08.少しの手がかり
始めはなるほどと聞いていた二人も、村上琢己が、霊能を中和してしまう力を秘めていたことを知るに至って、愕然としていた。
「それじゃ、私らが村上くんの異変に気づかなかったのは、村上くん自身が無意識に妨害していたということなのか」
「そうです。相手がうまく隠れていたというわけじゃなくて、所長や和海さんの力が削がれていたからだったんです。これは、どうしようもないことだったんです」
晃は、憑き神である白狐でさえ、霊力を削がれるために村上に近づけず、今まで自分たちに気づかれることもなかったのだと話した。
それには、二人とも大きく溜め息をついた。
「村上さんが、今まで霊的な体験をしたことがなかったのも、その中和能力のせいだと思います。そこらの浮遊霊ごときでは、霊力を中和されて無力化されてしまっていたんでしょう。本人が気づかないまま、撥ねつけていたわけです。そして、その能力自体は、いわばニュートラルなので、僕たちもその力の存在に気づかなかったということなんです」
晃の説明に、いつの間にか傍らにやってきた白狐が、晃を見上げながらそのとおりだとばかりにうなずく。
晃の傍らまでやってきたことで、結城や和海も白狐の“姿”を捉えることが出来るようになった。
「あ、可愛い。白くて小さくて、仔犬みたい」
和海が思わずそういうと、白狐が不満げに周囲をぐるぐると走り回った。
「小田切さん、相手は憑き神の白狐ですよ。仔犬なんていっては怒りますよ」
「ああ、ごめんなさい。すみません。そういうつもりじゃなかったんです」
和海は慌てて狐に謝った。それを聞き、白狐も機嫌を直したらしく、晃の傍に座る。じっくり“視て”みると、白いふさふさとした尻尾は間違いなく狐だった。
(今回、村上さんの中和能力をものともせずに、その魂を抜き取っていった相手を、僕らは探すつもりですが、あなたはどうしますか?)
晃が問いかけると、白狐はしばし考えるように首をかしげていたが、やがて答える。
(我も行こう。このままにしておくわけには行かぬ。あれでも、我が代々憑いてきた村上家の長男なのだからな)
そう言ってから、白狐は晃に向かってさらに付け加えた。
(我は、そなたが気に入った。本来憑くべきは村上家の長男であるあの男だが、もはや祀りもしてはもらえず、近づくこともままならぬでは、初代と交わした契りも有名無実。そなたとともにこの世で改めて修行したいと思うのだが、どうだろうか)
(僕で、本当に構わないのですか? 僕がどういう存在か、あなたならばわかるでしょう)
(わかっておる。生けるものと死せるものがひとつになった、人にして人にあらざるもの。我も長年生きておるが、そなたのような存在には初めて出会うた。だからこそ、やってみたいのだ)
(わかりました。お好きなだけ、傍にいてください)
晃の答えに満足したようにうなずくと、白狐は稲荷寿司を食べさせてはくれないか、と言い出した。このところ、まともに供物を供えられたことがないので、すっかり力衰えてしまったというのだ。
(そういうことなら、コンビニで売られているようなものでよろしければ、いくらでもお供えしますよ)
晃の言葉に、白狐は嬉しそうに跳ねると、一気に晃の左肩に乗ってきた。あまり毛並みはいいとは言えないが、それでもふさふさとした尻尾は、いかにも狐らしい肌触りがする。
「ところで、狐さんは何か知らないだろうか。ちょっと、訊いてみてくれないか」
結城が、晃の左肩に視線を送りながら、そんなことを言った。
結城の話を聞いた白狐は、こんなことを言った。
(この度のこと、“血”のなせる業かも知れぬ。これは、村上の血筋とは違う、母方から受け継がれた血脈に連なるものに関わりがあると思う。あの一族、霊能の血筋ではないが、何か因縁のある血を引いておるようだ。詳しいことは、我にもわからぬが)
晃が、白狐の言葉を伝えると、結城も和海も首をかしげた。
「なんか、話を聞けば聞くほど、どんどん厄介な方向にややこしくなっていくような気がするんだけど……」
和海が、苦笑する。晃も、肩の上に乗っている白狐を“視ながら”溜め息をついた。
