04.親族
晃は意識を戻し、“霊気の腕”を戻して大きく息を吐き、入り口のほうに目を向ける。そちらでは、結城と和海に向かって、杏子がまだ食ってかかっていた。
「村上さんは、魂が抜け落ちている状態です。魂を身体に戻してやらないと、一生治りませんよ」
晃がそう声をかけると、結城と和海はやっぱりという表情をし、杏子は怪訝な顔になった。次の瞬間、杏子は晃に近づくと、文句を言い出す。
「何を、わけのわからないこと言ってるの。あなた一体なんなの?」
「……僕は霊能者です。今、霊視をしたんです。僕の言葉を信じようと信じまいと構いませんが、このままでは、いくら病院で治療しようとも、治ることはありません。抜け落ちた魂を戻してやれば、すぐにでも正気に戻りますよ」
杏子が、厳しい表情で晃を見つめる。晃は、この人は自分の両親と同類の人だと直感した。超常現象を信じない、霊能者を胡散臭いと思っている人だ。
「予め言っておきますが、僕は別に、こういう行為で金品を要求するつもりはありません。純粋に、同じ職場で働く同僚を助けたい、という気持ちだけなんです」
晃は、杏子の瞳をじっと見つめた。怒りと憤りに溢れたその瞳が、次第に困惑したようになり、遂には視線が泳ぎ始める。嘘のない、真剣な眼差しの晃に、圧倒されてしまったようだ。
「杏姉さん。突拍子もない話に聞こえるかもしれないが、彼は強力な霊能者なんだ。杏姉さんは、霊感なんかない人だと知ってはいるが、そういう力を持った人間がいるということは認めて欲しい。そして、彼の助言は物凄く的確なんだ。今まで、彼の霊視が間違っていたことはない。とにかく杏姉さん、これだけは信じてくれ。この場にいるもの全員が、村上くんの身を案じているんだ。なんとしても、正気に戻してあげたいと思っている。我々に、任せて欲しい。絶対に、悪いようにはしないから」
結城が、懸命に説得にかかった。
それでも杏子が、半信半疑よりも明らかに疑うほうに傾いている表情で、三人の顔を順番に見回しているとき、入り口のドアが開いた。
入ってきたのは、二十歳になるかならないかというくらいの、ジーンズにGジャン、中にはあえてフェミニンなブラウスを着ている若い女性。村上琢己の妹、由香利だった。
「ママ、洗濯物、ある? あるなら持って帰るけど……」
由香利は中に入ってきて、中に見知らぬ人物がいることに気づいた。そして、その中のひとりは、いつぞや兄が写真をメールで送って来た人物であるとも気づいたようだ。
由香利は思わず口を半開きにしたまま、晃の顔を見つめる。
「……写真よりずっと美形……」
思わずそう口に出した由香利に、杏子がはしたないとたしなめ、それから改めて自己紹介が始まった。
ひと通り自己紹介がすんだところで、由香利が晃に向かって質問を投げかける。
「ねえ。あなた、霊能者だっていったけど、若くして、そんなに強い力って、持てるの? テレビで見る霊能者っていう人たちは、みんな結構いい年してるじゃない」
「僕は、物心ついたときには、そういった人ならざる存在が“視え”ていました。ある意味、生まれつきの力だと思います」
由香利は、微妙に苦笑ともなんともいえない表情になって、晃を見る。
「……なんでそんなに硬いの。もうちょっと肩の力抜いてもいいのに」
「由香利、病室で何の話をしているの。お前の兄が、こんな状態になっているっていうのに、お前は……」
杏子の目が、怒りで釣りあがった。
「そりゃ、お兄ちゃんは可哀想だと思うよ。だけど、ここはひとまずお医者様が治療してくれなきゃ、どうしようもないじゃない」
そこへ、横から和海が口を挟んだ。
「そのお兄さんですが、どうやら魂が抜け落ちているらしい。その原因に、桜が絡んでいるところまでは、霊視でわかってきましたが、それ以上調べるには、もう少し手がかりが必要です。何か、桜にまつわる場所とか、言い伝えのある場所に行ったということはありませんでしたか」
途端に杏子が、眉をひそめる。
「二言目には霊視、霊視と。そんなことで、何がわかるのよ」
そのとき、晃がきっぱりとした口調で言った。
