07.憑き狐
晃は、遼との会話の中で思いついたことを、二人に投げかけてみた。
「所長、小田切さん。“今、枝垂桜が満開のところ”って、どこでしょう。あれ、現実に“満開の桜”の姿じゃないかと思うんです。だとしたら、場所は北のほう。今、枝垂桜が満開のところって……」
二人は一瞬顔を見合わせると、和海が早速スマホで桜情報を検索した。
「……今の時期なら、福島あたりから長野、新潟あたりかしら。北関東でも、標高の高いところは残っているかもしれないわね。地形によっては、まだ咲いていなかったり、散り始めていたりするみたいだけれど」
「そうすると、そのあたりで咲いている枝垂桜の巨木、樹齢数百年というやつを探してみるか。そう何本もあるとは思えない。桜の名所といえば、圧倒的にソメイヨシノだからな。集中的に枝垂桜を探そう」
たちまち腰を浮かしかけた結城に、晃が言った。
「ちょっと待ってください。闇雲に調べ始めるより、もう少し、〈過去透視〉の内容を思い返してください。そこに何か、ヒントになることがあるかもしれません」
「そうだな。もう少し、じっくり思い返してみるか」
結城は、先ほどの〈過去透視〉で“視た”ものを、ゆっくりと思い出してみた。
「……あのとき、村上くんの身体に重なるように、実体のない桜の木が、“視え”た。見かけの大きさは、確かにこの部屋に入る程度だったが、実際には遥かにでかい巨木であることが感じられた。空間を圧倒するような……」
その枝垂桜を“視た”晃と結城は、互いにそのイメージを共有するように、互いに相手の肩に右手を置き、静かに呼吸を合わせていく。
互いに、自分が見た桜の姿を思い浮かべると、それは寸分の狂いもなく一致した。それに気づいた二人は、顔を見合わせてうなずいた。
「もう、二人だけで納得していないで、わたしにも教えてくださいよ、どんな桜なのか」
和海が文句を言うと、結城も晃も苦笑した。
「すみません。今、イメージを送ります」
晃が和海の肩に右手を置くと、心の中にイメージを思い浮かべ、それを和海に送った。イメージが流れ込むにつれ、和海もどこか驚いたような表情を浮かべる。
「……こんなすごい枝垂桜、見たことないわ。一体、どこに生えているのかしら?」
「おそらく、地元では有名だと思います。うまくすると、地域の観光ガイドなんかにも、載っているかも知れませんね」
「それで、小田切くんは、この桜をどう感じたかな。霊能者の直感として」
結城に尋ねられ、和海は一瞬考え、口を開いた。
「邪悪な存在ではないとは思います。でも、何か、普通と違うような……」
それには、晃もうなずく。
「あの桜には、ただの古い巨木という以上に、何かがある。それは、僕もそう感じました。人間の意識にも似た、何かがあったような気がするんです」
ただし、あくまでもおぼろげに感じられただけで、具体的なことは何一つわからないというのが、今現在の状況だ。
「あと、気になるのが、この部屋のドアを開けた瞬間に“視えた”桜吹雪のようなものです。もしかしたら、まだ桜の“気”とここは完全に切れていないのかもしれません」
それを“視た”のは、晃だけだ。同じ瞬間に立ち会いながら、結城と和海は何も“視て”いない。
「もしそうだとしたら、その“気”を捉えることが出来る可能性があるのは、早見くんだけだな。私も、小田切くんも、同じ瞬間に部屋を覗いていながら、何も“視えなかった”のだしな」
それを受けて、晃はもう一度、ここで霊視を行ってみることにした。出来れば、“本気”でやりたいところだが、それをすれば、自分がどういう存在であるのか、二人にわかってしまう。それは避けたかった。
晃は、結城と入れ替わるように村上が座り込んでいたという場所に立つと、精神統一をしながら目を閉じ、周囲に残る“気”を探ろうと試みた。
目を閉じたままでありながら、気配によって周囲の状況が浮かび上がる。結城がいる。和海がいる。通りすがりの浮遊霊が、窓の外をよぎっていく。
そのとき、視界の隅に何かの生き物の姿をしたものが、動いたのがわかった。目を開けて、そちらのほうに素早く視線を走らす。それは、小さな豆柴ほどの“生き物”だった。もちろん実体のある存在ではない。よく“視る”と、それは白い狐。晃はすぐに、稲荷神の眷属を思い浮かべた。
(あなたは、誰ですか? 何故、ここにいるのですか?)
(我は、村上の一族に代々憑いている白狐。もっとも、我がいることを誰も気づいてくれず、祀ることもしてくれなくなり、かつての力をすっかり失くしてこのような姿になってしまったが……)
(え、それでは、村上さんの一族は、代々憑き神筋の家系だったんですか!?)
(そうだ。今では、血が薄まりすぎて霊感を持つものの生まれる割合もめっきり減った。生まれたとしても、我の素性に気づくものもおらぬ……)
その狐は、自分は五百年にわたり、代々その家の当主に憑いてきたと語った。ただ、その血が強かったのは二百年前まで。自分が憑いた当主となるべき男が、憑き神筋であることを隠して城下町へ出て行き、別な系統の霊能を持つ娘と所帯を持った。属性がまったく違う者同士の血筋を受け継いだ子供は、相殺されて一気に力が弱くなり、それ以降は血が薄まっていくばかりだったという。
(確かに、生まれ育った山里では、憑き神筋の一族であることは知られていて、嫁取りにも苦労する有様であったから、すべてを棄てて知るものもおらぬご城下へ出たくなった気持ちも、わからぬものではない。狐が憑いているからといって、我の力を引き出せるほど強い力を持っていたものなど、歴代当主の中で、数えるほどしかいなかったというに。人の心とは、まこと哀しいものよの)
しかし晃は首をひねった。今まで村上と何度も顔を合わせたが、狐の存在には気づかなかったからだ。それを察したのだろう、狐のほうから、事情を説明してくれた。
(我が憑いていた村上の家の長男は、我の霊力を邪魔する妙な“気”をまとっておったのだ。我は代々、その家の当主に憑くのが定めであった。最初に我を呼び出して、憑き神筋となった初代の当主と交わした契りが、そういうものであったから。それで、代替わりをするか、当主となるものが元服すると、そのものに移り、代々過ごしてきた)
ところが、成人した村上琢己に憑いたものの、彼は狐の力を相殺するもうひとつの霊能系統の血が、強く出ていた。おそらく、先祖返りだという。そのため近づくことが出来ず、いつも遠巻きにせざるを得なかったとのことだった。
(でも、村上さんは、霊感はまったくない人のように思えましたが)
(あやつの“霊能”は、自分で霊能を扱う力ではなく、他人の霊能を中和してしまう力なのだ。そなたほどの力があれば、それを弾き返すことも出来よう。だが、そこにおる二人、あの程度の力では、霊能が中和され、“視える”ものも“視えなくなる”であろう)
(ああ、なるほど……)
そのとき、怪訝な顔の和海が、晃に向かって声をかけてきた。
「ねえ晃くん、ぶつぶつ誰と話してるの? 確かに何かの気配はあるけど、気配の主が、よくわからないの。それって、誰なの?」
「今話をしていたのは“白狐”です。力が弱くなって、小さな犬くらいの大きさしかありませんが」
「“白狐”って、あの白狐?」
和海もまた、稲荷神の眷属のほうを思い浮かべたようだ。隣で話を聞いていた結城も、そう思っているようだった。
晃は、村上家が実は“憑き神筋”の家系であったこと、狐は代々の当主となるものに憑いていたことなど、狐から聞いた話を二人に聞かせた。