で、鋭く一声哭いた。
刹那、周囲の木々がざわつき始めた。それは、現実のものではない。現実の木と重なるように、木々が発する“気”が揺らめき始めたのだ。
その揺らめきに向かって、晃は心で話しかけた。
(皆さんにお聞きしたいことがあります。今満開の枝垂桜について、何か知りませんか)
(我ラハ、スデニ花ノ頃ハ終ワッタ。ソレニココニハ、枝垂桜ハナイ)
桜の中の一本がそういう“意思”を伝えてきた。
(それでは、先ほど気配を漂わせたのは誰でしょう。わかりませんか)
(ソレハ、コノ奥ダ。我ラハソノ程度シカワカラナイ)
桜の“意思”が、ある方向を示す。晃は、その方向に足を進めた。
晃が奥にどんどん進んでいくのを見て、結城も和海も慌ててそれを追いかけた。
「おい、どんどん先に行くな。確かにまだ昼少し前だが、だからといって何もない保証はないんだぞ」
「そうよ、晃くん。ひとりで行かないで」
しかし晃は、それを振り切るように、木々の奥へと早足で歩いていく。
そのとき、山門をくぐった直後に感じたのと、同じ気配が漂ってくるのを感じ、晃はいっそう足を速め、ほとんど小走りに近い速さで そちらへ向かった。その後ろを、完全に駆け足になった結城と和海が追いかけてくる。
晃が足を止めたとき、結城と和海はすぐ後ろにいた。そして、晃が見上げていたものを見て、息を飲んだ。
それは、今にも朽ち果てようとしている木の残骸だった。一抱えもある立派な幹は、地上から二メートルあまりのところで折れ、大人がすっぽり入れるほどのうろが開き、朽ちて折れた枝が、あたりに落ちている。だが、よく見ると、今にも倒れそうな幹の傍らに、小さな若木が生えていた。風か鳥に運ばれた何かの種が、芽吹いて育ったのだろう。
「これ、かつてここにあったお社のご神木だった木ですね」
息を整えていた晃が、突然つぶやく。
「えっ!?」
「はっ!?」
後ろの二人が、同時に聞き返した。晃は、さらに言葉を続ける。
「ここには、かつてお社がありました。昔からの神様を祀ったお社が。でも、ずいぶん前に取り壊されたみたいですね。まだ、ほんのわずかですが、祀られていた神様の姿が、木のところに“視え”ます」
結城と和海が目を凝らすと、ぼんやりとした気配の塊が、折れた幹の上に存在しているのがわかった。
すると、呼吸が落ち着いた晃が、右腕を差し伸べて、驚くべきことを言い出す。
「お話ししたいことがありましたら、僕を依り代にしてください」
「待って。そういう役なら、本当はわたしがやるべきことよ」
和海が焦って駆け寄ろうとするが、その前に気配は木から降り、晃の上に降った。