「わかります。今回の出来事を引き起こしたのは、枝垂桜の巨木です。樹齢は、少なく見積もっても三、四百年。そして、何がしかの“意思”を持っていました。接触する前に、相手に逃げられたんですが」
「枝垂桜……」
杏子の顔に、困惑とわずかな嘲りの色が浮かぶ。やはり信じていないようだ。しかし由香利は、目を丸くしてすごいといった。
「すごい、そんなこと、見えちゃうんだ。じゃあ、お兄ちゃんは、その“枝垂桜”と何かあったんだ」
「由香利、そんな馬鹿馬鹿しい話、信じるんじゃありません」
「だって、見えるっていうんだから、見えるんでしょ」
だんだん雰囲気が険悪になりかけてきたところで、結城が割って入った。
「あの、話し合いなら、ここじゃなくて、別な場所にしたほうがいいんじゃないか。病院内にも喫茶室みたいなところはあるはずだし、少なくとも病室で揉めるのは、村上くんの身にもよくないんじゃないかと思うんだが」
それには、二人ともそうだと納得して、皆で病室を出ることにした。
ナースステーションに声をかけてから、五人で連れ立って本館に移動すると、本館の最上階にある軽食レストランへ行こうということになり、全員でエレベーターに乗る。
最上階である十五階のボタンを押し、エレベーターがそこに到着するまでの間、何度かエレベーターは途中階に止まり、ときに病院関係者、ときに面会に来たらしい外部の人が、幾人か入れ替わり出入りした。
その間、晃はずっと視線を感じっぱなしだった。視線の主は、由香利だ。
(この姉ちゃん、お前にひと目惚れしたっぽいな。いっそどうだ、付き合うってのは)
(遼さん、こんなときになんだよ。そんなにぽんぽん付き合う気になるわけないだろ。からかうのもいい加減にしてよ)
(俺は別に、からかっているつもりじゃないんだがなあ……)
(……そりゃ僕も、遼さんの気持ちはわからなくもない。僕が、もっと気軽に女性に声をかけたり出来れば、遼さんだってやきもきしないだろうってことはわかる。でも、今はそのときじゃないし、そういう気分でもない。わかるだろう、遼さん)
(まあ、お前が奥手だったのは今に始まったことじゃないし、俺と一緒になったせいで、それに拍車をかける形になっちまったりしたからな。でも、いつかはちゃんと、女の子とまともに付き合うようになれよ。ほんとにお前は、恋愛ごとにはポンコツなんだから……)
そのとき、エレベーターのドアが開き、最上階に到着した。
皆が動き出したので、晃も遼との会話をやめ、目的の軽食レストランへと向かう。
そのレストランは、ファミレスとそう変わらない小奇麗な感じで、案外入りやすかった。ただ、先に食券を買うシステムになっているのが、ファミレスと違うところだ。
銘々が食券を買い、一同に会せる大型のテーブルについたところで、係の人がお冷を持ってくるとともに、食券の半券をちぎって持っていった。店内は、中途半端な時間であるせいか、客の姿はまばらだった。
「さて、ここなら、そんなに大声を出さなければ大丈夫なはず。とにかく、村上くんがああいう状態で、母娘喧嘩はどうかと……」
結城がいちおう切り出すと、由香利が早速晃に向かって口を開いた。
「さっきも聞いたけど、お兄ちゃんを霊視して、本当に枝垂桜が見えたの? どんな感じの桜だった?」
興味しんしんで尋ねる由香利に、杏子は露骨に不機嫌になった。
「まったく、何を訊くのかと思えば。見えていると言っているだけで、本当に見えている保証なんてないでしょ」
「あの、そこまで信用しないというのも、どうかと思いますけど。わたしたちの能力は、確かにわかりづらいと思いますけど、間違いなく存在する力なんですよ」
和海がそういうと、杏子が鋭い視線を向ける。
その様子を見ながら、晃は困ったものだと思った。晃の目には、杏子の背後ではらはらした様子の守護霊と思しき着物姿の初老の女性の姿が“視え”ていたからだ。
(あれは、四代前のご先祖だね。“自分がいるのに、どうしたものか”と困っているのがよくわかるよ)
(ご先祖様も、頭痛いだろうな)