場の雰囲気を変えようと思ったか、結城が再度晃に向かって、桜の気配が残っていないか、もう一度確認してくれといった。
「さっきは、狐さんを見つけてしまったんで、念のためにもう一度確認して欲しいんだ。本当にここには、もう何もないのかをな」
「わかりました」
晃は、もう一度気配を探った。白狐が、多少だが力を貸してくれているのがわかる。
視界の片隅に、ほんの一瞬白とも薄紅色とも思えるものが一片、揺らめいたのが“視え”た。そちらに精神を集中すると、明らかに桜の花びらと見えたものが、ある方向へと舞い飛び、壁に吸い込まれるように消えた。
「……花びらが一片、そこの壁に向かって、こういう角度で消えました」
晃が指し示した方向は、部屋の北側の壁だった。二人がそちらを“視る”。二人の瞳には、すでに何も映らない。
直後、何か思いついたらしく、結城が和海にこんなことを言った。
「小田切くん、方位磁石持っているかね」
「方位磁石ですか? ちょっと待ってください」
和海は愛用のショルダーバッグの中をかき回し、方位磁石を取り出した。玩具屋に売っているような、安物だ。
「あまり精密じゃないですけど、方向はわかると思いますよ」
「ま、よかろう。晃くんが示した方向、正確にはどの方角に向いているんだ」
和海は、磁石を掌の上に置き、揺れがおさまるのをゆっくりと待った。磁石の針が止まったところで方向を確認してみる。
それは、北北東だった。
「やはり、この線の延長線上に、何かあるんだろうな。どこかでGPSでも借りてきて、どこまでもまっすぐ行ってみるか」
「その前に、地図に直線を引っ張ったほうが早いですよ」
和海の言葉に、結城は苦笑しながらもうなずいた。
「とにかく、一度事務所に戻って、地図に線を引っ張ってみるか」
結城の声をきっかけとして、三人は村上の部屋を出た。
しかし、結城は複雑な表情をしていた。村上の母は、結城のいとこ。結城にとっては、この家の厄介な血筋は、決して他人事ではない。
「……気になるなあ。杏姉さんの家系のほうだろ、狐さんが言うところの“因縁のある血筋”っていうのは。それ、私のほうにも関わってくるんだが……」
車に戻る道すがら、結城が溜め息混じりにつぶやく。それには誰も、かける言葉が見つからない。
杏子の母と結城の父が姉弟で、血のつながりという意味では、確実に何かありそうだ。
そこへ晃が、少し言いづらそうに口を開く。
「あの、ちょっとコンビニへ寄っていいですか。稲荷寿司を買いたいんで」
肩に乗っている白狐に供えるのだろうと気づいた二人は、駐車場に行く前に、コンビニに寄ることをすぐ承知してくれた。
アパートから五分ほど歩いたところにあるコンビニは、有名系列店で、かなり店の規模も大きく、品揃えも豊富だった。
晃はそこで、白狐のために五個ほどが容器に入った稲荷寿司を買い、結城や和海もついでにお茶菓子やペットボトルの飲み物などを買い、三人は車に戻って事務所を目指した。
* * * * *
事務所に戻った頃には、日はだいぶ傾いていた。程なく暗くなるだろう。それでも、あのとき花びらが消えた方向を延長するとどこに行き当たるのか、それだけでも確認しておかないと落ち着かない。
結城と和海が地図を引っ張り出している間に、晃は長椅子のところにあるテーブルに買った稲荷寿司を広げ、白狐に声をかけた。
(さあ、どうぞ。ゆっくり食べてください。他に、何か欲しいものはありますか)
(そうだな、申し訳ないが、茶を一杯所望だ)
晃はうなずき、自分でキッチンに立つと、適当な湯飲みと、急須を出してきて、茶筒を脇に挟んで蓋を開け、そこからお茶の葉を急須に入れ、朝から通電したままにしてある電気ポットの注ぎ口の真下に急須を置き、お湯を注いだ。
充分蒸らしてから、湯飲みにお茶を注ぐと、緑茶のいい香りがあたりに広がる。それをお盆に載せて白狐の元に持っていくと、狐は美味そうに稲荷寿司を“食べて”いた。現実に食べているわけではないが、食べ物が持つ“気”のようなものを食べているのだ。
(さあ、お茶をどうぞ)
晃が湯飲みを差し出すと、白狐は満足そうにうなずいて、湯飲みに顔を突っ込み、舌で音を立てながらお茶を“飲んだ”。もちろん、現実のお茶には、波紋ひとつ立ってはいない。